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第20話 さくら舞う夏

 顔一面に冷水を浴びせ、俺は眠気を取り除きにかかる。しかし俺の眠気はなかなか強情で、二回、三回と同様に顔を洗ったところで収まってはくれなかった。昨日はなかなか寝付けなかったから無理もない。

 仕方なく俺は共用の洗面所の、壁面に対し垂直な段差に置いた手拭いで顔を拭き、その隣に置いた歯ブラシとミント味の歯磨き粉を手に取る。まだぼーっとしている頭を何とか働かせ、歯を磨く動作を始動させた。その右手の動きは、決して軽快とは言えなかった。

 そんなぼーっとしていた俺だから、正面にある長方形の鏡に映し出された人物の影に、なかなか気付かなかった。

「おっす。おはよう」

「……おう、ほふぁふぁ」

 起きてからしばらくは頭のエンジンが掛からない俺(エンジンが掛かったところでお前は人より冴えないだろう、という指摘は甘んじて受ける)に対して、この男は普段の印象通り、寝起きも爽やかだった。

 1年A組男子出席番号4番、ほふぁふぁ__もとい、駒田清白(こまだ せいはく)は、挨拶とともに右手の掌を見せる。後ろ髪とサイドを刈り上げた爽やかなショートヘアーが、彼の男前さを際立たせていた。

「孝太郎、早いじゃん」

「ふぁはは」

「なんだって?」

 寝起きと歯磨きによって、俺の喋りのパフォーマンスは激減中だ。俺は駒田の声に正確に応えるために右手のスピードを上げ、手早く歯磨きを終わらせる。うがいを済ませて顔を上げると、鏡の中の駒田は鼻を膨らませ、頬を緩ませていた。

「どうした?」

「いや。相変わらず孝太郎は面白いなー、と思ってな」

「あまり褒められている気がしないぞ」

 別にここで駒田に『面白い』と褒められるほどのユーモアを発揮したつもりはないのだが…… おそらく、高速で歯磨きを終わらせる挙動が滑稽だったのだろう。

「俺が『早いじゃん』って言った後、孝太郎は何て言ったんだ?」

「『まあな』って言ったんだ」

「別に、わざわざもっかい聞く必要もなかったな」

 わはは、と嫌味なく笑いながら、駒田は俺の横に立って、俺同様に歯磨きに取り掛かる。横から見ると、彼の鼻の高さやまつげの長さが目に付く。瞬きをするたびに心地の良い風が巻き起こりそうだ__というのは俺の冗談にしても、歯ブラシに歯磨き粉を付け口に入れて動かす、という細かい一挙手一投足でさえ、やけに爽やかな男だった。

「早いって言うなら駒田、お前だって同じじゃないか」

 時刻はまだ朝の6時前で、A組の他の男子はまだぐっすり夢の中だった。昨晩の枕投げが響いているのだろう。湯沢先生が冷静な大人の態度で注意しに来るまで大はしゃぎだったもんな。

 もうそろそろ、所々で6時のアラームが鳴り始める頃だ。しかし、6時にアラームをかけたのもまだ早起きな奴のもので、大多数の奴は7時半過ぎぐらいに起きて行動を始めるだろう。本日は1回戦の残り試合が行われる予定だ。第5試合から第8試合。朝10時のプレイボールまでは自由時間なので、十分余裕があった。

「俺は毎朝ラジオ体操してるからな。早く起きるのが癖になってんだ。泊まりでもその習慣は変えられねーよ」

「なるほど」

 今日みたいに寝付けず、早い時間に目が覚めてしまい眠れない日以外は基本、スヌーズ機能を駆使してようやく起きる俺みたいな奴なんかとは違って、自主的なラジオ体操をするために早起きをしているらしい駒田。そんな彼に感心すると同時に、『この男は歯磨き中も、一点の曇りもなくはっきり聞き取れる声で喋るなあ』なんてどうでもいいことを思った。そんな術はどこで身に付けたのだろうか。『ほふぁふぁ』とか『ふぁはは』とフガフガ言っていた俺がいかに愚かなことか。

