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死兵の開拓民と幸福の天秤  作者: 木田一二三
1/7

国境1

 国境の町は寒い。首都に比べて山一個分くらいは高さが違う。おまけに空気が綺麗だから冷たい風が吹く。どのくらいの寒さか分かりやすく例えるならば、流した涙が零れ落ちる前に凍りつくくらいだ。まあ、試したことはないので本当にそんな風になるかどうかは検証しないでいただきたい。

 ともかく、そんな寒い国境の町に飛ばされて新兵が半人前になるくらいの期間は過ぎたわけだ。今は丁度山の中にある小さな森で、まだ少女の顔つきをした彼女に拳銃を向けている。

 皮でできたゲートルの冷ややかな感触を太ももで受けながらファーの付いたジャケットを空いた手で直す。銃を向けている少女は、警戒したり、はたまた恐怖で眉毛をハの字にする事もなく、ただ、こちらを表情なく見ているだけだ。だからそんな彼女に銃を向けながら優しく微笑んでやる。


「君、隣国からきたよね」


俺が少女に向けてそう声をかけると彼女は少し驚いたような、怯えたような表情をして小さくかぶりを振った。


「どちらにせよここは寒い。よかったら駐屯所でお話したいわけだ。超人の俺でもいつまでも君とにらめっこしてたら腹をすかしたジャッカルに食い殺されるかもしれない」


 言葉と一緒に白い息が宙をただよって、それからすぐに暗闇に混じって消えた。最高に、最低な環境だ。彼女はくすんだ赤い色をした魔術師用のローブを羽織っていて、少しだけカールした長い茶髪を震わせていた。小さな口もかちかちと震わせていて、それが寒さによるものなのか恐怖によるものなのかは分からなかった。


「じゃ、ほら立って。大丈夫だって、とって食おうってわけじゃないんだ」


腰につけたガンホルダーに拳銃をしまうと少しだけ金属のこすれた音がした。彼女は、拳銃を下ろしたのを確認すると意を決したように首を大きく縦に振り、振り返り走り出す。魔術師用のローブの胸元を左手で押さえている仕草が妙に可愛らしくて、少しだけ顔がにやけてしまったのは内緒だ。ともかく、今はそんなことをしている場合ではない。あんな小さな女の子でも密入国は密入国に代わりがないのだ。

 舐めるようにガンホルダーから拳銃を抜くと、その軌跡は予定されていたルートをなぞる様に静かな弧を描く。そして、彼女の足元へ拳銃を放つと、その反動の重さが手首に伝わり銃口は少しだけ上を向いた。そして、おまけの様に、乾いた高い音が森の闇に吸収される。

 一連の流れはまるで水鳥が水面を飛び立つようだ。ということを自分で思っているのだから俺のナルシストっぷりもなかなか磨きがかかったと思う。

 彼女が小さな悲鳴をあげて転倒すると、もしかして足に当たってしまったのかと少しだけ心配になってしまう。どんなに練習していても、俺が銃を得意としていても当たる時は当たる。銃というのはそういうものだし、当てる為にあるのだから当てて焦るというのは変な話だ。


「頼む、俺も君を撃ちたくはないんだ。悪いようにはしない。これは約束するよ」


 警戒されないように出来るだけ柔らかい表情を浮かべて彼女に問いかけると、少女は土の付いた顔をこちらに向けて、観念したように眼を伏せた。銃をしまい、彼女と手を繋ぎながら街へと向かう。ローブから少しだけ出ている冷たい手は、俺の気持ちを少しだけ暖かくしてくれたように思う。



「おかえりー、遅かったね。なにか……」


 駐屯所に入ると同期で入隊したエリッサが、こちらを向くことなく話かけてきたが、話の途中でこちらを目視すると言葉を詰まらせていた。顔に土をつけて乱れたローブを抑える少女とリゼル帝国国境警備隊四隊所属、クリストファー・ローランド。つまり、俺とさっきの少女。しかも手まで繋いでいる。

