二
呪いの品の邪気みたいなものにあてられてしまったのか、塩澤君の妹の美鈴ちゃんが就寝前に突然、熱を出してしまった!
これはなんとかしないとっ!
とは思ったものの、私には呪いを消し去る力なんてない。
でも、私の加護(うっすら)の力で、もしかしたら邪気を払うことくらいなら出来るかも!?と考えた私は、美鈴ちゃんの枕元にこっそり私(仏像)を置いてくれるよう塩澤君に頼んだ。
妹が熱を出してさすがに心配したのだろう、美鈴ちゃんの枕元にそっと私(仏像)を横たえると、塩澤君は頼んだぞというように私(仏像)の頭をポンポンと軽く叩いてから部屋を出ていった。
熱のため上気し赤くなった頬や眉間によった皺しわを見ていると、なんとかして励ましてあげたい気持ちがこみ上げてくる。
そこで私は、小児科病棟の子供たちのように、美鈴ちゃんの夢にも彼女の好きなキャラクターで登場し、元気づけることにした。
早速、お地蔵様へお祈りをして、夢の中へダイブする私。が、なにか今までの夢と様子が違う。
私が今いる場所は、朱色や桃色など暖色系の色がついた雲が、まるで絞り染め模様のように複雑に混じり合って出来たような外壁に、足下にはいろんな色のカップケーキがランダムで現れ、頭上ではハート型にカッティングされた巨大な宝石が、赤い光を放ちながらゆっくり回転している、とても女の子らしい空間だ。まあ、ごく一部、仄暗い場所からドブ色の液体が滲み出て時折蠢いたりもしているが、それは別にいい。
普通と異なるのは一ヶ所、スポットライトが当たったように明るく浮き上がった場所があり、そこである人物たちのやり取りがまるで3D映像のように映し出されていることだ。ちなみに、音声は付いていない。
今まで二十人くらいの子供たちの夢に入ったけれど、こんなの初めて見たよ。
そしていつの間にか、そのリアルな動画を眺めている女の子が視界に。
後ろ姿でわかりづらいけど、たぶん、美鈴ちゃんだろう。
とりあえず私は、この不可思議な現象に興味を惹かれたとこもあり、美鈴ちゃんの好きな魔女っ娘マスコットキャラの姿になって、彼女と一緒にこのハイクオリティな映像を鑑賞することにした。
3D動画のメインになっていたのは、椅子に座った若い男性と白衣を着た三十代ぐらいの女性、それとラベルの貼られた小瓶が百個ほど置いてある机だった。
男性は白衣の女性が指示した十個の小瓶の香りを順番に嗅いでいき、その中から三つを選び出す。白衣の女性はその三つの小瓶に入っている液体を、スポイトでビーカーに移し替えてからガラス棒で撹拌。その後、混ぜ合わせた液体を紙に染み込ませる。それから、男性がその紙の匂いを嗅いで、一つ頷く。
それが終わると、また別の十個の小瓶の香りを順番に——。
同じような作業を三回繰り返した後、白衣の女性が机の上の小瓶を軽く脇に退けながら男性に何事か言う。たぶん、作業終了を告げる言葉かなにかだったのだろう、それを聞いた彼は大きく息を吐き出した。
そのあと、白衣の女性は男性と言葉を交わしながら、バインダーに挟んだ用紙に何かを書き付けていき、最後に男性に用紙を見せてから席を立った。
場面が変わり——白衣の女性が高さ十二センチくらいのガラス瓶を、手に捧げ持つようにして先ほどの男性に見せている。よく観察するとそれは女性型のトルソーの形をしていて、下部に何か文字が刻まれていることがわかる。見た目からして、たぶん香水の瓶だろう。少し誇らし気な表情でそれを手に取る男性。
再び場面は変わり——例の男性が同年代のショートカットの女性に手提げの紙袋を渡している。うれしそうにそれを受け取った女性は、男性に何事か告げると紙袋の中に入っていた箱を取り出す。それから、わくわくした顔で彼女が箱を開けると、中にはあの香水が。満面の笑みでそれを胸に抱きしめた彼女は、興奮気味に男性に話しかけて——。
そこで突然、映像は途切れた。
……今のって、男の人がオリジナル香水を作って、それを恋人の女性に贈っている場面だよね…………うん、今日がクリスマスなんかじゃなくてよかったよ。
もしそうだったら、『人生はしょせん愛別離苦!』なんて叫びながら、あの映像に小麦粉を放り込んだあと火種を——ッ!
