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11、最後の手段

 国王は肩を叩き、息子の名を呼び続ける。王子はそんな父の方を向き――視線は通り過ぎた。

「ああ、怒ってるのかい? ごめんね、馬鹿にしたわけではないんだ」

 そのまま立ち上がり、何かを追うようにふらふらと室内を歩き回る。国王と体がぶつかったことも気づいていない様子だった。


「どうして……こうなったのだ」

“あちら側”とおしゃべりを続ける王子を前にして、国王は呻くようにして呟く。

 彼はまだ、『王子が負傷した』という報告しか受けていない。

「……その件に関しては、こちらへ」

 後ろに控えていた騎士の案内に従い、その場を離れた。


 学院の応接室には、宰相や侯爵家の当主三名を始めとする有力な貴族と文官たちが控えていた。中央に設けられている椅子と机を囲むように、壁に背を向けて並んでいる。

 国王が席に着くと、向かいに宰相とクルーガー侯爵が座った。

「説明してもらおうか。誰があのような事を……」

 国王は彼らを睨みつける。その視線を受けても宰相と侯爵は薄く笑みを浮かべている。

「イザベラ・ロッシュ嬢ですよ」

「……な」

 淡々と述べるクルーガー侯爵の言葉に、国王は愕然とする。

「どういうことだ……? あの二人は……」

 交際関係にあったのでは――と、国王が続けようとしたが。

「おや、御存じありませんでしたか? イザベラ嬢には結婚の約束をしている幼馴染が居たのですよ? まあ、殿下はただの口約束だろうと気にも留めなかったらしいですが」

「いやぁ、殿下には何度も御忠告申し上げてきたのですがねぇ。自分が王妃に望むのだ、何が不満なのだと」

「イザベラ嬢は家族と共に領内に帰ろうとしていたのですよ。しかし殿下は大層お怒りだったようでね。既成事実を作ってしまえばと」

「イザベラ嬢も恐ろしかったのでしょうなぁ。必死に抵抗して、殿下があのような事に……」

 矢継ぎ早に言葉を重ねる二人。理解が追い付かず、周囲の者に助けを求めるが、皆、目を逸らすばかりだった。

「陛下、これを」

 クルーガー侯爵が一枚の紙を差し出す。

「客人たちを待たせていますからね。早く覚えていただきたい」

 急いでいたためか、乱雑に走り書きされ、所々に線を引いて修正してある文章に目を通す。


 王子は生来から王族としての自覚に欠け、自分は父として、王として彼を導くことが出来なかった。最後の機会を与えるため、学院へ入学させ、彼が更生できるかを見定めていた。しかし、婚約者“候補”の令嬢や側付きのものを蔑ろにし、身分の低い女子学生に関係を持つよう強要していた。さらには、卒業式典のこの日に女子学生へ狼藉を働こうとした為、騎士が身柄を拘束している。将来、王になるものとしては不適格であり、この度廃嫡を決定した。また、自らも責任を取って蟄居し王政の廃止を宣言する……。


「ふざけるなっ!」

 国王は声を荒げ、机に紙を叩き付けた。

「諸外国からも使者が来ているのだぞ!? このような事が許されるか!」

「都合がいい。あなた方親子の愚かさを知らしめるべきだ」

 クルーガー侯爵の言葉に、国王は目を見開く。

「お前が、二人が将来を誓い合った仲だと、言っていたではないか!」

 宰相を指さし、睨みつける。次いで、クルーガー侯爵の方も。

「イザベラ・ロッシュの方にその気がなかったのなら、どうして娘を辞退させた? なぜ、あいつを諫めなかった?」

 怒りをぶつけられても、二人の表情は変わらない。

「さて、そうでしたかなぁ……イザベラ嬢はあくまで臣下として殿下を敬っておられたようですし、婚約者“候補”が目くじらを立てるような仲ではない、と申し上げたつもりだったのですが……」

