第四章、その二
「ねえ、夕樹」
「ん?」
「こっち向いて」
「何だいヒナ──むぐっ」
「ん~♡」
「──んぐっむごっ。日向の舌が、唾液が、体温が、私の口腔に~」
「ちゅぱっ」
「ぷはっ!」
「うふ。どうだった?」
「はあはあはあ。日向、いきなり、どうして?」
「何だか夕樹のこと、潮なんかにやるのは、もったいなくなっちゃって」
「ほ、ほんと?」
「ええ」
「このお。そんなこと言ってると、このまま押し倒しちゃうぞ」
「それは無理」
「え?」
「だって、即効性の睡眠薬を使ったからのう」
「──な。だってそれじゃ、君だって」
「我にはそこら辺の市販薬なぞ、効かぬのじゃ」
「……君は、本当に、日向、なのか……」
「おやすみ♡」
──走れ走れ走れ走れ走れ走れ走れ走れ走れ走れ!
「くそっ! 間に合うか⁉」
家に帰ったら月世がいなかった。一応二時間待ったが帰ってはこない。
こんなことは今までなかった。──いや、あってはならないのだ。
「間違いない、今日学園に来ていたのは、あれは日向ではなく『月世』だったんだ!」
急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ!
目指すは、聖レーン学園高等部女子専用第一校舎生徒会資料室、通称『サロン』。
あの『魔女』が、目覚めてしまう前に!
「──月世!」
既に夜も九時過ぎ。校門も校舎も施錠されていたが、一応これでも名門天堂家の誇る護衛のプロ、蛇の道は蛇。難なく女子第一校舎へと忍び込み、サロンの扉を勢いよく開け放ち──
「……何じゃこりゃ」
間違いなく僕は、自分の大切なる少女の危機に際してあたかも『白馬の王子様』みたいに、今や身の毛もよだつ悪の儀式の行われんとする現場に踏み込んだつもりであったが、それが文字通り『何じゃこりゃ』な状態であったわけで。
「意識的に避けてきたけど、一応形式的ぐらいには、巫女の勉強もさせるべきだった……」
仮に教育係だとしたら失格の烙印を押されてもおかしくはない、主を堕落に導く悪魔のごとき折り紙付きの『甘ちゃん守り役』にすら、本気で反省をうながしてしまいそうなこの有様。
三角護摩壇に魔方陣、紅白のしめ縄に(祝ってどうする!)曼荼羅絵図。古今東西の呪法がチャンポンになっており、しかもこの俗っぽさは何ですかと自分の管理責任は棚の上段にあげ、本人に最近の読書傾向なぞを真剣に詰問したくなった今日この頃である。
守衛さん対策か、カーテンでしめ切られ数本の蝋燭の明かりしかない薄暗いサロン内には、現在月世の姿はない。しかたなく(生け贄台と思われる)テーブルの上に寝かせられている、久我山副会長のもとへと歩み寄る。
「副会長起きてください。こんな状況を一人で対応しなければならないなんて、嫌すぎます!」
「う、う~ん」
「無駄じゃ。そやつは薬でぐっすりと眠っておるからな」
声のほうへと振り返れば、なぜか酒屋の包みを抱えた(お神酒か?)月世が、サロンの入口に立っていた。
………………………えーと、本当にその格好で買い物に行かれたのでしょうか?
彼女の身を包んでいるのは女子高生の制服でも、いつものざっくばらんな単いっちょうでもなく、ちゃんと腰から下に緋色の袴を着用した、正式なる『巫女姫仕様』であった。
う〜む、こうして改めて見ると、彼女ご自慢の黒髪と白磁の肌が、紅白の衣装によく映えること。こりゃあ、その筋のマニアからすれば、
「ひ、日向、最高ー‼」
とでも、思わず叫んでもおかしくないぐらい……って、副会長さん⁉ あんた薬で眠らされていたんじゃないのですか?