「よかったら孝太郎もやるか?ラジオ体操」

 うがいを終えた駒田が、自身のスマートフォンを操作する。駒田がこちらに向けたその画面内に表示されていたのは動画サイトで、画面上部の検索欄には『ラジオ体操』とかかれていた。

「面白いぜ」

 そう言って駒田は、にやりと笑った。ラジオ体操に対してあまり『面白い』と感じたことはないが、やけにワクワクとした様子の駒田だった。

「まあ、時間はあるし…… たまにはやってみるのも、いいかもな」

 ラジオ体操なんていつぶりだろう。小学生の時以来か?凛子は毎年皆勤賞で、俺の出欠のスタンプカードは毎年まばらだった気がする。

「くくく、俺に着いて来れるかな?」

 何やら含みのある言い方をする駒田。ラジオ体操にそんな競技要素なんてあっただろうか。曲に合わせて踊るだけじゃないのか。

「何だよ、ラジオ体操に着いて行くって」

「まあ、そこはやってみてのお楽しみってことで」

 洗面用具を撤収して、俺と駒田は外に出る準備をする。先を行く駒田がこちらを振り向き、爽やかに言った。

「見せてやるぜ__俺のラジオ体操をな」

 妙にノリノリな奴だなあ、なんてことをぼんやりと思いながら、俺は駒田の後に続いた。


 ◯


 結論から言えば、俺は着いて行けなかった。

 俺と駒田は陽の光を浴びながらラジオ体操第一を行った。続いて第二。俺の知るラジオ体操はそこまでである。

 しかし、彼はまた別の音源を流し始めた__ラジオ体操、第三。

 第一や第二と比べてややトリッキーな動きをし、『第三なんかあったんだな……』と動揺しながらもやり終えた俺に、駒田は告げた。

「んじゃ、今のを1.5倍速でもっかいな」

『今の』が指す範囲は、第一から第三までである。やってみたら分かるが、全身を使うので、真剣に踊ろうと思ったら一曲分踊るだけでも結構きつかった。それに、早い時間とはいえ夏らしい気候である、額からはすでに汗が噴き出ていた。俺が小学生の時にしていた、眠い目をこすりながら夏休みに朝の公園で行っていたものは気の抜けたものだったのだと痛感する。

 計6回のラジオ体操を終わらせてタオルで汗を拭っていると、スマートフォンの画面を示した駒田が嬉しそうに言った。

「いつの日か必ず、第四と第五をマスターしてやるぜ」

 そんな固い決意を見せた駒田から、ラジオ体操第四・第五の参考動画を見せてもらった。もはや曲芸とか、ダンスと言った方がいい領域だった。何故か三人じゃないと出来ない動きもあったし、それも動き自体のレベルが高過ぎる。

 俺は駒田のラジオ体操への熱い思いを、口を挟む余裕もなく聞きながら、シャワー室へ向かった。なかなかに汗だくである。シャワーを済ませ、黒い無地のTシャツとズボンジャージを着用してから食堂へと向かった。


 天望学園内の施設の一つ__宿泊棟。


 広い学校の敷地内の、メイングラウンドから裏門の方向へ徒歩2分ほどの所にそびえる、大会期間と合宿中のみ開放される3階建ての宿舎。外観は『ザ・旅館』といった和風な佇まいである。なんでも、学校のお偉いさんの趣味らしい。俺たちが就寝した部屋も、枕投げのしがいがある和室だった。

 しかし初めて食堂に入室した、昨夜の晩ご飯時に受けた印象は、あまり和風な感じではなかった。『食堂』と聞いて真っ先に思い浮かべるような、オーソドックスなイメージ。厨房との仕切りになっているカウンターから料理を受け取るスペース。それを邪魔しないよう配置されたテーブルとパイプ椅子。それが、四人掛けの長テーブルを長い辺同士でくっつけ、八人ずつ座れるように並べられていた。外観と比べてシンプルな造りだった。しかし食堂自体は広く、席数で言えば、全校生徒の半数近くは座れそうだった。

 朝食を受け取るため、入室してすぐの場所に最後尾がある、L字の列に並ぶ。一品一品の皿を、携えたトレイに乗せていく。ご飯に漬物、味噌汁に卵焼きにアジの干物という、日本の朝ごはんらしい朝ごはんであった。

