四
ごめんなさい。今回は切りのいいところで切れませんでした。1/2話って感じです。
「さっき父から聞いたんだけど、青柳さんのお祓い、どうやら上手くいかなかったらしい」
うららかな春の昼下がり、いつもの定位置である小卓の上で私がうつらうつらしていると、家の手伝いをしていた塩澤君が部屋に戻ってくるなり告げてきた。
『えっ、駄目だったの!?』
眠気がいっきにぶっ飛んだわ。
先週、青柳さんに会ってから、どうなったのか気になっていたんだけど、上手くいかなかったのか……。
『なんで?』
「うーん、それがよくわからないみたいで——」
『……除霊した人がヘボだったとか?』
「いや、それはないと思う。浄石寺はそういったことに関しては有名な寺で、その手の業界でもちゃんと実績を認められている所だって話だよ。実際、浄化することは出来たらしいんだ。幻臭がしなくなったと依頼者からも報告されたらしいし」
てっきりインチキ霊能者の方がご活躍なさったのかと思ったんだけど、違ったらしい。ごめんなさい、浄石寺さん。
でも、浄化できたのに、失敗とはこれいかに?
『それだけ聞くと上手くいったように思えるんだけど、何が駄目だったの?』
「それが、二、三日したら元の状態に戻ってしまったそうだ」
『ええっと、呪いが復活しちゃったってこと?』
「復活……そうだね、状況だけ見ればその通りだけど……」
『……違うの?』
塩澤君は軽く眉を顰めて首を傾げると、珍しく歯切れの悪い口調で言う。
「呪い主がもうこの世にいないのに、一度、浄化した呪詛が復活するなんて、普通は考えられない話だから何とも言いきれないな」
『そう言われてみると確かにちょっと変だね。——もしかして、橋本さん以外にあの香水に係わりがある人で、青柳さんを呪っている人がいるとか?』
「橋本さん以外といったって——」
ふと言葉を途切れさせると何事か考え込むように下を向いた塩澤君は、数十秒後、ハッとした表情で顔を上げると呟いた。
「……もしかしたら、僕たちはひどい思い違いをしていたのかもしれない……」
『え、それってどういう——』
アゥ——ッ!
塩澤君から詳しく話を聞き出そうとした瞬間、ビリリッとした刺激が私のおでこにっ!
こ、これは虫タンからのエマージェンシーコールに違いない!
私は塩澤君に事情を説明して家の外に出てもらい、周囲の様子を伺った。
すると、山門からこちらに向かって歩いて来る青柳さんの姿を発見!
“噂をすれば影が差す”とはまさにこのことだな。
青柳さんは脇目も振らず私たちの目の前まで来ると、バッグから例の香水を取り出し、塩澤君に突き付けるようにしながら、「あなた、本当にこれの除霊ができるわけ?」とつっけんどんに尋ねてきた。
口調も顔つきも不機嫌そうで一見、怒っているように見えるけど、不安な気持ちを押し隠しているのが何となく伝わってくる。
この間の会話で塩澤君にろくな印象を持っていないだろうに、ここに来たということは、それだけ切羽詰まっているということだろう。
ううっ、でも、折角訪ねて来てもらっても、やっぱりお祓いなんて出来な——
「はい。青柳さんの協力があれば」
はっ!? ええーっ!
塩澤君、頷いて青柳さんから香水を受け取っちゃってるけど、ちょっと待って!
その手のプロが駄目だったのに、そんな安請け合いしちゃって、どうするつもりなのっ!
それに青柳さんの協力っていったい——?
「協力って、何をすればいいのかしら? 危なくはないの?」
「危険はありません。青柳さんがすべきことをしてもらうだけです」
「……すべきこと? どういう意味かしら?」
青柳さんは眉間に皺を寄せ、不審そうに問いかける。
「具体的に言うと、こちらで香水の浄化を行った後、青柳さんはその香水を本来の持ち主の所——はもう無理でしょうから、お墓でも仏壇でもいいので持って行き、心から謝罪して来てください」
ひー、塩澤君、そんなずばっと言っちゃったら——。
「な、何を言ってるのよ、あなたっ! その香水を私が盗んだとでもいいたいわけ!?」
案の定、青柳さんは塩澤君の言葉に強く反発し、声を荒げた。
でも、そんなにすぐ、自分から盗んだとか言っちゃうと語るに落ちたというか、なんというか……。
「では、どのようにしてこれを? これはオリジナルの香水ですよね」
「普通に注文して作ったのよ、私がっ」
「あなたが、ご自分のために?」
「そうよ! 自分のために作ったら悪いわけ?」
塩澤君のしつこい追及に青柳さんがいよいよ苛立ちをあらわにし、強い調子でそう言葉を返した時。
塩澤君の顔に一瞬、チェシャ猫のような笑みが浮かんだ気がしたけど……いや、きっと私の錯覚だろう。
「いいえ、全く。ただ、そうなると少々腑に落ちない点がありまして。青柳さんも知っての通りこれはオリジナル香水なわけですが、特別仕様なのはなにも香りだけではないんです。ボトルに刻印されているこの文字も、じつは購入者が独自に考えたオリジナルメッセージになってるんですよ」
青柳さんにもよく見えるように、塩澤君はボトルのメッセージ部分を彼女の目前へ翳かざす。
「ここに何て書いてあるかわかりますか?」
「て、適当に考えたから、もう忘れたわ」
「そうですか。フランス語で『君の名にちなんで、これを贈る』と書いてあるんですよ。ところで、青柳さんのお名前は由貴さんとおっしゃるんでしたよね。ちなみに、橋本さんの名前は多い華の子と書いて多華子さん、ご存知ですよね? ——この香水のレシピには花の香りが多く調合されているのかもしれませんね」
彼がそこまで言うと、彼女は唇を噛み締め、黙って下を向いてしまった。
……すごいな、塩澤探偵。あの文字の刻印がそういう意味だったとは。
「僕は何も青柳さんを責めるためにこんなことを言っているわけではありません。それ以外に霊障を取り除くことが出来ないと思ったからです。この香水に纏わり付いていたのは、橋本多華子さんの呪いではなく、青柳さんの罪悪感や後悔の気持ちから生まれたものだと僕は推測しています。だから、また呪いが再生されることがないよう、青柳さんにはご自分の気持ちに決着を着けてほしいんです」
どこまでが演技で、どこまでが本心かはわからないけど、塩澤君は真摯な口調で、青柳さんに一生懸命訴えかけて——えっ、今、なんて言った!?
