第10話 一色トルネード
一斗缶の中にビー玉を入れ、一心不乱にシェイクするような騒がしさ__やや乱暴な比喩だが、俺が思う1年E組の印象はそんな感じだ。
とは言っても別に、学級崩壊の声が教室の垣根を飛び越え聞こえてくるとか、日常的に窓ガラスが割れる音が響くとか、一昔前の不良ドラマを想起させる類いのものではない。番長になりたい奴がクラスにいるからと言って、そんな前時代的な荒れ方はしていない。
あくまでも常識の範囲内において、元気が有り余っているというニュアンスの延長線上である。
まあ、言ってしまえばうちのクラスだって、おてんばな一色や奔放な晴沢辺りは、他クラスからそんな印象を持たれているのではないだろうか。
だからもちろん、全体的に騒々しいE組の中にだって、松嶋のような穏やかな生徒も少なからずいる。
しかし、それを差し引いても。
E組はやはり__やかましいクラスだ。
「……ぅきゅうだオルァァ!!」
そのE組の中でもとりわけやかましく、頭一つ抜けた騒々しさを持つのが、1番ショートのこの男__
1年E組男子出席番号4番の栄ヒカル。
目がちかちかするような金髪がトレードマークの栄が左打席でフルスイングを放ったのを横目に、俺は数歩後退した。
ふらふらと打ち上がったボールはやがて俺のミットに収まり、午後4時になると同時に第1グラウンドで開始された練習試合は、十秒も経たない内にワンナウトを記録した。さっき彼が叫んだ言葉はおそらく『絶好球だオラァ』だろうと見当を付ける。
「……ヒカル。てめえ、考え無しにみすみすアウトを献上してんじゃねーぞ。少しは吟味しろ。何度も言わせんじゃねえ」
三塁側のネクストバッターズサークルから歩み寄った次打者が、ベンチへ帰る栄の肩をすれ違い様に叩いた。その男は、憎々しい表情を隠そうともしない。
「だってよー。プレイボール早々に初球先頭打者ホームランって、イッチバンかっけーだろ?音速だろ?俺さまらしいだろ?」
「……一度でも成功してから言えよ。アホ」
2番セカンド__1年E組男子出席番号3番の暗持影太が、不機嫌そうな面持ちで右打席に立つ。栄とは正反対の黒の長髪が、印象的な男だ。
「影太ー!!オレさまがついてんぞー!!」
向こうのベンチから栄が、よく通る声でヤジを飛ばす。「……てめえがついてりゃなんだっつーの」と暗持が消え入りそうな声で呟いた。
「評判通りの目立ちたがり屋だな、あいつ」
「……てめえも評判通り、でけえ図体しやがって」
噂通りのゴリラ野郎だ、とギリギリ聞き取れるぐらいの小さな声で呟く暗持。
誰も彼もが俺をゴリラ扱いしやがって……
……おっと__いかんいかん。
試合中だぞ、試合中。
気を取り直して、18.44メートル先のマウンド上に立つ、白くてまん丸な一色に、指でサインを送る。
俺のサインに首肯した彼女が、投球動作に入った。
大きく振りかぶった後、打者に背を向けるほど大きく身体をひねる『トルネード投法』__そこから繰り出された威力満点のストレートが、豪快な音と共に俺のミットに収まった。
左手を痺れさせたそのボールは、少々甘いコースではあったものの、慎重派の暗持はバットを振らなかった。
ワンストライク。
超が付くほど目立ちたがり屋で、初球打ちが大好きな栄とは対照的である。
まあ__慎重派の暗持ではなくとも。
初打席で一色のストレートを打てる奴は、この学校にだってそうはいないだろう。
そんな確信を、左手から得る。
E組のベンチや、グラウンド外で見物していた他クラス生から、どよめきが起きる。何度か偵察に来ているはずの暗持も、俺のミットに収まるボールを見て呆気に取られていた。
「すごいだろ?うちのエース」
俺の視線に気付いた暗持は顔を歪め、前へ向き直る。口数が少なく声も小さい男だが、栄と同じで考えていることは結構分かりやすい。
ボールを一色へと投げ返す。それを捕球した彼女の白くてまん丸な顔は、気温の上昇に伴って高揚していた。
◯
「オイオイオーイ、振らなきゃ当たんねーぞ!」