 受け取り終えた俺は、どこに座ろうかと、まだそこまで混んでいない食堂を見回す。すると俺たちから見てすぐの、列の出口付近の窓際の席に、見知った顔があった。

 眼鏡に三つ編み。

「あ、おはよう。孝太郎くん、駒田くん」

「おはよう、鴬谷。ここ空いてるか?」

「うん。どうぞ」

 列に背を向け、食堂全体が見渡せる位置の一番角の窓際の席にいたのは、クラス一の優等生の鴬谷だった。俺は彼女が手を差し出した、鴬谷の正面の席に座り、机にトレイを置く。俺の左隣の席に腰を下ろした駒田が、俺にしか聞こえない声量で、すっと耳打ちをした。

「女子の私服って、いいよな」

 内容は下世話な話だったが、はたから見たらそうとは感じさせない爽やかな笑顔を放つ駒田。彼がそう言った理由は、正面に座る鴬谷にあった。

 眼鏡と髪型は普段と同じだが、服装はワンピース型のパジャマシャツだった。淡いピンクという色が、普段おっとりとしていて見る者に安らぎを与える鴬谷を、さらにポワポワとした暖かい感じに包んでいる。

「……お前、そういうとこあるよな」

 駒田は爽やかなイメージとは裏腹に、わりとこの手の話も好きな奴だった。まあかくいう俺も、決して嫌いなわけではないのだが__どころか駒田とは、この手の話で打ち解けたようなものだった。入学当初の席順が前後で喋りやすかった、というのも要因の一つだ。

 ちなみに俺が天望学園の生徒の中で、初めて私服姿を見た女子というのは、妹の凛子を除くとE組の松嶋だったりする。6月上旬にレンタルビデオ店で遭遇した時のことだ。

「どうしたの?」

「何でもないよ、鴬谷さん」

 いただきます、と爽やかな笑顔で言いながら、何事もなかったかのように食事を始める駒田。少し不思議そうな顔をした鴬谷だったが、そんな駒田を特に追求することもなく、彼女は食事を続けた。卵焼きを口に運ぶ。俺も続いて食事を開始した。

「早いね。二人とも」

「まあな」

 鴬谷がどちらともなく話題を振った。俺が咀嚼を終えたタイミングでの質問だったので、先ほど駒田にしたように、フガフガとした返答にはならなかった。

「他の女子たちは?」

「まだ寝てたよ」

 周りを見回すと、A組の他の女子たちもまだここにはいなかった。まだ7時過ぎだから、決して寝坊というわけではないが。

「私が起きた時にもう布団から出てたのは、凛子ちゃんぐらいかな」

「ああ、あいつは早朝ランニングが日課だから」

 凛子は朝に強く、予定に支障がない限りは毎朝ランニングをしていた。それこそ、俺たちが小学生の時から続く日課である。

「へー。凛子さん、ランニングしてんだ。いつか俺とも戦う日が来るかもしれないな」

「何の対抗意識を燃やしてるんだよ、駒田」

「早朝の趣味を持つ者同士、いずれ決着を着けないとと思ってな」

「あ、あはは…… 頑張ってね」

 駒田のボケに、鴬谷は困ったようにはにかんだ。鴬谷は他人のボケに対して大らかな許容を見せる。俺も以前、『全身を真っ青にペイントしてみんなを落ち着かせる』というようなことを言った際、『ほどほどにね』と許容されているのだ。雨地辺りは、張り合ってさらにボケを重ねてきそうなものである。

「雨地は毎朝登校ギリギリだから朝に弱そうなのはなんとなく分かるが、一色もまだなんだな。いつも早く教室にいる印象だけど」

「彩花ちゃんは普段、私が起こして一緒に登校してるから」

「なるほど」

 全くの偏見で失礼極まりない話かもしれないが、おてんばな一色はなんとなく朝に弱いイメージがあった。よく食べよく眠るという健康優良児みたいなイメージである。だから毎朝早い時間にちゃんと登校している一色を見て、俺は『意外だな』と感心していた。いつも時間ギリギリの俺に「ちゃんと自分で起きなきゃダメだよ!」なんて言っていたぐらいだし、人は見かけによらないなんて反省したものだが、なるほど。同じ女子寮で生活する鴬谷が起こしていたわけか。

