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12、思慕と憎悪の行き着く先は

 学院の教師が辺境伯から求婚されるという事態に、式典の会場は騒然となった。

 倒れた教師が運ばれて行き、辺境伯も皆に謝罪しつつその場を離れる。

 国王や宰相に加えて国内の有力な貴族たちも会場からいなくなり、貴族夫人や教師たちが場を取り成す。


 皆が焦れるぐらいには時間が経った頃、奥の扉が開いた。国王を筆頭に、王子、エミリー・レナーテ、宰相の順に会場に入る。別の扉から貴族たちも入り、国王たちを囲むようにして遠巻きに並んだ。


 突如王家と共に現れた侯爵令嬢に会場からは驚きの声があがる。他国の者は王子がとうとう婚約を結ぶのかと察し、自国の者たち――国王の“密約”を知らぬ大半の人々は、あの令嬢とよりを戻したのかと目を見張る。

 中央にいた学院の生徒たちは、隣同士で何事かと話し合っていた。

「殿下はエミリー様と再会して、この方しかいないと感じたそうですよ」

 中央の混乱を鎮めたのは、いつの間にか消えていたフェリシティ・クルーガーだった。

「先程、話し合いがなされましたの」

 いつものように穏やかな調子で話すフェリシティに、誰も疑問を挟まない。生徒たちの顔から窺えるのは、呆れや怒りといった感情か。

「イザベラ様も了承済みです。自分には荷が重かった話であるし、当然の結果だと。……ただ、皆さまにはご迷惑をかけて申し訳なく、合わせる顔がないと仰って……」

 だから、あの方のことは悪く思わないでくださいね――と侯爵令嬢に頼まれては、誰も文句は言えなかった。

「だから……これをお願いします」

 フェリシティは学院時代に行動を共にしていた侯爵子息に、持っていた書状を渡す。丸めて紐を巻かれたそれを受け取りながら、彼は眉を顰める。

「これは……?」

「殿下が急にそんなことを言うものだから、レナーテ侯爵がお怒りになられて……身勝手すぎると。思わず、お顔をね……」

 これ内緒ですよ、と人差し指を立てた。……何かを勘違いしたのか、妖精たちが集まり、周囲をぐるぐる回るので下ろせなくなった。

 皆が王子の方を見やる。エミリーに支えられて立つ王子の顔は、確かに片頬が腫れていた。

「ちょっと皆様の前でお話しするのが難しくて……代わりに、貴方に学生を代表して最後の挨拶を」

「えぇー、なんで」

 学院に通っていた頃には聞けなかった、情けない声をあげる侯爵子息。

 お前がやれと言わんばかりに書状をフェリシティへと突き返すが。

「だって、私、学院にあまり来てなかったもの」

 その一言に、彼は肩を落とした。王子の側付きたちは既に学院を去っており、自分が代表として妥当なのだろうと諦めるしかなかった。

「まったく……」

 彼が書状を開くのと、学院長が来賓の方々より祝いの言葉を賜ると告げたのは、ほぼ同時であった。

 まず目にした文面に、侯爵子息が目を剥く。幸いなことに、皆が賓客の方を注目し、彼の様子に気付く者はいなかった。

 無言でフェリシティを見るが、彼女は立てたままの人差し指をそっと口元に寄せるだけであった。

 子息は小さく溜め息を吐く。

「……父に相談してきますよ」

 小声で告げると、速足で向かって行った。

 アルジェント侯爵の後継である彼にも、父から“密約”が伝えられるだろう。これから、王子の側近に据えられるはずだ。


“密約”を交わした者たちは、王家の周囲に陣取り、賓客の言葉より王子の一挙一投に神経を尖らせていた。

 宰相だけは、少し、落ち着かない様子であるが――セリュー女史のことを知ったからかもしれない。


 侯爵子息が無事父と合流できたことを見届けると、フェリシティは先程のことを思い起こす。

 イザベラ・ロッシュが王子を殴り倒すさまは、フェリシティに衝撃を与えた。

 へたりこみ、すすり泣くイザベラを呆然と眺めていた。

 そんな彼女の肩に触れたのは、レイモンド・グレースだった。彼は、呼ばれた気がしてね――と自らの衣服からちぎれたボタンを見せたので、おそらく“あちら側”からの干渉があったのだろう。