そんなヤジがE組ベンチに座る栄から飛んできて、見逃し三振に終わった暗持が舌打ちをしながらベンチへ帰ってゆく。入れ替わりで、3番バッターが打席に入った。
「お楽しみ頂けました?彼らの掛け合いは、うちの名物なんですよ」
「ああ。愉快な奴らだな」
赤くて大きな伊達眼鏡。
左のこめかみ辺りから垂らした三つ編み。
3番キャッチャーの松嶋朧が右打席に立つ。
ピッチャー側にある左足を前に出し、ホームベースに覆い被さるような姿勢のクローズドスタンスで構える。
「栄くんが鮮やかに出塁して、暗持くんが堅実に送ってからの、松嶋__というのが、うちの定石だったんですけどね」
暗持が毒突いたように、実際に初球先頭打者ホームランを決めたことはないものの__その俊足によって、高い出塁率を誇る栄。
選球眼は荒いが、内野に打球を転がせば、内野安打に繋がることも多い。
そしてあのテンションでひとたび塁上へと躍り出れば、負けじとばかりに__というか、『調子に乗ってんじゃねえ』とでも言いたそうな顔で、後続がきっちりと得点する。そうなってしまえば、初回から流れを持っていかれることだろう。
それを防げたことが、今回は大きい。
「目論みが外れたな」
松嶋への初球。
低めいっぱいにストレートが決まる。
続けて2球目も豪快な捕球音を鳴らし、ストライクが宣告された。
3球目。
「ボール!」
内角高め。
ボール一つ分、高く浮いたストレート。
釣り球にも反応は無し。
「目が良いんだな、松嶋」
「いえ。速過ぎて反応出来ないだけですよ」
赤い大きな伊達眼鏡を指で上げながら、松嶋は飄々と、涼しげな表情を崩さず答えた。
「何度か拝見しましたが…… やはり、本物ですね。彼女は」
「ああ。しかも、今日が絶好調ときてる」
「そうですか。これは、ちょっと__」
一色の足が上がり、投球動作に入る。
「太刀打ち出来そうもありませんね」
足を踏み込んだ思い切りの良いフォームで、松嶋のバットが空を切る。
迷いの一つも感じられない、ブォン、という綺麗な音だった。
「……力任せにフルスイングするタイプではないと思ってたけどな」
球種を読み、狙いを絞り、打てると判断した球は堅実に打ち返す__しかし、打てないと判断した球は無理に手を出さないというのが、松嶋の傾向だった。
そんな彼女のフルスイング。少々予想外だ。
「小手先でどうこう出来る相手でもなさそうなので、普段とは違う学び方をしようと思ったまでです。その凄さを、肌で体感しようと思いまして」
「成果はあったか?」
「んー、そうですね」
バットの先でコンコンとヘルメットを小突きながら、松嶋は言った。
「大量得点は期待出来そうにないので、しっかり守るとしましょう」
◯
「いいか、君たち。今日は勝つ日だ。練習試合と言えど、負けは許されない。全てを犠牲に勝利をもぎ取れ」
屋根が張られ、二列分の長椅子が簡易的に設置されたベンチの中__濃い赤のジャージに身を包んだ1年A組担任の湯沢真癒先生は、あまり手が施されていないボサッとした黒いボブヘアーを指先で搔き毟りながら、そんなことを言った。
「……今日はえらく気合いが入ってますね。湯沢先生」
「私のことはまゆぽんと呼びたまえ。西岐兄」
「そんなはっちゃけた愛称では呼びません」
自称まゆぽんこと湯沢真癒先生は、年齢以上の落ち着きと貫禄がある人だ。先生自身から『まゆぽん』呼びをしてほしいと言われたところで、実際に呼ぶと冷静に注意されそうな空気感があるので、大抵の奴は『まゆぽん』とは呼べない。
「君の岩石のような体躯でE組をけちょんけちょんにしてやれ。スクラップだ。ぺちゃんこだ。当たって砕けろ。砕かれつつも砕け。担任として、骨は拾ってやる」
「ダーティーなプレイを勧めないでください。担任として」
冷静で淡々とした喋り口に、一瞬その言葉を本気にしてしまいそうになる。ベンチの後列最右に腰掛ける湯沢先生は、組んだ右足の上に右肘を置き、がじがじと親指の爪を噛んでいる。
普段より少し__いや、かなり荒っぽく、ともすると子どものように直情的な印象を受ける彼女の瞳は、一人の男性を捉えていた。