「いいぞお、よく似合っているよ日向。『巫女さんコスプレ』グレイト! ようやくわかってきたじゃん。やればできる子♡」
いつの間にか生け贄台の上で身を起こして、さかんに月世に向かって熱烈なるエールを送る王子様。ここは熱海の演芸場か。いや実際のところ、コスプレなんかじゃなく本職というか、むしろ普段着扱いなんですけど。
しかし、そんな彼女のハイテンションさとは裏腹に当の巫女姫様のほうは、この頃お気に入りの能面のような無表情で厳かに言い放つ。
「ちがう。我の名は『月世』である」
「あ、そうなの? うん、わかった。よろしくね『月世』ちゃん。それより大丈夫なの? 口調まで変えて、今さら『キャラ替え』なんかしたりして」
「……副会長。もう少し自分の置かれている状況というものを、ちゃんと把握してください」
「何を言っているんだ潮くん。君はいつもこうしたお嬢様のコスプレ姿に慣れ親しんでいるかもしれないけど、数百年来の天堂家門外不出の『遠見の巫女』様のお姿を拝謁できるなんて、一般ピープルである私の立場からすれば、まさに千載一遇の機会なんだよ?」
嘘つけ、ただのキャラ萌えのくせに。あ、こら、デジカメをとりだそうとするんじゃない!
「ならばいっそ好都合というものじゃ。では心置きなく、我が天堂家の秘儀の供物として、その命を捧げてもらおうではないか」
「命を捧げる?」
その物騒な物言いに、さすがの副会長も顔色を変えた。よかった、ようやくまともな展開になってきたぞ。
「……くくっ、くくくくく」
おやあ?
「いい、いい、最高! 巫女さんの格好をして何をやらかしてくれるかと思ったら、期待以上だよ!」
もしもーし。あの、王子様?
「ああ、なんて私は幸運な人間なんだろう。愛する人の手にかかって殺される、こんな理想的で恍惚感に満ちた人生の幕切れなんて他にあるだろうか。やはりこの私が目をつけただけある。日向、いや、月世ちゃん最高! 壊してよかった♡」
この人は、いったいどこまでこうなんだろう。こんなことなら起こさずに、そのまま生け贄になってもらえばよかった。
「ではこれより、天堂家数百年来の秘儀、『遠見の巫女』の復活の儀式を執り行う」
そう言いつつ、襟元から闇色に染め抜かれて鈍く光をはじく、漆塗りの懐刀を取り出す月世。
いかん。馬鹿に気を取られていたら、式のほうは滞りなく進み始めていた。なんてマイペースな司会者なんだ。
抜き去られ床へと落ちる鞘。きらめく白刃。それを手にゆっくりと、自らが選んだ『贖罪の山羊』のほうへと近づいていく巫女姫。
しかし、あの無表情な顔で何だか足元もおぼつかずにとことこと歩いてくるもんだから、まるで人形か赤ん坊って感じがして、どうにも迫力というものに欠けるんだよなあ。
見ろ。副会長のほうもすっかりリラックスして、にやにや笑いながら待ちかまえているし。
「無益な殺生は好かぬが、許してたもれ。これも天堂一族全体のためであり、ひいてはこの日の本の万人のためにもなるのじゃ。おぬしの尊い犠牲はけして無駄にはせぬからの」
振り上げられる、氷の切っ先。
「ふうん。『万民のため』の『尊い犠牲』か。いいねえ。でも、あいにくだが私は自分の美学や愛のためには死ねても、そんなお題目なんか知ったこっちゃないんでね!」
テーブルに突き刺さる懐刀。しかし、そこには既に獲物の姿はなく、三歩ほど離れた横合いで余裕の笑顔でたたずんでいた。
刀を引き抜きながら、あどけなく首をかしげる月世。
「なぜじゃ、なぜよける。我のために死んでくれるのではなかったのか?」
それに対し、いつものオヤジ臭い含み笑いを浮かべる王子様。なんか、いやな予感。
「この安っぽい命をあなたに捧げるのはやぶさかではないけれど、その前に今生の楽しい思い出として、やはりそれなりの『サービス』はしていただかないとね♡」
……結局それか。
