とりあえず悪者1
本部の前の遺体収容施設や、殉職者報告掲示板の前では毎日涙を流す人間の列が出来ていた。ホールで宣戦布告を行ったあの日から時間は流れ、カルタ防衛戦を皮切りに多くの命が失われた。幸いといっていいのか俺たち第二分隊には任務が下されることがなく、日々を警邏や機甲メンテナンス、新兵の訓練に費やしていた。軍の進軍は進み、国境からはずいぶんダイラオンの首都よりにある町を陥落させたらしい。ドーランドはいつぞやの不景気が嘘のように町中の工場がフル稼働していて、郊外にある農園は作物が全て売り切れ、近くの商店街は兵士で賑わっていた。首都にいる限りは遺体収容所と殉職者報告掲示板以外で戦争を感じる事はなかった。感じることがないからこそ関係ない人間には余り恐怖もないのかもしれない。
昼の休憩になり、先ほどまで一緒に訓練していたリースと商店街の酒場でも行こうかという話しになっていた時、その文書は届いた。内容は今すぐ第一戦略室に集まるようにという分かりやすいもので、俺とリースは目を合わせてため息をつくと、渋々戦略室へと向かう事にした。
「そろそろ、何か来るとは思ってたけどね。昼食前に集めるなんてシュバルツのおっさんはなかなか意地悪だ」
リースは少々肩を落としながらそういった。彼は食に対してなかなかのこだわりがあるらしくどんな時でもしっかりと食事だけは取っている気がする。戦略室の扉を開けると既に俺とリース以外はそろっていて、シュバルツは無言でこちらを一瞥した。軽く会釈をして椅子に腰を下ろすとシュバルツは話し始める。
「よし、お前ら。任務だ。ブリーフィングを始めるぞ」
部屋の中に張り詰めた空気が流れた。
「今回のお前らに与えられるのは反乱軍の制圧だ。既に軍本隊が制圧済みの町にクィーンライドって街がある。割と大きめな町なんだけどな、そこに占領軍に対するレジスタンスが出来ていて市民が余り協力的ではないらしい。今回はそのレジスタンス本部の発見と殲滅が任務だ」
嫌な予感がした。要するに今回の相手は訓練されて死を覚悟している兵士ではなく、あくまでも一般市民である。武器を持ち、われわれを殺そうとしていたとしても一般市民である。最悪の場合彼らを手に掛けなければならないのだ。そりゃ、普通の部隊にはやらせたくない仕事だろう。最近になってやっと、なぜ俺やエリッサ、それから色々と問題のありそうな人物が集められているのかが分かった。要するに何かあったときは平気で切るつもりでいるのだろう。そんな理由があるからこそ、平気で危ない任務がぽろぽろ回ってくる。
だが、ある程度の任務遂行能力はなくてはならない。だからこそ俺らなのであろう。
「移動は明日の日の出と共に出発して、到着は明朝になると思う。今のうちにしっかり準備をしておけ」
それだけ言うと、加えていたタバコを机でもみ消して床へと投げ捨てる。
「まあ、この部隊の意味もみんな分かってきた頃だと思うけどな……」
初めてシュバルツが人間らしい顔をした気がした。今まで冷徹にただ任務をこなすことだけを要求してきた男もやはり人間であったらしい。
「こんなクソったれな部隊、俺だって引き受けたかなかったぜ。クリス、エリッサ、リース、ローラ、これからもくそったれな任務ばっかり続くけどよ、これも誰かを幸せにしている行為だと思ってがんばろうじゃねぇか」
初めてファーストネームで全員を呼んだ。この男がなにを考え部隊を率いて、なにを考え任務をこなすのかは分からなかったが、ただ俺たちと同じような事を感じていることは間違いない。
「シュバルツ一等、良かったらこれからみんなで飲みに行きませんか?」
思わず言葉が出てしまった。これから胸糞わるい任務をこなしていく上でこんなのもあっていいのかなとふと思ったのだ。
「なぁ、みんなも行こうぜ」
「かまわないよ、そういえば最近みんなで騒いでないかも」
リースは即答で答える。
「行こう、みんなで飲むなんて久しぶりね。クリス」
エリッサはとにかく酒癖が悪いのでそこだけは気をつけなければならない。
「たまには……いいかもね」
初めてローラの笑顔を見たような気がした。シュバルツは右手で少しだけ鼻をこすると、うれしそうににやけた。この男の笑った顔もはじめてみた。割と、可愛らしい顔だったなんていったら、さぞや気持ち悪がられる事だろう。
「おう、お前ら、俺の本気を見せてやろうじゃねぇか。ただし、明日の任務には差し障りない程度に引き上げるぞ」
