第3話
修正に修正を重ねていたら所々つじつまが合わなくなる現象ってなんて名付ければいいんでしょう・・・?
また修正するかもしれませんがご了承ください・・・
次話:5/15予定
「腰痛え……」
寝返りを打ちながら思わず呻く。テント越しとは言え、下は地面だ。テントがあまり厚い生地もしていないからか、寝ても余り疲れも取れないし、寝起きには節々も痛くなる。
最近はそれを学んで、敷布団の代わりになるよう、事前に何枚か買っておいた外套を敷いて寝ているようにしている。本当は敷布団が欲しいところではあるが、さすがにそれを持ち運ぶのは骨だ。
馬車があれば話は違うのかもしれないが、生憎、あれは金持ちの持ち物だ。実際に購入する費用が高いだけでない。馬の健康管理と、荷車のメンテナンスやらで、何だかんだで常時、金を消費することになる。魔物に襲われたりして馬が歩けなくなることもあるし、金を持っているとアピールするようなものだから、近隣の盗賊団にも目をつけられることになる。デメリットの方がメリットよりも少ない。
しかしこの歳から腰に爆弾抱えるのは嫌だなぁ……。
背後に微かに聞こえる足音。同時に発生する風切り音。
枕元にある剣を手に取り、足音が聞こえたのとは逆方向に、転がるように立ち上がる。
遅れて、俺が居た場所にザッ、という、地面に何か突き立てるような、鈍い音がする。気にしている余裕はない。剣を鞘から抜き放ち、敵を凝視する。
身長百五十前後の少年。まだ幼い年齢であることは誰の目にも明らかだが、それとはまるで不釣合いな、やけに刃の大きい、鉈に近い感覚を覚えるナイフを片手に構えている
「くそっ、だから気配を消して殺しに来るの、やめろよな。びっくりするんだぜ、結構」
だが何よりも不釣合いなのはその眼光かもしれない。
あれは考えることを一切放棄した眼差し。何も考えずに人を殺せる目だ。
それは人を殺す家業である自分が一番良く分かる。
「……驚いて貰わないと、殺せないだろ」
「無理無理。お前に俺は殺せないよ。何年この家業やってると思ってんだ。夜襲如きで簡単にやられる様なら、今頃とっくに墓の下に眠ってるよ」
更に言うなら、来ると分かってる夜襲なら尚の事、読みやすい。
「死ぬのは今からでも遅くないだろ」
一歩踏み込むのが見えた。奔る銀閃。暗闇の中だからか、微かな光を照らした刀身の軌跡が、いつもより映えて見える。こちらの胴から胸元、更には肩口までを斬ろうとする斬り上げ。二歩下がるだけでそれを回避する。
下がったところで背中に何かが支えた。どうやらここがテントの端らしい。
斬り上げを外したクソガキは、そこで止まらずに、両の手で柄を掴み、握った、同じ軌跡を逆に辿る、肩から切り裂かんとばかりの渾身の袈裟斬りへと繋いだ。体を縮ませながら、左側へと踏み出す。頭上を刃が通り過ぎた。
最小限の回避。ガキの右半身は、まるで無防備だ。外側から首筋へと、こちらも刃を奔らせる。
元々、この体格の子供には、大きな刃物は逆効果だ。武器を振り回すだけで手一杯になり、素早い動きが取れない。身長が低い、大人にはない敏捷性。そのメリットを活かしきれないどころか、全く理に適っていない。そんな相手に後れをとるほど、甘い人生を送ってきたわけではない。
首筋で刃を止める。ガキの目を一睨みすると、降参だと言わんばかりにナイフを落とした。
やれやれと。溜息を吐いてこちらも刃を引く。元々、奇襲が成功しなかったなら自分に勝機は無いと分かっているのだろう。刃を納めても、ガキが何か動くそぶりは見せなかった。
今日は終わりだと、そう告げてガキの様子を確認もせずに寝床に戻った。俺が牢にぶち込まれて以来、こうして、夜襲を仕掛けるようになった。だが、夜襲を仕掛けた後には、もうその夜には仕掛けてこない。言葉がおかしいが、正々堂々夜襲をしようとでも思っているんだろう。何でこんな正々堂々勝負を挑むようなむしろ卑怯なような、よくわからない手法を選んでいるのか、こればっかりはこいつに聞いてみないとわからないが、しかし下手に地雷を踏んで、『あ、そうか、何回も襲えばいつかは殺せるかもしれない』とでも思われて、実際そうなってしまってはたまらない。勿論殺されない自信はあるものの、ひどく面倒で余計疲れるし、旅路にも影響が出てしまう。馬車と同じだ。メリットとデメリット。別にその理由を聞いたところで俺には関係ないから、メリットはほぼゼロか。得をするとすれば、ほんの少しスッキリするくらい。