まあ、梓流クリスマス点灯式はおいておくとして。
あのプレゼントされていた香水、なんか引っ掛かるんだよね。なんだったっけ? なにか忘れている気がする……。
————————あっ、預かりものの香水!
私がそのことを思い出した、まさにその瞬間!
私の体にダ◯ソンの力がっ!
あー、吸われてる! 吸われてる!
くうっ。どうやら、美鈴ちゃんのお目覚めが近いようだ。
ああ、しまった。結局、二人で3D映像を見ただけで終わってしまった……。
ごめんよ、美鈴ちゃん。今度また一緒に遊ぼうね!
そして一拍後、私の意識は仏像の中に戻っていた。
私ははっきり覚えているうちにと、さっき見た情景について考えを巡らせる。
あの香水……このタイミングで美鈴ちゃんの夢に出てきたわけだから、このお寺で預かっているものと同じやつの可能性が高いよね。
そう考えると、呪われた原因が香水だと持ち主の人は話しているそうだから、もしかして呪っているのは贈り主である、あの恋人らしき男性?
うーん、よっぽどひどい別れ方でもしたのだろうか……
あんなにラブラブオーラを発していたのに。
しっくりこない疑惑に頭を悩ませていると、美鈴ちゃんの目が覚めたようだ。
しばらくボーとしていたけど、少しして自分の枕元に置かれているものに気がついた彼女は、不思議そうに私(仏像)を見つめ、二度、瞬きをしたあと私(仏像)を手に取った。そして、ふっと口元を綻ばせて言う。
「なに、このお地蔵様!? 変なお顔ー」
……ときに純粋な子供の言葉ほど心に突き刺さるものはないと、私は今この瞬間、深く実感した。
にしても、この兄妹は自分ん家がお寺だっていう意識をもう少し持った方がいいと思う! 仏像に対する敬いの心が全く足りてない!
まあ、それはともかく。
お地蔵様の加護の効いたのかどうなのか、美鈴ちゃんの熱はすっかり下がっていて、彼女は元気に起きだすと朝の支度をし始めた。
そして、準備を終えると朝食の席に私(仏像)を持っていき、これはなんだと家族に尋ねた。
塩澤君がそれを受けて、美鈴ちゃんが熱を出したので厄よけのお守りに貸したと説明。
美鈴ちゃんは塩澤君にお礼を言うと、すぐに持っていた私(仏像)を兄へと差し出した。……本当に一瞬のためらいもない、素早い動作だった。
もしかしたら、美鈴ちゃんの中での私(仏像)の価値は、トロール人形以下かもしれない。かわいいぬいぐるみが好きな少女にとってみれば、当たり前の話しなんだろうけど、正直ちょっと落ち込んだ。
それから登校時間になり、「いってきます」「いってらっしゃい」の声と共に塩澤君が家を出ると、私はすぐさま美鈴ちゃんの夢で見たことを一から十まで洗いざらいしゃべった。
夢の中の出来事なんて時間が経てば経つとほど忘れてしまうものだから、いっきに全てを話し尽くすに限る。
そんなわけで、登校中、たっぷり時間をかけて、香水のこととそれに関係するイチャラブな恋人たちの話を彼に語ったんだけど……なんかすごくリアクションが薄いというか、興味のなさそうな顔をしてるよ、塩澤君。
うーん、明らかに呪いの香水っぽいのが出てくるのに、気にならないのだろうか?
別に大げさな反応を期待していたわけではないけど、少しは妹ちゃんを見習って、関心のあるふりぐらいしたらどうよ。
あの映像が流れてたときの美鈴ちゃんは、何を想像していたのわからないけど、見てはいけないの現場を目撃したときの市原◯子みたいな顔をしていたよ?
