15、妖精さんの婚約者
――絶対になくならないものなんて、どこにもないのだから。
『妖精図鑑』『お屋敷の妖精たち』の著者、フェリシティ・クルーガー初の恋愛小説!
妖精の国の王女フェイは、母ティターニアから、大人になるまで人間の国で暮らすよう命じられる。ある侯爵家に引き取られたフェイは、自由奔放な性格で周囲の人々を振り回しながらも関係を深めていく。
――私の命は、もう長くないんだ。
そんな中、フェイは王子の婚約破棄騒動に巻き込まれる。他者を拒絶する王子の秘密を知ったフェイは、彼にある提案をする。
――それでも、私は、あなたと共に在りたいのです。
いずれ終わってしまうと知りながらも、仮初の婚約関係を続ける二人の未来は……。
『妖精さんの婚約者』、ドルック商会にて販売中!
初夏の頃、王国で一冊の本が話題となった。
『妖精さんの婚約者』――クルーガー侯爵家の令嬢が執筆した小説の内容は、少し前までにあった、この国の王子の婚約者選びに関連した騒動と酷似していた。
冷酷な王子は、最初の婚約者とうまくいかず別の令嬢と新たに婚約を結ぶ。しかし、学院の卒業式で最初の婚約者に謝罪し元の鞘に納まった――王宮に関わりのない人々が知るのは、それだけ。
政治上の理由ではないか、クルーガー家の御令嬢に問題があったのではないか――皆が口々に噂する中、この小説は発表された。そして病床の王子と健気な令嬢の恋物語に、若い娘たちは涙を流した。小説の内容が話題を呼び、貴族平民を問わず多くの客がドルック商会に押し寄せることとなる。
学院を卒業した王子が公の場に出る機会が少ないことも、人々の想像を掻き立てた。視察や慰問に向かう際は必ず婚約者が同行し、二人が寄り添って歩く姿を周囲は微笑ましく見守った。
――こうして、王子と関わりのあった人物が読めば、「さてこんな話だったかな」と首を傾げてしまうような物語はこの国に浸透し、王子とエミリー・レナーテの婚約は国民に受け入れられた。
王宮に勤める外交職員であり、王立学院の非常勤講師でもあるレイモンド・グレースは、春頃までは仕事一辺倒の男と言われていた。
住居と職場以外の場所に出歩くことも少なく、興味をそそられる資料があれば寝食も忘れて読みふける――そんな彼であったが、婚約をしてからというもの、クルーガー侯爵家に足しげく通う姿が目撃されるようになった。
年齢的にはすぐに婚姻を結ぶことの出来る二人ではあったが、住居の準備や資産の管理や使用人の雇用など、種々の調整に時間を要していた。現在は婚約期間として、交流に努めている。
レイモンド自身は王宮の宿舎に住んでいるが、諸々の理由でそこにフェリシティが来たことは無い。また“お忍び”といった概念とは無縁の令嬢なので、気軽に出歩くことも無く、二人が顔を合わせるのは侯爵家の屋敷にほぼ限られていた。
「本当にいいんですか?」
「嫁の機嫌は取りすぎる、ということは無いからの。お前さんは家に帰れない日が絶対あるから、行ける時に行っとけ」
この日も、まだ明るいうちに、ブラウン大臣から執務室を追い出されていた。
彼の言う通り、王宮に泊まり込んだり使節として他国に向かったりすることもあるため、結婚してからも常にフェリシティと暮らせるわけではない。向こうもそれは理解しているようだが、可能な限り顔を見せておきたい。
いそいそと王宮内を通り、庭園の四阿で王子と婚約者が座っているのを横目に通り過ぎ――向かいから、見知った顔が近付いてきたので足を止めた。
「よお、色男。順調そうだねぇ」
ひょろりとした体躯に小洒落た服装――アルジェント侯爵が手を振って来たので、軽く頭を下げた。
子息が学院を卒業した後は領地に篭る予定であったが、“密約”を知る彼を宰相が離さなかったらしい。
『さっさと息子に跡を譲って、甘い汁を啜りたかったんだけどねぇ』とぼやきながら、領地と王都を行き来している。
「いやぁ、君達の関係がうまくいっているようで本当に良かったよ。おめでと、爵位いる?」
事も無げに言う彼にどう答えていいか分からず、愛想笑いで返す。
「まぁ、役人の妻、教員の妻なら令嬢の嫁ぎ先として問題ないけどね……何か困ったことがあったら相談してよ」
侯爵はレイモンドの肩を叩く。
「……君も、僕らの“仲間”になるわけだし」
先程の友好的な笑顔とは打って変わって、皮肉めいた表情を浮かべた彼は、軽く手を振って立ち去っていった。
「君はそればっかり口にしているね。そんなに好きなのかい?」
「……ええ、美味しいですわ」
視線を移すと、にこやかに言葉を紡ぐ、王子と婚約者の姿。
この二人が、言葉を交わしているわけではないと、レイモンドは知っている。
王子は頭上の方を見渡すと突如立ち上がる。
「あぁ……そうですわね、そろそろ執務に戻らないと」
彼に婚約者が寄り添い、二人で庭園を後にする。
学院の卒業式典で起きた騒動に関わったレイモンドは、王宮の関係者直々に緘口と協力を命じられた。
学院でも事実を知るのは学院長を含む数名のみ、生家のグレース伯爵家も知らぬ“密約”を己の内だけに留めているというのは、なかなかに堪えるものがある。
フェリシティの身を案じ、妖精たちの誘いに付いていくことなどしなければ、これまでと変わらぬ平穏な生活を得ていたのだろうが……彼女と婚約した今、特に後悔はなかった。