香水の呪いが青柳さん由来って、初耳なんですけどっ! 聞いてないんですけどっ!
私の頭は塩澤君の語る内容について行けず、少々混乱した。
えぇー、何がどうしてそうなった!?
そして、そんな私の戸惑いをよそに、塩澤君は青柳さんに対して熱心に説得を続けていた。
「僕も最善を尽くしますので、青柳さんもどうかご自身のけじめを着けてください」
しばらくの間、青柳さんは無言で香水を見つめ、その場にじっとたたずんでいた。
そして、私がその停滞した空気に息苦しさを感じはじめた頃、ようやく——
「……わかったわ」
顔を俯けた青柳さんが、小さな声でそう答えた。
どんな気持ちで青柳さんが塩澤君の提案を受け入れたのかはわからないけれど、一応、謝罪に行くことの了承は得られたわけで。
これは除霊のことを抜きにしても、橋本と青柳さん自身のためにはよいことだと思う。
ただ、本当に呪いを私たちで浄化できるのか、それが不安でしょうがない。
じつは私、塩澤君がいつ青柳さんに壷の購入を勧め始めるか冷や冷やしていたり……。
詐欺はダメ。ゼッタイ。
それから塩澤君は今日と同じくらいの時間に明日、ここで会う約束を青柳さんと交わすと、彼女を見送りに山門まで同道。
門の前まで来ると青柳さんは静かにお辞儀をして足早に立ち去り、塩澤君は彼女が視界から消えるまで見届けると来た道を引き返した。
そして、私はその間ずっと、ティラミスのことを考えていた。
なぜだか今日、青柳さんに会った時から急にティラミスが食べたくなってしまって。青柳さんと別れたら、だんだんと治まってきたけど、何なのかしらいったい。
塩澤父を見てブリオッシュを食べたくなるというのなら、まだわかるんだけど。
……いやだわ、これも霊障の一つかしら。
*****
『それで、青柳さんの感情が呪いの原因って、どういうこと? どうしてわかったの?』
部屋に戻ると、すぐさま私は塩澤君を問いただした。
さっき彼が語ったことは、My星座であるおひつじ座がお羊座ではなく牡羊座だったと知った時と同じくらい、私にとって衝撃な内容だったわけで。
牡羊座と牡牛座の人以外にはわかりづらい微妙な例えだろうけど、とにかく、何がどうなってそうなったのか、ちゃんと説明してほしい。
「わかったというか……。千里さんが言った『橋本さん以外にあの香水に係わりがある人で、青柳さんを呪っている人』っていうのを単純に考えてみだんだ。香水と深い繋がりがある人物ですぐに思い浮かぶのは、橋本さん以外だと恋人の男性と青柳さんだよね。で、この二人のうち、恋人の男性の方は香水が手元にない状態で呪詛がかけられるとは考えづらいし、そもそも彼は青柳さんが香水を盗んでいることを知らない可能性の方が高いから、呪う動機もない。だから、“青柳さんを呪っている人”としてはちょっと不適当だ。それで、消去法で青柳さんが残ったわけだけど——」
『待って、待って。でも、それだと自分で自分を呪ってたってことになるよね? そんなことってあり得る?』
「もちろん、本人も意図してやっていたわけじゃないだろう。それだったら、そもそもお祓いなんて頼まないだろうし。——青柳さんと話をして思ったんだけど、彼女って“じつは小心者です”っていうことを隠しきれていない人というか、とにかく小胆な性格の人だよね。そんな人が出来心で知人の物を何か盗んだとして、その知人がその後すぐに死んじゃったとしたら、すごく後ろめたくなったり、後悔に襲われると思わない?」
後ろめたさとか後悔か……。
確かに青柳さんって、剛胆な性格からはほど遠い人だったしなあ。塩澤君と話をしている時とか、かなりわかりやすく動揺していたし。
あー、うん、そういう性格の人ならすごくしてそうだな。
『なるほど、そうかも』
「それで、そういった青柳さんの強い罪悪感だとかが橋本さんの香水を通して、呪いみたいな形で本人に現れたんじゃないかと。あの香水は人の強い思いを受けて作られたものだから、媒体としてはもってこいだろうし」
『えっと、つまり……内心、自分を責めていた気持ちが、呪いとして顕在化して自分で自分を攻撃するような形になっちゃったわけだ』
「確証はないけど、僕はそう考えている。で、この推測が正しければ、底に穴の空いたボートからいくら水を汲んだところで、穴自体を塞がないと意味がないのと同じように、青柳さんの持っている罪悪感を解消しなければ、どれだけ香水を浄化したとしても、それは徒労に帰すことになる。だから、青柳さんには是非とも、きちんと謝罪するなりして気持ちの整理をつけてほしいと思ってるんだ」
『ああ、だからあの、犯人に対峙する名探偵ばりの追い込みぶりだったわけね』
「まあ、半分はそうだね」
え、半分はって……じゃあ、もう半分は……。
いや、聞かなかったことにしよう。