40.くろねこは、今夜もつきをさがしてる。
どこまでも果てしなく青く澄んだ空はいっそう高くなり、青々と茂っていた木の葉たちは今はもう、鈍く色を変えかろうじて枝の先にしがみついていた。
穏やかな風が駆け抜けるだけで、はらり、悲しげにまた一枚の葉がどこかへ旅立った。
あの葉は、一体どこまで行くのだろう。
窓ガラス越しに金髪の髑髏本部の庭の景色をぼんやりと眺めていると、頬に程よい暖かさの硬質なものが押し当てられた。
不意に現実に引き戻されたように思い、顔を上げるといつもの明るい笑顔が降ってきた。
「よっ、マイハニー元気?」
鮮やかな金色の髪は顔の両側で外へ向かって豪快にはねている、ルーナだ。
「……マイハニーってなに」
ルーナが椅子を引いて隣へ腰掛け、私の前に缶コーヒーを置いた。
「それ、やる。ってかマイハニーはマイハニーだろ。オレの可愛い可愛い愛しの透ちゃん、ってこと!」
暖かいコーヒーの入った缶のプルトップを引くと、湯気が立ち上った。
こうして熱いものを飲むときは先に少し冷ましておかないと、猫舌の私は飲むことができない。
「ルーナのハニーになった覚えはないよ」
「そー言わずにさ」
窓の外でまた風が吹いて、葉を浚っていった。
季節の変わり目を感じ、はあと重い溜息を吐いた。
もうあれから二か月も経ったことを思い知らさせる。
私とルーナが、クロネコ――エリィを殺してから。
金髪の髑髏内はもちろん、その情報はすぐに世界中の治安維持組織に知れ渡ることとなり、私たち二人は実力を認められ、実績を表彰された。
今思えばそれだけクロネコという存在は世界を脅かしていたんだなあ、と半ば感心さえ覚えた。
金髪の髑髏のボス、シェーデルさんはまさに鼻高々といった感じで、この組織での私たちの扱いはそれから一変した。
廊下ですれ違えば会釈をされるし、呼び止められて握手を求められることまである。
けれど決して嬉しいことなんかじゃなかった。
エリィは死んだんだ。
一緒に苦しみを耐え抜いた、運命共同体とさえ言えるほどの人を、
どんな暗闇をも打ち砕く太陽を、私は失ったんだ。
エリィが死んでから数日間は酷い喪失感と脱力感に襲われて、ベッドから起き上がることもできなかった。
ただただ蹲って瞼の裏の真っ暗な世界で、見えなくなった太陽を探した。
だけど太陽は消えてしまっても、それでも私を照らしてくれるものがあった。
「そろそろ行くか」
ルーナに声をかけられ、私は無言で頷いて残っていたコーヒーを飲みほした。
椅子の背もたれに掛けた黒いコートを羽織り、本部を出た。
木枯らしが吹きぬけて、身体を震わせた。
見上げた空は重たい灰色をしていた。
駐車場に回り、車に乗り込んだ。
今日はこれから、花を買って――エリィの墓参りへ行く。
場所は研究所が在った海を臨む高台。
金髪の髑髏の団員の反発を受けながらも、私はどうしてもエリィが存在していた証を残しておきたかったから。
研究所が解体されたあとにその跡地に建てたのだ。
高台へ着いて車を降り、十字架を象った墓標の前へ屈み、色鮮やかな深紅の花弁を持った薔薇を置いた。
この花がエリィにはぴったりだと思ったから。
硬い石に刻まれたエリィの名に指を這わせた。
こうして目を瞑ればまだあなたの笑顔がこんなにもはっきりと浮かび上がるのに。
――透
声だって、聞こえるのに。
――お前がどんなに暗い夜に迷ったとしても
目を閉じた真っ暗な世界に円形の光が生まれた。
眩いほどの金色の、ひかり。
――お前を照らしてくれる、ひかりはあるんだ。忘れるな
はっとして目を開けた。
そのまま振り返ると、エリィの墓石を眺めていたルーナと目が合った。
鈍色の空を背景に、陰りを知らない純粋な黄金色の目が私を捕らえた。
