第14話 潤沢ステーショナリー
壮大な旅__という名の買い物は、同ショッピングモール2階にある広いホームセンターの文房具コーナーで行われた。鴬谷はちょうど今日の授業中に、消しゴムを使い切ったらしい。小さくなり使いづらくなったから処分したわけではなく、完全に、全くその通りの意味で、使い果たしたそうだ。
消しゴムを使い切る者がいるのかと、俺みたいな不真面目な人間からしたら、それだけで驚愕だった。
『消しゴムに好きな人の名前を書いて、それを使い切ると恋が実る』という迷信があるが、本当に使い切った真面目な鴬谷の恋はぜひとも実ってほしい。彼女とは恋バナが出来ないようなので、心の中で密かにそう願っておこう。
それに、消しゴムを使い切ったことで必要となる次の消しゴムはすでに家に用意されてあるらしかった。なので、今回はその予備となる消しゴムを買いに来たようだ。曰く、「使ってる最中の消しゴムに何かあると困るから」とのこと。
『何かある』とはなんだろうか。
急に爆発したり、神隠しに遭った経験でもあるのだろうか…… というのは俺の冗談にしても、とにかく、あらゆる可能性を考慮して、念には念を入れたいという話だった。
まあ鴬谷は優等生なので、物の管理とかも上手そうではある。そのため、実際に消しゴムに『何かある』ということはないだろう。だから優先度は低いが、行ける時に行っておいて、万全を期したいようだ。
そんな信念とは無関係なところでのうのうと生きている俺は、特に何の考えも無しに、信念も持たずに、目に付いた文房具を手に取る。
それにしても、最近の文房具の進歩はすごいな。
俺の思い出にある文房具と言えば、シンプルで質素な物、というイメージだった。勉強道具に華美な物は必要ない、とでも言わんばかりの。
娯楽的な文房具にしたって、香り付き消しゴムや練り消し、バトルえんぴつぐらいしかなかった気がする。
それが今はどうだ。パッと見た限りでも、面白い物がたくさんあった。
シャーペンやボールペンのカラーバリエーションにしてもたくさんの種類があるし、明らかにウケ狙いだろうという奇抜な商品もある。工業用具であるスパナの持ち手側の先端や、花の茎部分がペンになっていたり。そんな商品まで取り扱っている。もちろん普段使い出来そうなクオリティだ。
分厚い辞典の様な形状の、紙製の収納ボックスなんかもあった。本を開くように中を開けると、そこには文房具を収納出来るポケットがたくさんあり、爪切りや耳かきなど、毎日は使わないが一箇所にまとめておくと便利な小物まで収納出来る、そんな使い方も出来るツールボックスだ。変形ロボット、とまでは言わないが、こういうのを見ると無意味に開け閉めしてみたくなるぜ。
実用性もさることながら、実にバラエティー豊かで、飽きない工夫が随所に施されていると感じる。
本来の俺の、文房具コーナーに対しての立ち振る舞いと言えば、例えば鴬谷同様消しゴムが切れたとして、手持ちのシャーペンに付いてる小さな消しゴムを真っ黒になるまで使い倒し、いよいよどうしようもなくなった後にようやく重い腰を上げて、渋々買いに来る程度の意識の低さだ。だからあまり文房具コーナーをしっかりと見たことはなかったが、今はこうなっているんだなあ。
鴬谷も鴬谷で、辞典の様な形状のツールボックスのサンプルを楽しそうに開け閉めしていた。やっぱりやりたくなるよな、それ。
「文房具も多様化したよね。無くても困らない機能の物もあるけれど、あればクスッと笑っちゃうようなエンタメ性があるというか…… それに、ある程度歳を重ねたことで、面白い文房具の存在に気付けるようになったのかな?」
「そうかもな。意識することで、視野が広くなったと言うか」
奇抜でユニークな陳列棚のゾーンを抜け、見慣れた一般的な文房具がある棚に移動した。特に用はないが、赤ペンを手に取り、試し書き用の小さな紙に線を引いてみる。
「鴬谷は板書の時、色ペンとか使うか?」
「ううん。シャーペンの他には赤しか使わないよ」
