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第15話 あの夏の誓い

「こちら、天望学園の湯沢先生。来年の1年生__つまり、私たちの担任になる予定の方だよ」

 中学3年時、夏の校内戦が終了したその日。

 まだ明るい陽が射し込む夕方の星見中学・応接室で、俺は凛子からそのような紹介を受けていた。

 その時の俺はというと、胸がはち切れそうになるぐらい鼓動が高鳴っていた。生涯で嬉しかった出来事を順に挙げていくなら、5番目以内に入るぐらいには。

 天望学園高校の湯沢という教師から凛子にアプローチがあったことは、以前から凛子本人から聞いていた。その時は『凛子なら評価されて当然だ』と、誇らしく思ったものである。

 しかし同時に、焦燥感も感じていた。

 自分にはそんな話が全くなかったからだ。

 現在進行形で、天望学園はもちろん、他のどの学校からも誘いは来ていない。自分は選手としてその程度だったかと、思い悩んだこともある。

 天望学園は完全スカウト制の高等育成校である。

 凛子が単独でスカウトされたところで、俺にスカウトの話が来なければ、同じ高校へは通えない。入学試験も推薦もない。いくら俺が通いたいと訴えたところで、それは土台無理な話だった。このままスカウトの話がなければ、俺もそろそろ受験勉強を視野に入れなければいけないのか…… と、実に意識の低い姿勢で覚悟を決めなければいけなかっただろう。それに加え、凛子と離れてまで野球をする意味があるのかとさえ思っていた。

 そこへ来ての、凛子からの紹介である__胸がいっぱいにならないはずがなかった。泣きそうですらある。

「……少し語弊があるな。その言い方では、ぬか喜びさせかねない。凛子さんはともかく、君の方はまだ確定ではないんだ。すまないね、孝太郎くん」

 有頂天の俺に対し、湯沢先生は少し間を置いて、そんなことを言った。まさしくぬか喜びをしてしまった側としては、落胆の色を隠せそうもない。先ほどまでとは異なる意味で、泣きそうである。

「じゃあじゃあ、うちのお兄ちゃんは不合格ってことですか?」

 隣の凛子が、挙手のアクションと共に言った。

「……いや。実は、そういうわけでも、ない」

 湯沢先生は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。慎重に言葉を選んでいるようにも見える。

「先ほどは突き放すような言い方をしてしまったが、正直な話、不合格と言うには惜しいと言わざるを得ない…… 今のところ我がチームは、捕手層が手薄でね」

 湯沢先生は手元のタブレットを睨みながらそう言った。きっとその中に、来年度の入学者候補のデータがあるのだろう。

「あとは捕手…… 捕手が一定以上のレベルであれば、締まるんだ…… エースと4番には、ピカイチの人材を見つけたし…… 俊足堅守のセンターと巧打のセカンドも獲得した…… その他だって、全体的には決して悪くないレベルだ…… だが、どうしたものか……」

 湯沢先生は爪を噛む仕草と頭を掻く仕草を繰り返しながら、他人には聞き取りにくい声で呟き始めた。俺たちは気難しそうな大人が悩んでいる姿に茶々を入れられる双子ではなかったので、凛子と顔を見合わせるばかりだった。彼女は『どうしたもんかねー』とでも言いたげな顔だ。

「……この前言っていたことは、やっぱり、変わらないかな?凛子さん」

 湯沢先生はタブレットから目線を外し、凛子に問いかけた。縋るような顔をしている。

「はい。譲れません」

 それに対し、やけに堂々と言い放つ凛子。取り付く島もない。

「凛子。何が譲れないんだ?」

「お兄ちゃんと一緒じゃなきゃスカウトには応じない、って言ってるんだよ」

 さらっとすごいことを言う凛子だった。

 天望学園と言えば、一線級のプロ選手も少なからず輩出している名門である。そんな所からスカウトされたとあれば、その道を志す者なら即決してもいい話だろう。

 それをあろうことか、そんな交渉をしていたとは__凛子も凛子だが、そんな条件を出してなお欲しいと思わせる彼女を、やはり誇らしく思ってしまう。自分の妹ながら、すごさを痛感してしまう。

