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仏像の中のわたし ー千里梓の善行日記ー  作者: 絹親
第一章 身は華と与に落ちぬれども 心は香と将に飛ぶ
6/40

 朝、HRホームルーム前の教室は、生徒たちの賑やかな話し声で満ちていた。

 その様子を狭くて薄暗い部屋から覗き見している私は内心、大きなため息をつく。

 はぁー。私があの輪の中に入りれるようになるのは、いったい何時になることやら。


「◯◯君、数学の宿題やってきたー? 私、問三がわからなくて……」「ああ、あれは△△の公式を使えば□□になるから〜」「ああっ!そっかー。◯◯君って頭いい!」「そんなことないよ。千里さんこそ、飲み込みが早くて〜」

 

 なんて、たわいもない会話を早く交わしたいものだ。

 今の私に出来ることと言ったら、こうして人知れず、数人のクラスメイトを中心に同級生たちの青春模様を観察することぐらいだ。



「和臣、おはよー」


 あっ、九条君が登校してきたようだ。ということはあと十分でHRか。

 いつも八時二十分頃、教室に現れる彼は九条渉くじょうわたる君といって、塩澤君とよく一緒にいるクラスメイトだ。

 彼は明るくはきはきした性格をした好男子なんだけど、外見がレッサーパンダのようなかわいらしい顔立ちをしているうえに、背があまり高くないのでクラスの人たちからは小動物っぽい扱いを受けていたりもする。


「ああ、おはよう、渉」


 対して、目下、私がいろいろとお世話になっている塩澤君はというと。

 塩澤君はそこそこ整った顔立ちをしているけれど、人気の部活動に励んだり、クラスの中心となって皆を引っ張っていく社交的なタイプの生徒ではないから、女子たちからの人気はいまいち。でも、男子や先生たちからの信頼はけっこう厚いみたいだ。

 良識的ではあるし、勉強もできるみたいだから優等生といえばそうなんだろうけど、うーん……なんか納得がいかない。


「京香ちゃん、おはよう」


 あ、私の心の友(勝手に認定)、西園にしぞのまどかちゃんも登校してきたようだ。

 こんな時間ギリギリなのは珍しいな。でも、遅刻寸前だろうと気品漂うお嬢様ぶりはいつも通り健在な様子。

 まあ、彼女の場合、雰囲気もそうなんだけど、そもそも容姿自体が上品って感じだから当たり前か。長い睫毛にちょっと垂れぎみな目と小作りな鼻、口。これらのパーツが絶妙なバランスで配置されて、不思議と高貴で優雅な印象を抱かせる彼女の容貌。

 そして、おっとりとした気質。

 私は彼女のお家に執事がいたとしても驚かない自信があるよ!

 そういえば誰かもまどかちゃんのこと、スウィートメモリーのティーカップでアフタヌーン・ティーを給仕付きで楽しんでいそうなイメージだと言ってたっけ。

 

「あ、おはようございます」

 そして、今、まどかちゃんと挨拶を交わしている江口京香ちゃんもまた、私の心の友(勝手に認定)である。

 京香ちゃんはかわいい赤フレームの眼鏡ときれいな黒髪がチャームポイントの女の子で、特にセミロングの髪はシャンプーのCMで出られそうなくらいのサラサラ艶々ヘアーだ。

 もとの身体に戻ったらお手入れの方法をぜひ訊いてみたいと思っているんだよね。京香ちゃんなら、丁寧に教えてくれるに違いない。基本的に誰に対しても親切だかr…………いや、何事にも例外というものは存在するんだった。



 それを初めて目撃したのは、十日ほど前のお昼休みのことだった。


「ちょっと聞いてよー、京香ちゃん」

 

 クラスメイトの今井沙紀さんがいかにも愚痴を聞いてほしいといった声の調子で、京香ちゃんに話しかけていた。

 その日、委員会の仕事の関係でまどかちゃんが途中で離席していたため、お弁当を食べ終えると一人静かに読書していた京香ちゃんは、それを聞いて読んでいた本を閉じ、「どうかしたんですか?」と優しく返答。

 今井さんは京香ちゃんの前の席に座ると、喜々として語った。


「昨日、彼氏が『会いたくなったから』とか言って、突然アポなしで来てね。その時に私、すっぴんだったから、すごく恥ずかしくて彼に怒ったの。そしたら彼、なんて言ったと思う? 『沙紀はしてもしなくてもあんまかわんねーんだから別にいいだろ』だって。もう、そういう問題じゃないのにひどいよねっ」


 狭く薄暗い場所から今井さんの話を聞いて、私は思った。覗き穴から口内に毒薬を垂らしたくなるのは、なにも郷田三郎(『屋根裏の散歩者』)に限ったことではないのだな、と。………………まあ、冗談はさておいて。