鴬谷も赤ペンを手に取り、試し書き用の紙に『あ』と書いた。見本のような、読みやすくて綺麗な字だった。
「たくさんの色を使うとノートを見返す時に楽しいし、達成感もあると思うけど、私には合わなかったかな。重要なところだけ色を変えて、あとはシャーペンって使い方の方が、シンプルですっきりすると思う」
「なるほどな」
遠い昔に、勉強を頑張ろうと決意した時代があったことを思い出す。その時は『素晴らしいノートを作ろう』と息巻いてたくさんの色ペンの活用を試みたものの、案の定失敗。その後は意気消沈。三日坊主にも満たなかった『時代』である。
「私は昔から赤ペンしか使わなかったけど、青ペンも効果的みたい」
「そうなのか?」
「青は副交感神経を活発にさせる色で、リラックス効果があるから、記憶に定着しやすいって言われてるんだよ。街灯の色をオレンジから青に変えただけで犯罪が激減したって実験結果も出てるみたいだね」
「そりゃすごいな。俺も今度、全身真っ青コーディネートで出かけてみよう。服装だけでなく、顔や手も青くペイントさせれば完璧だな。みんなをリラックスさせてみせるぞ」
「な、何事もほどほどにね……」
呆れながらも、俺の提案を却下はしない鴬谷。いつもながらその気遣いに涙ちょちょぎれ寸前だが、全身青色の化け物が完成する前には止めてほしいぞ。
「よー、孝太郎。ニヤニヤしやがって、デートか?」
と、聞き慣れた勇ましい声。
振り返るとそこには、見慣れた顔が二つ。
「浮かれた顔してんぜ」
「どうもどうも。こんにちは」
E組の番長とその舎弟こと、浅間と松嶋が現れた。俺と鴬谷同様、制服姿だった。
「えっと、あの、その」
番長の出現に不意を突かれたのか、鴬谷は二の句を継げずにいるようだった。鴬谷は少し後退し、俺の背中に隠れるようにする。
「デートなんて、そんないいもんじゃないよ。鴬谷を巻き込まないでやってくれ」
俺は別に何ともないが、そういうノリの全てを受け入れられる奴ばかりじゃない。特に鴬谷は、他のA組の連中にするようなイジり方をしない方がいいタイプだしな。
「ああん……?まあ、お前がそう言うならいいけど」
そう言って浅間は頬をぽりぽりと掻いた。血の気の多い奴だが、嫌だと言っている相手をさらに追い込むようなことはしない奴だった。そこら辺心得ている辺りは、どっかの晴沢なんかとは違うな。
「浅間。お前の隣の奴もかなりニヤニヤしてるが、デートか?」
「はい。いつきちゃんはこの松嶋と絶賛おデート中です。かなり浮かれてます」
そう言って松嶋は、赤い大きな伊達眼鏡をきらめかせながら、浅間の左腕に抱きつく。いつ会っても浅間への好き好きオーラで溢れている奴だ。
「オメーもオメーで、テキトーなこと言ってんじゃねえよ」
浅間は自由が利く右手で、松嶋の頭部に手刀をかます。浅間の性格や会話の流れから考えて、まさか本気でぶった切ったわけではないだろうが、平均以上の攻撃力を有している浅間の手刀に、松嶋は悶えた。ツッコミと言うよりドツキといった方が近い。
「いつもながら愛が痛いです、いつきちゃん……」
確実なダメージを受けながらも、松嶋は浅間の左腕に抱きついた腕を外そうとしなかった。浅間も浅間で、無理にそれを外そうともせず(松嶋がその程度ではめげないと分かっているのだろう)、何ともないような表情を浮かべた。
「四六時中一緒にいるのに、ずいぶんとラブラブだな」
浅間と松嶋は同郷で、中学時代から付き合いがあるらしい。それに今は、諸々の出費を抑えるために同居しているという話だ。
うちの学校は全生徒に対し食料品や日用品を購入するために、ある程度の金銭的支援がされている。それと、俺のように実家から通える者には関係無い話だが、遠方からの入学者のために、居住地も用意されている。学生寮タイプにマンションタイプ。待遇は良く、選択肢は多いと思う。
だから生活面において余裕がないことはないはずなのだが、『その方が、何かと都合がいいので』と松嶋は語っていた。
