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10、垣根をこえる

残酷な描写があります

 ――いよいよ、この日が来た。

 会場を見渡し、感慨に浸る。


 息子を含む学生たちの卒業を祝う式典は、問題なく進んでいた。

 会場の最奥に設けられた特別席には、挨拶に来る出席者の列が絶えない。


「殿下、この度はおめでとうございます」

「皆の助けがあったからこそです」

 隣に立つ息子は、誰に対しても礼節を弁えた態度を崩さない。周囲の人間すべてを厭い、険のある物言いを改めなかった時とは別人のように見違えた。

 時折、会場の方を気にするそぶりを見せる彼の視線の先に、銀髪の少女を見つけて嘆息した。

 まさか、息子も学院で運命の女性を見つけるとは……。


 自らの卒業の式典で平民の女性に求婚したのは、二十年近く前。

 あの時は、父を始め、多くの者に自分の非常識さを咎められた。

 幼い頃からの友人で婚約者候補でもあったセリュー・マクシミリアン侯爵令嬢に頼み込み、彼女を介して侯爵家の支援を取り付けることが出来た。

 美しく聡明なセリューには国内外から縁談の申し込みが殺到していたが、自分が懇願して王都に残って貰った。平民だった王妃の教育係として、彼女が最適だと思ったからだ。


 身分の低かった妻は苦労しながらも、王妃としてよくやってくれたと思う。婚約から婚姻まで、周りの助けを借りながら順調にやってきた。

 それに翳りが見え始めたのは、息子が産まれた後。

 妻は息子から離れることを良しとせず、公務に戻ろうとしなかった。

 自分は中々強く言えず、見かねたセリューが王妃としての自覚を持つよう進言したとき、妻は初めて声を荒げた。

「好きで王妃になったわけじゃない! あんたたちが、私に押し付けたんでしょう! どうして、私の赤ちゃんなのに……」

 そのまま泣きじゃくる妻に、何も言えなかった。

 医師は『産後は少し、気分が安定しないことがありますからな』と言っていたが、あの姿を見て以来、妻と向き合うことが出来なくなってしまった。

 彼女の態度の全てに、嫌悪の感情が込められているように感じてしまい、言葉を掛けるのが憚られた。


 王妃の好きにさせるように――そう、妻の周りの者に命ずると、自分は公務に没頭した。側近たちからは次の子を、と言われたが、私室も別にした。

 息子には出来る限り会いに行くようにしたが、成長とともに、自分を憎しみの篭った目で見てくるようになった。息子に付けた侍女や教育係も手を焼いているらしい。

 母親は自らの境遇を嘆き、周囲の者は平民を王妃に迎えるのではなかったと零す――セリューは力を尽くしてくれたが、そのような環境に置かれて、影響を受けないはずがなかった。


 息子が成長するにつれ、王妃は故郷に帰りたいと周囲に漏らすようになった。自分の仕事は終わったのだからと。

 側近たちからは、伴侶である自分がけじめをつけるよう忠告を受けた。しかし、妻に再び王妃として隣に立つよう願うことも、離縁し新たに王妃を選ぶことも自分には出来なかった。

 この頃、セリューが城を出た。息子の教育もあるし、何とか残ってくれないかと懇願したが、周囲から咎められたので諦めた。同時期に王妃や王子の侍女たちも暇乞いをしていた。皆、セリューがいたから王家に従っていたのだと。

 急いで後任を宛がったが、教育を受けた貴族の娘たちとは違って、平民からも集めた侍女では不足が多かった。


 そして、王妃は自死した。

 自分の部屋で冷たくなっているのを、侍女たちが発見した。

 医師は庭の水仙を口にしたのだろう、と話していた。

 どうして妻を見ていなかったのか――侍女たちを責めたが、好きにさせるようにと命令されましたので、と返されて何も言えなかった。

 王妃の体面を守るために、急病という扱いにして葬儀を終えた。

 側近たちは次の王妃を、と進言してきていたが、その気にはなれなかった。

 せめて、息子を次代の王にすることが彼女への償いになるのだと思っていた。


 自分の轍を踏ませぬよう、息子には高位貴族の令嬢と婚姻させようと決めた頃に、エミリー・レナーテと出会った。

 父と王宮に来ていたエミリーを初めて見たとき、彼女なら頼みを聞いてくれると確信した。

 彼女は両親と話し合い、悩みながらも婚約を承諾してくれた。

 しかし、息子はこれに反発し、エミリーに心無い言葉を浴びせ続けた。王家との繋がりにさほど魅力を感じていなかったレナーテ侯爵家は、すぐさま婚約を白紙にしようと働きかけたが、エミリーに懇願しどうにか継続してもらった。

 息子にも歩み寄るよう注意したが、聞く耳を持たなかった。

 そして、二人の関係はあっけなく終わった。エミリーが毒を飲んだ、と聞いたときは、まさか彼女も――と思った。真偽を確かめたかったが、彼女に会うことは叶わなかった。


 次の婚約者選びに難航し、出来るだけ多くの貴族に協力を求めたが、貴族女性に憎しみを抱いていた息子は、令嬢たちに酷い態度をとり続けた。

 なり手が見つからず、クルーガー家の末娘に承諾してもらった時は安堵した。しかも、フェリシティは息子の態度を見ても平然としている。

『あの娘は殿下と婚姻する気など塵ほどもないからですよ』『違う方を選ぶべき』と言ってくる者もいたが、すべて宰相が排除してくれた。

「良からぬことを考えている者達は、今が好機と見ているのでしょうなぁ」


 王家の醜聞と騒ぎ立て、国の在り方を変えようと企む者たちがいることは知っていた。あろうことか、関係の良くない東側の帝国と接触を図る者まで存在するという。

 クルーガー侯爵は東側の活動を排する一方で、王家のせいで隣国に付け入る隙を与えている、親子共々しっかりした女に管理してもらえと自分を詰った。娘可愛さに国を揺るがすようなことを……と嘆いたときは、宰相も苦笑いを見せていた。