 エリッサと山で拾った少女の目が合うと、山で拾った少女は恥ずかしそうに目を伏せた。山で拾った少女というとなんだか狼少女みたいだ。確かに彼女は、少しだけ野生の狼のような目をしていたので丁度良いかもしれない。

 口を大きく開けて、寝ている最中に水を掛けられたジャッカルみたいな目をしたエリッサは、やがてその表情を少しずつ怒りに変えていく。


「あ、あ、あ、あ」


「アウト?」


彼女の意味の分からないどもりに俺が返してやると、彼女は少しだけ黙って身を震わせた。これは多分寒いからじゃなくて怒っているからだと頭の足りない俺でも理解するのは容易い。


「アウト! あんたは何やってんのよ! 今すぐ拾った場所に返してきなさい!」

「そんなお前、猫じゃないんだぞ! 彼女は人間だ! 狼っぽいけど人間だ!」

「みりゃ分かるわよ! だから問題だっていってんでしょうが! この畜生! 鬼! 色魔! いくら、飢えてるからってそんな少女に手だすなんて馬鹿じゃないの!」


 どうやら、エリッサは俺がこの少女になにかしたと思っているらしい。とんだ誤解だ。

このやり取りが可笑しかったのか、狼少女は笑いをこらえている。笑ってはいけない状況だと思っているのかもしれない。


「確かに、この子はかわいいがさすがに幼さの残る少女を口説く勇気はないな」


ともかく、いつまでもこんな事をしていても話にならない。


「ほら、ダイラオンとの国境で拾ってきたんだよ。こんな夜中にクソ寒いなか山越えだぜ?」


 そういうと、エリッサの顔が真剣になる。仕事をする女の顔だ。こんな事口が割けて言えないが、魔術兵用の制服を見事に着こなした金髪の女に真剣な顔で見つめられればさすがの俺でもドキリとしてしまう。


「山越え? この季節に一人で……そんなのは無理よ」


 エリッサは心底不思議そうな顔をして腕を組んだ。それから何かを考えるように宙を見る。握っている手から、この少女が恐らく震えているだろうという事が分かった。先ほどよりも暖かくなった彼女の手に答えるように俺は強く握り返してやる。それから、彼女のほうを向いてウィンク。少女は少しだけ顔を赤くしてそっぽを向いた。


「ともかく、ちょっとお話聞かせてくれるかな?」


エリッサは優しい声をだして俺の隣で顔を赤くしている少女に問いかける。

俺と彼女の最初の夜が始まった。何とかリゼルの首都に送られることなく本国へ強制送還としてやりたい所だ。


「まあいいや、尋問しますか。記録と通信はエリッサにまかせるよ」


そう言うと、俺は彼女を真ん中にある小さな四人がけのテーブルに座るように促す。彼女が座ったのを確認して俺はその正面に腰を下ろした。

 風の音が窓を叩いて音を鳴らす。部屋の暖炉で燃えている木は、弾けながら部屋に暖を提供していた。茶髪のカールした髪。土の付いた顔。くすんだ赤の魔術師用のローブ。彼女がまだ少し怯えているのが分かった。俺は腰から魔銃の納まっているガンホルダーと短剣の納まっている鞘をはずしてエリッサのほうへと投げる。


「ほら、俺に武器はないよ。それにさっきも言ったけど君に悲しい思いをさせる気はない。だからそんなに怯えないで」


 エリッサは武器を受け取るとそれを静かに横に置いた。それから後は言葉を発する事無く、静かにペンを手に取り記録簿をつけているようだ。


「わかった、君の為に暖かいお茶を入れよう。サブラブティーとホットミルクだったらどっちがいい? おなかが減っているなら昼食の残りだけどシチューもあるからそれを出そう」