「婚約者“候補”と浮気相手の仲なんざ知ったことか。娘の相手として問題があるから辞退しただけですよ」

 二人の視線から逃げるように、国王は周囲を見渡す。

「お前たち、どうして、私に話さなかった」

「さあ……学院の事を良く存じ上げませんので……」

「陛下も殿下も、我々の言葉に耳を傾けてくれませんでしたし……」

 あまりにも素っ気ない物言いと、淡々とした空気に王はたじろいだ。


「貴方が拒むのなら、我々は“あれ”を会場に連れて行く」

「それだけは……」

 先程の息子の姿が王の脳裏に過ぎる。

「罪人として処刑するか、愚者として葬るか……貴方が決めろ」

「しかし……」

 どちらを選ぶことも、王には出来なかった。

「国はどうなる……? お前たちはこの国を守る気はないのか……?」

「我々が守るべきなのは、“王国”ではなくて“国”です」

 もう王家などいらぬ――そう宣告されたように思えた。

 脈々と続いてきた王家を、自分達で途絶えさせることが、息子の悪名が後世に渡って語り継がれることは、国王にとって耐え難い屈辱であった。


「どこから……間違えたのだろうか」

 力なく項垂れる。

 思い出すのは、王妃と出会ってから今までの事。

 いつだって、誰かに忠告されていた。平民を王妃に据えた時。王妃の教育係にセリューを付けた時。王子が産まれた時。王妃と生活を別にした時。王妃の葬儀を終えた時。王子に婚約者と会わせた時……だが、いつからか、誰も、何も言わなくなった。

 おそらく、王子は――そして自分も、とうに見限られていたのだろう……気付くのが遅かったが。

「私の処遇は任せる。……しかし、あいつは、王子として終わらせてやることはできないか……?」

 父として、せめて息子の名誉だけは――そう、縋るように目の前の相手を見る。

 だが、クルーガー侯爵の視線に『何を甘えたことを』という意味が込められているように感じ目を伏せる。

 暫しの沈黙の後――


「……手段がないわけではありません」

「……どういうことだ?」

 宰相の言葉に、思わず身を乗り出す。

「今から、ある方とお会いしていただきます。その方だけは陛下の身を案じておられます故……話をなさって下さい」

「分かった」

 すぐさま立ち上がる。

「……こちらへ」

 意外なことに、レナーテ侯爵が国王を先導した。

 彼について歩きながら、国王は誰に会うのか考えていた。

 ロブ・ヘイズかフェリシティ・クルーガーか、それとも――

「まさか……な」

 自分が困難な状況に陥ったとき、助けてくれたのは、いつもセリュー・マクシミリアンだった。


 レナーテ侯爵が案内した先は、三つほど離れた部屋。

 彼が扉を開けると、そこにはエミリー・レナーテが立っていた。

「……お待ちしておりました」

「エミリー……本当に、いいんだね?」

 レナーテ侯爵は沈痛な面持ちで娘の肩を抱く。対して、エミリーの顔は晴れやかだった。

「ええ。最初から、こうするべきだったのです」

「なら……私達は何も言わないよ」

 侯爵は、王に一礼してその場を去る。

 父の背を見送ると、エミリー・レナーテは王に向き直った。

 護衛の騎士さえ退出し、室内には二人だけ。

「お久しぶりです、陛下」

 彼女は恭しく礼をとる。

「ああ、そうだな……掛けてくれ」

 先程の部屋の物よりは幾分か質素な椅子に座り、二人は相対する。

 王子の婚約者として交流があった頃はまだ幼さが残る面立ちをしていたが、数年ぶりに見る彼女は頭身も少し伸び、淑女と呼んで差し支えない佇まいを見せていた。

 式典の主役である学生たちに配慮したのか、髪を小さく纏め、装飾品も最低限のものを身に纏っただけだが、清楚な美しさを醸し出していた。

 黒目がちの瞳は伏せられ、感情は読み取れない。

「……宰相が会えと言ったのは、君だったのか」

 なぜ、彼女が――疑問が晴れぬまま、彼女に話し掛ける。

「今回の事に関して」

 昔と変わらない、自分の感情を押し殺した、抑揚のない調子で切り出すエミリー。

 紙を一枚、置く。促された気がしたので、国王はそれに目を通す。

 そこには、先程まで応接室にいた者たちの署名がなされていた。

「此度の事を告発する方々が用意していた書状です」

 その言葉に、溜め息が漏れる。

「……あいつを助けてくれる、と聞いたが」

 その言葉には反応せず、彼女はそっと机に手を伸ばした。

「ですが、誰かが殿下と婚姻を結び、王家の血を引く世継ぎを産む。そして、貴方はその養育に関わらない――それが可能となるなら、この者たちは今回の事を隠蔽し王家を支援します」

