第1話
少し長い話で読むのに気合が居るので、何個かに分けて楽しんでもらえるようにします。よろしくお願いします。
世界には三人の魔法使いが居る。
それは世界中で語られる、御伽話のような話だった。
彼らはたった三人で、世界の全てを支えているのだと。
正しい道へと人々を導き、害のあるものは速やかに遠ざけ、命ある者を救い守り、仇成す者を討ち滅ぼす。
曰く、三人の魔法使いは神が与えた使いなのだという。
村、国を超えた枠の中で、彼らは常に歴史の中枢に居た。
一歩足を踏み出せば風のように素早く、一度腕を振り回せば業火を呼び、一度息を吐けば命が芽吹く。
常人には真似出来ない特殊な力を用いつつ、今日この時も、世界のために奔走しているのだという。
しかし、その限りなく規格外の力を用いても、余りに多忙なその身を補うため、
彼ら三人は世界に一人だけ、自身が選んだ人間を従者として差し向けるのである。
その人間は、魔法使いから授かった不思議な力を手に、その偉大なる魔法使いの御意志の通り、
世界のために奔走する。
そんな魔法使いの従者を、人々は尊敬と敬意の年を込めてこう呼んでいる。
『魔法使いの騎士』と。
おそらく世界中の誰もが知っている絵本の冒頭を読み、何て大層な物言いなんだと、宿のエントランス、共有スペースの本棚へ絵本を戻しながら、そんなことを考えていた。感心を通り越して呆れてしまう。
こんな偉大と謳われる人物が、日々の生活にも困る賞金稼ぎの真似事をしてあくせく働いているのを知ったら、どれくらいの子供の夢を壊してしまうのだろう。
賞金稼ぎ。そう、職業とも呼べるか分からないそれを生業としている俺は、今日一日の余りの実りの無さに、生きる気力を無くしかけているのだった。それくらい、賞金稼ぎとして生計を立てるという事は難しいことなのである。
命の危険があるとか、そういったものだけではない。実は最も大変なのは、賞金首を狩る時ではなく、情報収集の時だ。朝から外に出て脚と頭とコネと金を使った地道な作業。お金が出て行くだけ出て行き、労力はかかるだけでリターンは金ではなく情報。日に日に減っていく財布の中を見るのはなかなか心が折れる作業である。金がなくなりそうになってくると、敵が中々に手ごわく、命の危険を感じて背中に寒気を感じるときなどとは比べ物にならないほどの寒気を感じることがままある。懐が寒いという言葉はあるが、何故寒いという言葉が充てられているのかというのを良い歳になって初めて学んだ。
馴れた賞金稼ぎほど、賞金首の噂を聞いたらすぐにそこへ向かう、なんてことはしない。出来るだけその土地で様子を見て、近場に現れた賞金首を出来る限り迅速に狩る。狼やら熊やら、果ては蜘蛛だとか、狩りをして生きる種族たちとやることはほとんど変わらない。
何故と言われると実に当たり前の話で、そもそもが割に合わないのだ。そこまでの食費や旅の危険や旅の労力が莫大過ぎる。往復する費用だけでも、賞金を得たとしても、収支がゼロになることも少なくない。うん千万もの賞金首だとかは普通、滅多な事では現れない。基本的に賞金首になるのは町で誰かを殺しただとか、盗賊団だとか、窃盗団だとか、牢屋から抜け出した犯罪者達なのである。そんな奴らに大層な賞金がつくわけもない。勿論、大物の賞金首を狙うのは、そんじょそこらの賞金稼ぎには倒せないほどリスキーなのはいうまでも無い。
平均した賞金首の賞金というのは十万から三十万。節制すれば三ヶ月生活できるものから、半年以上は何とかなる量というのが相場だ。だが移動していたりするとあっという間にこれらがなくなってしまう。のらりくらりと移動して貧しい生活をするよりも、まだ賞金稼ぎという職業を副業にし、自分の居住地を作って、何か別の仕事をしていたほうが、採算という意味では明らかに効率が良い。実際、現在確認されている賞金稼ぎは何か他の職との兼業がほとんどであり、専門の賞金稼ぎというのは探すほうが難しい。
更に、移動しながら賞金首を捜すことを皆がしない理由の一つに騎士団の存在がある。
世界を股にかける司法組織。世界に存在する三大大国の共同出資で設立したその組織は、あらゆる地域の治安安定を第一の目的としており、犯罪者の取締りなどもそれに含まれる。
大枚をはたいて、苦労して、やっとの思いで賞金首がいるらしい場所にたどり着いたら、もう騎士団が捕まえた後だった、なんていうのはよくあることだ。こちらとしては良い商売敵であるが、それで街の治安が保たれるならば文句を言っても仕方がない。
同業の連中も商売敵になり得る環境の中、移動しながら賞金首を狩るのは余りにもリスクがありすぎる。ので、こうしてとにかく時間と労力と金をかけて、近くに賞金首が居ないかを探す作業を繰り返すのである。
しかし中々、犯罪を起こしてなお、騎士団にやすやすと捕まらない犯罪者、なんていうのが居るわけもない。で、あるがゆえに、今日も大して有益でない、壮絶な無駄骨の一日が終わりを告げたのであった。合掌。
こういう一日の終わりの疲れは、はっきり言って賞金首とやりあった時の疲れよりも何倍も上だ。どれくらい疲れたかといえば、軽く生きているのが嫌になるくらい。情報量だけで二万もスッたのは正直痛いとか心が折れるとかそういう言葉で現せるレベルを三桁くらい超えていて泣きそうだった。
こういう時は宿に戻って、風呂に入って、一日の疲れとさよならした後であー気持ちいいなぁ、もー死んでもいー、などと適当な現実逃避をした後で、ゆっくりと次の日に備えてふかふかの布団に包まって、これまた現実と全く関係のない夢を見て次の日に備えたいというのが心情だろう。
再度呼び鈴を押す。安宿だからなのだろうか。店の対応が悪い。これで三度目だ。本を読みつつ少し待っては見たものの、全く現れる気配がないとはどういうことか。三度目の呼び鈴は耳に届いたのか、のそのそと奥から出てきた。凄い眠そうっていうか瞼半分閉じてるし。お前寝てただろ。
「一泊したいんだけど」
ああ、良いよ。と、獲物を見つけた店主は突然の営業スマイル。素晴らしい笑顔だ畜生そりゃ寝起きで金ヅルがくれば機嫌もよくなるよな。けれどこの辺りの宿屋の中では大分安い方で、しかもこの街には最近移り住んできたばかりで、融通を聞かせてくれるような顔見知りも居ない。よって、この場はここで妥協せざるを得ない。
提示された金額は四千ゴールド。くそっ、もう財布の中身を危惧しなければならないレベルになってきた。それでも一日、少なくとも風呂に入れて二食の食事つきでこの値段ならしょうがない。
しょうがないけど払いたくないな……! そんなことを思いながら渋々財布から金を取り出し、払う。
鍵を受け取り、部屋の場所を聞く。二階の一番奥。陽が当たりやすい場所だから、しばらく使うんなら良い場所だと余計な情報をくれた。くそったれが、俺が宿無しって言うことを分かっている。ほくそ笑んでいるのが見え見えだ。少なくとも親切心ならそんなことを言わない。値切ってやるからもう一泊しろくらい言ってみろ。
こんなことで腹が立つなんて、イライラしているんだなぁと、その時気がついた。きっとこの人は親切心で言ってくれて明日会計するときに「昼寝くらいしていきなよ、代金はおまけしとくからさ」とか言ってくれるに違いないんだ。ああ、ごめんよ店主さん! 一瞬貴方を疑ってしまった! ああ、でも今はお金を数えるのに夢中なんだね! 凄い嬉しそうだ!
