第5話
仕事でばたばたしてたため、少し短いです。
出張中のため、次回更新は25~26だと思います。
眼前に迫る女の手。
もう何度目にしただろう。見知らぬ誰かの手。自分になぜこんなビジョンがこびりついて離れないのか。それはもう分からない。この女の記憶を俺は手放してしまったらしいが、どうせ碌なものではない。別段惜しいとも思わない。
残っているのは自分が殺した記憶。誤って、屋上から落とした。その状況は覚えている。どうやら一緒に死ぬつもりだったらしい。後悔した、と思う。何故それほど悔いたのか、今となっては分からない。自分がこの女を、どういう思いで見ていたのか、それはもう、消えてしまった記憶の中。
――だというのに、臓腑を引っ張り出される様な気持ち悪さを感じるのは、一体なぜだろう。
昨晩食べた物を全て吐き出した後、口をゆすいだ。毎日これの繰り返しだ。あの映像が俺から離れることもなく、目を閉じれば、その幻影につかまっている自分が見える。睡眠もろくにとれないし、食事だってこの有様。はたして、目的を達するまで俺は生きていけるのかが少し疑問に思える。
別に長生きしたいとは思わない。
それでも、奴らを殺しつくすまでは生きていかなきゃならない。
「やぁ、ケリー」
振り返る。洞窟の暗闇の中、足音も立てずに、自分のすぐ後ろにいる少年の姿。背丈は百三十にも満たないだろうに、真っ赤なシャツの上にやけに目立つ色の多い黒の基調に赤のストライプのジャケットを着込み、同色のパンツをはいている、首に目が痛くなるほど強い色がこれでもかというほど混ぜられた首輪がつけられ、どうみても不似合いな大きな指輪やイヤリングをジャラジャラと身に着けている。 首から下げたネックレスは魔法使いの紋様として有名な、星と月と太陽とを重ね合わせた形の小さなアクセサリは、本来であれば威厳と、尊厳と、敬意を民衆に抱かせるものだが、あまりにもごてごてと身に着けているため、まるで目立たなくなってしまっている。身に着けた帽子はツインテールのように左右に伸び、とげとげのように先端で分岐し、赤い球が所々についている。わずかに見える前髪は赤く、顔は半分道化師の仮面に隠されている。肩から下げた真っ赤なマントは身長に似使わずやけに大きく、半分以上引きずっている。だというのに、マントの音が全くしないのは違和感があるが、しかしあまり考えてもそれは栓なきことだ。この少年には常識が通じないのだから。
「元気、とは言い難いねぇ」
穏やかな声。その容姿からは想像もできない声だった。そこらにいそうな子供の声ではあるのだが、いかんせん、その容姿と釣り合いが取れない。
「なんだ。何か、用か」
気持ち悪い。口を開きたくない。
「おいおい、君が依頼したんだろう。自分を狙う相手が居たら教えてくれと」
小さな身体に見合わず、身ぶり手ぶりが無駄に大きい。そのせいか、体格以上に大きく感じる。その小さい身なりに似合わないその口ぶりの、違和感が消えたわけではないが。
「誰、か、いるのか」
口を開くのが苦しい。体が重い。気持ち悪い。何も考えられない。何か考えたくても、靄が、かかっているみたいに、鈍く――。
「ああ、今は話にならないみたいだね――これでよし」
どこから取り出したのか、コインを弾く音が聞こえた。浮かしたコインを掴むのが見えた。何故だろう。思考がはっきりしだした。体も、さほど体調は悪くない。
「向かっているのは賞金稼ぎ一人。子供一人だ」
「子供?」
子供連れの賞金稼ぎなんて聞いたことがない。一体どういう経緯でそんな二人が私を打倒しようと言うのだろう。
「実際の戦力は一人だよ。子供はただの観客と同じ。何かしら、町に置いておけない理由でもあるんだろう。具体的な人間像とかは別料金になるけど、話した方が良いかい?」
「それが危険だというなら」
「なら話そう」
その一言で思考を入れ替える。この男が『危険』だというならそれは確実に、自分を高い確率で打倒する人間であるということだ。真剣に耳を傾け、その言葉を漏らさず聞かなければならない。
「男は君の『腕』と同じように、特殊な力を持つ『眼』の持ち主だ。装備自体には特殊な力はないのが救いだね。能力は、決闘場を作ること、って言えば分かるかな」
「一対一を強制されるっていうことか」
「その通り。それも、ある程度大きなものでね。相手との距離は大まかに、普通に歩いて五歩程度。ただし、それまでの動作がなくなることはない。剣を振りかぶっていたらそのままの姿勢から開始される。能力発動と同時に、十メートルほどの場が作られる。そこから誰かが出ようとすれば、遥か上空まで吹きあげられて、地面にたたきつけられることになる。まあ、死ぬってことだね。能力発動は相手を見た瞬間から、好きな時に発動できるタイプのものだ。相手と視線を合わせる必要はない。ただ一方的に見さえすれば発動する。相手と距離が離れている場合は、相手を自分がいる場所に引き寄せる。慣れていない人間は、その能力が発動した瞬間、軽い眩暈を起こすことがある。まあ、一秒もあれば回復するレベルだ。質問は?」