ブラウン大臣が腰を痛めたあの日から、自分の運命は決まっていたのだろう。
一つ、気になることを上げるとすれば――フェリシティがいささか淡泊すぎると感じたぐらいか。
彼女からは、王子の変化に心を動かされた様子を見受けられなかった。王子の態度に問題があったと言えど、多少なりとも交流があったのなら関心を寄せたりしないか――そう思ったが、『今の方が幸せそうだもの』と平然と言ってのけるぐらいだ。
あくまで、彼女にとって、あの殿下は“王子様”という偶像だったのだろう。
王宮を出て、王都をのんびり歩く。
もとより馬車を所有できるほどの身分ではないので、徒歩での移動は慣れている。
クルーガー家の屋敷に着くと、顔馴染みとなった門番が門を開けてくれた。
出迎えてくれた家令に、急な訪問を詫びつつフェリシティへの面談を依頼すると、離れの応接間へと通された。
ドルック商会の会頭を迎えた後、彼の退室後もそのまま応接間で茶と読書を楽しんでいるらしい。
家令が扉を開けると、すぐそこにフェリシティが待ち構えていた。
「先生」
琥珀色の瞳を大きく見開いて、満面の笑み。紫陽花色の衣服が良く似合っていた。淡い金髪には、レイモンドが送った紺色のリボンを結んでいる。
「急にすまない、時間が出来たから、会いたくなってね」
「嬉しいわ、いつ来てくれても大丈夫よ」
家令にさりげなく誘導されて椅子に腰掛けたフェリシティと向かい合わせになって座る。
机には飲みかけの茶や積まれた書籍が置かれていたが、侍女が片付けて新しい茶を自分の前に置いてくれた。
「……ずいぶん、評判のようだね」
レイモンドは、書籍の山の中に、噂の恋愛小説を見つけていた。
王立学院の女子学生が手にしている姿をよく見るし、レイモンドも一冊所有している。一通り目を通したが――
「その、なんというか……随分と、綺麗すぎるというか……」
言葉を濁し、茶に口をつける。
作中に出てくる王子は、見目こそ現実の王子に似ているが、ただ寡黙で誠実な青年として書かれている。
令嬢たちに暴言を吐くことも無く、途中で心惹かれる子爵令嬢にも常識的な振る舞いを見せていた。
「王子様のことかしら? そうね、私が最初に書いた文章を、宰相とアルジェント侯爵が手直ししたわ」
フェリシティは公に出来ないだろう事実を平然と言ってのけた。
「美しく、高潔な王子様を印象付ける必要があるんですって」
少し昔、国王が平民の少女を見初めたとき、王家の不誠実さを隠すように、二人の愛を美化するような絵画や物語が出回ったことをレイモンドは思い出した。
こうやって歴史は作られているのか――繰り返される政治宣伝に彼は内心で苦笑する。おそらくは、これから自分も関与していくのだろう。
小説の中では、不治の病に侵されている王子は、愛した婚約者を一度は遠ざけるが、結局は最後に婚姻を結ぶ。いずれ、死が二人を分かつことになっても……おそらくは、これから殿下を“処理”するための布石なのだろう。
「これからも本を書くのかい?」
内心の陰鬱な気持ちを切り替えようと、話題を変える。
「そうね……商会は今後ともって言っていたけど」
フェリシティは顔を顰める。
「字を書き続けるのって大変なのね。私、作家には向いてないと思うの」
学院時代から移り気で飽き性と評判だった侯爵令嬢は大きく首を振る。
セリュー女史たちの嘆きを目にしていたレイモンドも沈黙で肯定した。
「でも、会頭さんは私が先生と結婚することを喜んでくれていたわ」
フェリシティが楽しそうに笑う。
「外国に行く機会も出来るから本の発想も浮かぶでしょう、ですって」
「……そうだね」
語学に堪能で著書の知名度もあるフェリシティは国外での評価が高いらしい。おそらく、宰相は外交に従事させるために自分との結婚を後押ししたのでは……とレイモンドは考えている。
「海外で妖精の逸話を集めるとか、妖精の国に帰ったフェイの冒険物語を考えたらどうかって」
「……フェイ、か」
『妖精さんの婚約者』の主人公、フェイの名前はフェリシティから取られたものだ。最初は兄たちからの愛称であるフェリとしていたが、侯爵家や商会の判断によって変えられたらしい。
「……君の事をフェイと呼んでも?」
距離を縮めるために、愛称で呼んでみるのも悪くない――そう考えたレイモンドは、恐る恐る提案する。
彼女はにっこりと笑った。
「先生の好きに呼んでいいわ」
「“先生”、か……」
フェリシティは、レイモンドを名前で呼んだことが無い。教師と教え子のままでいるような感覚は、少々、もどかしいものがある。
しかし、十八になったとはいえ、まだまだ幼い部分があるフェリシティに対して、急ぐつもりはなかった。
レイモンドが辛抱強く慎重な性格であることと、もう一つ理由を挙げるなら――
「……」
窓からクルーガー侯爵の顔が覗く。
フェリシティの父は、先程より離れの周囲を歩きながら中の様子を窺おうとしていた。
「先生?」
「いや、なんでもないよ」
フェリシティが気付いていないようだったので、レイモンドも見なかったことにする。
婚約が決まってから日は経つが、侯爵家にとっては大事な末娘であり、まだ子離れできていないのだろう。
まだまだ先は長い――レイモンドは内心嘆息した。