ため息を一つ。そうだよな。世の中そんなに善人ばかりじゃない。
「そいつは人殺しだ!」
不意に後ろで声がした。ああ、またか。振り返らずとも分かる。今日のこのイライラの元凶。もう既に何度も聞いた声。お陰で少なくとも、面倒な一日になった。
年端もいかぬ黒髪の少年。ぼろぼろの皮の布切れを全身に覆うように被っている。脚には少年には不似合いな靴。ただし女物。貴族がパーティにつけていくような立派な黒のローファー。デザインからして女性物だが。勿論サイズが合うわけもなく、歩くたびにカッポカッポと小さく音が鳴る。
顔は薄汚れていて、左の耳の下。首と顎の境目のような所に薄い切り傷の痕があるくらいで、大きな特徴はない。若干鼻が大きいくらいだが、それは年とともに顔のバランスが良くなっていくことで気にならなくなるだろう。大人になれば存外綺麗な顔になるのかもしれない。だが、その目つきは獲物を狩る獣のように鋭い。
「そいつは俺の父さんと母さんを殺したんだ!」
「ひっ」
少年の言葉を本気にしたのか、店主は後づさって俺から距離をとり、迅速に家から出て、外に出るような構えを取った。外に出て騎士団でも呼びに行くつもりなんだろう。しかしそれはちょっと困るので止めておく。
「違う、違うんだ。そうじゃなくて、ちょっと話を聞いてくれ。俺は賞金稼ぎなんだ。それに金払ったろ。俺が人殺しで追われてるなら、そんなことするかい?」
「あ」
あんなに嬉しそうに金を数えていたのに、すっかりそのことを忘れていたらしい。しかし何とか話が通じそうで助かった。
「人殺し!」
「じゃあ、あれはなんなんだい?」
あれ、とは後ろで叫んでる少年のことだろう。大きな声で人殺しだの喚くから、なんだなんだと宿に泊まっている人間が部屋から出てこちらを覗き始めた。説明するの、今日で何回目だろう。面倒だな。
「だから言ったろ。俺は賞金稼ぎだって」
後ろの子供を親指で指差しながら、続ける。
「あいつの両親は賞金首で――俺はそれを殺したんだよ」
有り体の言い方ではあるし、そんな区分けはきっと何の意味もないのだろうけれど、世の中の人間は、極論すれば二種類居るんじゃないかと思う。
死んではいけない人間と、死ぬべき人間の二種類だ。
残念ながら、あのガキの両親は後者だった。
「あのなぁ……だから言ってるだろ。ついてくるのは別に良い。俺がやってるのはそういう家業だし、お前を生かすことに決めた時にそれなりに覚悟はした。自分の身を守りはするが、殺したいっていうんならいくらでも受けてたつ。でも行く先々でこっちの営業妨害すんのはやめてくれって」
個室についていた風呂から上がって、部屋の入り口で視線だけで殺してやると言わんばかりの殺意をこちらに向けている獣に話しかける。
「……」
取り付く島なし。こちらがどれだけ譲歩してもあっちが素直に応じるわけがない。かといってあっちに情けをかけすぎるとこちらが殺されるという寸法。武器持ってるしなぁ、あいつ。
「俺の仕事は強盗やら何やら、悪いことしてる奴らを捕まえることだって。場合によっちゃ殺すこともある。お前の両親は、そういう奴らだったってことで、しょうがなかったんだ」
「……」
「まあ、聞いてはくれないわなぁ」
「……ない」
「あ?」
「しょうがなくなんか、ない」
歯軋りをしながら、内から生まれる怒りを必死に押さえ込むような口ぶりだった。
「……そりゃまあ、確かに、そうだな。うん、悪かったよ」
両親が殺されたのだ。それも殺した本人が、しょうがない、なんて片付けて良いわけがない。迂闊な言葉だった。
「とにかく、これ以上迷惑かけるなら、俺は生活できなくなっちまうし、そうなるとお前も共倒れだぜ。悪いけど、金が無くなったら俺はお前に何も買ってやらんし、自分の命優先で金使うからな。今日みたいに宿の中で過ごす、なんて出来なくなるし、食料も買い与えないから食べるなら自力で取らないと生きていけなくなる。それはお互い困るだろ?」
お陰で貧相になりかけている財布が、拒食症になりかねない勢いだ。ダイエットされるだけで困るのに、その上病気になられでもしたら困る。主に俺の生活の為に。
「もし俺を殺したいんなら、大人しく成長するのを待って、俺を殺せるくらいになってから殺せって。それが一番良いんだよ。お互いのために」
俺はその日までは順調に仕事をこなせる。食料や宿代が二人分になってしまうが、その程度は働く量を増やせば何とかなる。こいつもこいつで、十分な食事も宿も取れる。お互いにデメリットが最も少ない。その間に心変わりをしてくれたなら、それこそ言うことはないという下心は、勿論言わない。
「殺してやる」
だというのに、やはり、コミュニケーションは取れそうに無い。こっちから歩み寄ってもあまり意味が無いし、労苦を伴うだけだ。それこそこいつが止まるのは、俺が死んだ時くらいだろうが、それも困る。
勿論俺が死にたくないのも理由の一つではあるが、身寄りも無く生活する手段も無いこいつがこれから先生きていくのが困難だというのも理由の一つだ。賞金首の子供で人殺しで、身寄りも無い、金も無い、物も無い。そんな子供が生きていけるほど、世間というのは残念ながら、暖かくは無いのである。
幸運に恵まれれば少しは違ってくるかもしれないが、しかし何時来るか分からず、確証も無い幸運にすべてを任せるっていうのはどうにも気が乗らない話だ。
「分かった。分かったから風呂入ってこいよ。なんだかんだで今日一日、俺に着いて回ったんだからお前も疲れてるだろ。さっさと風呂入って寝ろよ。お前、まだガキなんだから、もう寝とけ」
こちらの隙を窺うような(実際、隙がありそうだったら飛び掛ってくるだろう)視線のまま、器用にもこちらを見ながら、壁を背中伝いに歩き、風呂場へと消えていった。
「はー……疲れた……」
今日も一日、めぼしい収穫はゼロだった。世間は至って平和。それ自体は喜ぶべきことなのだろうが、このままでは商売上がったりだ。それどころか、手持ちが明らかに少ない。明日もこのままだと、もう宿に泊まる金額すら捻出できない。