少女は上目遣いで睨むようにこちらの方を見る。俺が少しだけ笑ってやると、彼女は困ったように顔をそらして始めての言葉をつぶやいた。


「サブラブティー……お腹も減った」


 小さな動物が鳴くように腹がなる音がした。すごいタイミングで鳴ったものだ。少しだけ大人ぶりたい歳の少女にこれは少し恥ずかしいのだろう、赤い顔を更に赤くして彼女は俯いてしまう。


「ちょっと待っててな。すぐに用意するから」


そう言って、ご機嫌に鼻歌を歌いながらキッチンへと向かう。シチューの入っている鍋を、三つある火力炉の一つに置いてやり火力炉のスイッチを入れる。それから、瓶に入ったミルクを冷力庫から取り出すとそれも鍋に入れて火力炉に置く。

 サブラブティーはもともと隣国ダイラオンの飲み物で、ミルクを温めてその中に大量の砂糖を入れてその液体でハーブを煮出すという歯の溶けそうな飲み物だ。これが結構うまい。

 そんなわけで、そのサブラブティーとシチューを用意して、俺はテーブルに戻った。少女は猫の置物みたいに静かにそこに座っていて、エリッサは普段どおりに記録簿をつけている。


「まあ、話は食べてからだな。どうぞ召し上がれ」


そういうと、先ほどまでの警戒はどこへ行ったのか明るい顔で「ありがとう」と言って、最初は遠慮しながら、それでも徐々にがつがつとシチューを食べ始めた。鍋に半分残っていたシチューが彼女のおかわりでまさか底を付くとは思っていなかった。さすがに俺の誤算だ。

 少女は満足げな顔でサブラブティーを啜ると目を閉じて息を漏らす。その顔はどう見ても普通の十五、六歳で、なぜこんな少女が一人で山を越えてきたのか不思議に思ってしまう。

 というか、これは自信を持っていえるが、こんな少女が一人で山を越えるのは不可能だ。だから、彼女は何か隠し事があるに違いない。


「さ、まずは名前を聞かせてくれよ。ちなみに俺はクリストファー。みんなはクリスって呼んでいる」

「私はメルティーサ。メルって呼んでもいいよ。クリス」


彼女は少しだけはにかむ。どうやら、俺は彼女の中で害を与える人間ではないと判断されたらしい。


「よし、メル。じゃあまず最初の質問をしていいかな?」


これから尋問が始まると思ったのかメルは少しだけ怯えた表情をした。やはり、相手がだれであろうと問い詰められるというのは嫌なのだろう。俺が逆の立場であったら唾の一つでも吐きかけていたかもしれない。


「メル。君はリゼルの人間じゃないね?」


少し間を空けてメルは小さく頷いた。暖炉から木が弾ける音がする。彼女は困ったように口を噤んでいる。本当に話してもいいのかまだ少し迷っているのかも知れない。


「よし、こうしよう。俺はメルの事は何も知らない。だから自己紹介をしてくれよ。名前と出身地、それから好きな食べ物と得意な教科。あとボーイフレンドがいるのかどうかも教えてくれ」


彼女はまだ複雑な表情をしていたので「なにか有ったら俺が助けてやるから」と付け加えておいた。

少しだけため息の漏れる音がして彼女は話し出す。


「メルティーサ・クロス。ダイラオン王国のクィーンライドって言う町の出身。

好きな食べ物はホロ芋の煮付け。得意な教科は……なんだろ攻撃魔術かな」


 それだけ言うとまた間が有って風が窓を叩く音が室内に木霊する。

 メルは汚れた手で目をこすった。俺が無言で手元にあった布巾で顔についた土と今こすった眼を拭いてやる。彼女は小さく口をあけて呆気にとられたような顔をしていたが、すぐに顔を赤くしてまた下を向いてしまう。