 この時、普段とは違うブラック京香ちゃんが現れて、私はとても驚いたのを覚えている。


「それは彼氏さんひどいですね。そんなにはっきり化粧映えのしない顔だなんて言ったら駄目だと思います」

「——ッ」


 “スッピンでもかわいい私は彼氏にも愛されちゃって困るわ”という毒電波に乗ったハートマークの乱舞を一瞬で爆散させる京香ちゃん。

 今井さんは自分の予想とは違う言葉を返され、一瞬、絶句し。私はなんでだかわからないけれど、このブラック京香ちゃんのことを「京香ちゃんさん」と呼びたくなった。


「ちょっとっ、どうして、そういうことになるのよ!? そんなこと誰も言ってないでしょ!」


 その後、我に返った今井さんは語気を強めて言い返したが、京香ちゃんさんは柳に風と受け流す。


「あれ? さっき、『してもしなくても、あまりかわらない』と彼氏さんが言ったと沙紀ちゃんが……私の聞き間違いでしょうか?」

「あれはそういう意味じゃなくて——ッ」

「そうなんですか? では、どういう意味なのですか?」

「そ、それは……」


 さすがに自分で“すっぴんでも変わらずかわいい私”という意味だとは言えないようで、答えに窮する今井さん。そして、表面上はいつも通り穏やかな表情をたたえている京香ちゃんさん。


「もういいわっ! ——こういう話は、まだ京香ちゃんには早かったみたいね」


 結局、今井さんはチクリと捨て台詞を吐いて退散した。

 京香ちゃんは普段、大人しい感じの女の子なんだけど、対今井さんの時にはなんというか、「京香ちゃんさん」になるのだ。

 そして、今井さんはこのように時々、京香ちゃんにうねうねと絡んでいっては返り討ちにあっている。他のクラスメイトに対する言動は、まあ、害のないレベルなんだけど。

 うん、何て言うか、これまでの言動を見ていると今井さんって、例えるなら「得意な料理はビーフストロガノフです」系女子なんだよね。実際、本人もそう口にしていたし。(この亜種として「得意なお菓子はザッハトルテです」なんてのもある) 

 家庭料理として、あまりメジャーではない横文字の料理名を敢えて挙げ、ハンバーグが得意派やグラタンが得意派とは、立ち位置が違うと暗に主張する。そして、本人は“ちょっと違うのよ感”を密かに演出してるつもりなんだけど、密かにと思っているのは本人だけで周囲の人たち(特に女子)には意図が透けて見えていたり。だから、それを聞いた女子は、口では「すごーい」とか言いつつ、お互いこっそり目を見合わせているという——。


 じつは私も、似たようなとこを中学生の頃やっていた。

 “和風料理が得意な中学生女子”というものになぜか高い女子力を見い出した私は、母親に手伝ってもらいながら一度だけ作った筑前煮を、周囲の人たちに得意料理だと言っていた。そして、いつ調理法を聞かれてもいいように、作り方を忘れる度に母の料理本を開いては、エア・筑前煮を作っていた。三度、エア・筑前煮を作ったあたりで飽きが来て、それ以降その料理本を開くとこはなくなったんだけど。

 

 ……ハァー。話せないし、やることもないものだから人間観察と過去回想—思い出したくない恥ずかしい記憶の扉ほどバンバン開いていくのは、いったいどういう仕様なのか—が捗ってしょうがないわ。

 この間の体育の時間には、あまりにも暇なものだから、頭の中でこのクラスのソシオグラムまで作っちゃったよ。

 そいうえば、あの図表、一人だけ何処とも線で結ばれていない、離れ小島な人がいたけれど……ま、まあ、まだ四月中旬だし大丈夫だよねっ。

 …………あら? そういえば、私も——。


 ——キーンコーンカーンコーン


 お、お互い、がんばりろうねっ、出席番号二十三番の羽賀君!

 私は始業のチャイムが鳴り響く中、ぼっち仲間羽賀君にエールを送った。

 そして、担任の先生が教室に入ってくると彼をねめつけ、今後、“二人一組でペアをつくれ”なんて残酷な指示は出来る限り出すんじゃないぞ、と念じておいた。



*****



 学校の授業を終え、小一時間かけて寺に帰り着いた塩澤君はいつも通り自宅(庫裏)に向かうため、山門を潜りって境内に足を踏み入れた。その時——

 ピリピリッ! 私の白毫に痺れが走った!

 な、何だ?

 一瞬、嫌な気配を感じた私は辺りを見渡す。

 —下を見ると山門からまっすぐ延びている石畳の参道の外側には、細かい玉砂利が敷き詰められ、正面に目を転じれば立派な本堂と、その左手には護摩堂、右手には書院が建っているのが視界に入る。また、山門から入ってすぐ右手奥には庫裏、その向こうには鐘楼堂が微かに姿を覗かせているのが見えた—

 しかし、いつもと同じ景色が私の目に映し出されるだけで、変わった様子は何もない。

 ……気のせいでなければ、いやーな空気はかすかに感じるのだけど。


『……塩澤君、なんだか嫌な感じがしない?』


 塩澤君は小首をかしげて周りに視線を走らせるが、異常は感じ取れないようだった。


「いや。僕にはさっぱりわからないけれど、千里さんは何か感じるの?」

『うん……なんとなくだけど』


 それから庫裏に着くまで、私は注意深く周囲を観察し続けたが、やはり成果は何も得られず。

 しかし、庫裏の中に入ると、嫌な空気がより濃厚になったのがはっきりとわかった。

 原因は外ではなく内にあったらしい。

 このままだと落ち着かないし、ちょっと恐怖心もあるので、私は発生源を特定することにした。

 塩澤君に家の中をあちらこちら移動してもらい、気配を探る。その結果——

 私は今、嫌な気配が最も強く伝わってくる客間の前にいる。

 気持ちを落ち着かせると塩澤君にゆっくりと扉を開けてもらい、中を覗き込む。

 うわ——ッ! テーブルの上においてある手提げの紙袋を目にした瞬間、白毫に静電気のようなビリビリッとした刺激がっ! 