「いつきちゃんの魅力を語るには、24時間365日という枠ではいささか不十分ですが、それでも一分一秒が惜しいですからね。近くにいられるに越したことはありません。松嶋の人生全てを、いつきちゃんのために使いたいものです」
クラスも同じで家も同じで、それでも浅間と一緒にいたいという松嶋の一途さには感心するばかりである。
「そして出来ることなら死後も、天国までご一緒したいところです。まあ、いつきちゃんは恐らく地獄に行くので、松嶋も地獄までお供することになるでしょうけど」
「誰が地獄行きだっつーの」
松嶋の言葉に、浅間が痛そうなツッコミを入れる。浅間への好き好きオーラは見ての通りだが、意外とエッジの効いたことを言う松嶋だった。
「いたた……」
「ま、別にオメーらが何してようがカンケーねえけどな」
浅間が陳列されている赤ペンを一本取って、試し書きを始めた。『番長参上』。言葉の猛々しさとは裏腹に、見ていて心地よくなるぐらいには達筆だった。鴬谷にも引けを取らない。
そういえば、雨地の奴は悪筆だったなあと思い出す。入学当初はクールで落ち着いた印象だったので、ギャップを感じたことを妙に鮮明に覚えている。
「あ、そうだ浅間。これだけは聞いておかなきゃならない、大事な質問があった」
「なんだよ」
「お前の思う、一番イカす文房具ってなんだ?」
「今まで受けた中で一番しょーもない部類の質問だな、そりゃ…… あー、でも改めて考えたら何だろうな」
文房具の食べ放題という名言を残した雨地を思い出してのくだらない質問だったが、なんだかんだノってくれる浅間。乱暴者だが、基本的にはいい奴だ。
「いや待て、やっぱり言うな。当てる。当てて見せるぞ。シンキングタイムをくれ」
「何を熱くなってんだよ。何の引きもねえクイズを開始させるな」
「果たしてみんなが知りたがるいつきちゃんの好きな文房具とは!正解はCMのあと!プレゼントの当選発表もありますよ!」
「プレゼントもねーよ」
「浅間のことだからきっと、文房具は殺傷能力で選ぶはずだ」
「なるほど、さすがは孝太郎さん!鋭いです!よく分かってらっしゃる!」
「全然よく分かってらっしゃらねえよ。んな判断基準で選ぶかっつの。実用性を重視させろ」
「コンパスの針だな。方角を示すやつじゃなくて、円を描くやつ。間違いなく、あの鋭利さを浅間は愛している」
「針限定かよ。えんぴつの方も忘れんな。針とえんぴつの共同作業で初めて綺麗な円が描けることを忘れんな」
「惜しい!正解は算数の授業で使うおっきな三角定規です!なぜなら、盾のように装備出来てカッコイイから!みんなを護るナイトっぽいから!いつきちゃんは単純だからカッコよくて大きなものに憧れます!」
「そっちか…… 盲点だったぜ」
「アタシを差し置いて白熱してんじゃねー」
俺と松嶋の長々とした茶番が一区切り付いたことで、松嶋には手刀、俺には膝蹴りが繰り出された。平均以上どころかトップクラスと言っても過言ではない威力だよな、これ。
冗談をかます度にこの威力でツッコミが返ってくるのに、それでも松嶋が浅間と一緒にいられるのはなぜだろう。それほどまでに浅間が魅力的なのか、松嶋が寛容なのか。
「ちなみに浅間、解答は?」
「デザインナイフ」
殺傷能力だった。
「やっぱりか……」
「何がやっぱりだ。孝太郎てめえ」
流石と言うべきか、言葉の後に攻撃が飛んでくる女、浅間である。流血によって、真っ赤にデザインされそう。
「カッケーだろうが、デザインナイフ…… って、そんなことはどーでもいいんだけどよ。ずいぶん余裕そうじゃねーか。もうすぐ本番が控えてるってのによ」
単純にかっこよさで文房具を選んでいた浅間は、話を夏の校内戦へと移した。
夏の校内戦。
4日後に開催を控えた本番。
「気を抜いているわけではないけど、まあ、気張ってばかりもなんだしな。気分転換だよ」
「ほーん。ま、それを言っちまえば、アタシたちだってこうしてブラブラしてるわけだしな」
「そうです。松嶋たちはラブラブしています」
「うるせえ」