「はー……」
また仕事紹介して貰わないとなぁ……貧乏暮らしは別に良いけど、あのガキを食わせられないって言うのは問題だよなぁ……。
またミリアに紐呼ばわりされる。反論できないのが悔しいがあれは結構堪えるんだよな……。何より怖いし。
でもやらないわけにはいかない。これは俺があいつの両親を殺したことの責任であり、自分の選択の責任なのだから。
やれやれと。ため息をつきながら、ポケットの中にいつも入れてある箱を取り出す。蓋がないその箱を殴って叩き壊すと、中から一つの小さなガラス球が出てきた。それを床に捨てて足に力を込めて踏み潰す。バリッという音を立ててあっけなく割れた。
同時に軽い眩暈。意識が飛びそうになったが、必死で繋ぎ止める。が、それでも視界が歪む。ちょうど、軽い脳震盪を起こしたような状態。
何度やっても慣れない。ミリアは『世界が元に戻ろうとしている兆候』ということらしいがそんなことは良く分からないし分かったところで俺に何かメリットがあるわけではない。
重要なのはこの現象の後、ミリアはなぜか俺の前に現れるというわけで。
会いたい時にはこのガラス玉を潰せば良いというただその一点だけだった。
視界が戻りつつある。いつもの通りなら、気づけば目の前に誰か立っていて、それがミリアだと分かっているのだけれどまだ輪郭しか見えない。
目を閉じて少し深呼吸。頭の中がぐるぐる回るような、気色の悪い感触は薄れつつある。その辺りは、日ごろ戦闘を生業としている賞金稼ぎの経験がものを言う。ゆっくり呼吸を三回ほど。その程度で戻るだろうと判断した。
「きゃん」きゃん? 何の音だ? 声だろうか。だが目を開けても視界はぐるぐる回っているだけだ。気にせずに自身の回復に努める。
酸素をゆっくりと身体に取り入れて、それを全身に、ゆっくりと一周、回してやるイメージ。血液と一緒に体の隅々までめぐり、最後に出来る余分なものを、ゆっくりと吐いていく。鼻から息を吸ってゆっくりと口から吐く。
一回…………二回…………、そして三回。
目を開ける。
ミリアがいた。
ただし全裸だった。
「………………ええ?」
「こ………の………」
風呂にでも入っていたのだろうか、床に仰向けに寝転がる姿勢のまま、ベッドに座っている俺を見上げている。絹のような金色の髪と、透き通るように白いその肌は若干濡れていて綺麗でいやそうじゃなくて若干湯気があってもともと『西の至宝』とも呼ばれるほどの抜群のスタイルと美貌の持ち主で、そんなやつのきわどいところが微妙に見えなくていやだからそういうことでもなくて、というかこれは多分余りのことに思考が固まっているんだと思う。俺もミリアも。
「ええ、何? え、何、何? 何? ええ?」
混乱して二つの言葉しか喋れない。
語彙力がねえ!
いや突っ込むとこそこじゃねえ!
「どどどどどどどどうしよう?!」
思わず聞いちゃった!
無言で立ち上がるミリア。どこから出てくるのか体の回りにどんどん服が作られて行く。見慣れた濃い青紫色のローブ。ご丁寧に胸元には星と月と太陽が折り重なった装飾が付いていて、このまま王宮や社交場に出ても何の遜色も無いどころか、威厳すら感じられる。濃紺のマントまで現れた。そのマントは裏表で色が違う。裏―体を包んでいる側―は、表側よりも薄く、明るい藍のような色だった全体の配色とあいまって、お洒落だと感じるには十二分すぎる一品だった。やべーすげえ便利だなこの機能、欲しい。いや、そうじゃないそういうことを考えてる場合じゃなくて、やべえ指パキパキ鳴らして歯をカタカタさせながらこっち睨んでる、怖っ!
「時間を弁えろこのド変態があああああああああああああああああああ!!!!!」
「ごめんなさいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
とりあえず死ぬ気で謝ることにした。
この前会ったときいつでも呼んで良いってお前言ったじゃん! とはこの際突っ込まない。
とりあえず俺は二十分ほど殴られ続けることを覚悟した。
――二十分後。
「反省したか」
「はい、すいませんでしたゆるひてください」
口の中が切れまくりでまともに喋れねぇんだけど……
そんな俺の様子を見て気が済んだのか、どうにか、ミリアは胸元で組んでいた拳を下ろしてくれた。
「全く、私の風呂を覗きとは良い度胸だ。国王に取り次いで豚小屋にでもぶち込んでやりたいところだ」
「いや、別に風呂覗くために呼んだわけじゃなくてですね」
むしろ完全な不可抗力でこの時間帯は呼ぶなとか言わなかったそっちが悪いのでは、と続けようとしたところ、もう一回殴られた。
「馬鹿かお前! こっちの落ち度だってことくらいとっくに分かってんだよ! くそっ、そういう問題じゃなくて、これはお前に覗かれてお前が悪いんだって思わないとショックがでかすぎてやってらんないんだよ! 恥ずかしくて死にそうなんだ! そんくらい察しろ甲斐性なしが! 分かれ!」
ビシッ! そんな効果音がつきそうなポーズでこっちを指差してきた。
理不尽だ……けどなんとなく言いたいことは分からないでもない。女心って難しい。
「それで用件はなんだ。もしくだらない用件だったら……ああああああああ下らない用件だったら私はお前の首を即座に刎ねてしまうかも知れないがそれでも良いか? むしろ刎ねたい凄く刎ねたいなああああああ!?」
顔を両手で覆ったり髪をくしゃくしゃと掻いたりして、なおかつ血走った目でそんなことを言われた。
……どうしようかなぁ……これで「金貸して、てへ☆」って言ったら怒るよなぁ……怒るの目に見えてるよなぁ……どんなに可愛く言ってもどんなにあいつ好みに言ってもだめだよなぁ……。
でも普通に言うよりあいつ好みに言ったほうがまだ怒りが少ないかもしれない。
こいつの弱点は子供好き!