 エミリーの指先が、書状に触れた。

「これが密約の証となるのです」

 王は書状を見つめ、考えに詰まる。「無理だろう」との言葉が無意識に漏れていた。

 先程の王子の様子を見る限り、人前に立たせることなど不可能であるし、ましてや子を成すなど……。

「無論、殿下がどのような状態にあるかは、皆が知っています。もう“こちら側”との関わりは完全に断たれた状態であるし、治る見込みも、おそらく皆無に等しいと」

 エミリーは息子の状態を知らないのでは……と訝しむ国王へ、相手は悲観的な事実を告げてくる。

「殿下が公の場に出なければいけない機会はわずかです。此度の式典、立太子の儀、結婚式……そして、世継ぎの披露のときぐらいでしょうか」

 真実を知るものだけで周囲を固めてしまえばいい、と彼女は提案する。民には、少し顔を見せるだけでごまかせるだろうと。

「しかし、誰があいつと――」

 真実を知った上で、あの状態の息子と夫婦になれる者がいるのだろうか。

 もはやイザベラが婚姻を結ぶことは不可能。フェリシティも同様――あの妙に寛大な令嬢は了承するかもしれないが、クルーガー家がもう黙っていないだろう。

 残るのは――

「私がいます」

 その言葉と共に、初めてエミリーが顔をあげた。

 自分に向けられる眼差しは、昔と同じように輝きを帯びていて……その中に含まれる感情を、自分は知っている。

 それに気づかないふりをし、息子の婚約者となるよう懇願してきたのだから。

 どうせ子どもの初恋だ。王子といれば、いずれ互いに情が湧くだろうと楽観的に考えて……。

「私なら、再び殿下の婚約者に収まっても、あらぬ詮索は受けないでしょう」

 幼い時は破綻し他の令嬢に懸想したが、此度の式典で再会し真実の愛に気付く……容易に筋書きが思いつく。

 他の令嬢を宛がい、秘密を共有する人数を増やすよりは、はるかに容易な手段だ。

「しかし、お前はそれで」

 いいのか――という言葉は、エミリーの笑顔に飲み込まれた。

「わたくしは、“あれ”などどうでもいいのです」

 目を細め、唇を歪める彼女の姿に、息を呑む。

「必要な時以外は、人目につかない場所に置いていればいいのです。勉学に励むとも、病に侵されたとでも適当な言い訳は立ちます」

「……ずっと、というわけにもいかんだろう」

 国王の声に、エミリーは軽く頷く。

「無論、その通りです。ですから、世継ぎが産まれ、ある程度成長するまで生かしておけばいいのです。……適当な所で病死にでもすればいいのでしょう……貴方が王妃の死を隠蔽した時のように」

 慈悲のない言いように、皮膚が粟立つ。自分の夫を躊躇いなく傀儡にできるエミリーに恐怖を覚えた。

「お前なら、あいつの事を支えてくれるだろうと信じていたのに……」

 此度の申し出も、王子を慮っての事ではないのかと、力なく呟いた。

「……私が思う方はただ一人。“あれ”と婚約したのは、貴方の頼みだったからです」

 再び、エミリーの目に輝きが満ちる。頬を上気させ、潤んだ瞳でこちらを見る彼女は、幼い時と変わらなかった。

「幼き頃から、ずっとお慕い申し上げておりました……陛下」

 そう言って、彼女は艶やかに微笑む。

「貴方の愛が得られないことは分かっています。だから、私には、貴方の子さえいればいいのです」

――これが、自分への報いなのか。

 その笑顔を見ておられず、国王は目を閉じた。


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