先ほど怒涛のツッコミを見せたことで疲れたのか、これ以上なくシンプルなツッコミだった。浅間の手刀も、心なしか疲れていた。
「あ、そうでした」
威力が落ちたからだろうか、松嶋は浅間に喰らった手刀に対し、特に疲弊する様子を見せなかった。
「この松嶋、孝太郎さんにお聞きしたいことがあるのでした」
「なんだ?」
「これだけは聞いておかなければいけない、大事な質問です」
先ほどの浅間に対してのフリへの意趣返しとばかりに、松嶋は言った。
「ここにいる4人を含め、天望学園の生徒はスカウトされた時に、きっと同じ台詞で口説かれたはずです」
ああ、そういえば__そうだったよな。
「『勝てば願いを叶えてやろう』」
入学が決まった、去年の秋のあの日。
俺と凛子は、うちまで訪ねに来た湯沢先生に、そうスカウトされたのだった。
「俺もそう言われたよ。鴬谷もか?」
後方の鴬谷を振り返って、俺は聞いた。
「う、うん。私も」
「いつきちゃんと松嶋は、熱海先生から言われました。なんだか、妙に含みのある言い方だったと、印象に残っています」
「ハッ」
すると、訝しむ表情を隠そうともしない浅間がそこに口を挟む。
「どーでもいいだろ、そんなもん。細けえことだ」
「いつきちゃんはそう言いますが、松嶋は少し引っ掛かりを覚えます。『願いを叶える』なんて、少しばかり現実味に欠ける物言いだと、そんな印象を受けますね」
確かに、やや大仰なイメージは払拭出来ない。
仮に願いが『世界征服』だとして、そんなもの叶えてくれるはずもあるまいし。
「そんな深く考えなくてもよー。要するに、良い進学先を紹介してやるってことだろ?ライセンスの取得を目指す奴には、それは望みであり、願いだ」
天望学園生徒の目標__願いの一つ。
プロ入りのためのライセンス取得。
この社会で野球を職業にするのなら、国内で有数の野球特化型の上級育成校に進学し、卒業生に贈られるライセンスを取得することが必須条件である。
「仮に本当に願いを叶えてくれるとして、『今すぐ3億円が欲しい』なんて言っても、そんなもんポンと渡されるもんでもねーだろ?『金が欲しい』って願いなら、良い進学先を紹介されて、プロ入りの可能性を高めて、将来的に大金を稼ぐ選手になれよって話に繋がるだけじゃねーの?」
確かに、それが一番ありそうな話ではある。
実力を認められた者のみが入学を許される完全スカウト制である我が校で優秀な成績を収めれば、将来的にさらに上のステージに行ける。それこそ、3億円を稼ぐレベルにだって可能性として、ないではないだろう。
「それに、『勝てば願いを叶えてやろう』の『勝てば』って、なんだよ?曖昧過ぎんだろ。まさか1回戦で勝った奴ら全員の願いを叶えてくれるってわけもねえ。『優勝すれば』とも言われてねえ。各大会ごとに一クラス、約20人の優勝者が出る計算になるし、その全員の願いを満遍なく叶えられるか?それに、人が叶えられる願いなんざ限度があらぁ。無理なお願いをされた時に、前もって曖昧な言い方をしとけば逃げ道に出来るだろ。極端な話、在学中の校内戦6回で6連覇することが『勝てば』の条件なんだとしたら、そんなもん、この学校ではほぼ不可能__可能性は限りなく低い。所詮そんなのは、有望な中学生を集めるための詭弁に過ぎないと、アタシは思うけどな」
浅間は冷笑を浮かべる。本当に、全くもって、興味など皆無だと言うかのように。
学校側の言い分に対し、妙に懐疑的なスタンスの浅間__いや、それはそれで正しいのかもしれない。
「学校側が叶えてくれる『願い』なんざ、話半分以下…… 百分の一ぐらいで聞いときゃいいんだよ。どっちみち、言われるまでもなく、この学校で勝ちを積み重ねりゃ、それがそのまま価値になる__3億円だって、将来的に稼げるようになんだろ」
去年の俺は中学生だった。
年端も行かぬ子供。
それは高校生になった今だって大して変わらないけれど、やっぱりあの多感な中学生という時期に『願いを叶える』と言われ、全く心に響かなかったかと言われたら、否定せざるを得ない。
