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16、心とは、恋とはどこに在るのか

 茶色い煉瓦造りの壁に、赤い屋根。庭の四阿は、通りから良く見えた。

「ようやく、出来上がったね」

「……ええ、素敵ね」

 王都の東、王立学院がある区画に、一軒の屋敷が完成した。

 そこの住人となる予定の二人は、通りから屋敷の外観を眺めていた。

 行き交う学生たちは、彼らの後ろ姿を横目で見ながら通り過ぎていく。


 フェリシティ・クルーガーの婚約が決まってから、クルーガー侯爵家が入念な計画を立てて、新居の建設に乗り出した。

 派手すぎず地味すぎず、周囲の環境に馴染む意匠。そしてとにかく丈夫で安全な新居を――侯爵夫妻が愛情と私財をこんもりと詰め込んだ屋敷を、フェリシティは一目で気に入った。

 王宮にも問題なく通える距離であり、王都を守る衛兵の詰め所からもさして遠くない場所――クルーガー侯爵家が利便性や治安も考慮してくれたことを察しつつ、レイモンドも頷いた。


「ここは応接室……食堂はここ……厨房も大きくて使いやすそうね」

「落ち着いて歩こうか、フェイ」

 壁や柱に体をぶつけながらも、フェリシティは我先にと屋敷の中を進んでいく。普段は妖精の助けを借りているらしき彼女も、今日は周囲の声を聞いていない様子だった。

「私の部屋は一階の方が助かるわ」

「その辺は織り込み済みじゃないかな」

 二階建ての邸内を一通り覗いてきたレイモンドが答える。

 一階の方が各部屋の面積が広く、内装もやや豪華なつくりとなっている。食堂や応接間に加えて、自分たちの私室や寝室に出来るように想定されているようだった。

 注意力散漫なフェリシティは、よく階段で足を踏み外しかけては学友や使用人たちを焦らせたという。一階に定住させた方が身内としても安心だろう。

 レイモンド個人の事情から考えても、書籍を溜め込んで宿舎の床をたわませた前科があるため、一階に収納した方が気持ちは落ち着く。


「セバスチャンにティネッテ……あと、ジュディの部屋はあるかしら?」

「部屋は十分あったよ」

 二人の結婚にあたり、侯爵家の家令と家政婦長が後進に跡を譲り、フェリシティの世話をすると申し出た。

 有能で、経験豊富で、まだ働き盛りの二人にレイモンドは恐縮しきりであったが、向こうは『誰があのお嬢様の手綱を握れるのか』と乗り気らしい。

 さらには、フェリシティに恩のある厨房付きの使用人までが付いてくるという。

 この三人がいれば、邸内の管理は問題ないだろうと皆が安心していた。

「お母様は私の侍女も付けたいみたいだけど……すぐ入れ替わっちゃうんだもの。ティネッテ達がいれば十分だわ」

 フェリシティの侍女を務めた女性は、大抵は一年と経たずに辞めてしまう。妖精たちの悪戯によって、良き結婚相手と巡り合うからだ。

「まあ、その辺はゆっくり考えればいいさ。実際に住んで不便があれば募集する手もあるし……それに……」

「それに?」

「いや、なんでもないよ」

 ――子どもが生まれたら必要になるだろう、とは気恥ずかしくて言いにくかった。


 それからもあれやこれやと部屋の内覧を済ませたフェリシティは、夕方遅くに侯爵家へと帰って来た。

 新居での暮らしに思いを馳せ、食事や湯浴みも上の空で済ませた彼女は、就寝前に茶を飲んでいた。

(あの部屋は先生の書斎にして……私の机はどこに置こうかしら? 荷物も減らさないと駄目かしら……本は全部持っていけないわよね……)

 本棚を眺めていると、髪を引っ張られる感覚があった。

 自分の肩に垂れた一房を見ると、先端に小人がぶら下がっている。気が付けば、膝の上にもわらわらと、妖精たちが集まって来ていた。

「……どうかしたの?」

 彼らを見ると、口々に何かをわめいている――曰く、最近、自分たちの扱いがおざなりでないのかと。

「……そうだったかしら?」

 首を傾げてここ数日のことを振り返り――そういえば、彼らと言葉を交わしたような、記憶が無い。

 物心ついて彼らを認識し出してから十数年、初めての出来事だった。

「貴方たちのこと、忘れていた気がするわ……ごめんなさいね」

 両手を振り上げて抗議の声を上げる妖精たちを、指先でつつく。


 ――まあ仕方ないさ。男が出来ると女は変わっちゃうんだ。友情より恋愛を取るんだよ。

 机の上で寝そべる巻き毛の少年の姿をした妖精が、分け知り顔で言う。そんな彼は、たちまち他の妖精によってこねくり回された。

「恋愛……なのかしら?」

 フェリシティは首を傾げた。

『化け物が愛を語るのか』と王子に言われてから数年経った。そんな自分が誰かと愛を育もうとしているのか……そもそも、そんなことを思う心は元からフェリシティの中に存在していたのか、レイモンドと出会ったからこそ産まれたものなのか……少し考えても、答えは出なかった。そして、他に考えるべきことも沢山ある。