「それで、俺にとって大事な事は? そんな話よりもボーイフレンドがいるかどうかのほうが重要なんだ」


背中に物が当たるような感覚と鈍い痛みが走り後ろを振り返ると、冷たい眼をして記録簿をつけるエリッサと床に転がる木製の小さな置物が確認できた。エリッサはおそらく本気で投げたに違いない。エリッサに向かって軽く苦笑すると鬼のような形相で睨まれた。そんなやり取りをしていると正面から「いない……」と小さく声が漏れる。声に反応して、メルのほうに向き直ると、顔を赤くしてうつむいた少女はもう一度「ボーイフレンドはいない……」と小さく声を漏らす。


「そうか、それはよかった。もしボーイフレンドがいたら今からそいつの家に行って魔銃をぶっぱなす所だったよ」


メルと俺は目を合わせてお互い小さく笑う。尋問とは思えないほど優しい時間の流れ方だなと思った。それから、少しだけ雑談を続けて尋問の一番重要な部分を聞きだす事にする。


「なぁ、何でリゼルに来ようと思ったんだ? くるにしても正規の手段で来ればなんの問題もなかっただろうに」

「でも私のいる所、お金ないから……ダイラオンでも仕事はなくって……だからリゼルに行って仕事をしようと思ったの」


要するに入国目的は仕事を探すためで、正規の手段でこなかったのはお金がなかったためということらしい。この話に疑う余地もないので、本当なのだろう。だとすればおそらく首都に行くこともない。それから一つだけ真実を教えてやらなければならない。


「メルは偉いな。みんなを助けようと思ったんだな。でも、一つだけ言わなくちゃいけない事がある」


 彼女はサブラブティーを一口含んでそれから少しだけ息を飲んだ。彼女の顔を見つめて俺はゆっくりと口を開く。


「リゼルの不況も深刻だ。正直、ダイラオンの首都以上に仕事がない」


これは事実である。今の首都の惨状は見るも無残で、失業者が路上に溢れかえり、腹をすかせた子供たちが路上で物乞いをしている。

 それが、大国リゼルの現状である。政府高官たちは経済対策を次から次へと試してはいるようだがあまり効果はないようだ。


「でも、ダイラオンに戻っても仕事がない……教会の人たちは大丈夫って言っているけど神父さんたちは自分たちの食事を削ってまで私たちに与えてくれている事を私は知っている」


ああ、この子は孤児なのかなとその言葉で思った。孤児だから他の子供よりつらい思いをしているとは思わなかったが、普通の子供たち以上に気を使っている事は間違いないのだろう。それが、ほとんど何も知らない土地であるリゼルに足を踏み入れた理由なのだろう。しばらく、沈黙が続いて彼女はまた喋りだす。


「ダイラオンでも、リゼルでも仕事がない。仕事がないからお金もない。お金ないと生きていけない。死ねって事かな」


例えば明日の天気を心配するように彼女はその台詞言い切った。自分たちにとって深刻な問題であるからこそ、自然に言葉になるのだろう。


「俺はメルも、メルの兄弟たちも救ってやれない。お金の問題ってのは深刻だからな。ただ、リゼルに行っても相変わらずお金はないって事だ。むしろダイラオンの首都に行ったほうがまだ確立は高いと思うぞ」