言葉を一つ一つかみしめて、整理する。五歩程度先に相手がいる状況。そして周囲が、十メートルほどの境界線で囲まれている状況。ここから逃げ出すことはできない。相手はまず確実に先制してくるだろう。こちらの一秒間の不調に付け込まない理由はない。一秒。たった五歩の間合いではそれは永遠とも言える時間だ。相手の武装は確実に一対一で強い代物。飛び道具なんて言うのは下の下だろう。常時攻撃が飛んでくる中で、相手の攻撃をよけながら何かを狙って、その上で投げるという動作はいかにも回りくどい。相手の攻撃を避けて、とにかく当てられるところを斬る。斬り合いが一番の正解だ。だがその選択肢がゼロということはない。戦闘開始の一秒を投擲に使うことも考えられる。
「相手の武装は、何もおかしなところはないんだな?」
「一つだけ、馬鹿みたいにでかい大剣って言うところを除けばね。人間と同じくらいの大きさのように思える。パッと見、それ以外は何もおかしいところはない。比較的軽装だけど守るべきところにはきちんとそれなりのものを仕込ませてるし、その軽装の影に仕込んでいる武器も幾かもあるようだよ」
大きな、剣。それも人と同じくらい。
ああ、なるほど、頭が良いな。
十メートルという限られた範囲の中で戦うのなら、間合いが長い武器の方がはるかに有利にきまっている。獲物は長ければ長いほど良い。二メートルもあれば十分だ。先手を取れるのだから、中央に陣取ることは容易い。中央でそれほどの剣を振り回せば、自分の腕の長さを含めると、その時点で決闘場の六メートルから八メートルの円。半分以上どころか、ほとんどの広さを自分の射程距離とすることができる。槍や長刀ではなく鉄の塊のような大きな剣をあえて選んだのは、恐らくは耐久性を考慮してのことだろう。
槍をはじめ、長射程の武器はその射程を生かせば圧倒的に優位な立場に立てるが、逆に折れ易いというデメリットもある。斧などの破壊力に優れた武器とぶつかり合えば、簡単に折れてしまう。当たり所がよかったとしても、曲がる程度の損傷は避けられない。そうなってしまえば勿論武器として成り立たない。だが、その男が持つのは決して折れない鉄の塊。斧とぶつかろうが弾き返し、槍とぶつかれば粉砕する。限られたフィールドの中でのみ有効な対武器用の決戦兵器、といったところなのだろう。
しかし、つまりは尋常でないほどの怪力の持ち主だということなのだろうか。そんな大剣だけでも、自分なら運ぶだけで精一杯だ。しかも、きちんと持って運ぶのではなく、ずるずると引きずるような状態。それでも、一日に何キロも歩く生活なんて考えられない。
「それは違うようだ。彼にはもう一つ能力があってね。自分の持っている物、触っているものの重さを消すことができる。ただし、二つの力をフルに同時に発動することはできない。つまり、場を作ってしまえば重さは元に戻るとまではいかないにしても、ある程度の重量は取り戻す、といった感じだね」
つまり、運ぶことに関しては何の問題もないわけか。戦闘の際は、一度振り回して、あとはその遠心力で勢いを維持し続ければ振り回すことができる。だが、一度でも止めてしまえば、もう一度振るのは難しいのではないだろうか。一度も止めずに振り続けることが前提の武器か。
しかし、先ほどの決闘場を作る能力と言い、装備の重さを無くす能力と言い、あからさまにこいつらが関わっている。白々しい顔でその情報を提供し、そしてその代償をとるのだから、性質が悪い。一種の詐欺だ。
「そんなこと言うなよ。確かに今回彼を仕掛けたのは、私と同じ魔法使いの誰かではあるがね。当然、彼を倒したなら、その見返りは用意するつもりなんだから」
疑いの目で少年を見る。齢数百歳の少年。自分が生まれたころからその話は、遠巻きではあるが聞いたことがあった。世界で三人しかいない魔法使い、その内の一人。魔法使いは確実に、釣り合った代償をとると聞く。だからこそ見返り、なんていう言葉はあり得ない。
「それで、まだ他に聞きたいことは?」
なんて分かりやすい話題の逸らし方だろう。だが、ここで同じ問答を繰り返しても無駄以外の何物でもない。魔法使いは値切らない。こちらとしては不満。堂々めぐりのこの論議を交わすより、別の話に変えた方が良い。
「一つだけ。その子供は、人質として使えるか?」
「人質の価値はある。加えて、朗報と言えるのかもしれないが、その子供も賞金稼ぎの命を狙っているんだ」
「?」
どういうことだろう。状況が全く見えない。
「色々あるんだよ。簡単に言うと、彼はその子供にとって親の敵なんだよ。その賞金稼ぎも笑っちゃうよねぇ。自分を狙う賞金首の肉親なんて、殺しちゃえばいいのに。それに、もう手は打ってある。君に有利な状況になることは絶対だよ」