 レイモンドが殿下を介抱している間、イザベラの背をさすることしかできなかった。

 やがて、フェリシティの不在に気付いたクルーガー侯爵夫妻が騎士を伴って部屋に入って来た。

 王子の負傷に騎士たちは色めき立つが、クルーガー侯爵が一喝し場を取り仕切った。急いで国王を始めとする王城の関係者や他の有力貴族たちと、医師を呼ぶように指示した。

 国王以外の全員が集まるのには、さして時間を要さなかった。

「王家の者が全員いなくなってしまっては式典が混乱しますからなぁ」

 国王を呼ばなかった理由を宰相は困り顔で述べていたが、クルーガー侯爵には彼の目的は察しが付いていた。


 ロブ・ヘイズ医師は救護要員も兼ねて式典へ参加しており、孫の晴れ姿を目に焼き付けていた。

 妖精たちの騒ぎが起きたのは、旧知のレナーテ侯爵夫人と歓談していたとき。セリュー女史が倒れ、いち早く駆け付けた孫娘と共に介抱していた。それがひと段落すると、今度は騎士から耳打ち。老体に堪えるわいとぼやきながら会場を後にした。

 止血がされた王子の体を一通り診察し、傷の縫合をするため医務室へそっと運ぶよう騎士に指示を出した。

 王子をヘイズ医師に任せ、フェリシティから事情を聞くために皆で別室へ移動した。

 レイモンドは、学院の上層部に事情を報告するため出て行った……去り際まで、フェリシティを心配そうに見つめていた。

 そして、イザベラ・ロッシュは――クルーガー侯爵夫人が連れて帰った。

 イザベラは早く領地に戻りたいと泣き喚いた。しかし、ロッシュ夫妻は連れて帰る気のなそうなそぶりを見せる。

 王子に傷害を負わせた人物であり、侯爵令嬢の恩人でもある彼女の扱いに皆が困ったが、クルーガー侯爵夫人が預かると提案した。騎士の監視つきで、彼女は馬車に乗せられた。


 クルーガー侯爵が、娘も屋敷へ帰していいだろうと諸侯たちへ問うていたとき――ヘイズ医師が医務室から此方に来た。王子が目を覚ましたが、どうもおかしい。お嬢さんの領分ではないかと。

 フェリシティは快諾し、母へ先に帰ってくれて大丈夫と伝えた後、医務室へ向かう。そこで彼女が見たのは、“あちら側”の住人と戯れる王子の姿。

 これまでの傲慢さや冷酷さは鳴りを潜め、無邪気な笑顔を見せていた。

 クルーガー侯爵が強めに肩を叩くが、なんの反応もしない。

 これを見て、笑い声をあげたのは宰相だった。何事かと注目する周囲を前に、『いい気味だ』と言ってのけた。

 王子の醜態を国内外に見せつけ、責任を取らせて国王を処刑しようじゃないかと皆に持ち掛けた。

「己の愚かさを悔やみながら死ねばいい」

「……そこまで恨みが深かったとはね。ですが、王家には働いてもらわないと困るんですよ」

 真っ先に反対の意思を見せたのはクルーガー侯爵だった。今回の件を告発し、王子を“罪人”として廃嫡させると宣言した。国王は西側の共和国の有力貴族と再婚させて手綱を握ればいいとも。

 爵位を持たぬ文官たちが慌てて制止を呼びかけるが、貴族たちは、どちらが国にとって――己にとっても利があるかを計算しながら議論を始める。

 アルジェント侯爵とレナーテ侯爵は、議論の場から一歩引いた位置にいた。

「ほう、マクシミリアン公国か神聖フェリシティ王国か……どちらにせよ、仕事が増えそうだねぇ」

 国の経済や流通を握り、国の形が変わろうと強い影響力を持てるアルジェント侯爵は、軽薄そうに装った笑みを浮かべていた。

『今はまだその時ではない』というクルーガー侯爵の呟きは皆が無視した。


 宰相は無言を貫いていたレナーテ侯爵に協力を持ちかけた。お前も王家に娘をいたぶられただろうと言葉を選ばない。

 さほど弁の立つ人物でなく、そして、何か別のことに気を取られているらしいレナーテ侯爵は、たどたどしく口を開く。

 纏まりのない話ではあったが、『王家には思う所があるが、お前は生理的にあんまり好かん。仲良くできない』と言いたいことは皆が理解した。俯いて黙る宰相を、ブラウン大臣が肩を叩いて慰めた。