まあ、それはそれで問題あるのかもしれないけど……きっと、というか絶対、某家政婦もののテレビドラマシリーズのDVDが、全巻そろって居間に置いてあるのが原因だろうから、私はあまり心配していない。
あ、よく考えてみると私が話している最中、塩澤君まで市原◯子みたいな顔をしてたら……吹き出さずにいられたかどうか自信がないわ。となると、ノーリアクションの方がまだましか……。
その後、学校に到着し、授業が始まっても、私は勉強そっちのけでプレゼントに呪いがかかるほどの破局というものをいろいろと想像していた。が、どれもいまいちピンとこない。まあ、あの夢からわかることなんて、そう多くはないから仕方ないか。
うー、なんかモヤモヤするけれど、唯一の相談相手である塩澤君は、このことに対してあまり興味がないみたいだしなあ。
だから、香水に関するあれこれは不明なまま、持ち主のところに返されて終わりかと思っていたんだけど——
*****
——数日後の土曜日。
今日は学校から帰り着いたのが昼間の早い時間だったため、山門の前で法要帰りの檀家さんに行き合った。
喪服姿の彼らは私たちの前を通り過ぎる時、しんみりとした様子で塩澤君に会釈。それに応じて塩澤君がお辞儀をして深く頭を下げているときのことだった。
初老の男性が抱えていた遺影にふと目を留めた私は、その瞬間、心臓が飛び出るほど驚いた。
えぇぇぇー!! なんで!? なんで彼女が亡くなっているの!?
その遺影写真には夢で香水をプレゼントされていた女性と全く同じ顔が写っていたのだ!
ひぃぃー、て、手遅れだったってこと? まさか、呪い殺されたりしてないよね?
あ、遺影を持っている人の横にいるのって、香水を作ってた恋人の男性だよね!?
『し、塩澤君、大変だよー!』
挨拶をし終えた塩澤君に私はさっき見たことを必死で訴えた。
すると、彼は意外なことを聞いたというような顔をして、「それは変だな」と親指で顎を擦りながら呟くと、庫裏に向かいながら説明してくれた。
「今日の法要は葬儀ではなく満中陰法要だったはずだから、遺影の人物は一月以上前には亡くなっているわけで、そもそも香水の依頼主というのはありえない。——幽霊になって出てきたのでもなければ、だけど」
『ええっ!? 幽霊とか、さり気なく恐いこと言わないでよ。……でも、それじゃあ、いったいどういうことになるわけ?』
「それをこれから調べるんだよ」
そう言った塩澤君の顔は、この話題に対して今まで興味なさそうだったのが一転して好奇心で目が生き生きと輝いていた。
お寺の息子がいいのか、それで。
庫裏につくと素早く玄関を上がり、足早に廊下を進む塩澤君。
そして、客間へ到着し、部屋の中に入ると彼はテーブルの上に置いてある紙袋を手に取って、躊躇いもなく中にあるものを掴み出す。
それから止める間もなく、彼はそれを何重にも包んでいるビニールを解き始めてしまった!
えぇぇー!!
『ちょ、ちょっと、大丈夫なの!?』
「わからない。でも、呪詛対象は僕ではないわけだし。どうにかなってしまったら、その時はその時だよ」
全く頼りにならない台詞を吐きつつ、彼が最後の包みを開くと——
『やっぱり夢の中で見たのと同じ香水だ……』
そこには半ば予想していた通り、女性型トルソーの形をした香水瓶が。
塩澤君はボトルの下部に刻印されている文字を指でなぞりながら、数秒、何事か考え込むと、その後、すぐに香水を片手に自室のパソコンへ直行。鞄を床に、香水を机の上に置くと、すごい速さでタイピングを始めた。
——あれ? 今、アマゾンの画面が見えたような気もしたんだけど……調べものじゃなくて買い物をしているのだろうか? んん?