まぁ、そんな話よりも聞かないといけない事がもう一つだけあった。しかし、彼女はその事を隠そうとしている。果たして素直に話してくれるのだろうか。


「メル、一つだけ気になる事があるんだ」

「なぁに?」


彼女はあくまでも自然に返事をしている用だったが、その声色はどこか焦りが混じっていた。


「この季節に君みたいなかわいい女の子が一人で山越えするのは無理なんだ。一体……どうやってここまで来たんだ?」


目と目が合う。お互い、深く相手の事を見つめていてその心の中を探ろうと必死だ。

彼女は俺がそれを聞いてどうするのか牽制しているようでもあったし、俺はなぜその手段を隠す必要があるのか疑問だった。

やがて、彼女は少し諦める様にため息をつくと話し出した。


「私だけが知っている安全に来られる道があるの。それを言ってしまったら戦争に利用されそうだから言いたくない」


それだけ言うと目を横に逸らして少しだけ俯いた。

きっとなにを聞いてもこれ以上答えないだろうし、確かに国境にそんな道があるとなれば若干めんどくさい事にもなりかねない。ここらで引いておくのが最良だ。


「わかった、もう聞かないよ」

「クリス!」


俺がそういうと、後ろで記録簿を付けていたエリッサが俺の名前を呼んだ。だから、振り向いて彼女の目を深く見つめて返事を返す。きっと彼女ならばわかってくれると信じている。


「なに? まずいか?」


彼女も俺の目を真剣に見つめてくる。暖炉の中で火が燃える音。外の冷たい空気が窓を冷やす感触。冷めていくサブラブティー。全ては、時間をゆっくりと進める。エリッサはため息を付くと一言だけ「わかったわよ」と言ってまたペンを進めた。


「そんなわけだ、メル。その道は聞かないでおこう。記録簿にもつけないから何か聞かれても黙っていていいぞ」


口を小さくを開けて呆気に取られるのは、目の前にいる少女。恐らくはもっと深く色々聞かれると思ったのだろう。呆然とした表情からやがて、明るい笑顔に変わって、この子はこういう表情をしているとかわいいなと心の底から思ってしまう。名誉の為に言っておくが少女が好きなわけではない。彼女の笑い声が止んで、静寂の音が支配すると、後ろで記録簿をつけていたエリッサは静かに筆をおいてから言葉を紡いだ。


「とにかく、これで話は終りね。私はこれを書面にして首都に報告するわ」


首都に報告するという言葉にメルの額に若干しわが寄った。


「大丈夫、俺の経験からしておそらくダイラオンの兵が来るまでここに滞在してもらって兵が来たら家に帰るだけだ。ダイラオン側の兵を俺はよく知っているが、そいつも別に怖い奴じゃない」

「私は作業するわね」


エリッサはそういうと、椅子から立ち詠唱の構えに入る。青い制服に包まれた体が、金色の光に覆われて、彼女の髪の色と混ざる。彼女の髪の金よりも更に明るい金色の光。白い清楚な手袋に包まれた両手を前に向けると光は一層強さを増す。

 魔術の中でも重要度の高い物。その中の一つに通信魔法があった。自分のイメージする書面を空中に光の文字で書き出し、それを送りたい相手の目の前に具現化する魔術。

 離れた所同士での通信手段がこれしかない上に使える人間がそう多くはないのでこれが使えれば一生飯に困ることはない。

やがて、エリッサの目の前に金色の文字でできた書面が浮かび上がると、エリッサはそれを詠唱しながら読み返し、軽く頷くと書面は一本の光の線となり飛んでいった。


「さっき、クリスが言ったけど、多分しばらくの間ここに居てもらう事になるわ。あなたは一応密入国者という扱いになるから地下の牢に入ってもらう」

「わかった……」


メルは眼を伏せて、着ている魔術師用のローブの胸元を両手で押さえた。心なしか少しだけ震えているようにも思う。


「まぁ……」


自然に自分の口が開いていた。そんな事して逃げられたらどうしようもないと分かっていたがその言葉が止まることはない。


「ゲスト用の部屋でいいんじゃないか? まだ女の子にあの牢はきっついと思うぜ。幸いここに派遣されてるのは俺とお前だけだ」


エリッサは俺の事をきつく睨みつけていたし、メルは俺の発言に驚きを隠せないようだった。


「正気? 軍規違反よ」

「もし、逃げたとしても俺なら絶対に捕まえられる自信がある。帝国最高峰のスカウトをなめちゃいけない」


自慢じゃないがこれは本当だ。帝国に自分以上のスカウトは一桁しかいないと確信を持って言える。多少問題があるのは自分でも認めるが……

 テーブルの上に置かれているサブラブティーの湯気が宙に消えていく。俺とエリッサは静かに眼を合わせてお互いの意見を通そうとしていたし、メルは少し困った顔をして俺とエリッサを交互に見つめていた。