「残念じゃが、その期待には応えられぬ。巫女は純潔でなくては、その力を失ってしまうのじゃからな」
「それじゃ交渉決裂ってことで、私はこれにて失礼させてもらおうかな」
「そうはいかん。わが天堂家の秘密をこれほどまでに知られたのじゃ。もはや日の光を見ることはあきらめてもらおう」
そう言いながら、再び刃を振るう巫女姫。しかし、またしても難なくよける王子様。
「はいはい、巫女さん。こっちおいで♡」
はやし立てるように手を叩きながら、サロン中を逃げ回る副会長。
「……」
それを無言&無表情で追い回す、何だかチャイルドなホラー状態の月世。
何か性質の悪い子供の遊びを見ているような気がしてきた。こっちこそもう帰っていいかな。さっきから完全に無視されているし。
そうこうしているうちに、副会長が壁際まで追いつめられ、逃げ場を完全に失ってしまう。
「覚悟しやれ」
「やだよ~ん」
……わざと自分から危機的状況を作り出して、楽しんでいるんじゃないのか、この人。
さっきから見ていると完全に主導権は、可憐な巫女姿の死刑執行人ではなく、ふざけきった生け贄役の少女のほうにあった。
いかにも素人っぽい仕草で無駄に大立ち回りをくり返す月世に対して少しも慌てず、何か武道の心得でもあるのか最小限の動作で無難に避けていく副会長。さすがは王子様。
「あっ」
とうとう月世の足元がもつれ、サービス満点に袴の裾を乱して倒れ込む。
「ほらほらお嬢様、似合わないことをするからだよ♡」
紳士的なさわやかな笑顔で手を差し伸べる王子様。ばかっ、そんな余裕綽々なことしている場合「──じゃないだろっ、避けろ!」
「うわっ!」
すかさず相手の裾を握りしめた月世が、予備動作なしに懐刀を勢いよく一直線に突き出した。
髪の毛数本を犠牲にして辛くも身をのけ反らした副会長は、親友をためらわず足げにして大きく後方へと飛び退く。
「何なんだ、あの運動音痴の日向が。さては音楽の時間と自主交換して三味線弾いていたな!」
……何ですかそのいまだ健在な余裕は。それにさっきのカウンター・パンチをあっさり避けてしまうなんて。あんたいったい何者なんですか。
それにしても鋭いのか鈍いのかわからない人だな。今目の前にいるのが自分の知っている『日向』ではないと、どうしていまだに気がつかないんだ。
見た目だけで甘く思ってもらったら困る。巫女だからといって神通力やお付きの者たちに頼ってばかりで生きているわけではないのだ。最後に頼りになるのはいつだって自分自身の力だけなのである。常に危険がつきまとう身の上だからこそ血のにじむような努力を課され、もはや暗殺術と言っていいほどの最高の護身術をその身にたたき込まれているのだ。
つまり今の彼女の状態は、『水を得た魚』つうか『××××に刃物』?
そしてまるでホラー映画の主役かパンチ・ドランカーのように、ゆらりと立ち上がる月世。
手痛い渾身のキックを受けたというのに、その能面のような表情に何ら起伏するものはなく、改めて懐刀を構え直す。もはやかよわさを演じて相手の油断を誘うのはあきらめたようだ。
次の演目はさしずめ、本気になった『巫女姫の死の舞』であろう。
しかたがない。こちらも少し、『真剣』になるか。
殺気などみじんも感じさせないごく自然な所作で、再び夕樹のほうへとすうっと歩を踏み出す月世。
「副会長、下がってください!」
次の瞬間。二つの光跡が、サロンの薄闇を切り裂いた。
「……何のつもりじゃ」
目と鼻の先で見つめ合う主従。両者のそれ以上の接近は、交叉する無粋な二本の刃によって阻まれていた。
「あなたを見習っているだけですよ。刃物なんてものはただ持っているだけじゃ意味はない。たまには使わないとね。そこでせっかくだから、主御自らのご指導をたまわろうかと思いましてね」
これでも由緒正しき『守り役』の後継者なのだ。物心ついた時から武芸一般に古今東西の武器類の取り扱い方を、しっかりとこの身にたたき込まれているのである。もちろん大型ナイフの一本や二本の携帯など当然だ。しかし、それを当の守るべき主に向けたんじゃ、失格だがな。