「『うーたん!わたしほんとに朝起きれないから、起こしてほしい!』って入寮後に言われてね」

 あいつ、俺には『自分で起きなきゃダメ』とかなんとか言っといて……

「今日は起こさなかったのか?」

「うん、今日はいいかなって。彩花ちゃん、昨日は頑張ってたから」

「そう、だな」


 そう__頑張っていた。


 夏の校内戦、1回戦。

「あー。凄かったよなあ、一色さん。特に最終回なんて圧巻だったぜ」

 駒田も鴬谷に同調し、そんなことを言った。もちろん俺も同じ気持ちである。

「思ったんだけどよ、やっぱりうちってレベル高いんだなあ」

 駒田はしみじみとそんなことを言った。昨日の、1回戦第4試合までのことを思い出しているのだろう。

「特にあの2年エースと3年エースだよ。全くスキがない」

 駒田が指す上級生のピッチングは、もちろん俺も見ていたので、駒田がそう言いたくなる気持ちもよく分かる。

「まあ、偵察班として頑張るしかねえよな。燃えてくるぜ。頑張ろうな、鴬谷さん」

「うん、そうだね」

「頼りにしてるよ」

 データベースで閲覧出来る情報は、過去の試合の数字のみ。どの打者がいくつ安打を放ったか、どの投手が何回勝利を収めたか。そういった項目は事細かに記載されているが、動画の類は一切公開されていない。上級生になるほど情報の露出が多くなってしまうことを防ぎ、より平等な条件で試合をするためだろう。

 だが自分たちで録画した、相手チームの練習風景や試合当日の様子などをチーム内で共有することは認められている。必要な情報は自分たちで集めろよ、ということらしい。そのための偵察班だ。

「ごちそうさまでした。じゃあ、また後で」

「ああ」

 律儀に手を合わせ、食べ終えた食器に軽くお辞儀をして、鴬谷はトレイを持って席を立つ。俺と駒田は鴬谷を見送ってから、その後もくだらない話を続けた。俺たちは徐々に混んできた食堂から出て、場所を気分で変えながら、1回戦第5試合の開始を待つ。


 ◯


 この学園には、3人のエースがいる。

 各地からスカウトされてきた優秀な選手たちの中においてさえ一線を画す、上級生。

 技巧派、軟投派、速球派。

 そんな投手の区切りさえ超越してしまう、圧倒的な力。

 絶対的なエース。


「孝太郎、あれ見ろよ」


 完全休養日である日曜を挟んだ、7月9日の月曜日。

 大会期間中は通常授業もなく、全てを練習時間に費やすことが出来る。そこはやはり育成校ならではの利点だな、などと改めて思っていた午前練習中の休憩時間。第一グラウンドのベンチでスポーツドリンクを飲んでいた俺の元にやってきた駒田がそう告げた。

「上級生だ」

 駒田は外野の方向を指差す。その先のフェンスの後ろは木々が生い茂っていて死角も多く、そもそもフェンスまでの距離も100メートル以上あるので、俺が目を凝らしてもその存在には気付かなかった。

「よく見えるな。駒田」

「昔から視力はいいんだ。あそこの木陰に男女が一人ずついるぜ。赤いネクタイしてる」

「赤?」

 この学校では、学年ごとにネクタイやジャージの色が分けられている。1年生は赤。2年生は青。3年生は緑。3年生が卒業したら、翌年の1年生は緑が学年のカラーになる仕組みだ。

「赤なら、1年じゃないのか?」

「1年にしちゃ見覚えがなくてな。変装のつもりかもしれん」

 記憶力のいい駒田がそう言うなら、おそらくその通りなのだろう。俺は依然、その姿を確認出来ないが。

「んじゃ、ま。後輩として挨拶してこなくちゃな」

「だな」

「孝太郎が」

「俺かよ」

「骨は拾ってやるから安心しろ」

「狩られるのか?俺」

 駒田に背中を押されて促された俺は、グラウンドの側面にある出入り口を抜け、フェンス近くの木陰に向かった。無理やり押し付けられたような形だが、嫌というわけではない。後輩として挨拶に、という気持ちよりも、単なる興味本位が俺を突き動かしている。学年ごとに校舎が違うから、大会期間中でもない限り他学年との交流もそんなにないしな。