時が止まっているような感覚が部屋を包んでいた。

そして、その時間を動かしたのはエリッサの「好きにするといいわ」という一言。


「よし、話は決まった。メル、二階の一番奥の部屋を使うといい。多分向こうの兵が来るまで時間がかかるからね、綺麗に使うんだよ」

「え、うん……ほんとにいいの?」

「男に二言はないぜ」


メルは本当に素敵な笑顔で笑って「ありがとう!」と最高の返事を返した。まだ幼さの残る顔を幸せそうに綻ばせて。


「じゃあ、今日はもう疲れただろ。早速部屋に戻るといい。ベッドの準備はできているからとりあえず寝るには困らないはずだよ」


メルは先に寝るのが悪いと思っているのか、少し申し訳なさそうな顔をしてこちらを覗き込む。本当に、いい育て方をされたのだなと思った。


「俺は、エリッサと話があるからな。聞かれたらまずい話なんだ」


そういうと、メルは軽く頷いて「じゃあ、寝るね」と言ってそれから階段を上がっていく。

部屋に残された俺とエリッサはしばらく二人で見詰め合う。無言で。

 エリッサはキッチンに向かうと、なにかをやり始めた。俺は先ほどエリッサが座っていた場所の隣におかれているガンホルダーと短剣を再び腰に装着。入り口近くにある小物入れからねじ回しと刷毛を取り出すと、先ほどまでメルと話していた四人がけのテーブルへ腰をかける。暖炉から木のはじける音がなってテーブルと椅子を暖めた。魔銃のメンテナンスは面倒である。全てを分解すると三十個以上のパーツになってしまうので割と時間がかかってしまうのだ。しかしながら定期的にやらないとすぐに機嫌を損ねてしまうところが誰かに似ている。そんなわけで、テーブルの上で俺は銃のメンテナンスを始めたわけだ。

 やがて、部屋に置かれている柱時計が少しだけ重い音を鳴らすと、キッチンに行ったエリッサはその手にティーカップを二つ持ってこちらへと戻ってきた。彼女は俺の前にそのティーカップの一つを置くと俺の正面の椅子に腰を下ろす。先ほどまでメルが座っていた場所。


「同情なんてクリスらしくないわね」

「敵であれば冷徹になる必要はあっても、その他の人間には暖かく接してもいいんじゃないか」


部屋にサブラブティーを啜る音が鳴る。乾燥させたハーブの匂いは少しだけ故郷の匂いがした。


「それでも、貴方もやっぱり若い子のほうがすきなのね。私にはあんな優しい顔してくれた事ない」

唇を尖らせて少しだけ眉間にしわを寄せていた。

「お前も俺に何も期待してないだろ」


少し苦笑して彼女に言葉を放つ。エリッサと俺は長い事一緒にいるがそんな話になったことは一度もなかった。なんと言うか、仲の良い兄弟というか、そんな感じなのである。完全に彼女の事を意識してないかと聞かれれば、そんな事はないのだが……

 エリッサは整った顔立ちと愛嬌のある性格、クールな雰囲気で割りと評判がいいのにもかかわらず誰かと恋仲になるとかそんな話がなかった。それはもう、告白する奴は片っ端からばっさり切り落とされるものだから見ていて面白い。そんなアイドルといつも一緒にいるものだから色々な噂は耐えなくて、そのたび俺が否定していた。

 柱時計が時を刻む音に彼女が言葉を乗せる。


「うん……そうね。クリスは困るだけだよね……」


外はおそらく冷たい風が吹いていて、町は既に眠っていることだろう。

ともかく、こうして俺たちの夜は更けていくのだ。この出会いが何かを変えるなんてその時はまったく思っていなかった。

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