「そうか……」

 こうなってしまっては凛子がテコでも動かないことを、俺ほどではないにしろ、多少なりとも分かっているであろう湯沢先生は、呼吸を一往復させてから言った。

「孝太郎くん、君の話をしようか。正直な話、君は選手としてムラが大きい…… だがそのムラに、賭けてみたいという気持ちも、ないではないんだよ。だからこそ今日こうして、話し合いの場を設けさせて頂いた」

「はあ……」

「もう一人の捕手候補が、どちらかと言うと全てにおいてそれなりにポテンシャルが高い、マルチタイプでね。各項目を百点満点とした時、全ての項目で85点辺りが取れるような安定感がある。ただ、贅沢なことを言わせてもらうなら、何かに突出した選手が欲しい。一つの項目で、95点以上を取れるような」

「……全ての項目で85点が取れるのは、十分だと思いますけどね」

 なかなか煮え切らない湯沢先生に対して、ついそんなことを言ってしまった。よくよく考えると、それは『じゃあそのオール85点の捕手でいいではないか』という進言と同義であると気付く。慌てて湯沢先生の方を見ると、しかし彼女は特に気に留める様子もなく、淡々と続けた。

「安定は悪くない。むしろ利点でもある。だが決して、それが真理とは限らない__教育者としては褒められない発言かもしれないが…… それでも私は、積極的に勝ちにいけるチームを作りたいんだよ。安定している『だけ』のチームには作れない、槍のように尖った、鋭利な戦い方がしたい」

「槍…… ですか」

「君は学業の方で、全教科で平均点が取れるタイプではないだろう」

 そんなことを言われては、言葉を詰まらせるしかなかった。俺はいつも大抵の教科において、平均点を一回りも二回りも下回っているのが常である。

「でも、自分の得意科目では、のし上がるタイプだ」

 得意科目でも平均点のやや上ぐらいでしょ、と言わんばかりに、凛子から嘲笑を含んだ視線が送られてくる。俺は湯沢先生の言葉に弱々しく「そういう部分も、あるかもしれないですね」と答えるばかりだった。

「凛子さんに君のことを聞いてからは…… 今大会では、孝太郎くんに注目していたんだよ。じっくり見てみると君からは、そういう面が浮き彫りになってきた」

 湯沢先生は左手を開いた。一本ずつ指折り数えながら言う。

「君はなかなか肩も強いし、頑強な体格はホームを守るに相応しい能力と言える。それに、もう一つ__」

 彼女は中指を折ろうとした所で、その動きを止めた。首を振り、俺の方へ向き直る。

「……いや、それはそもそも検証の絶対数が足りないし、身体能力等に比べて判断が難しい項目ではあるが、ともかく…… 君は思ったよりも、優れたプレイヤーかもしれない」

「そうでしょうそうでしょう」

 湯沢先生からの言葉に、凛子が腕組みをしながら頷く。

「決して悪くはない。悪くはないんだ。悪くはないが……」

 俺を評価してくれつつも、妙に慎重な湯沢先生。俺にはよく分からないことだが、他人の力量を図る仕事というのは大変なのだろう。教師兼スカウトという立場の苦労が伺える。

「気を悪くしないでくれよ、孝太郎くん。決して非難しているわけではないんだ。ただ、今ここで確定としてしまうにはあと一歩足りないし、不合格とするには惜しい。君はそんな位置にいるんだ」