少しだけ照れるように宙をみて、それから彼は部屋を出て行った。初めて第二分隊全員で商店街を歩いたその時は、口数こそ少なく風も冷たかったが、なぜかとても温かい時間の流れ方だったような気がする。
「私だってね、そりゃ男の子と恋愛とかしたかったけどさ、いつも隣にクリスがいるとそんなこと出来ないわけじゃない!」
エリッサはジョッキに入った液体を飲み干して言い切った。そんな事を俺のせいにされても困る。恋愛がしたいなら俺の事は気にせずやればよかったのに。いつの間に飲んだのか、エリッサの前に木のように重なったジョッキの山。周りの客たちは、エリッサがどのくらいまで飲めるか気になるようでちらほらこちらを見てくる。リースも同じくらい酔っていて(尤も飲んでいる量はエリッサよりも少ない)エリッサにあわせるように話し出す。
「大体わかるよ! 勝手にクリスと付き合ってると思い込まれちゃって、そういう噂が立つともうだれも口説いてくれないんだよね! わかるよ!」
「そうなのよ! 付き合ってもいないのに! 付き合っていたとしてもだよ! 一人くらい口説きにきたって良いじゃないかああ」
リースの話を聞いたエリッサは突然泣き出しながらそんなことを叫ぶ。シュバルツはその様子をみて、大声で笑ってその後店の人間にまた何かを注文していた。
「で、付き合ってたの?」
やや顔を赤くしたローラがジト目で俺を見つめるとそんな事を言ってくる。いつも嫌味を言うときの鋭い言葉付きでも、何かを含んだような顔でもなかった。例えば、それは同期に軽口を叩くようなそんな感じ。
「エリッサは、かわいいが……残念ながら俺のタイプじゃない」
笑いながらローラの肩をたたきながら教えてやる。そういえば、初めて会った日も彼女とこうして触れ合ったような気がする。手を血まみれにしながら。ローラは俺が肩をたたいた事に少し驚いたのか、目を丸くしてこっちを見ると「じゃあ、どんなのがタイプなのよ」と一言だけ悪戯な笑顔をして俺に言った。
「そりゃ……どんなのだろうな……最初はローラの事が嫌いでしょうがなかったけど、もしかしたらお前見たいのが好きなのかもしれない」
あれだけ相性悪いと思っていたローラでさえ何か魅力的に見えてしまうのだからお酒のパワーとは恐ろしいものだ。まぁ、一発殴られるくらい覚悟して言ってみたが、いつもの嫌味も鉄拳も冷たい言葉も飛んでこないので、不思議に思って彼女のほうを向いてみる。なんというか、形容しがたい表情をしたローラがそこにはいた。頬を赤くして、魚が急に言葉を喋ったらきっと俺もこんな顔をする。驚きと歓喜の中間みたいな。そんな顔。
「お、おい」
「あ、う、うん。そう。ごめん、そんな事言われたの初めてだから……その、どういう反応していいか、わからない」
そんな反応されたら俺もどう反応すればいいのかわからない。二人で黙り込んでしまう。
聞こえてくるのは、酒場の喧騒だけでその中で俺達二人は顔を伏せて、ただ、今をどうすればいいのか悩んでいるのだ。客観的にみるとすごく滑稽かもしれない。ふと、周りで第二分隊のメンバーの話し声がしない事に気付いて辺りを見回すと、エリッサを除いた面々がニヤニヤとした顔でこちらを見ていた。俺が回りを見ている事に気付いたのかローラもつられて辺りを見回すと、更に顔を赤くする。エリッサだけはなぜか涙目のきつい目つきでローラを睨みつけていた。
「あ、いや。そういうんじゃなくて。違うの……」
ローラは、しどろもどろで回りに弁明しようとしていたが、どう考えても逆効果だ。
「じゃあ、ローラと俺が付き合う事になるかどうか、みんなで賭けでもしておいてくれよ」
冗談交じりに、みんなに言ってみる。こういう話のごまかし方は軽く、さっくり言った方がいい事を俺は経験的に知っていた。
「付き合わないほうに次のお給料全部!」
みんなが笑いながらその場をごまかす中、一人だけ本気の女――エリッサ・ストラフィールド。
「よし、じゃあ俺は付き合うほうに全部だな」
それに答えるのはシュバルツで、答えながらも顔を緩ませていた。きっと、彼にとっては娘をあやす感覚に近かったのかもしれない。ローラとエリッサを覗いた面々は、ジョッキを空けながら、楽しそうな声で笑っていた。こうして、初めてこの面子で何も考えなくてもよい、楽しい時間をすごした。明日からまた、反吐が出るような任務をこなさなければならない。ただ、どんなに反吐が出るような任務を行う人間でもその中身は、一緒に笑い会える素敵な仲間だということを俺は肝に命じておく。タバコの煙とアルコールの臭いが混ざる店内は、やがて日が落ちてくると共に時間と臭いを明日へと運ぶ。