そんな効率の悪いことに構っている暇はない。明日も早い。賞金首を狙ってるのは俺だけではないのだ。誰かが手をつけないうちに、狩りに行かないと。まだ賞金首になっていない、というミリアの情報だが、いつ賞金首になるかまでは聞かされていない。急ぐに越したことはないだろう。
もう慣れたものだ。緊張感を持ちながら睡眠をとる。微かな物音が聞こえたら自然に目が覚めるように。決して深い眠りに着くことなく、しかし疲れはとれるといった絶妙な睡眠のとり方。固い地面の感触を感じながらも、大して苦に思うことなく、意識が薄れていった。
――何かの鳴き声で目が覚めた。
鳥の声か。若干眠気が残る瞼を擦りながら眼をあける。朝だ。
テントの外に出る。テントは二つ。自分の分と、あの賞金稼ぎの分。あの男がまだ寝ていることを確認してから、テントから離れる。
国道と言われる、国が整備した商人や貴族が移動する際に使う大きな道路は、基本的に自然を開拓して作ったもので、昨夜寝泊まりしたこの場所は、森があった場所だった。周囲には木々がある。木を伐採し、土地を耕し、道を整備し、国道として作り上げた。おかげで、国道から少し外れると森がある。しかも、少し奥に入るだけで、ここから中の様子がよく見えない。目的には絶好の場所だ。
テントの場所が分からなくなると困るので、木々にナイフでマークを付けながら、奥へと進む。別段目的地があるわけでもない。あの男から見えない位置にまで行ければ良い。
ナイフを構える。目を閉じて、自分が戦う敵のイメージを想像する。状況は昨日の晩。背後から襲った時のこと。
ナイフを振り下ろす。鉈のように大きな刃先を持つそれが振り下ろされる時既に、あの男はこちらから距離をとっていた。それを追って続く二撃目。今度はあの男は、態勢を整えながらこちらの攻撃を避け、テントの幕へとぶつかった。後ろにはもう逃げ場はない。だが既に相手はこちらを認識している。ここで既に、心の中で、奇襲の成功は諦めている。ここからはただの白兵戦。だが、立ち位置としては自分が有利。
そう確信して、逃さず三撃目――だが、最後の攻撃が届く前に、あの男の反撃が、首筋にかかっていた。
改めて振り返ると、余りにお粗末だ。特に初撃以降の追撃。何の手加減も躊躇もなく行っているはずなのに、相手の行動の方が二も三も先をいっている。それはこちらの狙いが悪いとか、相手が素早いだのというのではなく、単純に、こちらの動きが鈍すぎる。
分かってはいた。この武器は自分のハンデになりこそすれ、利点にはならないと。扱うには自分の手は小さすぎるし、腕力も足りなすぎる。それでもこの武器しか、自分に使えるものはない。何か買ってくれと、あの男にせがむほど、プライドがないわけではないし、自分を殺す武器を買ってくれなんて注文に応えてくれる馬鹿が、一体どこにいるのか。
それに、これは両親の数少ない形見の一つだ。これで仇が打てるのなら、それこそ本望と言える。そんなこだわりにも近いものが、この武器以外の選択肢を選ばせなかった。
だから手持ちのもので、何とか目的を達せられる方法を考えるしかない。
その方法を思考する。
『二撃目や三撃目の流れをもっとスムーズに。』「だめだ、生半可な工夫じゃあの男には追いつけない」。
『初撃を外すことを前提で打ち、次の相手の動きを読んで行動する』「だめだ。戦い方という一点に関して、あちらの方が格段に経験を積んでいる。生半可な読みはむしろ逆効果だ」。
『いっそのこと、武器を投げる』「論外だ。どれだけ強く投げてもそこまで遠くへ飛ばすことは出来ないから、不意打ちには使えそうもない。巧く刃が刺さればいいが、刺さらなければただの殴打になり、しかも自分の手元に武器が残らない。もっと確実な方法があるならそちらを選ぶべき。加えて、あの男の戦い方を見ていたが、飛び道具が放たれた音などを聞き分けて、結界のようなフィールドを作る癖がある。あの男が今まで倒してきた賞金首との戦いの中で、飛び道具をあの男が受けたことは一度もなかった」
『初撃を避けられないようにする』「これが一番か。もう少しで、完全な不意打ちが出来そうではあった。ただ問題なのは、あの男が、何に反応してどのタイミングでこちらの攻撃を回避したのか。それを分析しなければいけない」
そうだ。初撃。相手がこちらに気付くこともなく、気付いた時には既に致命傷を負っている、そんな展開にすればいい。それならば、こちらの獲物が戦闘には不向きだろうが、動く時、重りになるだとか、そういったデメリット分を最大限にカバーできるのではないか。現状、それを極めるのが、あの男を殺す一番の方法に思えた。