 レナーテ侯爵はそんな彼らの姿など気にも留めず、近くにいた騎士に耳打ちする。

 急いで部屋を出た騎士を横目に見つつ、一同はレナーテ侯爵の発言を待つ。

「……最後の手段、か」

 当の本人は目を閉じ、苦痛に満ちた顔でそう述べるに留まる。

 騎士はそうはかからない時間で戻って来た――エミリー・レナーテを伴って。

 並ぶ諸侯に戸惑った様子を見せるが、レナーテ侯爵に『国王の責を問わねばならん事態だ』と言われると、顔が青ざめる。

 事情を聞いたエミリーが、表向きは自分が王子と婚姻し、陛下の子を産んで跡継ぎにしてはどうかと提案し、場を震撼させる。

 皆が理性や良心から異を唱えるが、エミリーは全てに首を振る。

『自分はずっと陛下を愛していた』という娘の言葉に、レナーテ侯爵は沈痛な面持ちを見せる。


「いいじゃないか、一番書類が少なくて済む」

 意外なことに、アルジェント侯爵が賛同の意を示した。

 城勤めの者たちも、数年隠すだけで済むのなら……と乗り気な様子を見せていた。

 クルーガー侯爵が、『エミリー嬢がそれでいいのなら……』と自らの意見を撤回したことで、レナーテ侯爵家の案に乗ろうかと言う空気が出来上がっていた。

 真っ向から反対するのは、宰相一人。

「話にもならん。王家の名誉など、もう守る価値はない」

 歪んだ口元は、憎悪の感情を滲ませていた。


 フェリシティは、部屋の隅でそのやり取りをぼんやりと眺めていた。

 

 宰相のぎらつく瞳や、真摯なエミリーの顔。

 自分に触れる“あちら側”の小さな手。

 時折、こちらを見つめる父の眼差し。

 そして、レイモンドの顔を思い出す。


 王子様とお姫様の物語は存在しなかった。

 それなら、自分が“こちら側”ですべきことは――


 フェリシティは宰相の隣に並び、ちょっと背伸びして耳打ちする。彼の背が低くて助かった。

 宰相の眉がぴくりと動く。

「あの馬鹿め……」

 フェリシティとエミリーの顔を見比べ――薄く笑みを浮かべた。

「いいだろう、お嬢さん達。その提案に乗ってやる。あの男が苦しむ姿を見届けてやろうか」


『さて、陛下をどう説得するのですかな?』と皆に尋ねる宰相に、一同は目を丸くする。

 問うような視線をいくつか感じたが、彼女はそっと人差し指を口元に添えるだけに留めた。

 フェリシティ・クルーガーは、母の言いつけを守る淑女なのだから。


 急いで書状を作り、関係者に緘口令を敷き、国王を半ば脅すような形で“密約”は結ばれた。

 そして、急ごしらえで式典の筋書きを打ち合わせ、今に至る。

 諸侯たちがあれやこれやと動く中、フェリシティがしたことと言えば、妖精との交渉ぐらい。

 王子の目線や行動を誘導するぐらいは出来ないか、とエミリーから相談を受けたのだ。

 王子のそばにずっと付いていた妖精に尋ねてみた――王子の見た目を気に入っていた“かれら”は、あっさり了承してくれた。菫の砂糖漬けとかミントを煮詰めたシロップとか、妖精が自力で得られないような物を報酬にすることで話は纏まった。

 あとは、エミリーの合図でこう動いてやってほしい、王子を黙らせたいときは……などと労働内容を説明する。

『“あちら側”と労働交渉をする方なんて初めて見ましたよ』と誰かが感心したように呟いていた。


 そして、王子はエミリーと並んで、皆の前に立つことが出来ている。賓客に微笑んでいるが、彼の目の前には妖精が絶えず飛び気を引いている。

 フェリシティは周囲の人々の様子を窺うが、幸いなことに、王子の異変に気付いている者はいないようだ。

 レナーテ侯爵夫人が、涙を堪えきれず顔を覆う姿が、注目を浴びているからだろう。

 夫人も、“密約”の内容を聞かされたはずだ。自分の娘がそのような事になるのなら、親として正しい反応なのかもしれない。

 でも、フェリシティは悲観的には考えていなかった。

 王子の隣に立つ彼女の笑顔は、フェリシティが、昔に望んでいたものだから。


 こうして、エミリー・レナーテの恋は実を結ぶ。

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