「いいか、占領軍自体はレジスタンスの存在を黙認している事になっている。つまりは、軍の正式な協力は得られないと思っていい」
移動用機甲を停止させるとシュバルツは俺たちに向かってそう言った。マッチのする音が、黒色の金属に反響するとやがて運転席からタバコの煙が吐き出される。
「俺たち五人でレジスタンスの本拠地を見つけ、五人で壊滅される。そのためには、武装した市民を殲滅させる火力も必要だし、敵の動きを察知する情報力も必要になってくる」
荷台のスペースに身を寄せる俺たち四人は静かに目を合わせて、それから軽く頷いた。
「さて、もうすぐ付く。俺たちは帝国軍でありながら帝国軍ではない。そこを肝に銘じておけ。あと、誰か一人でも欠ければ相当つらいに任務になる。任務達成のためには誰一人欠けることの無い様に……また、うまい酒をみんなで飲もうじゃねぇか」
それだけ言うとシュバルツは照れたように乾いた笑いを漏らした。その様子がなんとなく面白くて、俺とエリッサは目を合わせて笑ってしまう。運転席からなにやら操作盤をいじる音が聞こえて、その後、後方にある搬入口が重い音をたてて開く。
「目的地はここから南へ歩いたところだ。ここからは徒歩で町へ向かう」
それだけ言うと、各自「了解」とつぶやき搬入口から外へと出る。周りには、やせた茶色い大地が更地になっていて、あたりには軍のエンブレムが記載されていない移動用機甲がいくつか置かれていた。乾いた風が辺りの枯れ草の匂いを運んで、それが機械油の臭いと混ざる。おそらく、これから俺たちは鬼にならなければいけない。五人が固まって町へと歩く途中、だれもが言葉を発さない沈黙の中で、不意にシュバルツの声が響く。
「現行で駐屯している部隊は、市民に対して強硬手段はとってないようだ。つまりは、俺たちが多少荒っぽい事をしても問題はない」
要するに荒っぽいことをする、という事だろう。
「チームはそうだな、アイゼンバウムとローランド。俺とリースが組んで、まずは街の中を洗うぞ」
エリッサは一人、自分の名前が出ていない事に疑問の声を上げる。
「私はどうしましょう?」
「ストラフィールドは、一応待機だ。何かあった時に自由に動ける人間がいないと困る」
その解答に納得がいったのか、エリッサは涼しい顔で「了解」と返事を返していた。荒れた大地にやがて街が見える。そこに入れば俺たちは、素敵な人間ではなくなるであろう事は容易に想像することが出来た。町の入り口には大きなアーチが建っていて、そこには町の名前が書いてある。軍服に中型の突撃銃を肩から下げている男達と白色の手袋を身に付ける女たち。その二種類の人間が門近くの詰め所に犇めいていて、俺たちを確認すると、銃を構えた男がこちらに一礼した。シュバルツは無言でその男に軍人手帳を開いてみせる。
「シュバルツ・ウィンダム一等だ。本日からこちらに駐屯して任務に当たる」
「お疲れ様です。作戦本部にて、アダムスミス一等がお待ちです」
全員で軽く敬礼をして門を通る。先頭を歩く汚い身なりの中年は「よりにもよってあいつかよ……」と呟いた後に舌打ちを一回。アダムスミスという人物はシュバルツと何かしらの因縁があるらしい。割れた石畳と根っこが地面に露出して倒れる木。壁が破壊され中身が丸見えな建物。そんな中を俺たちは五人肩を並べ歩く。憐憫の情やら優越感とか、そんなものは一切なかった。例えば、火事になった隣の家を見るとかそんな感覚に近い。最も、エリッサはこの光景に何かを感じたのか、若干目を細めて眉をひそめていた。
「どうして、こんな事になっちゃったのかな」
エリッサは誰に言うでもなく静かにつぶやく。
「まぁ、国に金が無かったのか一番の悪者だな。その原因は俺たちが真面目に働かなかったからだ」
少しだけ、笑いながら冗談めかしてそういうと、「まったくその通りだね」とリースがいつもと同じにやけた顔でそう言った。
「それでも、もっと他の方法がなかったのかな……」
珍しくエリッサが食い下がると、ローラは彼女の事をきつく睨む。
「あなたは、あの大不況の時になんて言ってたのかしらね。あなたみたいな人は結局いつも奇麗事並べるだけなのよ」
帝国軍管理下に置かれる町の人々は、みな敵意をむき出しでこちらを睨んではいたが、軍の手当てを受けているのか顔色は良かった。町の中に少しだけ高くなっている丘があってそこに一軒の建物が見える。おそらくは旧領主邸。その領主邸の前へくると、そこにはリゼル帝国占領軍本部という看板が立てられ、数多の歩哨が門を固め、バリケードが張ってあった。ともかく、今からここでアダムスミスなる人物と会わねばならない。