「悪いな。本日ばかりはいつもの優しいまゆぽんではいられないようだ。なんせ今日の相手は、暑苦しくて鬱陶しいあいつなのだから」
その男性__1年E組担任の熱海民生先生はグラウンドに向け身を乗り出し、守備に就いたE組の面々に熱い言葉を投げかけていた。
「お前たちならいける!やれる!何でも出来る!あいつらなんかぶっ倒せ!湯沢ごとき屁でもねえ!勝って、勝って、勝ちまくって__お前らが最強だってことを知らしめてやりやがれ!!」
グラウンド全体に響き渡る声量の熱海先生の雄叫びに呼応するように、E組のやかましい奴ら__サードの番長・浅間とショートのチャラ男・栄辺りが「オォォッシャァァ!!」と声を上げる。さながら荒れ狂う波のようである。反対側のベンチにいるのもおかまいなしとばかりに、気合いの入ったその声が俺たちの耳をつんざく。
一斗缶の中のビー玉……
「全く、熱海の奴は昔から単細胞で困る。今日日、根性論など」
群がる羽虫に送るような視線を三塁側ベンチに突き刺す湯沢先生だった。
……三塁側ベンチというよりは、熱海先生へ個人的に、かな。
「学生時代から何の成長もしていない。ああいう奴がいるから温暖化が止まらないんだ。奴の息の根を止めて地球に恩返しをしてやれ」
本人の顔は至って涼しげではあったものの、熱海先生への私怨に燃える彼女も温暖化を担う一因ではありそうだ……
「とか言っちゃってるけど…… それってもしかして、大人の恋ってヤツじゃん?ねえ、まゆぽん!」
アホなりに礼儀を重んじる俺とは違い、満天ピーカンゲスギャル改め晴沢小夏は、担任を愛称で呼ぶのだった。『まゆぽん』呼び出来るのは、こいつぐらいだろう。その口ぶりはいかにも言い慣れている。馴れ馴れしくも、先生の肩に右腕を回していた。
「やれやれ…… 愛だの恋だのすぐに結びつけたくなるとは、晴沢も案外乙女だな。バカなこと言ってないで応援してやれ。あと暑いから離れろ」
そこで、初回見事な立ち上がりを見せた一色が「うーたんがんばれー!」と身を乗り出して声援を送った。右打席に立つ鴬谷がこちらを一瞥し、頷いて相手ピッチャーに向き直る。
「学生時代を知ってることからも察するに~…… タミー先生って鈍感そうだし、恋するまゆぽんが何度思いを匂わせてもそれが愛しの熱海先生に伝わらなかった、ってのが最有力なカンジかなー?」
他クラスの担任さえ愛称で呼ぶ晴沢は、湯沢先生から注意を受けたにも関わらず、追及の手を緩めない。野次馬根性の塊である。
「今なおそれが続くもんだから、さしものまゆぽんもイライラしちゃって、ついついキツい口調がついて出た…… 案外乙女だよねー、まゆぽんも!ヒューヒュー!」
イーヒヒヒッ、と魔女のようにゲスゲスしく笑う晴沢に、湯沢先生は「はぁぁ」と本気の溜息を吐く。
さすがに怖いもの知らず過ぎだろこなっちゃん。
「……いいから、行ってこい。出たぞ」
顔を曇らせながら、湯沢先生がグラウンドを指差す。鴬谷がフォアボールを選んで出塁していた。
打席には、2番ショートに入った凛子が右打席に立っている。
「ほーい。活躍してくるねー」
ひとしきり担任をいじってご機嫌な晴沢がヘルメットとバットを持って、軽い足取りでネクストバッターズサークルへ向かった。
「……あいつ、探偵には向かないな。的外れもいいところだ」
しっかし今日は暑いな、それもこれも熱海のせいだ、と晴沢から解放された湯沢先生が、ジャージの襟元に空間を作り、そこにぱたぱたと手で風を送った。
◯
一年生校舎1階の図書室。
広々としたその部屋には豊富な蔵書の他に、パソコンで閲覧出来るデータベースがある。
練習試合や本番の校内戦を問わず、創立50年以上の歴史を持つ本校で行われた、全ての試合の結果がそこにはあった。
それは俺たちが5月に行った練習試合3試合分も例外ではなく、データにまとめられている。各試合のスコアから全員分の個人成績に至るまで、事細かに記載されており、その数字を元に各項目のランキングが算出される仕組みだ。
「いぇーい、どんなもんよ!」