一瞬二人の間に沈黙が流れ、それからルーナが微笑みを浮かべた。
目の奥がじんと火照って、何故か泣きそうになった。
言葉が見つからなくて視線を巡らせていると、手を引かれた。
緩いけれど傾斜のある足場ではバランスを保てなかった。
倒れそうになる私をルーナが抱きとめた。
そもそも彼が手を引っ張ったせいで転びかけたんだけどさ。
「とーお」
暖かい人の温もりを全身に感じた。
冷えきっていた何かがほんの少しずつ、溶けていく。
「……なに」
「いや、今日も可愛いなーと思ってさ」
大きな手で、頭を撫でられた。
それがとても懐かしくて、愛おしく思えた。
「すきだぜー、透」
そんなことを言われても、不思議と嫌悪は抱かなくて。
久しぶりにこの気持ちを思い出して、思わず笑ってしまった。
シヅキが教えてくれた、ひとを愛するというとてもあたたかなきもち。
ときに荒々しいけれど、いつも変わらない熱を持っていて自分が壊れてしまいそうなとき、必ず助けてくれるたったひとつの大切なきもち。
シヅキを失ってからずっと忘れていた。
ルーナが私の髪に、優しく口づけをした。
心に微細な電流が奔った。
ルーナを両手で突き放してそれから困った顔をする彼の唇に、自分のそれを重ねた。
剣士特有の素早い動き。
我ながら今のはなかなか俊敏だったと思う。
呆然とし、一瞬遅れてから赤面するルーナを愛おしいと思うと同時に、なんだかこっちまで恥ずかしくなってきて車の方へ足早に向かった。
「透、そろそろマジで結婚しよーぜー!」
背後でそう叫ばれた。
ふふ、と軽く笑って振り向いた。
「考えてあげても、いいよ」
意表を突かれたのかルーナが今までに無いぐらい驚愕の表情をし、うろたえていた。
それが可笑しくて、私は腹の底から笑った。
――透
シヅキの優しく、落ち着いた低い声が聞こえたような気がした。
突風が吹いて、目を瞑った。
ゆっくり目を開けると、鉛色の空に浮かぶ白い昼間の月が見えた。
「ありがとう」
誰にも聞こえなくていい。
でもあの今にも消えそうな月にだけは届いていて欲しい。
「透、だいすきだー!」
「はいはい」
何度夜に、闇に迷っても、もう怖くないね。
ずっと探していたの、一縷のひかりを。
どんなに小さくてもいい。
とにかくひかりが欲しかったの。
漆黒を纏う私は、闇の中にいてはいつか溶けて無くなってしまう。
微動だにしない闇となんら変わりはなくなってしまう。
だから、私という存在を照らして。
太陽が照らしてくれた。
そのひかりは余りにもつよくて私は受け止めきれなかった。
太陽は沈んで、消えてしまった。
また暗闇に迷い込んだ私に、今度は今にも消えてしまいそうなツキに出会った。
穏やかなひかりが心地よくて、たいせつだった。
ツキはやがて、夜闇に掻き消されてしまった。
暗闇に飲み込まれて、消えかけていた私に、月が現れた。
その月は太陽と見間違ってしまうほど明るいひかりだった。
だけど、儚さも持っていた。
今も、月は私のすぐそばで私を照らしてくれている。
もしも月が、大きすぎる闇に負けて凍えてしまいそうだったら私がいくよ。
夜の間中、きみに寄り添ってこの小さなぬくもりをあげるから。
「結婚指輪はどんなのにする?」
「剣を握るのに邪魔じゃなければなんでもいいよ」
肩に回された手は、私が一生護ってあげる。
太陽が傾き、今日もきっと夜が訪れるだろう。
私は今夜も、どこかで寂しがって泣いていないか、月を、
――きみを捜しに行くよ。
I'm gonna go to look for you tonight.
くろねこは、今夜もつきをさがしてる。
ご愛読ありがとうございました。




