第五章、その五
僕はあれ以来、本家に行くのを避け続けていた。
もちろん、いろいろ気になることはあったが、あそこには『あの瞳』が、僕のことを待ちかまえているのだから。
怒ったように怯えるように、まるで自分に対する『糾弾者』を見つめるような、黒き瞳が。
しかし、筆頭分家の跡取り息子としては、そうも言ってはおられず、僕は例の事故からほぼ二年後の秋、父の名代として久方ぶりに、あの古めかしい屋敷の敷居をまたいだのである。
しかたない。できるだけ早く用事を済ませて、さっさと帰るとするか。
──『彼女』と出会ってしまう、その前に。
長く曲がりくねった迷路のような渡り廊下をもんもんと悩みながら歩いていたまさにその時、僕の胸元に突然何かが勢いよくぶつかってきた。
「潮、潮、来てくれたのじゃな!」
あまりの衝撃に呼吸と心臓が止まりかけ、とっさに怒鳴りつけようと口を開きかけたとたん──
「我のこと、誰だかわかるか?」
上目づかいにこちらを見つめる、二つの黒水晶。
その質問の内容は自らの成長を、久方ぶりに出会った幼なじみに誇っているようでいて、その実その顔に浮かんでいる微笑みは、まるで童女そのもののあどけなさであった。
まさか「──つきちゃん⁉」
それは間違いなく、もはやこの世にはいないはずの少女の名前であった。
しかしその時の僕は、今まで抱いていた過去の確信のすべてを放棄してでも、そう答えざるを得なかった。それほどまでに目の前の光景は、予想外の有様であったのだ。
その少女は、僕の立場を忘れた不遜なタメ口に対し少しも気を悪くすることもなく、破顔一笑満面に笑みをたたえた。
……まるで生まれてからこの方、『人形』のような無表情などしたことのないように。
「うん、そうじゃそうじゃ。我は潮が来るのを、一日千秋の思いで待っていたのじゃぞ!」
そう言って僕の腕を強引にとり、屋敷の奥へと引っ張っていく少女。
あまりの展開に困惑しなすがままの僕にひきかえ、彼女の足取りはあくまでも軽やかなるスキップであった。
──まさにたった今、神に自分の原罪を赦されたばかりの、『咎人』であるかのように。
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それから僕らは彼女──『月世』の部屋で半日以上ずっと一緒にいたわけなのだが、その少女はどこからどう見てもつきちゃん自身であり、『日向』らしさの欠片も見受けられなかった。
もっと幼い時に幾度となく、こっそりとひなちゃんがつきちゃんの真似をしていたことがあったけれど、僕は一度たりとてだまされたことなどなかったのだ。
なのにこれはどうしたことであろうか。やはりあの事故で死んだのは『日向』であり、この目の前の少女は『月世』自身なのであろうか。
いや、そんなことはない。後から確かめたのだが、やはりあの日僕と『日向』が会っている時、他の親子三人は既にピアノの発表会に向かっていたとのことだし、葬儀の場で会った少女は、間違いなく『日向』であったはずだ。
それでも目の前に見えるのは、あくまでも何の濁りもない純真無垢なる瞳と、あどけない童女のような振る舞いをする華奢な身体であり、それはまさにあの幼い巫女姫そのものであった。
──いや。もしかして、これって。
確証は何も無い。ふむ、ここはひとつ試してみるか。
「つきちゃんさあ」
「うん?」
無邪気に楽観的に首をかしげる少女。
「ひなちゃんて、覚えてる?」
轟音が耳をつんざいた。
次の瞬間、猛烈に吹きつけてきた突風に、その身を激しく畳へとたたきつけられる。
舞い上がる数多の書物。家具。単の裾。そして彼女の長い黒髪。
「ひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなたひなた」
表情をまったく失った人形のような唇から紡がれる、呪詛のような声。
「おらぬ、日向なぞおらぬ。そんな女なぞけして存在してはならぬのじゃ! あやつのせいでお父さまもお母さまも死んでしもうた。悪いのはすべて『日向』なのだ。『月世』は──我は、何も悪くないのじゃ!」
「わかった、わかったから、もう止すんだ。『つきちゃん』!」
無防備に突風にあおられ続けるそのか細い身体を庇うように抱きしめて、耳元で言い聞かせるように叫んだ。
「君はつきちゃんだ。間違いない。僕が保証するよ!」
「うしおちゃん?」
ようやく反応を見せる、あどけない瞳。
「僕が君たちのことを見間違えたことが、あったかい?」
「……ない」
「だったら、君は間違いなくつきちゃんだ。そうだろう?」
「そうじゃ、我は『月世』じゃ。『月世』なのじゃ!」
母親に誉められた幼子のように、はしゃぎだす『月世』。
いつの間にか、風は止んでいた。
「──さすがは鏡池の跡取り殿。お見事でした」
そして部屋の入口には、小柄で上品な老婦人がたたずんでいた。
僕はすかさず片膝をつく。
「これはご当主様。本日もご機嫌麗しく」
やばい。元々ここへは父親の命によって、ご当主様のご機嫌伺いをするために来ていたんだっけ。それがあまりにも目の前の少女の豹変ぶりに驚き、すっかり忘れ去っていた。
いったいどんなお仕置きが。やはり古典的に蔵の中でつるし上げ? それとも地下牢で鞭打ち? あ、いや、別に期待しているわけではございませんよ。
「ほほほ。畏まることはないのですよ。今日はこの月世のために来ていただいたのだから」
へ?