 俺が迫ることで逃げられてしまうのでは、という考えがよぎり、俺はやや大回りをして外野フェンスへ向かう。いや別に、逃げられたところで構わないと言えば構わないのだが。

 駒田が示した辺りまで行くと、その中で一番大きな木の背に隠れて、制服姿の男女二人組がグラウンド方向を見つめ何やら喋っていた。背後から近づいた形の俺にはまだ気付いていないようだった。

「あの…… 何か用、でしょうか」

 俺の存在に気付いた二人が、驚いたようにこちらを振り向く。二人とも漫画みたいな瓶底眼鏡を着用していた。女性の方が一歩たじろぐ。身長は160センチ前後で、栗色のロングヘアを左右の耳元で結んで両肩に垂らしていた。彼女が焦りながら瓶底眼鏡を外すと瞳があらわになる。ぱっちりとしたその瞳が俺を覗いた。

「敬語!?ということは、私たちが先輩であることがバレた!?わざわざ後輩から1年用ネクタイも借りて、念には念を入れて漫画みたいな瓶底眼鏡まで人数分用意してカモフラージュしたのに、速攻でバレた!?」

「……詳しい状況説明、ありがとうございます」

 手振りを交えてオーバーなリアクションを取る女性を冷ややかな目で見ていたもう一人の先輩が、呆れたように言った。

「だからボクは、時間の無駄だと言ったんだよ」

 その男の先輩の方も、彼女と同じぐらいの身長だった。瓶底眼鏡を外す。マッシュルームカットに近い、丸みを帯びたショートヘアー。中世的な顔立ち。

「むむ、野呂(のろ)くんだって、何だかんだで着いてきてるじゃん!人のせいにしないでよね!」

「キミが無理やり連れてきたんだろ…… それにキミは言い出したら聞かないから、断ったらクソうぜーだろうなって思っただけだよ」

 その発言で、先輩たちの間に火蓋が切って落とされた。女の先輩の溢れるような口撃を、男の先輩が受け流して皮肉のカウンターを食らわす。そんな初対面の先輩たちのやり取りをしばらく眺めていたが、いつまで経っても終わりそうにないので口を挟むことにした。

「あの」

 俺は右手を上げ、この場を制そうとする。俺のその動きを見て、女の先輩は大きな声を上げた。

「ひゃあ、怖い!神崎くん!へるぷ!」

 その声を受け、ここから少し離れた位置にある木々の間から、人が現れた。その先輩もご多分に漏れず、瓶底眼鏡と赤ネクタイをしていた。


「おいお前!俺の仲間に手を出すな!」


 瓶底眼鏡を外しながら、その先輩はそう叫んだ。180センチぐらいの体躯に、気合の入った丸刈り頭。そして目鼻立ちがハッキリとした濃い顔つきと、やけにゴツゴツとしているガタイが印象的だった。