「すごい……」
これまでの騒動にはほとんど動ずることもなかった副会長殿の唇から無意識にこぼれ落ちた、ため息のようなつぶやき。
それも当然であった。そのとき彼女の目の前で展開されていたのは、けして派手な激闘などというものではなく、むしろ幽玄なる能の舞いとも呼ぶべきものであったのだ。
おそらく常人の目に映るのは、互いの刃が交錯する一瞬だけであろう。まるで軽業師のように、もっとありていに言えばカリオストロな影の軍団みたいに、サロンという三次元空間内を縦横無尽に、跳ねる、蹴る、避ける、打つ、薙ぐ、飛ぶ、突く、斬りつける、月世様であった。
それは一見基本に忠実な優等生的な剣技に見えて、こちらがほんの少しでも隙を見せようものなら、ためらいもなくまったく予測不可能で卑怯極まりない反則技を弄してくるのであった。
たとえば、彼女の裾がめくり上がった時ついそっちに目を向けたとたん、痛烈なかかと落としをくらったり「──闘いの最中にどこを見ておる、この痴れ者が!」
あ、これは自業自得でした。
そんな主の速攻に次ぐ速攻に対し、一見防戦一方のようだった僕ではあるが、戦況は刻一刻とこちらのほうが有利に押し始める。
当然である。護衛が守るべきご主人様に後れを取るなど言語道断であり、その身に受ける訓練の厳しさも、常に主が受けるものの数段上を行くものを課せられていたのだ。
「くっ」
だんだんと本来の獲物である久我山夕樹嬢から引き離されて行き、眉根を寄せることで初めて感情らしきものをその顔に浮かべる巫女姫。
「なぜじゃ、なぜそれほどまでにその女をかばう。まさか本気で我らを捨てる気ではなかろうな⁉」
「気高き巫女姫の御霊よ、どうか鎮まりたまえ。このままでは今あなたが宿っている、『本来の月世』様の身も心も持ちませぬぞ!」
「ええい、らちもない!」
そう怒鳴りざま、大きく後方へと飛び退き距離をとり、手にしていた懐刀をためらいなく放り捨てる。
「な、月世様?」
そのとき少女が、微笑んだ。
まるで天よりの御使いのように、純真無垢に。
死をつかさどる黄泉の女王のごとく、凄絶に。
「──いかん。副会長、伏せろ!」
世界が、耳鳴りに覆われた。
一拍遅れて、横っ面を張り飛ばすような突風になぎ倒される。
砕け散る窓ガラス。飛びかう無数の書類や文具や調度品。
吹きすさぶ風圧に、顔を上げることすら並々ならぬ努力を要した。
しかしその災禍の中心では、華奢な白い人影が、みじんの揺るぎもなく立ちつくしている。
舞い上がる袴の裾。大蛇のようにその身をくねらす長い黒髪。
再び取り戻した人形みたいな無表情で室内の惨状を睥睨するさまは、さしずめ最後の審判のため生きとし生ける物すべての裁きに訪れた、大天使ガブリエルのようでもあった。
だめだ。彼女が──本物の遠見の巫女が──あの魔女が、ついに目覚めようとしている。
「これは何のイリュージョンなんだ。日向のやつ、いったいどうしたって言うのかね⁉」
いつの間にか這いつくばったままにじり寄ってきていた副会長が、この期におよんでたわけたことをほざきやがった。本当にこの人ときたら。
「何言っているんですか、あなたがやり過ぎたからこうなってしまったんじゃないですか!」
「なんで彼女にあんなことができるんだ? あれは日向なんだろう?」
「今や彼女は『日向』どころか『月世』でもありませんよ。個人的な恋愛感情だか美学だか知りませんが、あなたは今伝説の『最凶の巫女姫』を蘇らせようとしているんですよ!」
「いや、まさかこんなことになるとは。たしかに日向の中に何か天堂家の特別な血が流れていることには気がついていたけど、巫女姫とは言っても、せいぜい数日後の運勢とか天候の善し悪しを占うぐらいのものかと思っていて」