 息子たちが学院に入る年になった時、問題になったのは側付きがいない事だった。多くの者が口を揃えて『愚息は殿下に無能とお叱りを受けまして……殿下にはふさわしくないかと……』と答える。

 なんとか旧知の者たちに頼み込み、息子とは年が離れているが人数を揃えることが出来た。

 彼らに礼を尽くすようにと言い聞かせていたためか、宰相から上がる報告は無難なものばかりだった。

 学院で見識を広め、成長したようだ――その言葉に安心し、彼の様子を見に来ては、という学院長の誘いは辞退した。


 学院長から息子がとある女子学生に懸想していると報告を受けたとき、宰相を呼び出した。

 学院長の話は本当なのか、側付きたちは何をしていたんだ、どうして報告しなかった、相手の学生は誰なのか――思いつくまま質問を並べ立てる自分を前に、宰相は申し訳なさそうに口を開いた。

「いやぁ、学院内で“偶然”イザベラ・ロッシュ嬢とお会いしたようで……子爵家の次女で、さすがに立場を弁えておられますよ」

 二人の関係は良好で、フェリシティも了承しているらしい。


『イザベラ・ロッシュ嬢を愛している、彼女を自分の妻にしたい』といつになく真剣な表情で述べる息子を見て、決心した。“彼ら”の望むようにしようと。

 なぜ、最初の時にはイザベラが出てこなかったのか――疑問には思ったが宰相は『ロッシュ家は経済的に困窮しておるようでしてなぁ。娘を嫁に出す余裕なんてないのでしょう』と言ったので、出来る限りの支援をするよう命じた。

「イザベラを王妃に迎えられるよう、努力する必要があると気付きました」

 息子も、真面目に公務や学業に取り組む姿勢を見せ始めている。

 エミリー・レナーテとフェリシティ・クルーガーには、本当に、苦労をかけたと思う。彼女達にもそれ相応の礼を……。


 そこまで考えていると、イザベラの姿が会場から出て行くのが見えた。遠目からでも動揺している様子が見てとれた。

「……どうしたのだろうな?」

「見てきます」

 王子は急ぎその場を後にする。

 イザベラのことは彼に任せていいのだろう。


 こちらの雰囲気を感じ取ったのか、会場からも疑問の声が上がる。

 この場を何とかしなければ……そう考えた矢先、強い風が吹き荒れ、思わず目を閉じる。

 目を開いたときには、会場の中央がぽっかりと空き、一組の男女が向かい合っていた。

 セリュー・マクシミリアンに、自分の学友だった辺境伯が結婚を申し込む――少し、裏切られた気持ちになった。

 彼女が学院にいたのは、王家の為に若者たちを育ててくれていたからではなかったのか。これから、王子やイザベラ嬢への教育もあるというのに、なぜこんなことを……。


 突如愛の告白がなされたことにはやや戸惑ったが、まあ、時間稼ぎとしては十分ではないか。

 姿は見えないが、おそらく、フェリシティの手によるものだろう。あれほど妖精を使役できる『垣根の上に立つもの』は珍しい。

 これからも王家の近くに置いておきたい。そのためには誰との縁談を紹介するのがよいか……。


 少し時間が経った頃、騎士の一人がこちらにやって来た。

「申し上げます……」

 震える声で告げられるその内容に、思わず腰を浮かせた。


 周囲の目など気にせず急いで目的地へ向かう。

 騎士に案内されてたどり着いた先は、学院の本館の一室、医務室と呼ばれる場所だった。

 そこに置かれた寝台の内の一つに、頭に包帯を巻かれた息子が腰かけていた。赤みがかった金髪にこびり付いた血が目立つ。


「大丈夫か」と慌てて駆け寄ると、彼は無邪気に微笑んで見せた。

「やあ、君は変わった羽を持ってるんだね」

 その目線はこちらを向かず、あちらこちらに彷徨っている。

「お前は何を……」

「さっき見た子たちはちょうちょみたいだったよ。そんな形だと飛ぶのが大変そうだね」

 自分の言葉など耳に入っていないかのように、息子は虚空へ語り掛ける。

 ――同じような姿を、昔、見たことがある。

 まだフェリシティ・クルーガーが王城に通っていた頃、彼女もこんな風にして“あちら側”と交流していた。だが、彼女は違う。“こちら側”が声を掛ければ、彼女は答えるのだ。あの、琥珀色に光る眼を向けて……。

「おそらく、頭に衝撃を受けたことで、本格的に“あちら側”の認知が可能になったのでしょうな」

 いままで存在に気付かなかったが、傍らには老齢の男が控えていた。目立つ顎鬚と白衣は、自分も知るヘイズ医師だった。

「目が覚めてから診察をしとるんですが……視覚も、聴覚も、触覚も、“こちら側”からの刺激にはなーんも反応しません。先程、フェリシティ嬢にも確認を取りましたが……妖精が見えているのは確かなようです」

 興味深そうに告げる医師の言葉に、衝撃を受けた。



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