「でも、あんまり悠長なことは言えないと思いますよ?」

 凛子はにこやかな顔をして、ずい、と湯沢先生に詰め寄った。

「私に声をかけて頂いた高校は、複数校ありますし」

 笑顔ではあったが、大人を相手に揺さぶりを掛けるようなことを言う凛子だった。他にも選択肢があることを言外に主張しているのだろう。

「……候補に入れておくことにやぶさかではないぐらいには、評価をしている。期待も込めてね。でも、もう少しだけ、時間を掛けさせてくれ」

 そこで湯沢先生は左手首に装着した腕時計を見た。携えていたタブレットの電源を切って、傍に置いていたバッグに入れる。引き上げる準備を整えたようだ。

「今後も時々覗きにくるから、精進してくれ。願わくば、孝太郎くんがうちの起爆剤になってくれることを望む」

 では、と言い残し、湯沢先生は応接室を後にした。猫背になっているその背中を見送っていると、横から視線を感じた。凛子が俺の腕にポンと手を当て言う。

「よかったね、お兄ちゃん。入学が決まれば、受験勉強しなくて済むよ」

「……その発言には、不謹慎だとツッコミを入れるべきなのかもしれないけれど、正直それは、俺にとっては大変ありがたいな」

 今は中学3年生の7月。受験生にとって大切な時期だ。そんな時期になってもまだ現実逃避をしていた情けない俺にとって、今回の話はまさに渡りに船だった。

「それにしても、今大会で優勝を果たした《星見中学の西岐ブラザーズ》率いるこのクラスでも、候補が私だけで、お兄ちゃんがギリギリだなんてねー」

「……そんな風に呼ばれてるのか?俺たち」

「うそうそ、冗談。そんな呼ばれ方してない。今私が考えた。そもそもブラザーって呼び方、男性を指すし。でもでも、あの世界的な有名ゲームの赤緑ブラザーズみたいでイカすじゃん?」

 今後の人生を左右するレベルの話し合いをした後も、いつもと変わらずへらへらと笑う凛子。その姿を見て、俺は脱力する。

「それにうちの学年で、私たち以外にスカウトされたって話も特に聞かないし。中等育成校出身と言っても、高等育成校に楽々入れちゃうわけじゃないんだなあ。まー実力勝負の世界だし、当然と言えば当然か。レベルの高さを感じるねー。入学しても、まだ見ぬ強敵たちに苦戦を強いられそうだよ。いやー、大変だ大変だ」

 言葉とは裏腹にワクワクした声色の凛子だった。その瞳は、爛々と輝いている。

「……そうだな」

 中等育成校はエスカレーター式ではない。

 高等育成校に進学したいのであれば、それなりの成果を示し、結果を残さなければならないのだ。

「どのみち凛子とは同じ学校に進学するつもりだったし、これで頑張る理由がまた一つ増えたよ」

 受験勉強をしなくて済む、という消極的な理由の一つは、わざわざ口に出すこともあるまい。

「私が県内一の進学校に行かなくてよかったね?お兄ちゃん」

「……全くだ」

 そんな現実、まだ見ぬどんな強敵たちよりも恐ろしい。凛子の軽薄な口調から発せられたそれは、しかし冗談などではないだろう。凛子なら、県内一の進学校だって十分合格圏内だ。もし仮に凛子がそんな所に進学を決めたとしたら、俺は毎日24時間ぐらい勉強しないと到底合格出来そうもなかった。