シュバルツは気が進まないのかなんどか右手で頭を掻くと、やがて面倒くさそうに足を進めた。
「お前ら、絶対切れるなよ」
その言葉に少しだけ身を硬くしたのはおそらく俺だけではないだろう。 整えられた黒の髪に上級仕官用の制服。それから、綺麗に生えそろった口髭、甘いマスクの中年。これがどうやらアダムスミスという男らしい。彼はシュバルツの顔を見た後、嘲笑するように鼻を鳴らすと、その後、エリッサとローラを見て少しだけやらしい笑みを浮かべる。
「久しぶりだな、シュバルツ。随分、めんどくさそうな部隊に付いたものだな」
「いや、お前さんほどじゃねぇよ」
シュバルツが泥水を飲む人間ならばアダムスミスはステージの上に立つ人間なのだろう。
方向性が違うと、人間性も変わるらしい。いや、人間性にあった配属をされるのかもしれない。
「まぁいい。単刀直入に言おう。今回、そちらの任務に対してこちらは一切の人的援助を行わない。施設や備品などは自由に使っていいが、全て第二分隊で任務の遂行に当たってくれ」
「わかった。それで状況はどうなんだ? 多少の情報はつかんでいるのだろ?」
アダムスミスは少しだけ鼻を鳴らすと口ひげを手でしごいてから返答する。
「いや、まったく情報はない。つまり、市民が協力的でない、レジスタンスがあるらしい。こちらでつかんでいるのはその二点だ」
しばらく、目線を合わせる二人に今、何かしらのやり取りがある事は容易にわかった。シュバルツは食い殺すような目つきで睨んでいたし、アダムスミスはニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている。
「そうかい、わかったよ」
シュバルツはそれだけ言うと踵を返し、出入り口へと向かっていった。
俺らもアダムスミスに向かい一礼するとすぐにシュバルツの後を追いかける。
「何でもう少し問い詰めなかったんですか? 絶対何かつかんでますよ」
本部を出たところでつい口に出してしまう。
「私もそう思います。もう少し協力を仰ぐべきではないでしょうか?」
俺の言葉にエリッサが続く。シュバルツはタバコに火をつけると、煙を吐き出しながら口を開いた。
「あいつは、今回の任務が失敗すりゃいいと思ってんだよ。それで、俺らが引き上げた後すぐにレジスタンスを壊滅させる。そういう筋書きだろう」
それだけ言うと、辺りは沈黙に支配され、五人が土をける音だけが響いた。やや小高い丘になっていて、街を一望できる公園があって、シュバルツはそこまで足を進めるとこちらを振り返った。ちょうど日を背負う形でこちらを向くものだから、逆向になってしまって、彼の顔をちゃんと見ることが出来なかった。だからこそ、その時シュバルツがどんな顔をしていたのか分からなかったし、分からない事はこの場合いい事なのかな、とそんな事を考えてしまう。風に乗って、聞こえるシュバルツの声。
「今から大通りを挟んで東側を俺とリース、西側をローランドとアイゼンバウムで回ってもらう。今日はレジスタンスに関する情報が聞けなくてもいい、とにかくプレッシャーを与えるためだけに動け。結果として、非戦闘員が死ぬような事があっても不問とする」
要するに、市民に恐怖を与えろという事なのだろう。それから、行間を読むならば、何人か殺して来いということだろう。無抵抗な人間を。ただ、幸せになりたいと願うだけの一般人を。それが任務を達成するという事に他ならなかったし、任務達成するという事は俺たちの幸福である事は変わりない。それがどういう形であれ。
「了解、ただいまより任務に入ります」
なにか言いたげなエリッサを置いてその場を後にする。振り返り、丘を下る坂下りる中で確かに俺の後ろを付いてくるローラの足音が聞こえた。彼女もまた、なにかに悩んでいるのだろう。割れた石畳で出来たその道を歩く。道の左右に付いた魔力灯は昼なのにも関わらず、俺たちを照らして、少し薄い影を作り出していた。
「とりあえず、やるか」
大通りの西側、やや大きな建物。おそらく戦前は酒場であったのだろう。うっすらと看板のかかっていた名残が有る。その前で俺たち二人は足を止めて、隣にいたローラに一言だけ語りかけたのだ。
「どうするの?」
おそらくは、「殺すの?」という問いとイコール。ただ一言、「わからん」と返して、ドアノブに手をかけた。湿った木の感触。戦争の臭いが鼻をついて、若干顔をしかめてしまう。
