女神様とおっさん
目が覚めると、見知らぬ天井だった。
いや、天井というより星のない夜と言った方がいいのか。
真っ暗な闇の中に私は横たわっていた。
体には特に違和感もなく、なんともなしに体を起こした先には少女が目を瞑って立っていた。
少女はおかしな格好をして、なにかに祈るように胸の前で手を組んでいる。
「お待ちしておりました、勇者よ」
目は瞑ったままでも美少女とわかる端整な顔立ちをした少女。
少女から発せられた声は、透き通ってとても耳心地が良かった。
きっとこんな少女が巷では天使だとか女神だとかと言われるのだろう。
「あなたの勇敢な行動により、幼き命は救われました。その子に代わって、私がお礼を申し上げます。」
私は安堵した。それと同時にここがどこだか察しがついた。
「ここは天国なんですね」
イメージしていた天国とは違うけど、こんなに美しい少女を生前には見たことがない。
浮世離れしている。しかし天国なら彼女の様な人がいてもおかしくはない。
勝手にうんうんと頷く私に向かって、彼女は答える。
「いえ、ここは天国ではありません」
ん?天国ではない?……と言うことは。
「……まさか、地獄ですか」
「いえ、地獄でもありません。ここは、世界と世界の狭間です。あなたのいた世界と他の世界を繋ぐ場所です」
……言っている意味がよくわからない。
しかし、私が困惑した顔をしても、彼女はこちらを見ていない。
そのまま彼女は続ける。
「私はエリン。あなたにとっての異世界……『アインスフィール』を守る女神です。今、アインスフィールにいる生き物は滅亡の危機に瀕しています。強大な力を持った魔王が現れ、世界を滅ぼそうとしているのです。あなたには、勇者としてアインスフィールに行って頂き、魔王を打ち倒して欲しいのです」
益々訳がわからない。
勇者?魔王?45年間生きてきたが、まったく聞きなれない単語だ。
「あなたには、勇者に相応しい力を授けます。どうか私の愛する世界を救って下さい」
「あの、言っている意味がよくわからないのですが」
「混乱するのも無理はありません。ですが、あなたは勇者として選ばれたのです」
「いえ、ですから言っている意味がよく――」
「あなたは勇者となる運命を持って生まれてきた。あなたの代わりはいません。どうかお願い致します」
言葉が通じていないのだろうか。
もしかしたら女神様が話している言葉は日本語ではないのだろうか。
「見えるのです。あなたが魔王を打ち倒す姿が」
「私には何も見えないのですが……女神様、人違いではないのでしょうか?」
「人違い?」
目を見開く女神様、やはり美しい。
しかしその顔は呆けてこう言った。
「誰?」
「鈴木良夫と申します」
「アスタハルトではなくて?」
「鈴木良夫です」
「ちょ、ちょっと待ってて下さいね」
女神様は祈りのポーズをやめ、手をかざすと何もない空間に一冊の本が現れた。
焦った様子でその本に目を通していく。
そして見る見るうちに顔が青ざめていくのがはたから見てもわかる。
「え?運命が変わってる?なんで?どうして?こんなのありえない!勇者の運命が変わるなんて!こんなの絶対おかしいよ!」
「はあ」
本にかぶりつく女神様の言葉は私に投げかけられた訳ではないのだろうけど、一応返事をしておく。
しかし気がないのが伝わってしまったのか、ものすごい形相でこちらを睨む女神様。
といっても、美しいのは相変わらずなので大して恐くはない。
そんな面持ちで女神様はつかつかと私の傍まで来る。
「ちょっと、あなたどういうつもりよ」
「え、なにがですか」
「なんでアスタハルトを助けたりしたのかって聞いてるのよ!彼はね、あの場で死んでアインスフィールで勇者になる予定だったの!そういう運命だったのよ!あなたが余計な事をしてくれなければね!あなたの事を調べさせて貰ったわ。うだつの上がらないサラリーマンで平々凡々な日々を送るあなたが、なんで誰かを助ける様な勇気出してるのよ!違うでしょ!そんな人じゃないでしょ!あなたはただの通行人その1としてボーっと突っ立っていれば良かったのに!」
誰かにここまで怒られたのは初めてかもしれない。
課長にだってここまで怒られたことはない。
そしてなんとなくだが、女神様の言っていることも理解できた。
私が彼を、アスタハルトという少年を助けたりしなければ、彼は予定通りに魔王という人?を