「高校でも私を支えてよ?お兄ちゃん」

「……そうだな。じゃあ、目指してみよう」

「そーそー!高みを目指してこそ人生だ!んじゃ、ここらでいっちょ、誓いでも立てておきますかー」

「誓い?」

「こういうのは口に出すのがいいんだよ。言霊ってやつ?」

 そう言って、凛子は俺に拳を突き出した。

「お兄ちゃんがやりたいこと、成し遂げたいこと。この凛子ちゃんに全部、ぶつけてみんさい」

「……じゃあ、やってみるか」

 凛子に促され、俺も拳を突き出した。拳と拳がぶつかり、凛子の体温が伝わってくる。

「正々堂々、スポーツマンシップに則り、湯沢先生に認めてもらって、天望学園に入学出来るよう、全力で努力することを誓う」

「うん。信じてますぜ、我がお兄ちゃん」

「お前にそう言われちゃ、応じるしかないよ。我が妹」

 開け放たれた窓から流れてきた心地の良い風が頬を撫でる。夏の校内戦も終わったばかりで、まだ身体も癒えていないと言うのに、今すぐにでも走り出したい気分だった。

「来年また、同じチームで野球をしよう」


 そんな誓いを立ててから__もうすぐ一年が経つ。

 7月6日、金曜日。

 学園の中央に位置する大会専用のメイングラウンド…… いや、もはやここは、『球場』と言い切ってしまっていい規模の建造物だった。

『グラウンド』と呼ぶと、我が校の第一から第四グラウンドまでの『だだっ広い運動場』の雰囲気が漂ってしまうが、このメイングラウンドの造りは明らかにそれらと一線を画していた。学校の施設と言うには、些か造りが豪勢である。

 天望学園メイングラウンド。

 収容人数はおよそ五千人。

 大会期間中は試合が一般公開されており、メイングラウンドは一般客で賑わいを見せる。しかも毎回、客席が結構埋まるのだ__地元なので、小学生の時は何度かここまで観に来たことがあるが、よくその熱気に当てられたものである。

 中学時代は他県で寮生活をしており、中学校の校内戦の日程の影響で夏や冬に直接足を運ぶことは出来なかったものの、ついに今年、選手としてこの場に立つことを許された。そう考えると、なかなかに胸に込み上げるものがあった。

 そんな感慨に耽っていた俺の耳に、マイクによって拾われた選手宣誓の声が響く。堂々としたよく通る声に、無意識に背筋を伸ばす。声の主である3年生は、前回大会のMVPと紹介されていた。

 校内野球大会。

 1・3年生、A組からE組までの各5クラス。

 2年生、A組からF組までの6クラス。

 計16チームのトーナメント戦で、4連勝したチームが優勝となる。

 成績優秀クラスには特典がある。

 まず、各学年で最も勝ち進んだクラスが、同学年の他クラスからに限り、選手を一名引き抜くことが出来るのだ。クラス替えがない我が校において、唯一の戦力補強の場だった。

 しかし大会の形式はトーナメント戦である。必ずしも一クラスだけが突出するわけではない。同学年の中で勝ち進んだ2クラスが、共に準決勝で敗退するケースもあるだろう。その場合は、敗退した準決勝の試合内容から総合的な判断が下されるようだ。項目は得点や失点の大小だったり、魅力的なファインプレーの有無だったり…… そんな諸々を考慮され、内容が良かったチームに指名権が与えられる。

 その他にも、大会後に行われる合宿の場所が豪華になったり、生活費の支給額に色が付いたり…… 等々あるが、その辺りはみんな、オマケ程度にしか思わないだろう。

 そんなものは。

 純粋な評価の前には、微々たるものだ。

 純粋な評価。

 特典、と言うにはあまりにもシンプルだ。

 しかし、シンプルだからこそ、魅惑的だった。

 在学中に6度しかない、公式戦というアピールの場。

 しかも、トーナメント戦である。

 大会毎に1回戦で敗退していれば、3年間で6回しか試合の機会がない__しかし仮に、6大会連続で決勝まで進めば、24試合も見せ場が回ってくる。

 6回と24回、この差はでかい。

 さらに言えば、『1回戦で負け続けた6試合』と『勝利を積み重ねた末の24試合』とでは、その内容には雲泥の差があるだろう。浅間が言うところの『勝ちがそのまま価値になる』だった。

 それに野球は団体戦で、レギュラーがいれば控えもいる。脚光を浴びやすい者もいれば、スポットが当たらない者もいる。

 チャンスは平等ではない。

 だからこそ皆、必死になる。

 才能に溢れる者たちが情熱をぶつけ合う中で、短期決戦を勝ち抜く力を求められる__大会の主旨は、おおよそそんなところだろう。

 開会式が終わり、試合を行わない選手たちは客席に向かった。

 残ったチームは、二組。

 1年A組と1年E組。

 それぞれウォームアップをして、15分ずつグラウンドにてノックを受ける。

 両チームのノックが終わり、午前10時の試合開始まで残り10分となったところで、そわそわと落ち着きのない様子の一色が「ねえねえ!」と口を開いた。

「みんな!アレやろうよ、アレ!青春っぽいやつ!」

「……青春?」

「ほら、あの、みんなで円になって、なんかやるアレ!」

「……円陣でも組むか?」

「それそれ!こーたろう良いことゆーね!」

 一色に手招きをされたので、俺は彼女の隣に立った。一色の呼びかけに、1年A組の男子10名、女子10名が無造作に円になり肩を組んだ。俺と一色には相当の体格差があるので、俺は深くかがんだ。