浅間の考え方は、『願いを叶える』という甘言へのロマンが欠けていると言うよりは、現実を見据えていると言った方が近いのかもしれない。
ロマンチストじゃないのではなく、よりリアリストであるというだけで。
「3億円稼ぐレベルは、そりゃあよっぽどでしょうけどね。松嶋たちの学年でも、そう何人もいないでしょう」
俺たちの学年なら誰がそこまで登り詰めるか想像してみると、真っ先に雨地の顔が浮かんだ。
あいつなら多分、成し遂げそうだよな。
……あいつ、家に直接3億円置くのかな。
「関係ねーよ」
浅間は笑う。
どこまでも強気に。
どこまでも不敵に。
怖いものなど、まるで存在しないかのように。
「まずは、この高校の強え奴らをぶちのめす。進学して、そこの強え奴らをぶちのめす。そしてライセンスを取得して、大活躍して稼ぎまくってやらぁ。それだけだ。願いがどーのこーのなんざ、校内戦の結果が出てから考えりゃいいんだよ。それよか、夏の校内戦だ__孝太郎、分かるか?この高校はレベルが高え。それに2、3年生も相手にしなきゃならねー。先のことに気を取られて勝ち上がれるほど甘くはねーよ」
確かに、それはそうだった。
勝ちをイメージすることは大切だろうが、取らぬ狸の皮算用となっては本末転倒だ。今の自分に出来ることを積み重ね、明日を繋いでいく他ないだろう。
「この前の練習試合は予想以上に不覚を取ったもんだが…… まぁ、楽しみにしとけよ。それにアタシは、楽しみにしてんだ。孝太郎、お前確か、育成校出身だったよな」
言に圧がある浅間に、胸の辺りを指差され、身動きが取れなくなる。凄まれているわけでもないのに、その迫力に縮み上がってしまう。
「育成校出身のエリート連中を、一般校上がりのアタシらがブッ倒す…… 燃えねーわけがねえよな?目の前にエサを置かれて『待て』と命じられたコーギーみてえな心境だぜ。目ぇ見開いて、よだれ垂れしてよ__ワクワクで夜も眠れねーや」
そんな浅間らしい比喩を挟んで、彼女は好戦的な笑みと空気を弛緩させた。彼女は「それと」と言葉を続け、俺の後方にいる鴬谷に向かって言った。
「鴬谷…… だったよな。別にアタシらに気ィ遣う必要なんてねーぜ。同い年だしな。適当に会話に入って来ても、取って食いやしねーよ」
「ご、ごめんなさい」
「別に、謝らなくてもいーけどよ」
「う、うん」
「はー。まあ確かに、アタシたちは馴れ合う相手じゃねえわな…… とは言っても、同学年のよしみだ。顔見たら挨拶ぐらいはさせてもらうぜ」
浅間は鴬谷から視線を外すと、今度は俺の方に、勇ましく拳を突き出し、明朗な口調で言った。
「んじゃな。決勝で会おうぜ」
「……それは一般的に、実現しない前振りだぞ?」
出された拳を無下にするのも何なので、俺の拳を合わせた。
「アタシは本気だぜ?嘘偽りなくな。ウチと当たるまで、負けんなよ」
合わせた拳を離す勢いをそのままに、浅間は「んじゃな」と言いながら踵を返し、一足先に去っていった。
一方松嶋は、浅間と距離を取るかのように様子を伺いつつ、彼女に声が聞こえない距離になったことを確認した。そして彼女は内緒話をするように口に手を当て、小声で俺たちに囁いた。
「やっぱりいつきちゃんは、地獄行きです」
松嶋は浅間のことを話している時が、一番楽しそうな顔をする。
「あんなにも好戦的ないつきちゃんが、平和であろう天国で満足出来るとも思いませんから」
◯
「みんなお待ちかねの抽選の結果だ。君たちの相手が決まった」
翌日の授業後。
清掃を終えたその時間に、俺たち1年A組の20人は、教壇の湯沢先生の言葉に聞き入っていた。湯沢先生が、夏の校内戦の初戦の相手を告げる。
結果から言えば、『決勝で会おう』という、浅間との一つ目の約束は実現しなかった。
しかし二つ目は、実現した。
『ウチと当たるまで、負けんなよ』
決勝__最後の試合どころか。
「熱海の奴を早々に屍に出来るなら、それに越したことはない」
1回戦第1試合らしいぞ、浅間。