ドアノブを回して、木製のドアを押すとかすれたベルの音が鳴って、その空間に誰かが入り込んだことを示していた。戦前であれば、客の来訪を示す幸福の音だったのかもしれない。短髪に無精ひげの体格のいい男が、正面にあるカウンターの向こう側に立っていて、小さな子供をつれた婦人が四人がけのテーブルに座っていた。二階は宿になっていたのだろうか? 客室のようなものがあり、そこにもやはり人の気配がする。店内に入ってきたのがリゼルの制服来た人間だと分かると、カウンターの奥に立っている男はあからさまに嫌な顔をして、それからこちらのほうに歩み寄ってきた。客席にいる、子供と婦人は身を揺らす。身を揺らした原因は他でもない俺たちにあると、だれが見てもおそらくわかる。そんな震え方だった。
「生憎、今、店がこんなになっちまってお出しするものがないんですわ」
憎悪とも、怒りとも取れる表情で男は睨みつける。
「いや、結構。くつろぎに来たわけじゃないんだ。この街にレジスタンスがあるって聞いてな。なにか知らないか?」
静まる店内。二階で誰かが咳き込む声がした。俺はローラのほうを見つめて軽く合図すると、彼女は表情なく二階へと向かう。
「何勝手に上がろうとしてんだ」
男はローブ越しにローラの手をつかむと、二階へは行かせまいと力を込める。彼女はつかまれていない左手をローブから出すと、その男に向けて軽く詠唱する。聞きなれた声で。たった一言だけ。ローラの左手からはどす黒く赤い、炎の槍が飛び出してきて、それが男の右肩に突き刺さる。右肩から、確かに血が噴出している事をローラは確認すると、つかまれている右手を振り払うように動かした。例えば、枯葉が木からこぼれ落ちるように、男のつかんでいた手もだらしなく宙へとぶら下がる。ローラはまた無表情でなにを言うでもなく二階へと上がる。今は、彼女の『善意』を信じるほかない。なにが善意であるのかは、きっと後でわかるだろう。軽くうめき声を上げながら、右肩を抑えて床に這い蹲る男を見下ろしてまた同じ問いをする。無表情に。インプットされた台詞吐き出す、ただそれだけの機械のように。
「この街にレジスタンスがあるって聞いたんだ。何か知らないか?」
「しるか、知っていたとしてもだれがお前に教えるか」
「へぇ」
厚い皮で出来たブーツで男の右肩を蹴り上げると、飛び散った血潮は俺のゲートルに少しだけかかった。またうめくような声が店内に響く。何気なしに、客席に座った婦人を見ると、彼女は子供庇いながら泣きそうな目でこちらを見る。懇願するときというのはこういう目になるのかと、少し胸が痛んだ。
「子供と奥さんどっちがいいですか?」
ガンホルダーから拳銃を取り出して、彼女の方向へ向ける。向けられた女は、大粒の涙をこぼしながら口元に力をいれて、それから、目を閉じる。
「ほ、本当にしらないんだ! 勘違いされるような言い方をしたのは謝る! 本当にしらないんだ!」
「その言葉を信じる術を俺は持ってないよ。二人殺しても言わなかったらやっぱり知らなかったんだとしか言いようがない」
躊躇する。やっぱり、俺自身こんな事はしたくないと心から思っている。出来るならば、この親父とも笑いあって酒が飲みたい。少なくとも、戦争が始まる前はきっとそんな未来もあったはずだ。どうして、こんな悲しい現在しかつかみ取れなかったのだろうか。悲しい現在を手にいれると、毎回こんな事を思ってしまうが、幸せな現在になったとしても、きっとどこかの誰かは悲しい現在なのだろう。我ながら哲学的である。
「俺だって、殺したくない。だから教えてくれ」
おっさんの目を深く、鋭く見つめる。彼の目は既に怯えている時のそれで、心の中で「うそでもいいからなんか言え!」と叫んでしまう。願わくは、伝わってほしい。そういう希望的観測というのは大抵ないがしろにされるもので、親父は「知らない、本当に知らないんだ、勘弁してくれ」と力なくつぶやくだけだった。銃の照準を婦人に合わせて、ゆっくりと引き金を引く。慣れた反動が手くびに返ってきて、乾いた音が店内に響いた。幾度となく撃ってきた銃。それでも、こちらに敵意のない人間に向けて発砲するのは初めてだ。
なんともいい難い嫌な感覚が込みあがってくる。子供はとうとう、我慢できなくなくなったのか大声で泣き出し、主人は顔を伏せて声にならない声を上げた。
「言う気になった?」
「もういい、全員……殺してくれ」