 ……前から思ってたけどこの額の出っ張り、まるで「虫の知らせボタン」だな。便利でいいけどさ。

 あ、そうだ! 白毫って響きはなんか重苦しいから、今後、このおでこの出っ張りのことは「虫タン」と呼ぶことにしよう。虫愛好家が発する幼児語のようにも聞こえるけど、「虫の知らせポッチ」と名称を変えたところで、略したら「虫ッチ」だ。どちらもたいして変わらないので「虫タン」のままで行こうと思う。

 虫の知らせの虫って道教由来の言葉だけど……まあ、細かいことは気にしないでもいいよね。


 さて、めでたく白毫の愛称が決まったところで—まあ、嫌なことを前にした軽い現実逃避だったのだけど—私は妖気の発信源である手提げの紙袋へとゆっくり近づいてもらうよう頼んだ。

 一歩、二歩、三歩。もう、目的の紙袋は目の前だ。

 恐怖心と緊張から冷や汗が出そう。——私(仏像)の体表、湿ってきたりしてないかな?

 

 ああ、でも、ここでぐずってもしょうがないので私は心を決め、塩澤君と一緒にそっと中を覗き込む。

 と、そこには白いビニール袋で厳重に密閉された何かが。

 もしやこれは、お寺ということで、呪いのかかった物でも持ち込まれたんじゃないだろうか?

 もしそうなら、どうしてこんなところに放置されているんだっ。

 恐いじゃないのよっ!


『なんかこれ、ヤバそうな感じがするんだけど。こういうのは普通、護摩堂か本堂行きなんじゃないの!?』

「うーん、そう言われても……そもそも、いわくつきの物と知っていたかどうか。うちの寺はお祓いとかやってないから、そういう物は基本的に断っているんだよね。よしんば知っていたとしても、父に霊感なんてないだろうしなぁ。扱いもそれなりになるかも」

 

 塩澤君は指を顎にあて、首を傾げながら呟く。

 焦っている様子が全くみられないんだけど、ちょっと危機感が足りないんじゃない? 絶対にアレにはなにかあるよ。私の虫タンがビンビンだもん、間違いないっ。

 塩澤君のお父さんもお寺の住職なんだから、こういうものに対する危機管理意識をもうちょっとを持ってほしいわ。


『というか、ここのお寺ってお祓いやってないんだ? 密教系の寺院はみんなやっているのかと思ってた。護摩堂あるし』

「うちで普段行われている護摩修法は息災法という種法だよ。災害のないことや苦難、煩悩の除去を祈るんだ。怨敵や魔を払う調伏法は、いろいろと難があってやっていないんだ」

『そうなんだ。じゃあ、アレはいったいどうなるんだろう?』

「父が帰ってきたら、訊いてみるよ。何もわからないことには、どうにもできないし」

『……まぁ、そうだよね』


 しぶしぶ納得して、私は詳しいことが判明するまで塩澤君の部屋の座卓上で待機することに。

 夜の八時頃になって塩澤君が自室に戻ってくると早速、どうだったか尋ねた。

 結論からいうと、やはりあれはいわくつきの物であるらしい。

 塩澤父曰く、檀家総代の瀬川さんから、親戚の女性が呪いによる幻臭に悩まされていることを相談されたそうで。一度はいつものようにその手の依頼は謝絶したけれど、どうしてもと言われて断りきれず、呪いの元だと思われてる香水(あの紙袋の中身)を預かることになったらしい。

 

『お祓い、やってないんでしょ。どうするわけ?』

「今度の日曜日に直接、その女性と会って話をするらしいけど、最終的にはその手のことで有名な浄石寺というお寺を紹介するそうだ。香水の処分についてもそちらに任せるみたい。その面会の時に親身になって悩みを聞けば、問題を解決できなくても瀬川さんへの義理は一応、果たせると思うし」

『なるほどー。紹介するお寺で除霊?してもらえるといいね』

「そう願うよ。まあ、ちゃんとした所らしいし、大丈夫だと思うけど」


 もはやあの荷物にあまり興味はないみたいで、彼は話が終わるとすぐ読みかけの本を手にとり、その世界に没頭し始めた。

 客間にあるブツは気になるものの、週末にはなくなることがわかったので、嫌な気配もちょっとの我慢だと自分に言い聞かせる。今のところ人を直接、害するような感じでもないみたいだし。

 

 そんなことを思っていた時期が私にもありました。

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