打ち倒してくれていたのだろう。
到底私にはできないことだ。『王』と言うくらいだ、きっと課長なんかよりずっと恐ろしい。
「も、申し訳ありません。私のせいでご迷惑をお掛けしたみたいで、本当に申し訳ありません」
頭を下げる。年甲斐もなく目に溜まってしまっていた涙が零れた。
状況はまだ呑み込めた訳ではないが、余程の事をしてしまったのであろう私は、誠心誠意謝罪するしかない。
「あ、あの、顔を上げて貰えますか?」
その言葉を受け、私は顔を上げると、先程とは打って変わって申し訳なさそうな態度の女神様。
「その、ごめんなさい。あなたは命を懸けて彼を、幼子の命まで救ったというのに……言い過ぎました」
「いえ、女神様の言う通り、私は大した人間ではありません。私自身、なんであんな行動をしてしまったのかわからないのです」
「あなたは優しいのですね。 その優しさがあなたを突き動かしたのかもしれません」
そうなのだろうか。よく覚えていないのでなんとも言えない。
とりあえず涙を拭う。
「それで、その、改めてお願いなのですが……」
「はい?」
「あのですね、代わりに勇者をやって頂きたい次第でして……」
「え」
作り笑いを浮かべる女神様。一瞬の静寂。
「いやいやいや無理です!私に勇者なんて務まる訳ありません!」
「いやいやいやそんなことないですよ!勇者バッチシですよ?天職ですよ?」
「いやいやいやできる訳ないじゃないですか。45ですよ?おっさんですよ?」
「年齢なんて些細な事です。やる気があれば勇者もできます!」
「やる気ないです。ほんと勘弁して下さい」
仮に武器をあげるから大統領を倒してくれと言われて了承できるだろうか。いや、できない。
「お願いしばず~。もうあなたじかいないんでず~」
え、泣き出してしまった。鼻水まで垂らしている。私のせい?
「えっと、他の人に頼むのはどうでしょうか?」
「それがでぎたらとっぐにじでまずよ」
「それはなぜでしょうか」
女神様は涙と鼻を拭って答える。
「勇者になるには強い運命力を持った人しかなれないんです。アスタハルトは強い運命力を持っていましたが、今確認すると運命力が減ってしまっているのです。同時にあなたの運命力も変わったようで、あなたは今勇者になれるだけの運命力を持っています。恐らくあなたの行動によって、彼から運命力を奪ってしまったのだと思います」
そう言われてもそんなもの奪ったつもりはない。
「他の人は?アスタハルト君ではなく」
「駄目なんです。次に勇者になれる運命力を持った人物は200年先まで現れません」
「私の運命力とやらを誰かに譲ったりは」
「できません」
なるほど、お手上げと言う訳だ。
かといって勇者になろうとは思わない。
そんな私を女神様はじっと見つめる。
「もうあなたしかいないのです。私もできる限りのサービスしますから。ほんと、行ってみるだけでもいいですから、ちょっとだけ、ね?」
美人局を疑う言動だ。
こんな美少女であれば引っ掛かってしまう人は多いのではないだろうか。
私?私は身を弁えているので。私がモテる筈はないのです。
彼女いない暦45年の私をなめないで頂きたい。
しかしだんだん気の毒になってきた。責任の一端は私にあるわけで。
「……ほんとに行くだけでもいいのですか?」
「か、構いません!私の力であなたを最強クラスまで押し上げます。あなたは存在するだけで魔王の抑止力になります」
「そういうものですか」
「そういうものです!ってことで決まりですよね!行くってことで決まりですよね!決まりです!」
なんて可愛い笑顔だろうか。
この笑顔が見れるだけでも引き受ける価値があったかもしれない。
「はい。あまりお力にはなれないと思いますが、よろしくお願いします」
「こちらこそお願いします。あ、それと私のことはこれからエリンと呼んで下さいね」
「はあ。じゃあエリン様と」
「呼び捨てでもいいんですけどね」
「善処します」
「じゃあ善は急げです!すぐ行きましょう!今行きましょう!」
急にくだけてきた。外見は15歳くらいなので年相応というか、私はこの方がいい。
と思っていると私の足元が光りだす。
「それじゃあまた後で会いましょう」
「え」
光が強くなる。私の新しい人生が始まった瞬間だった。
おっさん。勇者になる。