主人は全員殺せという。顔を上げず、婦人の方も見ないで。実際、ここで殺してしまったら、人の感情は恐怖ではなく怨恨に変わってしまうだろう。だからこそ、俺は婦人に向けて引き金は引いたが殺しはしない。いつかやったように婦人の耳元に銃弾をかすめて失神させただけなのだ。やはり、これが俺の限界で、俺の善意らしい。後は、彼女の善意にも期待をして声を上げるほかない。
「ローラ、戻るよ。撤収だ」
自分の声は木製の部屋を満たして、二階へ届く。ローラは最初に会ったときみたいに驚くほど冷たい表情でゆっくりとこちらへ降りてくる。木製の手すりに手をかける彼女のそれは、見てるこちらが凍り付く様に美しかった。なんと言うか、妖艶だ。その冷たい表情のまま、俺が先ほど失神させた婦人のほうを見ると、またこちらを向いて優しく微笑んでくれる。正直、彼女のこの時の笑顔で俺はどれだけ救われたことか。
「帰るよ、ローラ」
「了解、クリス」
なんとも、その一言で俺は彼女の善意を読み取る事ができる。おそらく彼女は殺していない。何も言わずに、木製のフロアに伏せっている男に目もくれず俺たちはそのフロアを後にした。正直、何のためにこんなことをしているのかたまに見失いそうになる。
その後も、二、三回同じような事をして、やや最悪な気分になりながらも、そろそろ作戦本部へ帰ろうかという話をしている時、妙な気配に気付いてしまう。これだけやれば、彼らが早々に動くことは予想できた事ではあるが、よもやこんなに早く動くとは想定していなかった。いま俺たちの後ろ誰かがつけている。俺は隣のローラに語りかけた。
「それで、気付いているか? 何かに付けられているわけだけど」
俺たちをつける人の気配を確かに感じていた。その事をローラに確認する。
「え? そうなの?」
どうやら、ローラはまったく気が付いていないらしい。
「おう、多分二……三かな。武装してると思う。一人でも余裕?」
ローラとの距離を縮め更に小声で話しかける。
「楽勝」
ローラは上目遣いでウィンクすると、そう言った。
「まぁ、でも二人のほうが仕事も速く終わるってもんだ。お前の本気も見てみたかったしな」
初めて会ったときのような嫌味ではなく純粋に言ってみると、彼女もその雰囲気を察してくれたのか照れたように笑っていた。彼女に向かって軽くウィンクするとローラは顔を赤くして「ばか」と一言つぶやく。何かを合図するように目を合わせてお互い深く頷くと、俺は腰のガンホルダーから拳銃を取り出しそのまま敵がいるであろう方向に三発射撃する。
高い音が辺りに反響して、草むらから突撃銃を構えた二人の男が飛び出してきた。ローラはそれを確認したのか、左手で火球を飛ばしながら体勢を低くして右手を地面に付ける。
彼女が火球を飛ばすたびに一言の詠唱が聞こえてくるが厳密になんと言っているかは聞き取ることが出来ない。敵の二人組みは火球と俺の放つ弾丸をかわす事に必死なのか、忙しく動きながらたまに検討違いな方向へ銃を乱射しているだけ。ローラは体勢を低くしたまま、右手を地面につけ、俺のほうを見ると悪戯に笑って、また敵を捕捉する。
何か、派手な事でも見せてくれるらしい。彼女の薄い唇が動く。しゃがんでいることで黒いマントの下から、タイトなミニスカートを履いているのが見えて、露わになる太ももに目がいってしまった。この最低な場所で彼女は何か目を離せない魅力があったし、俺自身彼女に嫌な感じを覚えなくなっていた。むしろ、惹かれている。戦闘中になにを思っているんだという話だが、戦闘中こそ、そういうことは思い浮かぶものなのだ。彼女の唇が動く、その小さな薄い唇から音が漏れた。彼女の地面に付けた右手が緑色に光ると、大地は大きく揺れて轟音で辺りを震わせる。ローラの右手の緑色がいっそう強く、眩いくらい光ると、忙しく動いていた敵兵の足元から尖った岩が隆起した。例えば、静かな渓谷からせり出している岩壁の様な、そんな大きさの岩が二人の足元へ隆起したのだ。それも結構な速度で。鋭く、それから一瞬で敵兵二人を飲み込み、自らの岩肌にたたきつけたのだ。
「本気でやったから、生きているかどうか危ういかも」
例えば、昨日の夕飯がなんだったか思い出すように、そんな様子でローラは言った。こちらに戦意を持たない相手には、優しさを見せても、こちらを食おうとしている人間には容赦しない。優しさと残酷さを兼ね備えた女にふさわしい対応である。彼らの安否を確認しようと二人で隆起した岩に歩み寄る途中、視界の端に何かが写った。
それはおそらく、彼らの仲間の魔術兵で、まだ少女だ。その少女は怯えた様子で詠唱していたが、こちらを見ると驚いたように目を見開く。それは、一緒にいたはずの男たちをもう倒してしまった彼女への恐怖なのか、岩壁に打ちのめされた仲間の姿をみたからなのか。大事なことは彼女は息を飲むほどに驚いていたということだ。