あれ、でもこれ火に油注ぐだけじゃない? って思うのと言葉を発し終えるのはほぼ同時だった。人間、やってしまった瞬間に後悔していると言うこともあるのである。
「仕事ちょうだい?」 ブチッ。
何か変な音がした。何の音か一瞬分からなかったが考えてみれば分かった。
あー血管の切れる音か。血管の切れる音って聞こえるんだなぁ。初めて知った。
「そうか。今すぐ死にたいか。そうかーはっはっは! 分かった。どういう殺し方がいいかな? 大量の人食い虫の群れに放り込んで少しずつ肉を食われながら死んでいくのがいいかな? それとも狂牛鬼に体のパーツを一つずつ破砕されていくのがいいかな? どうかな?」
「違う! 違う、いやすいません! 今のは違うんです! 違うの! あのね! 今回は違うの事情があってね! 俺が生活したいから仕事欲しいんじゃないの! 違うの! ちょっとちょっと、お願い話聞いて、ごめんなさいこの通り!」
自分でもびっくりするくらい自然に土下座した。
だって怖いもんこの人。実質、この国どころか世界で三本の指に入る怖い人だもん。この人本気で怒らせたら、良くて重りつけて海に沈められるか獣の餌にされるか一生監獄だもん。そりゃ土下座もする。
とりあえず一発殴られた。
「ふん、なら話だけは聞いてやらんでもない」
「いや、一発殴ったけどね。話聞いてないけどね」
「何か言ったか?」
「いえ何も言ってません。実はあそこに」風呂場を親指で指しながら続ける。
「凄い睨んでる餓鬼が居るな」
「うんってなんだ、風呂もう終わったのか」喋りかけるが、勿論返事はなかった。
「ん……なるほど、そういうことか」
「ああ、全く面倒なことをやっちまったって自分でも思ってるんだが」
「人攫いとは中々悪どいこと考えるじゃないか。え? で、これの身代金はいくらにするんだ?」
「少し考えた挙句の答えがそれかよ! 何がなるほどだ! お前日ごろ何考えてんだあほか!」
「え……そんなこと、仮にも女の身に言わせるのか……?」
「顔を赤く染めつつ俯きながら冗談言うなよ! それ冗談にみえねー! っていうか冗談だよね?!」
「当たり前だ。何を考えてると思ってる。で、だ。誘拐でないとすると、これは何なんだ?」
うわこいつすげえむかつくぶっ飛ばしたい。
でも金がほしいというのは切実な話でこいつをぶっ飛ばす度胸もないのでこの際脇においておく。悲しいかな弱者の性。
「前、お前が持ってきてくれた盗賊団の話あったろ」
「ああ。お前が殺したやつだろ。それがこいつと何の関係があるんだ?」
「その頭領夫婦の一人息子」
「…………よし、歯を食いしばれ」「え、ちょ」っと待って。その言葉が間に合わない内に頭の先から全身を突き抜けんばかりに振動が走る。意識が一瞬ブツリと、いやな音をして途切れるのを感じた。一瞬見たのは天井。その視界に、ミリアの顔が割り込んできた。途切れ途切れの思考で、自分がどの状態に居るのかを必死に思考するが、うまく考えがまとまらない。
「お前が何をしようといちいち文句をつけるほど私は暇ではないがな。だが、お前は私の騎士で、魔法使いの騎士として生きる以上、そのルールには従うべきだと思うんだが、それについてはどう思う?」
胸に体重をかけられているらしく、若干重い。その重さで、床に倒れているんだなということをまだ意識が判然としない頭で理解する。
「はい、それは、重々分かってはいたんですけど」
「分かってねぇだろうが、あ?」
誰だよこのヤクザ。
突っ込みたかったが気力もないし、そもそも体が言うことを聞かない。胸の上に足が乗っているのだがその感触もない。力も入らなければ感覚もないらしい。
一体どういう理屈なのかは判断できないが、少なくとも反抗が出来ないという状況は分かった。喋れるけど動けない。要はそういう状態なわけだ。この女相手に理屈をいちいち考えるのは無駄である。大人しくこいつの怒りが収まるまで……。
っておい、そこの少年。その手に持ってるのは何だね?
声も出さずに両手に握った刃物をこちらに向けながら突進してくる少年。目は血走っていて完全に本気であるのは傍目に分かるし、俺は動けないし確かに、復讐を果たしたいなら絶好なチャンスなんだけど。
「やめ」
静止の声も間に合わない。俺だけだったなら軽く済ませられるが今は駄目だ。猛獣の巣など生温い。剣とか槍とかの刃物の先がこちらを向いている穴に飛び込むようなものだ。むしろその方がマシかもしれない。
――ここに居るのは世界で三人しか居ない魔法使いの一人であり、世界中から恐れられる、世界の支配者の一人なのだから。
ある意味予想通り、少年の試みは失敗に終わった。こちらに走ってきたのと同じ勢いで天井に奔り、天井にぶつかって、そのまま勢いを止めずに床に背中を殴打して、更に床に倒れた少年を、この魔女は全力で蹴飛ばした。
ボール宜しく、跳ねるように転がった後で壁にぶつかり、少年はようやく止まった。
「いや、やりすぎだろう……」
さすがにそこまでボコボコにするのは予想外だ……。
だからやめろと言ったのに。
「おい、テラ。躾がなってないぞ。おい、クソガキ。客人を殺そうとするとは何事だ? それとも私が誰か、知ってて殺しに来たか? なら誰かに頼まれたはずだな。おい、さっさと吐け」
「あー、違う、そいつはだな」
「うるさい、お前なんか知らない、邪魔するな!」
口の中が切れているのか、それとも胃か何かから血が逆流しているのか、叫ぶ度に血を撒き散らしながら、少年は答えた。叫ぶ元気があるのだから恐らくは前者だろう。
「あいつは父さんと母さんを殺したんだ! 仇をとるんだ!」
あー。出来れば知られたくなかったなぁ。穏便に仕事だけ欲しかったのに……。
「ぷ、あははははははははは! 何だお前、こいつを見逃しといてその上命まで狙われるほど恨まれているのに、養ってやってるのか? とんだ笑い話だな!」
「五月蝿いよ」
「は、は、はははははは! ひー! ひー! やばいしぬ! はー、やばい、呼吸が、はははは! ヒーッヒッヒ! しかもそのために私に借金って! 借金って! ヒーヒッヒッヒッヒッヒ!」
うわすげえヒーッヒッヒって笑う奴初めてみた。この悪人呼んだの誰だよ。
「これには事情があってだなぁ」
「ああ、分かってるさ。理解するくらいの甲斐性も賢しさも私は十二分に持っているつもりだよ。お前と違ってな。私を誰だと思っている。おい、クソガキ」
魔女は断罪を告げる神の様な壮大さで、美しいその口元を歪に開きながら。
――――お前、随分痩せ細っているな。
言ってはならない言葉を口にした。
「…………え…………?」
気づいたら体を起こし、魔女の肩を掴んでいた。体が何時動くようになったかなど、この際どうでも良い。一刻も早くこの女をこのガキから遠ざけないといけない。
「ちょっとこい」
「あ? 今良いところだぞ。もう少しで」
「良いから早く来いと言っている」
もう有無を言わせる暇も惜しい。力ずくで服を引っ張りつつ部屋から押し出した。たった一言で完全に、茫然自失に陥ったガキに、食事をしてくるとだけ告げて扉を閉める。声が届いていたかどうかは分からないが、今は放っておくのが一番良い。
「おい、放せ、服が伸びる」
「ちょっと付き合え、詳しく話す」
「おい、お前、折角、私がだな」
「だから、その事についても話すって言ってる。とにかく、少しここから離れたいんだ。頼むよ」
何処か納得の行かない顔をしたが、魔女は渋々、こちらの言うことに従ってくれた。「そうだな、腹も減ったし」そんなことを言いながら、案内をこちらに促している。
さて、何とか一段落はついたものだが、どうしよう。
とりあえず、ここの食事代、一体誰が出すんだ?