2塁上に立ち、満面のドヤ顔でこちらにピースサインを送る晴沢__彼女が持つ記録。
1学年安打数ランキング、1位。
20人×5クラス__100人中の、堂々の第1位。
学年で最もヒットを打つ女。
凛子が一時的にトレードされたB組戦こそ3打数0安打で途中交代となったものの(晴沢本人は拒否したが、精彩を欠くその日の晴沢はここまでと湯沢先生が判断した)、続くC・D組戦において、5打席ずつ回ってきた打席で爆発。13打数8安打で.615もの打率を叩き出している。
「あいつ、やっぱりバッティングは一級品だな…… 能力に性格は反映されないんだな。……いや、あの秀逸な能力を持っているからこそ、あのめんどくさい性格が形成されたのか……?ああ、分からなくなってきた……」
思わず漏れたのであろう湯沢先生のそんな本音を聞き流し、俺はネクストバッターズサークルに向かう。凛子の送りバントで2塁に進み、晴沢のツーベースヒットで生還した鴬谷とすれ違う。
「ナイスラン」
「ありがとう。頑張って」
「おう」
白線で作られた円の中に入り、俺は打席の方を見る。
こちらに背を向け、左打席に立つ__雨地響子。
後ろ姿からでも感じ取れるほど大きな、圧倒的なプレッシャーを放つ。
コントロールが定まらず、ボール球を2球続けた後の、3球目。
雨地の内角を攻めたストレート。
凄まじい金属音に、誰もがその打球の行方を追った__勢い衰えぬままに飛んで行ったその打球は、ライトの頭上を悠々越える。敷地外にボールを出さぬよう設置された高いフェンスをあわや乗り越えそうなほど強烈で、一発でそれと分かる、推定飛距離130mオーバーの、見事なホームランだった。
「……」
ワッ、と沸いたA組のベンチとは対照的に、雨地は無表情で走り出す。
一塁、二塁、三塁__そして、本塁をしっかりと踏みしめる。
3対0。
「……あいつが味方でよかったよ」
今日以前の3試合で、14打数6安打。
打率.429。
そして本塁打数__4。
1試合に1本以上のホームランを放つ雨地が、今日もまた記録を伸ばす。
彼女の独走はどこまで続くのだろうか。
「さすが__の一言に尽きるな」
ダイヤモンドを周り終えた雨地に、俺はそう声を掛けた。
しかし雨地は、俺の賞賛など歯牙にもかけず、無表情に言う。
「別に」
いつもの__では、ない。
「褒められるようなことでもないわ」
そこにあったのは、疑いの余地なく無表情。
一抹の濁りも含まない、純度100%の無表情。
《無》の無表情__とでも言うべきか。
普段の彼女が見せる、無表情ながらなんとなく喜怒哀楽を感じ取れるものではない。
声色さえも、無表情で__平坦。
彼女は本当に何でもないといった様子でベンチへと下がる。一色たちのハイタッチに応じる素振りは見せたものの、その表情はどこか冷たかった。
◯
「ふ…… ここはなかなかの名店のようだな。期待しているぞ」
安打数でも本塁打数でもトップ10圏外である俺に続き、うちの6番バッターも凡退したことで、回は2回表。
その回の先頭打者は脇にバットを抱え、両手を合わせ「いただきます」と言いながら一礼をした。
「5点満点で言えば、4点という口コミではあるが__他人の意見のみが判断基準というのも、さもしいものだ。口コミは所詮口コミ。名店かどうかは俺の舌が決める。自分で食ったものしか、俺は信じない」
ピッチャーを店に例える、4番ライト__1年E組男子出席番号5番の太丸円の恰幅の良い体格が、俺の視界の左側をどっしりと占領した。
「一色彩花…… 小柄で可愛らしい彼女が繰り出す、抜群のストレートという刺激的な味わい…… キュートな見た目に釣られて口内に放ったが最後、その刺激が舌をピリリと襲う__レモンのような少女だ」
太丸が食レポを言い終えたと同時に、一色は足を上げ__右腕を思い切り振り下ろした。
「この俺が__オードブルを食いきれない、だと!?」
太丸に提供されたオードブル…… もとい、一色の唸りを上げる速球が、三球続けてストライクゾーンを通過する。
空振り三振。