 そして何故か、タンクトップだった。

「いや、決して手は出していないんですけど……」

 手を出すどころか、先輩たちの空気感に若干引いているぐらいである。

「御託はいい!仲間に喧嘩を売りたいのなら、まずはこの俺を倒してからにしろ!見よ、この大腿四頭筋!大胸筋!上腕二頭筋!」

 その先輩は声に出した部位を強調するポーズをテンポ良く繰り出してから、高らかに叫ぶ。

「学園一のゴリマッチョ!神崎一人(かんざきかずと)!」

 そう言って、ボディービルダーがするみたいなポーズをした。サイドチェストというやつだった。

「最高峰のゆるふわ癒し系、三鏡恵美(みかがみめぐみ)!」

 三鏡先輩も神崎先輩の邪魔にならない配置で、月に代わってお仕置きでもしそうなポーズを決める。そして棒立ちのままのもう一人の先輩に目配せをする。

「ほら、野呂くんも!」

「はあ?」

 野呂先輩は嫌な顔を隠そうともしない。そんな彼を、他の二人の先輩は期待の眼差しで見ている。

「……バカガミ&バカンザキとは一緒くたにしてもらいたくない、野呂」

 野呂先輩は冷めた様子ではあったが、そう二人に続いた。冷たい口調で言い放った呼び名は、テンションの高い二人の蔑称だろうか。

 そしてなんで、神崎先輩はタンクトップなんだろう。

「三人揃って、三鏡&神崎!with野呂!」

「そのまんまですね」

「……ボクをオマケみたいに言うな」

 野呂先輩だけが無関心っぽい顔で、彼らから一歩距離を取った。

「まあ、別にいいけどさ…… それよりも、神崎。キミは自分のことを『学園一のゴリマッチョ』と言ったが、客観的に見てこの1年生の方が体格がいい気がするよ」

「なにィ?」

 そう言って、ポーズを崩した神崎先輩はこちらに近寄り、俺の全身をねめつけるように見る。なんだろう…… 先輩に対してこう言ってはなんだが、暑苦しいです。鼻息とか荒いし。

「俺は俺の筋肉に絶対の自信を持っているし、自分が一番という自負もある…… しかし、 この1年生もなかなかのゴリマッチョ具合だ。お前、俺とキャラ被ってるな」

「はあ、そうですか……」

 心の奥底から飛び出た嘆息だった。

「それなら、次の試合で決めればいい。西岐孝太郎くん。キミたちは、ボクたちの次の対戦相手だろ?勝った方がより、のうき…… 真のマッスルキャラってことでいいじゃないか」

 真のマッスルキャラなんて称号は、正直いらなかった。それに野呂先輩の口から、妙な蔑称がちらりと顔を覗かせた気もする。

「いや、真のマッスルキャラを譲る気はないが、それだけでは足りないな…… 素人目にも分かりやすいキャラ付けは必要だろう。どうしたものかな……」

 そう言って神崎先輩は腕を組み、思案を始める。変な間が生まれたので、俺も考えてみる。俺って、そんなにこの先輩と似てるかな…… 筋肉を自慢したりとか、しないんだけどな……

 その妙な沈黙を破ったのは、野呂先輩だった。

「キャラが被ってると言われたところで、西岐は西岐として人生を送っているわけだろう。それで急にキャラを変えろと言われても無理な話だ。でも神崎も、似たようなキャラクター性を持った相手がいると思うところがあるだろう。なら、こうしてはどうだい?」

 その言葉に、俺を含めた3名が固唾を飲む。野呂先輩は右手の人差し指を立て、少しもったいぶってから言った。


「2回戦で負けた方が__一人称を『ワガハイ』にすればいい」


「……嫌ですけど」

「負けるのが怖いのかい?」

「使い古された挑発の台詞ですね」

「なるほど、いいじゃないか!そうしよう!さすが野呂は、俺たちには考え付かないアイデアを思い付く!」

「フッ、まあね」

 キミたちとは違ってね、という言葉を、二人には聞こえない声量で呟いた野呂先輩。その目論見通り、神崎先輩と三鏡先輩は陰口を叩かれたことに全く気付いていなかった。

「よーし、決定だー!神崎くんと西岐くんの、ワガハイを賭けたアツい戦いが今始まるッ!」

 そう言われると、勝った方の特典としての『ワガハイ』呼びになっているように聞こえる。そんなのむしろ罰ゲームである。さっき野呂先輩が三鏡先輩に『言い出したら聞かない』って言ってたし、きっとこの罰ゲームは避けようのないものではなかろうか。嫌過ぎる。

 ……まあしかし、仮に負けたとしても、この人たちの前でだけ自分のことを『ワガハイ』と呼べばいい。常日頃からそうする必要はないだろう。

「ふっふっふー、『ワガハイ』呼びは徹底してもらうよ?私の後輩ネットワークで調べちゃうからねー。1年A組にも知り合いはいるからね!」

 しかし三鏡先輩に俺の目論見は看破された。誰だろう、知り合いって。

「野呂くんみたいなぼっちじゃ到底出来ない芸当だよ」

「さりげにボクをディスるな」

「ん、どうした西岐?すごく嫌そうな顔をしてるな」

 ワガハイ呼び自身もなかなかきついが、それ以上に、初対面の先輩たちにうざ絡みをされてなかなか練習に戻れないことがしんどかった。早く気心の知れた仲間たちの元へ帰りたいぜ。