呼吸が荒い。
何度深呼吸しても追いつかない。正確に言うなら深く息をする度に呼吸が詰まるので、深呼吸をしているつもりなのに、彼にはそれが出来なかった。
口を大きく開けているのに息が出来ないその様は、地上に打ち上げられた魚に似ていた。
そんな彼は、唯一つの言葉を呟きながら、壁に寄りかかりながら歩を進めていた。
――苦しい。
何でこんなに苦しいのか。考えるのももどかしい。そんなことを考える暇はない。
苦しい。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい、誰のせいでこんなに苦しいのか何のせいでこんな苦しいのか、誰を憎めば良いのか誰を怨めば良いのか誰が原因でこんなに苦しいのか。
一体誰がこんなところまで貶めるのか。
視界がぐらぐらと揺れ、歪む景色の醜悪さが、より一層彼を苦しめた。まっすぐに歩いているのかすら定かではない。けれど確認しないと。自分の恨みが行く先が、自分から逃げていないかどうかを。ただその執念のみで、少年は脚を折らず、前に進んだ。
食堂に行くまでに何人か、彼に声をかけてきた。周囲の人間にそれほど心配をかけるほどに今の自分の様子は普通じゃないのだろうことは、彼自身にも分かった。が、それらの厚意を全て無視して、呼吸を乱しながら、引き摺るような足取りで食堂まで辿り着いた。
中に入る必要は無い。遠巻きから見るだけ。確認するだけでその作業は事足りる。
食事をしてくると言った。その言葉が本当かどうか、確かめないと。一体誰のせいでこんなに苦しまねばならないのか、その原因の所在を確かにしないと。
探すまでも無い。食堂の中、一際甲高い声を上げている女性が居る。長い金髪で透き通るような白い肌の女性。身に纏うのは濃い紺のような色のローブ。他の女性と比べるまでもないほどに、美人だと形容するに何の差し支えも無いほどの、どこか高貴さを纏った美しさ。
その女性に肩を叩かれながら、一緒に酒を飲んでいる男が一人。
居た。そう少年は呟いた。
感情が昂ぶるのを感じる。あいつだ。あいつが俺の両親を殺したんだ。卑怯な手段を使って俺から両親を奪い去った。少なくとも確かに、悪人であることに疑いは無いが、それでもあんな殺され方をされなければならないほどにあの二人はどうしようもない人間ではなかったというのに。
あいつだ。あいつだ。あいつが全て悪いんだ。こんなに苦しいのも気持ちが悪いのも呼吸が出来ないのも何もかも、全てがあいつが原因なんだ。
だというのに、何であいつはまだのうのうと生きているんだろう。あまつさえ、まるで楽しむように、女性と酒を飲んでいる。生きているどころではない。幸せそうにしか見えない。
許せない。
俺をこんなに苦しめている癖に生きているなんて許せない。
俺の両親を殺しておいて、楽しんでいるなんて許せない。
人殺しの癖に、周りがそれを許しているなんて許せない。
助けてほしいのに、誰も味方が居ないなんて許せない。
誰もあいつを殺そうとしないのが許せない。
殺せない自分も許せない。
悔しい、悔しい、悔しい悔しい。何であいつは生きているんだろう、何であいつは今も楽しそうに生きていられるんだろう。何であいつが生きているのを、皆が許しているのだろう何もかも許せない。
だから、自分で殺してやる。
誰も手を貸さないというのなら一人で。誰も助けてくれないというのなら独りだけで。
これから生きられるかどうかなんて、知らない。あいつが今、生きているという事実だけは我慢なら無い。
そう思われてしょうがないことをあいつはしたんだから。
出来るだけ苦しめて、殺してやる。
あいつは、俺を人質にして、無抵抗の両親を殺したのだから。
森の中で二人の男が戦っている。
正確には二人と、その男の片割れの取り巻きが何十人と周りを囲んでいるのだが、手が出せずに、ただその行方を見守っていた。
戦っている男二人、その片方は、恐らくは保護色を利用したかったのだろう、そこらの木々や葉の色を基調としたフード付きの迷彩服。顔は塗料で塗りつくされ、どういった顔なのかは間近で見ないと分からない。指先に多くの銀装飾を身に着けているのは、その場に居る多くの人間の中で彼だけで、恐らくは、彼らを統べる者だろうという想像がつく。
そして戦っている男のもう片方の出で立ちは、彼らとは全く違うものだ。薄汚れたシャツに皮の長ズボン、その上に薄茶のマントを羽織っている。戦いには不向きの軽装だろうと思いきや、実際は服の下に鎖帷子を羽織っているのが、彼が動くたびに微かに見て取れる。戦う格好ではあるが、それはむしろ、移動を主軸に置いた格好であり、今この時、この場所で戦うためのものではない。
当然、顔に何か塗っているわけでもない。短いが風に靡く黒髪も、左右目の色が異なる様相も、その場にいる誰でも見て取れた。左右の目はそれぞれ、黒と緑の瞳の色をしており、髪の色を考えれば緑の目が義眼なのだろうという推測を立てる事が出来る。その瞳の色だけでも異様と言えば異様ではある。だが、そんな彼の容姿を気にする者など、誰もいないだろう。それ以上に目を引くものがあるからだ。
それは彼の武器だった。
人の体よりも尚大きい巨大な鉄の塊とでも評すれば良いのか。二メートル以上もある丈に、その半分ほどの幅。さらにその半分よりも若干厚い、剣の形の何か。刃先が磨かれていないそれは剣の形をしてはいるが、刃物としての役割をなしていない。剣というのは武器であるが、分類すれば刃物のそれに該当する。切れない剣などは、剣とは言えず、そもそもこの武器の目的は切る事ではないだろうことが誰の目にも明らかだった。
――故に、それの名は狼牙。刀とも刃とも剣とも。刃物を表す全ての言葉から見放された、押し潰し、挽き、砕くだけの、剣の形をした人力の圧搾機――
恐らくは人には振るえないだろうそれを、面白いほどに振り回しながら、賞金稼ぎ、テラ=ブルックフィールドは着々と獲物を追い詰めつつあった。
勿論、腕力のみでそれを振り回している訳ではない。元々、彼の腕力は、それなりに力のある人間よりも若干優秀といった程度のものである。少なく見積もっても七十キロから百キロ超ほどもあるその武器を、腕力のみで振り回せる訳も無い。
彼は戦い始めてから、一度もその武器を収めていないのだった。
常時振り回していたと言っても良いが、その表現だと、若干語弊があるのかもしれない。その様は寧ろ、自分で振るった鉄塊に、振り回されていると言った方が適切だろう。武器のあまりの大きさから使用用途は、振り下ろすか、それとも横に凪ぐかの二択である。だが、地面と垂直に振り回せば地面にぶつかり、その勢いは止まってしまう。だからこそ、その大剣の使い方は、凪ぐの一点張りだ。相手がしゃがんで避けられないよう、斜めに――普通の剣術で言う、肩口から、反対側の銅までを両断しようとする袈裟斬りのような軌道――斬ることもあるが、狙う場所が違うだけで、凪ぐ動きには変わりない。