だが問題はある。デメリットはカバーできているが、あくまで最大限、カバーできているだけで、無くなったわけではない。気付かれずに殺すなら、小さな刃の、ただ急所を突くことに特化した、細く小さな刃物の方が扱いやすいし、気付かれずに相手の背後に立つのにも、重い装備よりも軽い物の方が適しているのは考えるまでもない。
最悪、靴だけでも脱ごうか。形見の靴。明らかにサイズの合わない、婦人用のローファー。形見のもの二つが二つとも、復讐の障害になっているのは、何とも皮肉な話だ。特にこちらは、奇襲の際、音が出ないように慎重に動くことを意識しすぎて、動きがぎこちなくなり、かつ、鈍くなる。斬り合いでもこれが無ければ多少違うのかと考えたが、履きなれたもので、動くことだけならばそんなに支障になっていないと結論付けた。
さて、問題は。あの男がこちらの初撃に、どうして気がついているのか、ということだ。
思い出す。確かに、こちらがナイフを振り下ろすと同時に、あの男は動いていた。つまりそれまでに気づかれる要因があったということだ。
思考する。風斬り音か。足音か。衣擦れの音か。気配か。殺気か。またはそれ以外か。それ以外という選択肢は、この際排除する。今現在の自分で気がつかない問題点など改善の仕様が無いからだ。
ナイフを振る。「ビュッ」という風を切る鋭い音。これでは確かに、反応がしやすいのかもしれない。もう一回。「ヒュッ」改善されている。しかし、音がなくなったわけではない。
手ごろな木々にナイフを突き立てる。カツンという音を立てて、刃先は簡単に木肌を抉った。
そこで自分の行動が誤っていた事に気づく。寝込みを襲うなら、何も振り下ろす必要は無い。音を立てないことを意識するのなら、体ごとかがんで、静かに首元にナイフを下ろし、そこから一気に掻ききれば良い。その方が音も出ない。相手が反応しても、そこまで行ったなら傷くらいは負わせる事が出来る。
力も技術も必要ない。注意するのは自分の吐息。息を止めるのではなくあくまで浅く、静かに呼吸をすること。緊張から焦ってはいけない。怨みから激昂してもいけない。あくまで、静かに。相手が気づいたときには、既に死は決定しているような自然さで。
――何も考えずただ作業を行う機械のように無機質に、自身の中身を入れ替えていけば。
そんな感情の動きが出来れば、きっと最後まで、何の感情のぶれも無く、何の戸惑いも恐れもなく、目的を完遂できるのではないかと思う。
次の課題。足音、衣擦れの音。音に関しては衣服をはずして、靴を脱げば解決する。試しに靴を脱いで、一歩踏み出してみた。がさりと音が鳴った。もう一歩。今度は努めて音を立てないように。草に足が触れる直前で一度足を止め、そこからゆっくりと。つま先の方から足をつけて、ゆっくりとゆっくりと。慎重すぎるくらいで丁度いい。今度は音を立てずに一歩、踏み出すことが出来た。やってみると中々の重労働だが、靴を履いてた時の行動と大して変わらないので、特に問題は無い。
次。気配や殺気。これを隠すために、消すためには、一体どうすればいいのだろう。
一体どうやれば良いのか。思案しながら、靴を履く。ふと、後ろを振り返ると、ここからだとまだテントが見える位置だということに気づいた。こちらから見えるということは相手からも見えるということだ。自分が殺すための訓練を、我流ではあるがやっていることをわざわざ知られることは無いと思い、テントとは逆側。森の奥へと足を進めた。何かの獣がいたら困る。あの男の寝込みを襲う時のように、細心の注意を払ってしのび足で。
数歩歩いたところで、ガサガサッという音に驚き、そちらの方を振り向く。何かが草むらの奥へと逃げ込むのが見えた。だが何なのかは分からない。
こちらが目視出来なかった場所にいて、そして警戒を払っても尚、こちらの存在に気づいたことに、妙な焦りを感じた。
その感覚は、あの男の反応を見たときに感じた焦りに近いものだった。
目を凝らす。毛の茶色いウサギだった。草むらの間に隠れて、こちらをじっと見ている。こちらのことを警戒しているのだろう。
一歩近づくと、その動物は、こちらのことを振り向こうともせず、一目散に逃げた。
ああいう、逃げることに秀でた動物を狩れるようになれば、あの男にも感づかれることなく近づけるのではなかろうか。自分の訓練の仕方の目処が付き、ほっと胸を一撫でした。
とにかく、自分がやるべきことは分かった。それは大きな収穫だ。