ともかく、俺はその少女を睨みつけると距離を詰める。認識してはいけない事というのがこの世には沢山有る。認識して行う罪は自分にとって重すぎるが、認識せずに行った罪は後からどう思おうと罪を達成すること自体は容易だ。例えばそれが肉親だと分かっていて殺す事は難しいが、それが肉親であっても肉親であると分からなければ殺す事は容易なのだ。その少女は、涙目になりながら詠唱を続ける。なんの魔術だか知らないが、詠唱が長いだけに放たせてしまうと問題がある気がしたのだ。手に持っている拳銃を少女に向けて引き金を引いた。慣れた反動が手に伝達されて銃口は少しだけ上を向くと、それを修正してもう一発。引き金を引く事になんの躊躇もない。銃口からでた火炎を帯びた金属は、彼女の腿に命中して少女は顔をゆがめる。苦痛に歪められたその顔が胸に痛い。それでも、詠唱をやめることはなく、痛みに顔を歪めながらも魔術の言葉をつむぎ続ける。少女は俺が躊躇なく引き金を引いた事にも、反れる事無く弾丸が命中した事もショックに違いない。足を狙ったのは俺の善意。だと思う。俺を追っかけてくるローラと苦痛に顔を歪めながらも今まさに詠唱を終わらせようとする少女。全てがスローモーションのように時間が流れ、永遠とも一瞬とも取れる時の終わりは、まばゆい白の光だった。ともかく、少女との距離を詰めようとする俺の視界は真っ白になり、それ以上走る事は出来なくなった。おそらくは少女が詠唱を終わらせたのだろう。なんともクソったれな出来事だ。白の光の中で全身の感覚は失われ、自分がいまどちらを向いているのか、どちらが頭上なのかも分からない。
ともかく、そんな光の中で俺を呼ぶローラの声が聞こえたような気がしたので、声を返す。
彼女の名前を叫んでいた。なにが起こったのかまったくわからない白の中。とにかく、宙に浮いているような感覚で、それが気持ちよくて少し幸せな気分になる。朝起きたばかりのベッドの中といえば伝わりやすいだろうか。全身の熱が一気に冷めていくような感覚があり、ふわふわとした白の世界から急速に現実に戻される。体が重い。そこは、先ほどまでいた丘ではなく、汚く暗い場所。周りは土で出来ていて、床は金属。それから正面には目の細かい金属の鉄格子。それは魔術をかけられているのか不思議な色に発光していた。おそらくは地下牢。
辺りに大きな音が響くと、また眩い白の光が室内を照らし、やがてその光の中からローラの姿が見える。彼女もなにがあったか分からずにしばらく混乱したような表情をしていたが、俺の姿と自分のいる場所を確認すると何かを納得するように頷いていた。
「やられた……転送魔術ね。使える人がいるとは思わなかった」
ローラは目を伏せて呟く様に言った。静寂の音が耳を支配すると、改めて捕まってしまったことを実感した。ならばやることはいくつかあるはずだ。まずは、この場所が本当に脱出不可能な場所であるかどうかを確かめなければならない。
「ローラ、この鉄格子力技でやぶれないか?」
「やってみる……というかなんの魔術だろ?」
それだけ言うと彼女は鉄格子に軽く手を触れて小さく一言詠唱した。
鉄格子を触れていない右手で彼女は顎を触ると「ふんふん」と少しだけかわいらしい声を出す。
「案の定だけど、魔力無効化の魔術ね。おそらくこの扉に魔術は効かない。もっと物理的な……例えばさっき見せた土を隆起させるだとか、そういうのだったら通じると思うけど」
「じゃあそれで壊せない?」
「馬鹿ね、生き埋めになるわよ」
少しだけ考えてから、俺はまた口を開く。
「じゃあ、その魔力無効化の魔術を解除する事は?」
「解呪は一応出来るけど、この呪いを掛けた人のほうが上手ね。残念ながら、呪いとかそういう類は苦手なの」
ローラは決して自分の能力が低くないとでも言うように、得意ではないと付け加えていた。こんな所でも、優秀でなければならないとは彼女は大変だなと少し同情してしまう。鉄格子についている、扉の前に立つ。開錠できるならしめたものだ。扉の鍵部分を覗き込み、ジャケットの下に来ている器具ホルダーから開錠用の器具を取り出すと、作業に入る。
細長い金属の棒を鍵穴に突っ込み、その棒を通して伝わってくる感触を手がかりに鍵の仕組みを把握していく。軽く鼻歌を歌いながら作業をすると、ローラは少し嫌な目つきでこちらを睨んだ。
「ちょっと、真面目やってよ」