それから三十分ほど経ち、一段落ついたのか、塩澤君は椅子の背にもたれかかって小さくため息をついた。
『それで何かわかったの?』
気が急いた私は、彼が何か言う前に勢い込んで尋ねた。
すると、塩澤君は椅子から立ち上がって私(仏像)を鞄から取り出し、小卓の上に置くと、今までの作業の勢いとは逆にのんびりとした口調で話しだす。
「うーん、その前に話を少し整理すると、遺影の女性は五十日ほど前に水難事故で亡くなられている、橋本多華子さんという故人で、千里さんの話によれば橋本さんと美鈴の夢に出てきた女性は非常によく似ていたと。また、夢で香水をプレゼントしていた男性も橋本さんの関係者の顔と酷似していた。そこで彼らを同一人物と仮定すると、必然的に香水の持ち主は橋本さんということになる。が、父に霊障についての相談があったのは、ここ一週間以内の話だから、依頼人が橋本さんというのはありえない。なら、依頼人と香水の関係性はなんなのか?」
えーと、橋本さんのものだった香水と依頼者の繋がり……。
形見分けする品物としては違和感があるし……。
そもそも依頼者は香水に呪われているわけだよね?
——こうして考えると嫌な憶測しか思い浮かばないのは、私の心が汚れているせいかしら……。
「依頼人が橋本さんの香水を不当な手段によって入手して、そのせいで呪われていると考えるのが一番妥当な線だよね」
塩澤君がにやりとして、まるでこちらの胸の内を見透かしたように言ってきた。
『いやっ、もしかしたら形見分けで貰ったのかもしれないしっ!』
とっさに私は、自分でも信じていない仮説を口にしていた。無闇矢鱈に人を疑うのは良くないと、私のなけなしの良心がスタンドプレーを決行したらしい。
「普通の香水なら、それもありえなくはないけどね。でも、今回にかぎっていえば、それはないと思うよ。この香水は香りもメッセージも橋本さんのみを対象として作られた、オリジナルの一点ものだ。そんな恋人の想いの詰まったものを他人に形見分けで渡したりしないだろう。しかも、使いかけのものを」
あー、やっぱりそうだよね。
あれ? でも、あの香水にメッセージなんて付いてたっけ?
『塩澤君、メッセージって?』
「ああ、ボトルに文字が刻印されていたよね。あれのこと。恋人の男性が利用したであろう店によると、ボトルに刻みたい言葉を入れてくれるらしい」
『あっ、なるほど』
さっきパソコンで調べていたのはそれだったのか。
だとすると、やっぱり依頼者の人が橋本さんの香水を——。
でも、本当にそういう理由で依頼者の人が呪われているのなら、霊障が幻臭って個人的にちょっと納得がいかないな。
私だったら、橋姫大明神に帰依して犯人に一生恋人ができないよう呪いをかけているところだよ。恋人たちの大事な思い出の品に手を出したんだから、それぐらいはね!
……もっとも、実際はオリジナル香水を贈ってくれるような素敵な恋人なんて、私にはいたことがないので、呪いをかけるも何もないのだけど。
「まあ、そうは言っても不当な手段で入手っていうのは、まだあくまで推測の域を出ない話だからね」
『——なんだかそう言われると香水こと、いろいろはっきりさせたくなってきた! 何とかならないの、塩澤君!?』
「うーん、その気持ちはわからなくもないけれど……千里さんはこの香水について、どうしたいと思っているわけ?」
『えっ、どうしたい……そうだなー、何がどうしてそうなったのか、真相が知りたい。あと、出来れば香水をあるべき場所、あるべき状態に戻したい、かな』
「そう。なら、ちょうど明日、依頼人が来るらしいから、まずはその人に会うだけ会ってみる?」
えっ!? ……これまでの無関心ぶりが嘘のように、なんだか積極的だな、塩澤君。
でも、会ったところで——
『この仏像には除霊の能力なんてないしなあ、うーん……』
「いや、除霊のことは浄石寺にお願いするから、ただ話をするだけだよ」
『ああ、そうか。それなら——』
——そんなわけで、明日、私たちはとりあえず香水の依頼人に会いに行くことにした。まあ、“私たち”とは言っても実際に会って話をするのは塩澤君だけで、私は隠れ潜んでそれを盗み聞きするだけなんだけど。
何にせよ最終的には、亡くなられた橋本さんの想いに添うような形になれば、一番いいんだけどなあ。