まあ、結局はそういうことだったわけだ。
たしかに彼女は日向の真の理解者であり、その盲目的な愛情から、かなり核心的なところまでつかんでいたことは事実である。
しかし、それはあくまでも野性的な勘のようなものであり、確証となるものは何ら持ち合わせていなかったわけなのだ。実際彼女はいまだに『日向』と『月世』の区別すら、今ひとつ完全にはつかめていないようだしね。
そんな彼女が、天堂家数百年来門外不出の『遠見の巫女姫』の秘密や、この世で僕一人しか知り得ない『たった一つの真実』のことなんて、知りようもなかったわけである。
だが、今はそんなことを、つべこべ考えている場合じゃない。
このまま『巫女』の復活を許してしまえば、今度こそ本当にわが主の身も心も壊れてしまうのだ。
もはや、万事休すか。
しかたない。『この手』だけは、使いたくはなかったのだが。
「潮君、何を⁉」
あっけにとられる副会長を尻目に、腰をかがめて猛ダッシュ。かすり傷と青あざを生みつつも短い障害物レースを駆け抜け、目標の紅き袴めがけて渾身のタックルを決めた。
「主様、ご無礼つかまつる!」
いったん気を落ち着かせるように大きく深呼吸をしたあと、押し倒した少女のか細き肢体に覆いかぶさり、頬を両手ですくい上げ、その花の蕾のような唇を奪い取る。
一瞬、静寂が空間全体を支配した。
みるみる生気を取り戻す、目の前の端整なる顔。やった、成功か⁉
あれ、何だか真っ赤になってきたぞ。元気よすぎ。
「この──」
上半身を起こす少女。
「痴れ者が!」
響き渡る破裂音。火傷のような頬のひりつき。なんともジャストミートな平手打ちであった。
よし、『月世』に戻ったぞ。第一段階終了。
「この、ばかばかばかばか。潮なんか嫌いじゃ。日向でもそこの女でも、勝手に新しい主を選べばいいのじゃ。我はもう知らん!」
少女の激怒に呼応するかのように、再び荒れ狂いはじめる暴風。
「何いきなりセクハラやっているんだ。前より状況が悪化したじゃないか!」
そんな心温まる副会長の声援を背に、少女の身体を自分の胸に押しつぶすように抱え込む。
「はなせ、はなすのじゃ、この大ばか者!」
僕の顔に爪をたてたり、げんこつをお見舞いしながら、身をよじり逃れようともがき続ける巫女姫姿の少女。
そんな彼女を、さらに力のかぎり抱き寄せ、その耳元で叫んだ。
──そう。けして使ってはならない、僕と彼女との、たった一つの『真実の言葉』を。
「もう、やめるんだ、ひなちゃん!」
その瞬間。少女の腕が、脚が、鼓動が、心が、すべて氷結した。
唯一活動を続けていた驚愕を彩った表情筋のうち震える唇が、やっとのことで言葉を紡ぐ。
「……うしお、ちゃん?」
まるで七歳のころに戻ったような、あどけない顔。
「どうして、うしおちゃんが、いるの?」
そしてきょろきょろと不思議そうに、すでに風もやみ床一面に雑多なものが散らばり落ちているサロン内を見回し始める。
「ここはどこ? 今何時? どうして私こんなところにいるの? なぜ私とうしおちゃんがこんな夜中に知らない場所にいるの?」
ぶんぶんと長い髪を振り乱し、心底何が何だかわからないように困惑する少女。それは現在の彼女に比べあまりにもつたない童女の振る舞いとはいえ間違いなく、俗世にまみれず純真無垢な巫女姫様の『月世』ではなく、比較的常識ある良家のお嬢様である『日向』の所作であった。
さすがの副会長殿も呆然とした表情で、僕らと十歩半ほどの距離を空けたままなす術もなくたたずんでいる。しかしその貴重なまぬけ面をおがんでいる暇なぞはない。
目の前にいるのが日頃いかにもクールでお嬢様然としている『日向』のほうだからこそ、その混乱ぶりが異様に際立ってまるで発狂一歩手前にすら見える。──やばい、そろそろ限界か。
唯一の救いを求めるかのように、自分の片割れの名前を叫び始める少女。