「ばか、まじめにやってるよ。鼻歌でも歌わないと調子が出ないんだって。ほら、お前もなんの曲か当ててみろよ」
隣からため息をつくような音が漏れると、彼女はあきれたように苦笑した。
「だめだなこりゃ。とにかく複雑な鍵使ってるわ。開錠するよりぶっ壊したほうが早いな。最も、ぶっ壊す道具なんかないけど」
それからはしばらく無言だったような気がする。おそらくはレジスタンスの牢である事は理解できたが、ここが具体的にどこかは分からなかったし、これからどうするのか、どうされるのかも検討が付かない。どのくらいの時間無言でいただろうか、ローラは最初こそ色々な魔術を試していたがことごとく失敗に終わり、やがて壁際に腰を下ろした。俺は俺で鉄格子から少しだけ見える牢の外の状況をつかもうと必死だ。不意に人の気配がする。鉄格子の向こう側の廊下を人の歩く音。足音からそれが二名であることが分かった。
「どうやら、俺たちの処遇が決まるらしいぜ」
「もし、扉を開けるような事があれば開いた瞬間に殺すわ」
彼女は自然に言い切った。おそらく武装していたとしても、ローラがいればここから無事に出ることは火を起こすより簡単だと思う。それこそ武装機甲やかなり腕の立つ術者とか不意を付いて暗殺できるスカウトだとかがいれば難しいかもしれないが、相手は武装していても一般市民なので、そんなものは用意できない……と思う。用意できたらバンザイして俺たちが死ぬしかない。薄暗い廊下、目を凝らしてみてみると、一人の少女とかなり厳つい中年がこちらに向かってくる所。徐々に、顔が鮮明になってくると、少女のほうは先ほど俺たちを転送魔術でここに転送させた少女に間違いがなかった。中年のほうは見たこともないが、商店街で酒場をやってそうな、強面なのにどこか優しさをにじませた、そんな男。
「いよう、転送魔術使いだったとはね。かなり意表をつかれたよ」
鉄格子を挟んで少女を見つめそういってやる。少女の太股には包帯が巻かれ血が滲んでいる。それは、俺が確かに傷つける意思を持って打ち抜いた太股だ。ローラは中年と少女がこちらに来るのを確認すると、腰をあげて外にいる二人を睨みつけた。睨みつけていたのだが、二人の顔を確認すると少し困った顔してすぐに俺の顔を覗き込む。
「かわいい女の子と優しそうなおっさんだが敵は敵だな。はじめましてとか言った方がいいか?」
だれに言うでもなくそう呟くと俺の声は地下牢の壁に当たってはじけた。ローラが少し寂しいような痛ましいような顔でこちらを見ると、強く俺のことを見つめて「そうね」と一言俺に向けた。外にいる少女は悔しそうに唇をかみ締めると一瞬さびしい目をした後に、噛み付くような目でこちらを睨む。
「なぁに、別にとっ捕まえたからって何もしないよ。俺の家族やこの少女の家族はお前たちの仲間に殺された。だから、殺せるものならば俺の手で殺してやりたいが、生憎こちらもそれほど馬鹿じゃない。プロと殺し合いして勝てるとも思ってないんでね」
優しそうなおっさんは穏やかにそう言い放つ。
「そりゃそうだ。そこの扉を開けたら、その瞬間二人とも殺すよ」
願わくは届いてほしい。これが俺の最後の優しさで送るメッセージだ。
「そうだろう、だから俺たちは大金をつかってどんなプロでも出ることの出来ないような牢を作ったわけだ。鍵は海を越えた先の機械大国。かけた魔術は相当高い金を払って呪術専門の高位魔術師を呼んだんだ」
辺りに乾いた笑い声が響いて、その中年は先を続けた。
「だから、俺たちは何もしない。本当に『なにもしない』。それで日々お前たちが衰弱していくのを見るのがせめてもの復讐だ」
「いい趣味してるのね。今すぐにでも殺してあげたいわ」
隣に立っている赤毛の女は、牢の外へむかって噛み付いた。
どこからか、空気の流れる音がした。銀色に薄い光を宿す鉄格子。黒色の金属で出来た床。
むき出しの土をさらけ出す壁。全ての要素はこの部屋を牢獄にして、そして墓場にする気らしい。
「まぁ、またくるよ。いつ頃から弱音を吐き出すか楽しみだ」
それだけ言って中年はきびすを返してもと来た道を引き返した。一緒に来ていた少女もそれに付いて歩いていったが帰る途中に一度だけ振り返って今にも泣き出しそうな顔でこちらを見た。それはまるで、何かを懇願するような。そんな顔。それがなにを意味するのかは分からない。ともかく俺たちはここから脱出する方法を考えなくてはいけないらしい。
まぁ頼りになるとしたらエリッサだけだろう。今はただ彼女から文書が来るのを待つ事にしよう。