テラは武器を振った後、武器の勢いを殺して体勢を整えることをあえてせず、体ごと回しながら、続けて第二撃目を放つことで体にかかる負担を少なくし、その武器を操っていた。体ごと回す遠心力と、武器を振るった時の加速。全身を独楽のように回しながら、それらの力を無駄なく次の一撃へと流用する。砲丸投げの要領に近い。重いものをぐるぐると回し、遠心力でその重さと筋力の差異をカバーする。速度はどんどん上がっていく。相対する相手も、当初は一撃一撃にまだ見切る余裕はあったが、今では反応するだけで精一杯だった。
テンポが際限なく上がりながらも、振り下ろされる一撃の鋭さが増す。剣を振り回すテラの動きだけを見れば、過激なダンスのステップを彷彿とさせるが、それが操っている物の軌道は寧ろそんな生易しいものではなく、人の身ではどうにもならない恐怖を浮かび上がらせる、巨大で強烈で極悪な、全てを薙ぎ倒す暴風が、吹き荒れながらもその力を膨れ上がらせている様に似ている。
当たれば決定的だが、しかし注意をすれば、ただの一つしかない攻撃方法に当たるわけも無い。対峙する男は、これまで幾度と無く自身を狙う巨大な鉄塊を避け続けた。寧ろ今も尚、命があることが、その剣戟の速度が上がっても対応できている証拠といえる。
だが、その余裕もなくなってきていた。
男は、今すぐにでも逃げ出したいという欲求に駆られていた。それもそのはずだ。続けざまに武器を振り回すことが出来たとしても、武器の重さが重さなのだ。一度に何メートルも移動できない。即ち、距離を離されると、あの鉄塊はそれだけでもう唯の無用の鉄くずに成り下がる。この男と対峙するのは得策ではなく、遠くから飛び道具で戦うほうが利口であるし、有利なのは明白だ。今すぐにでも、その距離を保ちたい。自分の命が危うい状況から、すぐにでも脱したい。
だがしかし、こうなってはどうにもならなかった。
じりじりと男は右の足を下げる。あるところで、その踵に傷がついた。鋭い刃が切り裂いたかのような傷跡。痛みに反応してしまい、目の前に迫る鉄塊への反応が鈍った。地面と水平に薙がれた一撃。男は全身が粟毛立つのを感じただろう。
だがそれでも何とか、その一撃を、転がることで前に避ける。足を止めずに更に跳躍。飛んだ地点に、続く第二撃の風圧が、遅れて地面を抉った。次に飛んでくる攻撃は斜めか横かどちらかを把握するために、テラを一目見た後で、確認してから更に距離をとるが、ある地点で、それ以上後ろに下がれなくなった。
その場は、小さな戦場を作り出していた。
周りにあるのは風。奇妙なことに、その軌道に薄く輝く緑の色がついた、視認出来る風の渦。大小様々な石片や、弓に使われる矢などの物騒なものすらも含む、鋭く荒れ狂う突風が、まるで二人を囲っているかのように吹き荒れている。
ドーム状に吹き荒れるそれは明らかに自然に発生したものではないが、中の二人はそれが分かったところで出ることも叶わない。ドームの大きさは直径八メートルほど。風が地面を抉ったことで出来ただろう、地面につけられた跡が、境界線を描き出している。
どちらに有利な状況かは言うまでも無い。それはテラが持つ力によって作り出された決闘場だ。
右の目の、緑の瞳が怪しく輝く。それは義眼にして魔具であり、とある魔法使いから片目と労働と忠誠と友好の対価として送られた、特殊な力を持つ瞳だった。
その力の一つが、『檻』と名付けられた、場を形成する力だ。
一度その境界線に触れようものなら、先ほどの男の踵のように、風の中に含まれる石の欠片か、それともカマイタチのような現象が起こっているからかはわからないが、体中が切り裂かれる。それは賞金首である男は、様子見のために先行させた部下の末路で既に知っていた。数十メートル先にある、傷だらけのまま絶命した血と肉の塊が、すべてを教えてくれていた。そうなりたくなければ、この中で戦うしかないのである。
加えて、周囲を囲む風は、この場に手を出そうとするものも取り込んでしまう。周りの男達が撃った矢が、テラと男の周囲をぐるぐると回っているのはその為だ。むしろ、周りが手を出せば出すほど、境界に触れた際のリスクが増す。それに気づいた男の仲間達は、頭領の危機であるにも関わらず手が出せないでいた。
顔に塗った塗料の上からでも分かるほどに、賞金首の男の顔から血の気が引いてきていた。この状況は、男には随分不利な状況だということを、身に染みて分かってきた故だった。
こういった狭い場所では、武器の有効範囲がものを言う。テラの持つ武器は、見切られやすいというリスクはあるものの二メートル以上の巨体だ。腕の長さと合わせると三メートルを優に超える。中央に陣取れば単純計算で、振り回せば直径六から七メートルの円が、彼の有効範囲だ。残りのたった一から二メートル分の範囲で何度も避け続けることになる。勿論、男もそれが分かっているので中央にテラを出来るだけ近寄らせないよう動いてはいるが、それはかなり神経をつかう作業だった。しかもその一撃一撃、当たれば必定、即死は免れないとなれば、体ではないにしろ、精神にかかる負担はかなりのものだった。否、掠るだけでも大問題だ。急所に当たろうが腕の先に当たろうが、アレに接触した部位は例外なく吹き飛んでしまう。
男がこの場から切り抜ける方法は、この場を形成している原因である、テラを殺すことだった。しかし、それも一筋縄ではいかない。
元来、武器の持った殺し合いは相手の隙の見つけ合いだ。牽制、フェイント、技術、間合い、幾つもの動作で相手の隙を作り、それを打倒する。もし隙を作ってしまった時も自分の技術や危機察知の能力を磨いておくことで、最悪の一線を越えることだけは回避するようにし、或いはそれを返す。それが正しい戦闘のあり方だ。
しかしそれも、普通の武器を扱う普通の人間が相手の場合だ。武器を振るいながらも、同時に回転しながら移動する。隙があるようでない、そんな戦い方をする人間と戦うのは初めてだった。簡単な投げナイフなどの飛び道具は、こちらの攻撃が読まれていたのか全て避けられてしまった。厚みがありすぎるほどのこの武器も、その回避の手伝いをしている。生半可な攻撃は武器に弾かれる。圧倒的な射程の長さは一息で飛び込むには長すぎ、こちらの射程に入れない。少なく見積もっても、あの男を仕留める為にはこの鉄塊を二度も避けながら、しかも前に出なければならない。
男は後悔していた。目の前の賞金稼ぎの攻撃にまだ対応できる間に英断すべきだったと。様子見を交えた中途半端な攻撃から入るのではなく、一度で決める覚悟で踏み込むべきだった。相手の武器が異様なほど大きいことから小回りの利くものや、投擲武器を用意してきたが、槍の様な、射程で少しは戦えるものを選ぶべきだったと。