「そりゃ、まあ…… でも、負けなければいいだけなんですけどね」

 聞き方によっては挑発にも聞こえる俺のその言葉に、先輩たちは三者三様の反応を示す。

「言うねー、1年生くん」

「ナマイキな奴だ」

「まあ、意気消沈した相手じゃないだけいいさ」

 三鏡先輩。

 野呂先輩。

 神崎先輩。

 夏の校内戦2回戦の相手、2年A組の主力たち。

「1回戦でのサヨナラ打は見事だった。真のマッスルキャラとして、俺も負けていられない」

「私たちが今日1年A組のところに来たのは、宣戦布告のためだよ!」

「ナマイキな後輩に伝えておこうと思ってね」

 くだらない掛け合いをしていた先ほどまでとは打って変わって、先輩たちは真面目な顔付きになる。ビリビリとしたプレッシャーを感じた。3人を代表して、野呂先輩が俺に告げる。


「キミたちの夏は、ここで終わりだ」


 彼らの試合は俺だって見ている。それが単なるハッタリでないことは、明白だった。

 そんな緊迫した雰囲気の中、こちらに迫る人影がいた。制服姿で、青色のネクタイをしていた。

「め、恵美…… やっと見つけた…… こんなところにいたの?」

「おー、桜ちゃん!お寝坊だね」

「だって、アラームが鳴らなくて……」

「あ、それうるさかったから消したよ」

「恵美のせい!?」

「んじゃ、西岐くん!お迎えが来たところで、私たちはここらでおいとまするよ!それじゃあ、よろしく2回戦!」

 三鏡先輩を筆頭に、神崎先輩と野呂先輩が去って行く。その後ろを着いて行く『桜ちゃん』と呼ばれた先輩は前髪が長く、目元が隠れていたため、表情そのものはよく見えなかった。しかし俺に向かって何度も頭を下げてくれたことから、申し訳ない気持ちを伝えようとしていたことは明らかだった。

 嵐のような三人組から俺を助けてくれる辺り、かなり優しい先輩なのだろう…… 今度お礼を言わねば。

 そんなことを考えながら、去りゆく先輩たちを見送った__4日後。


 俺たちは、その力を痛感することになる。


 ◯


 将来有望で優秀な選手が揃う天望学園内においてさえ、格の違う3人の投手。

 その中の一人。

 技巧派のエース。

 いや、『技巧』派と称するには些か不釣り合いで、その分類はあくまでも、便宜上のものである。

 役不足。

 技巧派と呼ぶにはあまりにも。


 あまりにも全てが__完成されていた。


 1回戦第2試合…… 俺たちの試合の後に、3年生を相手にわずか1安打で完封勝利を果たした、天望学園の3人のエースの中の一人。

 捉えた、はずだった。

 その球は、この試合中に投じられたこれまでのストレートとそれほど変わらない球速で、外角低めへ投じられた。晴沢がバットを振り出す。しかしインパクトの直前で__その球は鋭く、大きく曲がる。

 客席で観戦していた時とはまるで印象が違う、凶悪なスライダー。

「さっすが桜ちゃん!今日もサイッコーだね!」

 キャッチャーマスクを外した三鏡先輩が、マウンドから引き上げるエースの彼女にそう声をかけた。

 2年A組3番ピッチャー、笹倉桜(ささくらさくら)先輩__彼女の投球に、1年A組上位打線のバットが揃って空を切る。

 三者連続三振。

 4日前に遭遇した時、俺は恥ずかしながら、その人が笹倉先輩本人だとは気付かなかった。制服姿の時は前髪で目元が隠れていたし、俺に何度も頭を下げてくれた優しい空気感の印象の方が強かった。


 しかし今は__全く違う。


 対戦相手として立ちはだかる彼女からは、重々しいプレッシャーしか感じられない。

 マウンド上でのエース笹倉先輩は、それほどまでに躍動していた。

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