ケタケタ。少しも目が笑っていないその表情は、薄気味悪いどころか、嫌悪感を呼び起こすものだった。洞窟の壁に反響するその声は、こちらの背中を撫でるような不快感を呼び起こす。どうやらこの魔法使いは、元より人間の側の存在ではないようだと感じた。どちらかと言えば、人という種をまるで汚らしいものでも見つめるような、そんなタイプの存在だと。
気色悪い、喋るなと言いたかったが、それでは話が進まない。溜息を一つ。それに自分の不快感を全て込めて、頭の中を落ち着かせた。
「どちらにせよ、君の能力を巧く使えば、敵ではないだろう」
それは嘘ではないが、正確ではない。もし、詳しい情報がなかったのなら、むしろ不利なのは自分の方だった。だが、相手の能力が分かってしまえば、やり方なんていくらでもある。
「どれくらいでこちらに着く?」
「ここから北東に四十キロ。君が最後に立ち寄った村があるだろう。あそこで宿を取っている。早くても三日、遅くても四日だろうね。準備に一日、移動と体力回復に一日、その次の朝か昼、と言ったところじゃないかな。必要なものはある?」
あの距離なら移動だけでも、例え朝方に出たとしても、こちらに着くころには夕方になっている。その晩は体力回復に使い、次の日、万全な状態で向かってくるというこの魔法使いの推測は、おそらく正しい。そんな論理的な計算などなくとも、ここで嘘をつく理由がない。
「何も必要ない」
既に必要なもの――生活するのに最低限の道具や、誰かに襲われた時の為の武器は、十分すぎるくらいに洞窟の中に置いてある。加えて、この腕に込められた力もある。戦力としては十分すぎる。
「そうかい。なら僕はこれで失礼するよ」
「ああ。また、誰かが狙っている時には教えてくれ」
「今回の代金は、君のその力の成長速度、二年分だ」
「そうか」
「大変だねぇ。死体に追いかけられる幻影を見ながら、復讐の機会を待つ時間が増えるのに、自分が生きることを優先して、こんな依頼するんだから」
ケタケタケタ。気色悪い。今すぐに、この男をどこかへ追いやってやりたい。少なくとも、近くにいてほしくはない。
「また何かあったら頼む」
「いいよいいよ。また五日後にでもくるさ。その頃には、君はあの男を殺しているんだろうから」
ケタケタケタ。早くこの男が去ってくれないか。気付いたらそればかり考えていた。
「ではではお客様。今後とも御贔屓に。私は別の用があるので、これにて失礼するよ。出来ることなら今後も最高に好きに生きて」
――惨たらしく死んで逝け。
言葉と共に、魔法使いの姿は消えた。
惨たらしく死ぬ。その言葉はどこか恐怖を覚えるものだった。だが、自分には殺す目的しか残っていない。殺すことを目的とするなら、それくらいの末路は覚悟するべきなのだろう。どの道、生きたいとすら思えない。今は、自分が殺したい相手を殺すことしか考えていない。だが、それが終われば、いつだって死んでもいいという覚悟はできている。
もうこんな世の中に未練なんてないんだから。
そういえば、いつも見える幻覚の女は、どんな未練があるのだろう。
ドクン、と、心臓が跳ねる音が聞こえた。
考えてはいけないことを考えた。あの女のことは考えてはいけなかった。あれは私を地獄へを誘うもので、その感情なんて考えてはいけなかった。
だって、ほら、もう。目の前に、まるでそこに存在するみたいに――。
こちらの背中に手を回し、逃げられないように体を押さえつけられるのを感じた。それが幻覚だと分かっていた。分かっていたけれど、心の中の何かがこれは本物だとでも言わんばかりに恐れ慄いている。
恐ろしい。恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい。だが自分はまだ死ぬわけにはいかない。まだ死ねない。まだ殺してやらなければならない奴らがいる。まだ殺さなければ気が済まない連中がいる。
だから待ってくれ。まるで言い訳をする子供のように、自分をつかんで離さない幻影に、言い訳をし続けた。
ケケケケケ。
笑い声が聞こえた。誰だろう。目の前の幻影が発した声なのだろうか。
余りの恐怖に思考が鈍る。もう何も、わからない。ただとにかく、自分が殺さなければいけない相手のことを考える。殺す。殺す。憎いやつらを殺すんだ。その為に、自分の力を増やし続ける。それを邪魔する奴は殺す。
ケケケケケ。
声が聞こえる。その声が聞こえないように、被せる様に言葉にして呟いた。
「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、」
ケケケケケケ。
――そうして、彼はいつまでも、自分の思考が回復するまで、その言葉をつぶやき続ける。 終ぞ、笑っているのが自分自身だと気付けなかった