「鏡池潮殿。貴殿には我が天堂本家の至宝である『遠見の巫女』たる、この月世の『守り役』となっていただくことを正式に要請いたします」
「なっ……うわっ!」
傍らにいた少女が、突然抱きついてきた。
「うれしい。これで我らはいつでも一緒だな!」
しまった。元々これが、今回僕を本家に呼び寄せた理由だったんだ。
なかなか守り役襲名に応じない僕に、最近情緒不安定で巫女の力を暴走し始めた月世の姿を目の当たりにさせて、とても断れない状況を作るために。
「──うしおちゃん♡うしおちゃん♡うしおちゃん♡うしおちゃん♡うしおちゃん♡うしおちゃん♡うしおちゃん♡うしおちゃん♡うしおちゃん♡うしおちゃん♡」
「……つきちゃんさあ」
『♡マーク』使いすぎ。
「──守り役殿」
「は、はい!」
って、それは僕のことですか?
「これからは仮にも自分の主に対して『ちゃん』づけなど、控えなされたほうがよろしいかと」
それでは、ご主人様が『アグネス』や『レスリー』や『おさむ』な方々の場合は、どうするのでしょうか?
「月世もですよ。たとえ幼なじみでも『守り役』は『守り役』、ちゃんと呼び捨てで呼びなさい」
「うむ、わかった」
僕の背中に回していた腕をほどき、半歩さがってにっこりと微笑む少女。
「これからよろしくな、『潮』!」
その瞬間、僕の背中に電流が走った。昨日までただの幼なじみだった女の子が自分のご主人様となり、呼び捨てにされるこの快感。なんて、本音を述べている場合ではありませんよ。第一今日初めに会った時から既に呼び捨てだったし。ここは断固として断らねば。
「ははー。こちらこそよろしくお願いいたします、月世様」
あれ?
「うむ、よしなに」
あれえ?
いや、根っからの『犬根性』とか、そんなんじゃないですよ。けっして。
このたびは愛と狂気の学園ラブコメ『ツンデレお嬢様とヤンデレ巫女様と犬の僕』第五章第五話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
この作品は『第六回ネット小説大賞』応募記念新作長編三シリーズ日替わり連続投稿企画の第一弾作品でありますゆえに、次話投稿の前に他の二シリーズ──第二弾の『僕の可愛い娘たち』と第三弾の『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』のそれぞれの最新話の投稿が間に挟まれることになるので、次回第五章第六話の投稿は、三日後の3月11日20時ということになります。
少々間は空きますが、お待ちになられてけしてご損はさせませんので、どうぞご期待ください。
なお、ご閲覧をお忘れにならないように、ブックマーク等の設定をお勧めいたします。
もしくは皆様のご要望が多ければ、この作品単独での『毎日投稿』も考慮いたしますので、そのようなご意見やご感想等がおありでしたら、ふるってお寄せください。
次話の内容のほうにちらっと触れておきますと、「──すべての結論として、『実は品行方正なる名家の深窓の御令嬢のメインヒロインは、ただ単に最初から狂っていただけでした♡』というのは、果たしてライトノベルとしていかがなものか?」──といったふうに、もはや読者様の価値観自体を揺さぶりかねない展開となっております⁉
ちなみに明日3月9日20時には、もはやおなじみの『時間SF=ギャルゲ⁉』をキャッチフレーズに掲げる、これぞタイムトラベル物の革命作にしてアンチSF小説の急先鋒、『僕の可愛い娘たち』の第六章第一話を投稿する予定でおりますが、こちらのほうも具体的な内容に少々触れておきますと、「『未来の娘』を自称するヒロインたちのガチの殺し合いに巻き込まれながらも、九死に一生を得た他称『お父さん』の主人公であったが、彼女たちの談合の結果みんなで彼を『共有』することが決定し、オールナイトで子作り──いや、『自分づくり』をすることを迫ってきて⁉」──てな感じで、これまたもはや時間SFでもギャルゲでもなくなってきたりして⁉
とはいえもちろん、何よりも肝心な『面白さ』に関しては、本作『ツンデレお嬢様とヤンデレ巫女様と犬の僕』に勝るとも劣らないと自負しておりますので、こちらのほうもどうぞよろしくお願いいたします!