辺りを見回す。丁度、先ほどと同じ毛色のウサギが、草むらの影に隠れて餌を食べている。ここらはあの種の動物の縄張りなのだろうか。探せばまだ多く居そうだ。
こちらに感づかないよう、ウサギの視界を気にしつつ、背後からそっと近づいていく。息を押し殺し、音を立てず、ゆっくりとした動きに悲鳴を上げる筋肉を意識で押し殺し、ゆっくりと間合いをつめていく。
一歩、また一歩。十メートルも無い距離が、途方も無い距離に思えた。噛み締めるように進んでいく。
ピクリと。三歩進んだところでウサギが体を立てたのが分かった。餌を食べていたはずなのに。しかし音を立てなければ大丈夫だろうと高をくくり、更に一歩を踏み出した。
その瞬間、食べかけの餌を残して、ウサギは逃げ出した。立ち上がってから逃げるまでの動作は実にスムーズで、「あ」という声を出す暇すらなかった。
こうなってしまっては、もう追いつけない。諦めて体から力を抜き、一呼吸。そして後ろを見た。
四歩。距離にして二メートルを少し超えたあたりといったところだろうか。気づかれぬよう慎重に動いていたはずなのに、たったこれだけの距離しか詰めれない。
確かに訓練する方法は分かったが、しかし、思っている以上に途方も無い作業のように思えた。だが、まだ始めて一日目。結論を出すのはまだ早い。まず、少なくとも三ヶ月ほど訓練をつんでみよう。あの生き物はここらでよく見る。きっと、どこで野宿しても、探せばそれなりにいるはずだ。
いつの日かあの男を殺すまで。少しでも自分を磨くんだ。
男は別段、何かに優れていたわけではなかった。
かといって、優れていなかったわけではなかった。
どこにでも居る普通の人間。だが、それを認められずに、人間として分不相応な幸福や待遇を望んだ。その為の最も単純で最も安直だったが、しかし良識としては最も愚かな手段が暴力だった。男は多少は人間として、そのことに躊躇をしたのだが、しかし結果的にこの道を選んだ。例えその迷いがあったからといって、世間や社会から許されるはずも無い。
手始めに、男は一人、近くに住んでいた老人を殺害した。
動機も非常に当たり前の理由だった。殺しが好きだからというわけでも何か社会に対してメッセージがあったなど、自称、高尚であったり、特殊な目的を持つただの殺人鬼のようですらない、ただ、たまたま、老人しか居ないと見切りをつけていた家で盗みを働いているうちに、被害者の老人には運が悪かったことに、物音に気づいて起きた所を、物の拍子で殺してしまったという、お粗末なものだった。
それ以来、彼は自分よりも優れた者に狙われるようになった。
才覚も体格も筋力も瞬発力も技巧も積み重ねてきた努力も。そんな、戦闘において自分よりも優れている相手に対抗するには、策を弄するしかなかった。
罠、地形の優位さ。男はこの二つの策だけで、今まで並居る賞金稼ぎを撃退し、或いは煙に巻いてきた。そして狙われていない間に、また同じように、幾つもの家に押し入って、必要であればその住人を殺してきた。そしていつの間にか、近隣では、余り多くの賞金稼ぎが狙いたがらない相手として、それなりに名が通ってきた。それが、レオ=カドリックと呼ばれるD級の賞金首の姿だ。
だが、彼の戦い方が少しも通じない敵に遭遇する。
罠にかける為には、とにかく相手の進路をコントロールするところから始めなければならない。一つ大きな罠にかければ、後は簡単だ。その罠を避けるために移動する場所に、罠を仕掛ければいい。その連鎖を幾度も重ね、最終的に、人間には絶対に避けられないレベルの規模、必殺のトラップに落とし込む。
進路をコントロールする為の手段は大きく分けて二つだ。かかりやすい、細かいトラップを、目指すだろう場所を検討つけて幾つも設置するか、姿を見せて相手の進路をこちらに牽きつけるか。基本的に、後者のほうがコントロールし易い。何か特殊な事態が起こっても、それなりに対処できる。最悪、どうにもならなくなったら、設置したトラップで時間を稼いでいる間に逃げれば良い。その為、男はいつもの通り、その手段を選んだのだった。
だが、それが命取りだった。
「え……」
何が起こったか、理解できなかった。
相手の攻撃がおそらく、まず届かないだろう場所から姿を少し見せるだけで、後はいつものように、トラップの場所まで誘導しようと考えていた。だがおかしなことに、居地をとったはずの敵は、いつの間にか、何故か目の前で大剣を振り回している。