 膝の上が軽くなったフェリシティは立ち上がり、本棚の一角を占めている小箱を取り出した。

 机の上で開けると、甘い香りがほのかに漂う。

 蜜を絡めた木の実が詰まった小箱に、妖精たちが殺到した。我先にと大きい粒を両手で掴み、大きく口を開けて噛り付く。

 暫く、室内が静かになった。


「……貴方たちの事も考えないといけないわ」

 おやつを楽しんでいる内に彼らの怒りも消え去ったようで、ご機嫌な様子でフェリシティの体に纏わりついている。

「私が二十歳になったら先生と結婚してこの屋敷を出るつもりだけれど……貴方たちはどうする?」

 クルーガー侯爵家の住人や環境に馴染んだ彼らはこのまま定住するのか……と何となく考えていたフェリシティだったが。

「……あら、そうなの?」

 思いのほかフェリシティに付いてくる妖精もいるようだった。

 付き合いの長いフェリシティに情を感じているものが半分、ジュディから離れたくないものが半分。

「そうね……ジュディの林檎のパイが一番だもの」

 さっくりした生地に、甘さを抑えた林檎の甘煮。干しブドウとシナモンを控えめに――『特別なことはしていませんが……』と彼女が言いながら作るパイは絶品なのだ。

 林檎パイの偉大さに、しみじみと思いを馳せた。


 婚姻が視野に入って来た頃より、フェリシティは外出する機会が増えるようになっていた。

 高位貴族としての教育を受け、語学に堪能な彼女は学院で教職の誘いを受けた。セリュー・マクシミリアン女史の抜けた穴は大きいらしく、学院長が何人かに声を掛けていたのだ。

 語学の教師として、また、平民に作法を教える為、定期的に学院へ通っている。

 そして、レイモンドの婚約者として、彼の仕事に同行する機会も増えた。


 今日も、隣国から来た歌劇女優の接待のため、二人で舞台を観に来ていた。

 公演の後、女優と付き人を伴い王都でも有数の料理店に向かう。

「サラ、今日も素敵だったよ」

「貴方が見守っていてくれるからよ、フレディ」

 貴族の庶子である女優と平民の付き人は恋人であることを公言しており、常に行動を共にしているらしい。

 控室、馬車の中、食卓と場所を問わず彼らは手を繋ぎ、愛の言葉を交わす。

 向こうの風習なのか、産まれの差なのか――貴族令息として、教師として慎み深く生活してきたレイモンドは、所在なさげに苦笑することしかできないでいた。

 対して、フェリシティも慎み深くは生きているものの、妖精たちの告げ口によって、男女間の睦事にはある程度寛容であった。

「海老がお好きだと聞きましたので……ここの料理長は海産物の輸送に心を砕いていて、王都で海老を食べるならここしかないと言われていますわ。王国の西で生産している葡萄酒に合わせた料理を提供しています」

「嬉しいわぁ。海老もお酒も、私、目が無いの。フレディがいないと、つい飲み過ぎてしまうのよ」

 良くも悪くも物怖じしない性質のフェリシティは、愛の語らいの合間にさりげなく話題を提供し、場を盛り上げていく。


「楽しかったわぁ、ありがと。此方に来るときは教えてね」

 女優達を宿泊所の部屋まで送り届け、今日の接待は終わった。二人の反応を見る限り、まずまずの成果だったと評していいだろう。

「素敵な方だったわね。綺麗で、表現力があって、愛情深くて」

「そうだね……此方でも人気の女優だからよく招待しているんだ……けど、いつも、あんな感じでね……食事の席には誰も来たがらないんだ。王国のご婦人方には刺激が強すぎるんだろうね」

 ただ会話を聞いていただけのレイモンドは、些か消耗した様子だった。

「君がいて助かったよ……学術関係や商工関係に興味のある方々なら話題に困らないんだけど……あのような感じだと……どう接していいものか……」

 大きな溜め息を吐き、肩を落とすレイモンドの姿を見ていると、ふと、彼の手に触れたくなった。

 結婚を申し込まれたときも彼に手を取られたし、馬車の乗り降り等も彼の手を借りている。でも、フェリシティの方から彼に触れたことは無い。

 母より淑女としての振る舞いについて厳しく教えられていたし、父はレイモンドに紳士としての振る舞いを涙ながらに説いているし。

 でも、今は、彼を労いたかった気持ちがあったし、先程の二人の姿が少し羨ましかった気持ちもあった。

 フェリシティ・クルーガーは良くも悪くも物怖じしない性質なので、自らの気持ちに正直に、そっと、彼の手を握った。

「レイモンド様」

 彼の指先がぴくりと反応する。そしてこちらを見たまま動きが止まった。

「……どうなさったの?」

 このような振る舞いはお気に召さなかったのかしら――フェリシティの胸に、少し、不安が過ぎった時。

「……今、名前を」

 その言葉にフェリシティはふと気付く。そういえば、彼を名前で呼んだことは初めてだった。

「何となく、そう呼んでみたかったのだけど……迷惑だったかしら」

 少し消沈し、指先の力を緩める。すると、今度は彼の方が手を握り返してきた。

「いや……嬉しいよ」

 レイモンドが照れたように笑う。

 それを見て、自分は出会った頃から彼の笑顔が好きだったことを思い出し――フェリシティも笑った。

 月明りの下、二人は手を繋ぎ、馬車までゆっくりと歩いて行った。

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