 みんなが発案者である一色を見る。しかし当の一色はと言うと、やる気に満ちているのは表情だけで、特に何かを言い出しそうな気配はなかった。

「どうした?」

「……え、何が?」

 キョトンとした顔の一色。多分だけどこいつ、『青春っぽいことがしたい』という願望が、みんなで肩を組む段階ですでに達成されちゃってる節がある。

「……円陣って、円になって終わりじゃないぞ。誰かが掛け声を発して、みんなで叫ぶまでが円陣だ」

「あっ、そうだったそうだった!嫌だなあこーたろう、忘れるわけないじゃん!」

 調子の良いことを言うエースだった。三ヶ月近く一色を見ていて言えることがある。彼女の『忘れるわけない』は『忘れていた』と同義だ。

「えーっと!あの!あのですね!はい!」

 円陣を思い出した一色はやる気に満ちた顔のまま、しかしそれから何も言葉を続けなかった。妙な間が空く。

「……どうした?」

「いやー、こーゆー青春っぽいことに憧れてたけど、いざ『やっていいよ!』って言われると、何をやっていいか分からず、頭が空っぽになります!」

「何言ってんの?一色って普段からわりと頭空っぽってゆーか」

「晴沢さん、ひどっ!」

 すっとぼけエースに痛烈に切り込む晴沢だった。それを聞いた周りの奴らが吹き出し、この空間に和やかな空気が生まれた。

「……試合中はあんなにも堂々としてるのに、どうしてこうも抜けてるんだろうな。一色は」

「まあ、そんなことを言う孝太郎も色々空っぽってゆーか。サイフの中身とか、貯金残高とか」

 一色を可笑しく思っていると、晴沢の言葉の刃が俺の元へと向かってきた。嫌な方向転換である。

「失礼な奴だ。俺の貯金残高は53万だぞ」

「じゃあ、この試合で私が3安打したら、今度こそダーゲンハッツね?2回も変身を残してそーな貯金残高だし、決まりってゆーか」

「わたしバニラ!」

「それなら私は、ニラかしら」

 晴沢の不当なふっかけに、意気揚々と賛同するエースと4番がそこにいた。

「……悪ノリしといて何だが、賭けなんて若者のすることじゃないぞ。つーか雨地は、ニラでいいのかよ」

「あら。私は好きよ、ニラ」

 雨地が活躍した時の報酬が本物のニラなのか、それとも未知なるダーゲンハッツ・ニラ味なのか。後者だと怖いので、真相は闇の中に置いておくとしよう。

「わたしより詳しそうだし、こーたろう!後はよろしく!」

 そんなことを思っていたら、一色からの不意のパスを受けてしまった。みんなが俺の方を見る。

「別に、キャプテンとかじゃ、ないんだけどな」

「何でもいいから早くやれっての〜」

 晴沢からも先を促される。確かに、もうあまり時間もない。

「……じゃあ、僭越ながら」

 こういうことは得意ではなかったが、幸いにも、俺が指名されたことに対してブーイングは起こらなかったので、腹を括ることにした。

「まずは確実に、一勝を目指そう」

「もくひょーがひくい!」

 俺の言葉を聞いて、一色がノータイムでそう叫んだ。一色のために括った腹を、こいつ自身が殴りやがった。

「同感ね。難易度高めのリンボーダンスのバーぐらい低い目標だと思うわ」

 俺の隣のちっちゃなエースに続いて、対面にいる雨地もそう続いた。

「リンボーダンス校内戦なら決勝ぐらいまで行けるんじゃないかしら」

「そりゃ悪かったな……」

 リンボーダンス校内戦って何だよ。青春リンボーダンスコメディーはここでは開幕しねえよ。

「このこなっちゃんも、そこには概ね同意だわ。さっき『若者らしくない』とかなんとか言ってたわりに、目標が若者らしくないってゆーか」