自分の身に何が起こったのか理解できなかった。咄嗟に頭に閃いたものを感じて背後を見る。自分がつい先程までそこに居た、高台がそこにはあった。
何がどうなったのかは分からないが、この位置に引き摺り込まれたのだと、男は直感的に理解した。
同時に、逃げ出したい感情に駆られた。
そもそもが、自分の実力に自信を持っていなかったし、そのことについては経験を伴う確信に近い感情を抱いていた。加えて、相手の様相だ。背丈は自分と変わらないくせに、その身の丈程もある大剣を振り回している。少しずつ早くなる大剣は、見ているだけで恐ろしいものだった。そして何より、絶対に捕まらないだろう位置に居た男には、まだ戦う覚悟が出来ていなかった。否、その点に関しては男は最初から持っていなかったのかもしれないが。
背後に駆け出す。何か、得体の知れないものが周囲を囲っているのが見えたが、そこに突っ込むことに恐怖は感じなかった。むしろ、後ろで風を斬る音とは思えないほど鈍く力強い音を立てて振り回されるそれの恐怖のほうが、余程強いものだった。
それが紛れもなく死地への道だとも知らずに、男はその足を踏み出してしまった。
「あ……」
その時の男の絶望が一体どれほどのものだったのかは、当人以外知る由も無い。
結界の外に出した手を軸に、下から風が吹き上げる。一瞬の出来事だった。男は、自分が宙に浮かされたことに一体いつ気づいたろう。
それは風と呼べるのか、果たして正しいのか、多くの人にはわからないだろう現象だった。竜巻に近い。周囲のすべてを吹き上げるほどに強烈なも風が、真下から真上に吹き上たった、それは明らかに通常起こりうるものではない現象だった。
ツバメが低空から、空の高い部位へと羽ばたくような速さで。男の体は空の高みへとどんどんと、勢いよく登っていった。
男は風を切る感覚を感じた。走る時に感じる、自身が空気の壁を突き抜けていくような感覚を、何十倍にもおぞましく、苦痛なものに変えたものが、男を襲った。
呼吸もままならない。目も開けられない。身動きも取れない。どんどんと空気は薄くなり、体にかかる圧力はその強さを増していく。その圧力で、彼の体の表面は所々紫の色を帯びた。臓器や血管が、かかる力でずたずたになり始めていたのだった。体が突き抜ける空気の層は、どんどんとその厚さを増していき、同時に、その温度を下げていった。冷たさを感じたときには男にはもはや、痛みなのか冷たさなのか、自分の体がどちらに悲鳴を上げているのかが分からなかった。
ふっと、下から突き上げる力がなくなったのを、男は感じた。
口を開ける。口の中に入ってくる酸素の量が乏しく、人が水中で呼吸が出来たのなら、こういったものなのだろうかというような感覚。苦しくて大きく呼吸をしたのに、酸素が全く入ってこない。
目を開ける。目の前に広がるのは馬鹿みたいに鮮やかな空の色。周囲を見回してもその色しか広がっていない。自分の身に、一体何が起こったのか、男には理解出来ていなかった。
男が居るのは高度三百メートルの空の中。冗談のように青く、そして何もない空間の中。
自分が空に居ることに気づいたのは、男が落下を始めたときだった。
地面が無い。人が居ない。見たことのある建物が多く集った集落のようなものがある。それが自分が最近襲った町だと、男は落ちながら気づいたのだった。
落下傘も命綱も無い自由落下。再び空気の膜を、今度は下からの風ではなく、重力に押されて突き抜けていく。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
叫んだ。
とにかく叫んだ。肺の中の空気をすべて出し尽くすような勢いで、男は叫んだ。それが声になっているのか分からない、獣のような咆哮。自分の終着点が分かってしまった。このまま地面に激突し、粘土の塊が壁に投げつけられたような音を立ててモノのように死んでいく。何をどうしようともそれは避けられない。理性ではなく本能で、それが分かってしまった。
死にたくない。男は思った。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。最初に殺した老人のように死ぬのはいやだ。無様に命を散らすのはいやだ。もっと何かしたい。自分はもっと世界にやさしくされても良かった。優遇されても良かった。何故自分がこんな目に遭わなければならないのか。死にたくない。嫌だ。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない――!