「満腹になったか?」
「……ふ、ふふふ。ふはははは!4点なんてとんでもない。4.1点に更新しておかなくては!」
太丸は敵ながら嬉しそうな顔をして、腹をさすった。
「また改めて訪れるとしよう。こんな名店、見逃せるはずがない」
ごちそうさまでした、と太丸は一礼をして__1学年本塁打数第2位の強打者は、4番の三球三振という高額な支払いをして退店した。
その大きな背中を見送り、安堵を浮かべるのも束の間。
「なんだなんだぁ?揃いも揃って、情けねえ奴らだぜ」
E組の番長、浅間いつきが右打席で悠然と構える。
「まあ、そう言ってやるな。今日の一色は並大抵じゃない」
「なんだてめえ、余裕そうだなあ。よっぽどピッチャーを信頼してんだな?それとも、単なる強がりか?」
正直、他クラスで一番怖いバッターである。
安打数、本塁打数共に学年3位以内に入り、そして打点数では1位に座る__勝負強いバッター。
少しでも気を緩めたら、一気に状況をひっくり返しかねない力を持つ選手。3点のリードなんて、取るに足らないとでも言わんばかりに。
少し前の俺だったら、試合終盤、逆転のピンチで浅間に回ってきたら間違いなく歩かせることだろう。
俺個人に出来ることと言えば、強がることぐらいだ。
「直球だけで押さえ込まれてんじゃねーよ、ってなもんだぜ」
「……じきに、そうも言ってられなくなるよ」
俺は虚勢を張って緊張を抑えながら、一色にサインを出す。
外角低め。
一色が投じたストレートは、しかし俺のミットに収まることなく__浅間のバットと接触し、真後ろに飛んだ。
「ふー…… まあ、認めねーわけにもいかねえな。球速以上のスピードに感じるぜ。正直言って、大したもんだ」
浅間はヘルメットのつばを掴み__俺を睨む。
鋭い眼光。
シベリアンハスキーのような__と冗談を言える空気感では、微塵もなかった。
「けどまさか、この程度でアタシを抑えきれるとは思ってねえよな?」
寒気がした。
4番までの誰もが打ちあぐねた一色のストレートに、初球からタイミングを合わせてくるとは__
「……やるな。さすが浅間だ」
「おいおい、声が震えてんぜ?てめえは臆病なチワワかってんだ」
浅間は好戦的に、マウンドの一色へと睨みを利かす。
その熱い視線に気付いたのか、一色も__闘志に満ちた表情を浮かべる。
「あいつはあんなに勇敢な顔してんだぜ?悪に立ち向かうドーベルマンのようによぉ__いいぜ、最高だ」
一色の投球動作が始まる。
浅間の左足が上がる。
「強え奴ほど、完膚なきまでにぶっ倒したくなるってもんだよなあ!!」
金属バットが高い音を奏で、火を吹くような打球が三塁線を転がる__も、強烈なその当たりは三塁ベースの手前で、ファールゾーンへと飛び出した。
肝が冷えるのを感じる。
俺の本能が、浅間は危険だと叫ぶ。
今のストレートだって、低めに決まる良い球だった。
それを、こうも容易く__
「次はかますぜ?」
主審から新しいボールを受け取り、一色へと投げ渡す。
「……正直、浅間はすごいバッターだ。少し前の俺なら、太刀打ち出来なかったかもしれない」
そう、少し前なら。
今は__違う。
「でも、俺は感じるんだよな」
「あん?」
「マウンドに立つ、一色の気持ちも」
強い投手へ向ける、浅間の闘争心と同じように。
強い打者へ向ける、一色の__
「負けたくないって気持ちもさ」
ズバン、と大きな捕球音が轟く。
彼女の想いがこもった、重厚な音__今日一番のそのストレートに、捕球した左手だけでなく全身まで痺れさせられる。
怯んでなんかいられない。
彼女の気持ちに応えたい。
負けたくない__誰にも。
誰が相手でも。
「オイオイ…… マジかよ」
その日一番のストレートに、浅間はバットを振ることさえ出来なかった。
ミットに収まった球と、雄叫びを上げる一色を見比べ、力なく笑みを浮かべる。
見事な球に、思わず笑ってしまった__という感じだ。
そんな気持ちも、俺には分かる。
分かってしまう。
それほどまでに。
今日の一色は__絶好調だった。