「……堅実で現実的な目標を志したつもりだったんだけどな」

 せめて一回は勝とう、という消極的な意味ではなく、一勝一勝を積み重ね、勝ち進んでいこうというニュアンスだったんだが。日本語は難しい。

「んー、一理あるけど、私はみんなに賛成かなあ。若者らしく、現実なんてしっかり見えてないぐらいがちょうどいいじゃん?しっかり見ようと目を凝らしてる暇があるなら、走り出そうぜー」

 可愛い妹にそんなことを言われてしまい、俺はやむなく溜飲を下げる。凛子に言われたら仕方ない。

「よし!こーたろーに代わって、わたしが言っちゃうよ!みんな続いてね!」

 すうっ、と息を吸い、一色が声を上げた。


「目指せ優勝!!1年A組、ふぁいとー!!」


 オオオッ、とみんなの声がこだまする。みんなの力強さに、身体の奥底を震源とした振動が全身に伝わった。武者震いというやつか。

 頭が空っぽのわりに、一色の掛け声には勢いがあった。


「そいつぁ無理な話だなあ!!!」


 俺たちや学校関係者だけでなく、一般の観客含め、誰もがその勇ましい声に目を向ける。

 1年E組側ベンチ。

 例えば今が夜なら、今にもスポットライトに照らされる演出が始まりそうな雰囲気すらあった。

 しかし彼女__浅間いつきは、目立っていることなど気にも留めない。

 いついかなる時も。

 浅間は勇ましい。

「おめーらA組は優勝出来ねえ!!なぜなら、アタシらがぶっ倒すからだ!!」

 ワッ、と客席から歓声が上がった。試合前や試合中に、このような挑発まがいのパフォーマンスがある程度認められているのも、天望学園の特徴の一つだった。

 浅間に続き、栄もその流れに乗じて続く。

「練習試合じゃ負けなしだったみたいだが、てめーらの連勝記録もここまでだ!!まずはしょっぱな、第一打席、このヒカルさまが快音を響かせてやるぜ!!」

 会場のボルテージが高まっていくのを感じる。

 このままでは、E組に勢いがあるまま試合を迎えてしまうのでは__なんて考えがよぎり、俺はチームメイトたちを見る。

 しかし、結果的に、そんな危惧は全く必要なかった。

「わたしたちは負けないよ!」

「同感ね」

「手始めに、このこなっちゃんが軽く捻ってやるってーの」

 一色、雨地、晴沢の全く臆していない顔。

「いいねいいね、少年漫画みたいじゃん。こういうの私、好きだよ」

 いつも通り、どんな時でもリラックスしている凛子の顔。

 確かに、先ほどのパフォーマンスでE組に勢いが付いたのは言うまでもないだろう。

 だが__それで怯むような連中じゃ、ないよな。

「みんな…… 燃えたぎってるね」

 円陣を解いてなお熱いままの空気を眺めながら、俺と目が合った鴬谷がそう呟いた。

「あいつらの性格からして、負けるのは趣味ではないみたいだしな…… それに、俺も」

「……孝太郎くん?」

 練習試合やクラス内の紅白戦とは一味も二味も違う臨場感がのしかかる。観客が入るというプレッシャーもあるだろう。

 しかし__押し潰されるとは思わない。

「……いや」

 それに俺も、楽しみなのだ。

 みんなと試合に臨めることが。

 俺は一人、心の中で声を上げる。

 正々堂々。

 スポーツマンシップに則り。

 精一杯戦い抜くことを誓う。


 来年の夏、また凛子と__


 みんなと一緒に、野球をしよう。


「何でもないよ。頑張ろうな」

 校内戦。

 俺たちの夏が始まる。

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