地面に激突する直前、余りの恐怖に意識が暗転した。目の前に見えていた景色が暗闇に変わる刹那、男の頭には、今まで自分が殺した人間の姿が次々と浮かんでいた。
――そう言えば、死にたくないと何度も呟いた人間を、自分は殺したんだった。
その者達のその時の気持ちは、こんなものだったのかと考えると、彼のなけなしと言って良い良心が、罪悪感で満たされた。
グチャ。
凡そ人の体が出す音とは思えないような鈍く気色の悪い音を立て、男はその生涯を終えた。
「おい、早くしろ。今日はせめて、あと一日歩けば目的地に着く程度の所まで行きたいんだよ。こんなんじゃそこまで着くのに、あと半日はかかる」
既に一日の終わりかけ。陽が沈みかけ、肌寒くなった風が、汗で濡れたシャツの隙間に吹いて体温を奪う。休めるところで着替えでもしないと、下手をすれば風邪をひいてしまう。本来なら既に休むべき時間なのだが、しかし目的地への道のりを考えると、もう一頑張りしないとまずい。
「五月蝿い。わかってるんだよ、そんなの」
息も絶え絶えといった様子で、ガキは答えた。朝五時に起きて朝食を食べ、それからはずっと歩き通し。昼食は買っておいた干し肉と水を歩きながら食べ、夜八時辺りでテントを張り、十時には就寝。そんな生活も、もう五日目だ。体力が十分でなく、体も出来上がっていない子供がここまで着いてこられることに、正直なところ、驚きだった。最初の内は今よりももっと酷い状態ではあったが、慣れてきたのだろう。年中移動するこのやり方に、半年足らずで順応しつつある。俺としても、こんな年代の子供にこんな生活を強いるのはそれなりに心が痛むことなのではあるのだが。
それもこれも、あの詐欺師の取り立てがきついせいだ。
お陰で四六時中、金を稼がなければならなくなった。牢屋から出してもらった時の料金を支払うのと、生活費と、借金を払うだけで、向こう何年かの俺の生活は、かなり危ういものになった。今は一銭でも多くの金を稼ぐ必要がある。このガキを街に残しておくわけにもいかない。子連れの賞金稼ぎなんて聞いたことがないが、仕方がないのである。
おかげで変な奴にガキが絡まれることもなくなった。いくらなんでも四六時中、そんな奴らに絡まれていたら、身体的にも精神的にも、教育的にあらゆる意味でよろしくない。
最も、最近は行く先々で人殺しだとのたまわなくなったから、そんな心配をしなくても良いのかもしれないけれど。
だが、念には念だ。
「お前さ、それ。歩きにくい靴に無駄にでかいナイフなんて、長旅の恰好じゃねえんだよ。次の町でせめて靴くらい買やっるよ。あとナイフよこせ。後で返してやっから」
「五月蝿い。余計なお世話なんだよ。あと喋りかけんじゃねえよ」
弱音吐いてるんだか強がってるのか判別に困る返答だった。
こういう風に意地を張ったガキに、何を言っても無駄だ。俺はペースを落とさずに、方向だけを示し、どんどんと先を進んでいく。道が整理された、商人が好んで使用する国道は、基本的には一本道なので、どれだけ先を進んで、後ろから見えないほどになっても、いずれは追い付いてくるので心配はない。
俺はというと、宿泊するテントに衣類、少しの食糧に多めの水が入った、ぱんぱんのリュックを背負い、人間よりも大きい、化け物のような大剣をその上に乗せて歩いている。羽織った外套の下には、仕込み武器をいくつも持っている。普通、こんな状態で歩けるのは人間ではない。こんな時、あの詐欺師にもらったこの眼が重宝する。俺が身につけている限り、その所持品の重さは無きに等しい。この眼を入れてもらう際には、全く考えていなかった想定外の恩恵ではあるのだが、こういう状況になると非常にありがたい。
そんなわけで、見た目には少しもそうは思えないが、俺よりも重い荷物を持ちながら、足をずるずると引き摺らせて歩くガキを置いて、俺は先に進むのであった。