だが悔いている時間は多くなかった。時間をかければかけるほど、テラの振り回す鉄塊はその速度を増す。刻々とその凶暴さを増してくのを、ただ黙って待っているほど愚策は無い。やるなら次。出来うる限り被害を防ぐための英断とも言える覚悟だった。
男は努めて、巨大な牙を振り回す敵を凝視した。一連の動きから次の行動を予測、推測。その上で自身の行動を決める。まだ見切れる速度だ。慌てる必要もなければ取り乱す必要も無い。今やるべきことは、自身の昂ぶる気概を出来うる限り押さえ込み、冷静な判断をし、その上で最善の行動を取ること――。
テラの動きは、確かに戦闘開始以前よりは素早くなってはいるものの、それでもまだ、緩慢と言える動きであった。恐らくは水平に近い振り下ろしの軌道――胴を薙ぐことを狙った――ものであるだろうと判断した男は、前に出て、巨剣をぎりぎりのところでしゃがんで避ける。あからさまに避けると、無理やり軌道を変えられた時に間に合わない。この重量だ。そんな芸当をすれば相手の手首や腕に何かしら負担がかかるだろうが、しかしたかが手首の筋を痛めるリスクと、こちらが即死するというリスクとでは、比較しても割に合わない。向こうの凶器は一撃必殺。鉄を塊に、肉を肉片に変える圧搾兵器なのだから。
頭の上を鉄の塊が、ブォンと、その一振りが風を生み出す音を発しながら通過する。頭の上が消し飛んだかのような錯覚が、一瞬男の頭をよぎった。剣が頭の上を通り過ぎる際、頭の上が焼けるのを感じた。掠っただけで皮膚が破けたらしいことを理解したが、それでも次の一歩を踏み出そうとする男の勇気は賞賛に値するだろう。
独楽が回る。後ろに下がりながら、振るった一撃をとめようともせず、体ごと回転させ放つのは、しゃがんだ男を屠ろうとばかりに斜めに振り下ろす、普通の刀で言う所の袈裟斬りの軌道。右の肩口から左の腰までを二つに断たんと発するそれは、両断どころか粉砕せんとばかりの一撃だった。
だがその動きを、男は冷静に見ていた。それは死地という状況でもなお、冷静に自身の芯を残しておける、優秀な兵士の所業だ。絶望的な状況だからこそ、慌てずに冷徹に判断できるその能力は、少なく見積もっても非凡なものであるには違いない。さすがに、彼を取り巻く数十人を統べていたというだけのことはある。
斜めに振り下ろす軌道を確認し、更に直前までひきつけて、剣の軌道とすれ違うように跳躍。相手の胸元に飛び込んだ。手に持つ刀剣の柄の底である柄頭を、柄を持つ手とは逆の手で添え、持った凶器で相手の身体を貫き、通す構え。それは確かに、男の推測通りなら、必殺の一撃になるには違いなかった。だというのに、男の五感が告げた次の予測は、男のそれまでの予測とは全く逆のものだった。
――覚悟せよ。お前はもう、どう足掻いても、自分が望んでいた場所に戻ることは出来ない。
幾度も死線を越えるか否かの戦いを繰り広げた男にこそ感じられた、自分がその線を越えてしまったという絶望感。死を前にするものが数秒の間を何分もの時間に感じるといわれているのと全く同じ現象を、男は体験していた。
結論から言えば、テラは既に、手に持っていたその一撃必殺の刃を捨てていた。
最後の一撃を放った時、それを捨てたのだろうということは、相対する男にもすぐに理解できた。最後の一撃を、相手との距離を詰めながら避けたが故に、剣の軌道を確認する余裕も無かったことを踏まえれば、想像に難くないことだった。テラは最後、剣を振るったのではなく投げ捨てそして懐に手を入れていた。
思えば、戦闘が始まった直後に、あんな大振りの一撃をするような馬鹿げた武器を持つテラに、何故最初のうちに仕掛けなかったのかを、最後の勝負をかける前に意図しようとしなかった男が愚かだったのかもしれない。何かあるかもしれない、と。最初のうちは無意識にそう思っていたからこそ、男は手を出さなかったのだ。
しかし、そのままの状態を続けていたなら、ジリ貧だったのは言うまでもないことだった。どちらにせよ勝負にでなければならないのだ。焦りと緊張から、そこまで思考が及ばなくとも彼を責めることは出来ないだろう。
賞金稼ぎは基本的に、隠し武器と言われている暗器を好む。多くの敵と二度以上戦うことは殆どないからだ。戦闘になった時は殺すか殺されるか。ならば、見破られれば何てことはなく、応用性もないにしろ、ただ一度のチャンスを生かすためだけのみに存在する暗器という存在は、まさにうってつけの代物だった。
それを男は理解していた。だから、当初は、無意識に警戒していたのだった。あの獲物は、あまりに大きく、あまりに目立ちすぎるということに。
ここまでが、テラの計画だったのだと言うことに気づいたときには、既に男は事切れていた。遠距離と近距離の二段構え。最初から近くに誘い込むことこそが狙いであり、しかし放って置けば距離が離れていても仕留めることが出来る、その優れた戦術を用いるのが、賞金稼ぎ、テラの戦法だったのだ。
――懐から出した二振りの刀剣。テラにとっては予定通りの一撃を避け、振るう剣の切っ先が描く白の軌跡は、急所を的確に切断した。
優れた頭脳の持ち主だろうということを、少年は感じていた。
戦い方一つ一つが考えつくされたものだ。身体をくるくる回しつつ、大振りの剣戟を放ちながらも、しかし目線は常に相手から離していない。相手はその大げさな動きからその一点に注意をし辛いし、少しずつ自分の間合いが狭まっていくことによる緊張感が、その不注意を加速させる。異様なほどに厚い鉄の塊というのもポイントかもしれない。
ともかく、そもそも当てることではなく、懐に飛び込ませることこそがテラと呼ばれる魔法使いの騎士の狙いなのだということが分かるほどに、少年は聡かった。凡そ、十を過ぎて数年だろう、その容姿からは想像できないほどに、彼の頭脳は発達していた。
生物は必要に応じて、その強さを変える。それは今まで生物が歩んで来た道筋通りのものであり、それは人にも言えることだった。
彼は、自身の復讐を果たすために、聡明にならざるを得なかったのである。
勿論、その聡明さはこと勉学に応用することが出来るわけではない。むしろ戦闘に特化したものだ。相手の動きを分析し、弱点を探り当て、的確に対処法を考える。血筋といっても良いのかもしれない才覚を、彼は有していた。
とにもかくにも、あの大剣が厄介だと、少年は思った。懐に入った後、必殺の一撃をかわすことなどは考えなかった。隠された武器があの双剣だけとは限らないし、その双剣をかいくぐるのは不可能に近い。なぜなら、二回ほどあの大剣をくぐらなければたどり着けない。それは即ち、相手にある程度体勢をコントロールされてしまっているのと同じことなのだ。とにかく懐に入って、などと、そんなことに攻略の労力を割くよりも、別のことに集中したほうが効率的だ。