「つきよ! つきよはどこ⁉ うしおちゃんは『遠見の巫女』の守り役なんだから、いつだってつきよと一緒にいなくちゃ駄目じゃない‼」
「落ち着くんだ、ひなちゃん!」
「落ち着いてなんていられないわ。私これからピアノの発表会があるのよ。いつまでもつきよの身代わりにろうやの中なんかに入っていられないわ。そうだ、お母様はどこ? お父様はどこなの? うしおちゃん探してきて!」
「もういいんだ。ピアノの発表会のことも。座敷牢のことも。つきちゃんのことも。おじさんやおばさんのことも。もう忘れてしまっていいんだ!」
「いやよ、うしおちゃん、なんでそんないじわるを言うの⁉ 返して、私につきよやお母様たちを返してよ!」
もはやただの幼子のように、僕の腕の中で錯乱し続ける『ひなちゃん』。
でも僕には、その最愛の幼なじみの希望を叶える手段を、何ら持ち合わせていなかった。
だってもうこの世のどこにも、『つきちゃん』も彼女の両親も、存在していないのだから。
──みんなみんな『ひなちゃん』が、殺してしまったのだから。
このたびは愛と狂気の学園ラブコメ『ツンデレお嬢様とヤンデレ巫女様と犬の僕』第四章第二話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
すでにご覧になられたように、今回ラストにおいて驚愕の事実が発覚して、文字通り本編最大の山場──いわゆる『クライマックス』を迎えたわけですが、作品全体の位置的にはけして『終盤』に突入したわけではございません。
それと申しますのも、次回からいよいよすべての人間関係や舞台背景が明らかになる、いわゆる『回想編』が長らく続いていくことになるからであり、もちろんこれまで以上に見せ場やサービスシーンもてんこ盛りとなっておりますので、大いにご期待ください。
とはいえ、生憎この作品は『第六回ネット小説大賞』応募記念新作長編三シリーズ日替わり連続投稿企画の第一弾作品でありますゆえに、次話投稿の前に他の二シリーズ──第二弾の『僕の可愛い娘たち』と第三弾の『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』のそれぞれの最新話の投稿が間に挟まれることになるので、次回『回想編』一発目の第五章第一話の投稿は、三日後の2月24日20時ということになります。
少々間は空きますが、お待ちになられてけしてご損はさせませんので、どうぞご期待ください。
なお、ご閲覧をお忘れにならないように、ブックマーク等の設定をお勧めいたします。
もしくは皆様のご要望が多ければ、この作品単独での『毎日投稿』も考慮いたしますので、そのようなご意見やご感想等がおありでしたら、ふるってお寄せください。
次話の内容のほうにちらっと触れておきますと、「いよいよ今回から『回想編』に突入! これまでとは一変して幼なじみ男女三人によるほのぼのロリロリイベントの数々が続いてきますが、常にどことなく淫靡な雰囲気がちらついてしまうのは、作者の心が穢れているからなのか⁉」──てな感じになっております。
ちなみに明日2月22日20時には、もはやおなじみの『時間SF=ギャルゲ⁉』をキャッチフレーズに掲げる、これぞタイムトラベル物の革命作にしてアンチSF小説の急先鋒、『僕の可愛い娘たち』の第四章第二話を投稿する予定でおりますが、こちらのほうも具体的な内容に少々触れておきますと、「ついに夜這いをかけてくる『未来の娘』を名乗る美少女生徒会長だったが、それによって主人公の思わぬ本心が明らかなってしまって⁉」──といったふうに、いよいよ主人公とヒロインの関係性が激変する、本編最大のターニングポイントを迎えようとしております!
もちろん何よりも肝心な『面白さ』のほうに関しても、本作『ツンデレお嬢様とヤンデレ巫女様と犬の僕』に勝るとも劣らないと自負しておりますので、こちらのほうもどうぞよろしくお願いいたします!