俺も何かと兼業した方が安定して生活できるのかなぁ……。と、とりとめのないことを考える。だが、それは今更だ。俺は兼業をしない、純粋な賞金稼ぎとして生きようと決めていたし、そのためにあの魔法使いと契約を交わしたし、それが前提の契約なのだ。俺は一生賞金稼ぎ以外の仕事は出来ない。そして更に、得た利益の幾分かを上納する。そういう契約で、この眼を譲り受けたのだ。金があろうとなかろうと、目を取られないよう、働き続けるしかないのだ。
後ろを見る。とうとう、豆粒程度の大きさになったガキを見て、やれやれと溜息をつく。このままでは予定通りに着かない。かといって、ここで容赦して体力が余っているガキを放っておくと、後で殺しに来る。その線引きが非常に難しい。ガキの体力の限界ぎりぎりのところで、かつ、予定を守ることも考えて。手を貸すタイミングを図る度に、いつも迷う。いっそ倒れてしまえば楽になるのに、ガキはガキで俺に手を借りるのが(当然といえば当然だろうが)嫌らしく、意地でも着いてこようとする。つまり、まとめてしまえば、あのガキがあきらめない限りどうにもならないのである。それでも、最近は移動続きで疲れているのか、襲ってくることは本当に少なくなったのだけれども。
また誰かに取られるのかなぁ……賞金……。
しかし、予定通りにいっても間に合わないことがあるのがこの業界だ。おかげで商売、あがったりだ。運よく、本当に近辺に現れた賞金首を狩って得た収入で、今までは何とかなったが、安定性が悪すぎる。これからは、他の賞金稼ぎが狙わないような、多少困難な相手を狙った方が効率がいいのかもしれない。そうしないと、近いうちに生活が出来ない所まで、既に追い込まれつつある。
ただ不安はある。金額の大きさは即ち、賞金首が如何に手強いかを示すバロメータだ。単純に強い、或いは、徒党を組みすぎていて狩りにくいなど、金額が少し高く、そして長く賞金首である者達は、一癖も二癖もある犯罪者ばかりだ。中には、賞金首を狙う賞金稼ぎですら手を出さない方がいいことを推奨する『ブラックリスト』の者達もいる。そういった者達を狙って、自分が生き残る確率は限りなく低い。
これでも、長年、賞金稼ぎをやってきた。もうすぐ十年になる。その経験に裏付けされたわけではないが、自分の実力には、やはりそれなりに自信がある。そこらの賞金首に遅れをとることはない。
だが、自分の実力の限界も、この十年で嫌というほど思い知った。
賞金稼ぎではなく、一武術家として致命的な弱点が俺にはある。片方の目しか使えないため、非常に視野が狭く、動体視力もそれほど優れているわけではない。一流の武術家は、相手の攻撃をミリで避けると言われているが、そこまで高等なことはできない。せいぜいセンチといったところだ。慣れれば多くの人間が到達できる、そんな境地。
加えて、体格もこれと言って優れているわけでもない。筋力なら確かに、才能に任せただけの、街で偉ぶるそこらの荒くれ者などよりは優れているだろう。だが、体格が優れていたり、生まれつき筋力の絶対量が多かったり、そういった、生まれながらのものを持ち、さらに研鑽を惜しまない、優秀と呼ばれる人間と比べると、やや見劣りする感がある。
結果、単純な斬り合いでは賞金稼ぎとしては生活できない。だからこそ力を求め、その対価を支払い、自分の戦い方を確立したのだ。
自分の弱点が斬り合いにあるのなら、させない。筋力での勝負になると負ける可能性があるのなら、しない。如何に相手の行動をコントロールし、実力を発揮する機会を与えず完勝し、常勝するか。その為の戦略が、この大剣を使った戦闘スタイルだ。相手を焦らせ、行動の幅を制限し、選択肢を狭め、そこを狙う。思えば、そのスタイルを作り上げてきた自分の分析力と思考力が一番の武器なのではと思えるが、しかしそれは戦闘において役に立つことはすくない。