そもそも、この戦略はあの大剣が無ければ成立しないのである。それを少年は深く理解していた。大剣が無ければあの騎士は相手をコントロールする術を恐らく持たない。というよりも、あの戦い方はあの大剣を持っているからこそのものであって、前提が崩れれば脆い物だろうと思った。勿論、体捌きだけでも自分はあの男に十分劣っているから、それでも勝てる見込はほぼ無いといってもいいということを、少年は理解していた。
だからまずは、それを鍛えなければならない。万に一つだろうが億に一つだろうが京に一つだろうが。刹那の如き勝機を己が力で掴み取るために。
今は駄目だ。筋力が明らかに足りない。足運びや重心の固定、手首の返しや相手の行動に対する反応の経験値。そういった技術よりもまず、土台が明らかに違う。蟷螂が象を打倒できないのと同じこと。そもそものスペック差がどうにもならないのだと、少年は本能的に理解していた。
せめて、打倒する可能性のある何かに変わらなければならない。
口惜しい。悔しい。今すぐにあの男を打倒できないと理解せざるを得ない自分がいることが。そしてそのことを冷静に分析している自分自身に、憎悪にも似た怒りを感じる。
だが一つだけ希望はある。
あの男は自分の戦士としての実力には自信を持っていない。
それはこの戦術の周到さから推測できる。そもそもが、実力があるのならこんな策を弄する必要が無い。あんな戦法に頼ることもないのだ。自分の腕に自信があるのなら、そこまで自分の身体を酷使する方法を選ばなくてもいいはずである。常に勝つために何か策を用意することはあるかもしれないが、軽く、急所を貫ける類の装備の一つや二つ、用意すれば良いだけの話だ。隠し武器というのはそういうものなのだということを、彼は知っていた。それも当然の話だ。死んだ自分の両親はそういったことを好む人間であったのだから。
彼の両親は自分の実力に自信を持っているタイプの人間だった。基本的に軽装備を好み、隠し持つ武器は二から三。その時々の気分や相手で、その武器を変えていたが、それでも少年がこの年になるまで、もう何十人も殺してきたのを見てきた。そんな風にしていないということは、自分の腕前については自信を持っていないのだ。そう、例えば自分の両親がしていたように――
思考をそこまで巡らせた後、嫌な汗が、額を伝っているのに気づいた。
ため息を一つ。今まで呼吸をしていなかったかのようだ。待っていたかのように、酸素が全身を巡り、体が再び動き始めるのを感じた。
少年は、事件から半年ほどが立つ今でも、両親のことを思い出そうとするとこういった、ショック状態に近い症状に陥っていた。気づいたら酸素欠乏状態になっていることも珍しくなかった。眩暈や強烈な吐き気を感じ、口の中にその日に食べたものが上がってきた時点で、やっと正気に戻る。気づいたらベッドの上で寝ていたこともあった。
特に両親が死んだときに、どうやって戦っていたのかを思い出す時が一番酷かった。
そこにもしかしたら、あの男を打倒する方法が隠されているのかもしれないのに。そう少年は考え、何度も思い出そうとしているのだが、まるで靄がかかったように思い出せない。あの男が言うには、軽い記憶喪失であるらしい。思い出したいのは山々なのだが、考えている内に昏睡することもあるので、あまり深く考えれないのが現状だった。
テラは血を流す死体から逃げるように、早足で死体から距離を置いた。
まるで嫌がるかのように、あの男は死体から極端に遠ざかる。あの檻は、どちらかが完全に死ねばその効力を無くす、が、それまでは機能してしまう。テラという名のあの男は、相手が絶命するまで、いつもずっとそうしている。
そのときの表情をまじまじと見たことは無い。だが、何故だろう。勝負に勝ったというのに、少しも嬉しそうな雰囲気はない。
むしろ、苦しそうだと、思った。
『檻』が消えた。
あ、危ない。判断するのと動くのは同時だった。木を盾に、身を隠す。
周囲を囲っていた矢や短剣の群れが、周囲に弾けとんだ。彼を囲っていた集団は、自分の投げた、或いは打った矢で、自分の身体を傷つけることになる。運が悪ければ死ぬこともありかねない。
所々で叫び声が上がる。少し待って、もう一度視線をテラに向ける。苦しんでいる周囲の人間を見ることなく、淡々と、死体の耳を刈り取っていた。
耳を刈り取って、周囲の人間には一瞥もせずにこちらへ向かってくる男のあまりの表情のなさに、背筋が凍るような感覚を覚えた。だが、親の仇相手に怖気づきたくないというプライドにも似た強情さが、最後の最後で支えてくれた。
「終わった。とりあえず、近場の町に行くぞ」
不気味さを覚えるほどの無表情。人を殺してきたというのに、何の後ろめたさも感じられない。自分の両親を殺したときもこうだったのかということを考えると、今すぐにでも首を掻き切りたい衝動に駆られた。
だが、どうせ今かかっても無駄だという判断が、その衝動を抑えた。少なくとも、今殺しに行くならば、奇襲でないとまるで意味がない。万に一つすら、正面からでは適わない。この男が自分と接するとき、少しも油断していないのは何度も襲撃した経験から分かっていた。現に、今もテラは、何か行動を取ってもすぐに対処できる距離から、近づこうとはしない。
先に歩き出すテラに、黙って着いていく。追っ手の気配はない。いつもこうだ。あの大剣を振り回す戦い方が周りに威圧を与えるのか、[見たものを強制的に『檻』に引きずり込む]というテラの能力を恐れているのか。この男にとっては、集団で襲い掛かるなど何の意味もない。ただの一対一の連続だ。誰かが遠くから弓を射る音が聞こえたら、手近な誰かを見てその能力を発動すれば良い。自分が犠牲になるかもしれないというリスクを犯すものが、頭領が殺され、烏合の衆になった集団の中から出るとは思えない。個人的にはもう少し、根性を見せてほしい所ではあるが、別にどうでも良いとも言える。やはり、どうせなら自分でこの男を殺したい。
そう息巻く思考とは裏腹に、少年の体は、あちこち、震えていた。怖かった。殺したいという感情が薄れたわけではないが、それを躊躇するほどに、この男に対して恐怖を抱いていることを、少年は自覚した。恐ろしい。この男がまるで理解できない。自分を助けたくせに、今はここまで冷徹な人間になれるその不可解さが、どうしようもなく恐ろしい。
一体、この男は、何を考えて人を殺しているのだろうか
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