ランクが上の賞金首を狙うなら、今のこの戦略が通用しない相手と遭遇するかもしれない。多少、そういった際の備えはしてあるし、奥の手と呼んでもいい武器はあるが、それすらも通用しない、奥の手を使う機会すら無くこちらが殺されるような化け物クラスの賞金首に出会う確率は、格段に上がる。中には、魔術師と呼ばれる、あの魔法使い予備軍もいるし、俺の目のように、特殊な力を持ったやつもいる。
そういう輩と争って勝ち続けていくのは、戦い方ももちろん重要だが、運の要素が強い。情報量は基本的に、その賞金首のランクによって決められるため、出費もそれなりに高くなる。勿論、リターンも莫大なものになるのだが。
だが、このままでは生活が危ういも事実だ。
どうしようかと思案しながら後ろを見る。豆粒だったガキの姿が見えなくなった。どうも完全に歩けなくなり、倒れたらしい。
またか、と思いつつ、俺は今、追っている賞金首を諦めた。
国道の脇に荷物を置いて、中からテントを出す。横目で完全に意識を失っているガキを見た。体力がゼロになるまでよく歩けるなと思う。それだけ精神力が強いのだろう。体力がそれに追いついていないようではあるが。それだけ俺のことが憎いということか。
悲観するよりもむしろ感心する。あそこまで徹底して両親を慕えるのは、凄いことだと思う。その経緯がどういったものであれ、あそこまで純粋に思えるのは本当に、凄いことだ。それはきっと素晴らしいことなのだろうと思う。少なくとも、人の倫理としては。
余りの素晴らしさに、眼も眩むほどに。
自分には出来なかった。そんなことを思いながら、作業を進める。何も考えないように。何か考える暇を、自分の体に与えないように。
だが遅かった。脳裏を過ぎる映像。聞きたくない言葉。もう十年以上前のことなのに、それでも鮮明に覚えている。忘れたくても忘れられない。忘れたいと思っているのに、それでも事あるごとにこうしてぶり返し、俺の意識を暗く深い海の底のような所へと引き摺り込んでいく。
胸を掴んだ。痕になるだとかそんなことは考えていられない。苦しい。呼吸が出来ない。胸が痛い。否、胸ではなくその奥にある何かが強烈に痛みを訴えている。いっそこの心臓が鼓動をやめてしまえば良い。そう思うと、今すぐにこの胸を引き裂いて、中の臓器を取り出して、肉片になるまでひき潰してやりたい衝動に駆られた。
力を込めて胸に爪を立てた。痛い。だが内からくるこの痛みに比べれば実に健全な傷みだ。込める力を 次第に強くしていく。同時に深呼吸。痛みで自分の意識が戻る場所を明確にし、自身の感情を元の正常な値へと戻していく。
一回。二回。三回。呼吸をする度に、胸の痛みが引いていくのが分かる。爪に込める力をどんどんと強くしていくのに、むしろ感じる痛みが減っているこの状況は、よく考えると矛盾しているが、しかしこの感覚を味わったのはこれが初めてではない。自分の感情が、正常な位置に戻ろうとしている証なのだと、体験的に知っている。
四回、五回。もう大丈夫。呼吸が随分楽になってきた。同時に、感じる痛みが違う種類のものへと変わっている。力を抜いて、胸から手を離した。
六回目。深く、深く深呼吸。意識ははっきりしている。呼吸も正常だ。肺へ流れ込む酸素が、非常に心地よく感じた。
そういえば、何をしていたんだっけ、と、自分の行動を思い出す。目の前には作りかけのテント。ああ、そうだ。寝床を作るんだった。嫌な思いもしたし、今日は少しゆっくりと休みたい。出来れば水浴びでもして、頭も体もすっきりした状態で眠りに着きたい。あのガキも体力は限界を迎えている。このままだと熱中症でそのまま臨終しかねない。さっさと準備しないと。
作業を再開しようとしたとき、胸に鋭い痛みを覚えた。「痛っ」予想もしていない痛みに思わず呻く。見てみると、丁度、先程、衣服の爪を立てていた辺りに血が滲んでいた。
ため息をつく。何て余裕の無い。無様だと、自身を卑下した。
『人を救うことは簡単なことじゃない』。
あの魔法使いの言葉が思い出された。
自分のことでも手一杯、いや、いっぱいいっぱいというところだと思う。だというのに。
俺に、そんなことが出来るんだろうか。