五
塩澤君家での押し掛け同居が決まったその日の夜、やはり両親のことが気に掛かっていた私は、二人の夢枕に立つことにした。
私の器となっている地蔵菩薩像が持つ夢告の力は、実際に会ったことのある人になら距離に関係なく使える。今は仏像なので「会った」というより「同じ空間に同時に存在し、相手を視認した」と言い換えた方がいいかもしれない。
そんなわけで、私は塩澤君の部屋から父母の夢に出演し、たくさん善行を積んで必ず戻ってくるので心配しないでほしいことと、見た夢の内容を配偶者に告げてほしいことを伝えた。こうすれば、お互いが同じ夢を見たと気づくだろうし、半信半疑でもちょっとは心が和らぐかもしれない。
あと、両親の夢の中にいる時にわかったことが一つある。自分の姿は好きなように変えられるけれど、それは想像力に大きく左右されるということだ。
母には以前、買ってもらったお気に入りのワンピースで、父にはなんとなく着物姿で会いに行こうとしたのだけど。
結果として、両親ともワンピースで会うことになった。
身に着けた着物を見たら、こけし人形に描かれているような、非常に簡素かつ薄っぺらい作りのもので。ショートボブの私がそれを着ていると、まんま、“君、ガラス戸棚の中とか靴箱の上にいたよね”って感じになっちゃうから、全力でなかったことにしたのだ。
あ、そういえば、私が思いついたマリア像計画はどうなったかというと、
「ああ、ウィーピング・スタチューってやつね。でも、その外見で血の涙なんか流したら、奇跡認定を受けるどころか、呪いの置物としてお祓い対象になるんじゃない? 下手すれば、いわくのある品物と一緒に保管された後、お焚き上げなんてことも……」
という塩澤君の言葉を受けて、跡形もなく消滅した。
呪いの人形なんかとルームシェアするなんて、鬼姑と同居するより嫌だ!(嫁姑問題に悩んでいる奥さまにはまた別の見解があるかもしれないけど)
その上、火に焼べられるかもしれないだなんてハイリスク過ぎる!
*****
そして、私が塩澤家—精確にいうなら和臣君の部屋—の居候となって、はや一週間。
最近、私は夢告の力を活用して、ちまちまと徳を積んでいたりする。
切っ掛けは塩澤君のお母さんが、小児科病棟で本の読み聞かせのボランティアをしているということを聞いた私が、そこの子供たちに夢告の力で楽しい夢を見させられないかな、と思ったことだ。
それで、塩澤君自身も時々お手伝いに行っているとのことなので、私も連れて行ってもらうことにしたのだ。外からは見えず、内からは見えるよう細工された鞄に入って。(ついでに学生鞄にも同じような工夫をしてもらいました)
現場に着いて塩澤君が子供たちと遊び始めると、私は一人一人の顔と行動をじっくり観察。なんて名前で、何が好きなのか。
そして、家に帰る途中で玩具屋に寄ってもらい、某巨大ネズミのぬいぐるや魔女っ娘のマスコットキャラ、戦隊もののヒーロのフィギュアなどを仔細に眺める。
時には目的のキャラを塩澤君にネットで検索してもらったりも。
それから夜な夜な子供たちの夢に押し入ると、彼らの大好きなキャラクターに扮して一緒に遊んだ。
一番ウケがよかったのは某巨大ネズミのキャラに扮し、某梨のキャラの動きをするというもの。あの関係者たちも夢の中までは追って来られないだろうと、わりとやりたい放題だった。
そんなわけで、私は今現在、子供たち相手にノーリスクローリターンな徳積みを地道に行っているのである。
あ、そうそう、徳を積むといえば。
祝! 初拝み!
さっき、藤本さんが私の器である地蔵菩薩像を拝んでくれたよ! 明らかに安っぽい見た目で、顔に難ありの仏像をちゃんと拝んでくれるなんて藤本さん、なんていい人なんだろう!
これでもう、一度も祈られたことのない仏像だなんて、誰にも言わせない!
ひったくり事件のお礼にと、わざわざ菓子折りを持って訪ねて来てくれた藤本さんは、改めて塩澤君と彼の両親にお礼を言ったあと。
あの日の仏像に手を合わせたいと申し出てくれたのだ。
それを聞いて、さあ、拝んでくれたまえと(塩澤君に握られて)登場した私を、藤本さんは厚みのあるしっとりとした掌で丁寧に撫ででてくれ。それから、私(仏像)の前でゆっくりと手を合わせ、一分ほど黙祷を捧げてくれた。
なんかこう、彼女の信仰心にじーんときたよ、私。
その後、藤本さんは塩澤君のご両親と軽く世間話をして、塩澤家をあとにしたのだけど。その帰り際、塩澤君に「助けてくれてうれしかったけれど、お寺の息子さんなんだから仏像の扱いはもう少し丁寧にね」と言葉をかけていったのは、非常にGJな行動だと思った。
そして、現在、塩澤君の部屋には浮かれた口調で当てこすりを言う、仏像の姿が。
『うふふ、私、初めて拝まれちゃったよー。ぶん投げるどこかの誰かさんとは大違いだわー』
言われた本人はまたその話かとでもいうようにひょいと片眉を上げ、
「あー、その節はすみませんでしたね。咄嗟のことだったから、慌てていて……。でも、確かに褒められたことではないけれど、地蔵菩薩像なんだから少し大目に見てくれないかな?」
と聞き捨てならないことを宣った。
『はっ!? 地蔵菩薩像なんだからって、なによ、その言い方は! お地蔵様ディスってんの!?』
藤本さんの言うことには大人しく、はいはいと聞いていたのにっ!
「いやいや、そうじゃなくて。えーと、千里さんはお地蔵様ってどういう存在だと思ってる?」
塩澤君はデスクチェアを手前に引っ張り出すと、それに腰かけながら訊いてくる。
ちなみに私(仏像)は小さな座卓の上に、一人(一体?)でぽつんと置かれている状態だ。……華やぎがほしい。
ああ、いや、今はそんなこと考えている場合じゃなくて。
『うーん、どういう存在って訊かれると難しいけれど、庶民と子供の味方で、慈悲深い仏様かなあ……?』
「まあ、そうだね。千里さんが言うように地蔵菩薩といのは、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)で苦しんでいるすべての人々を救済するために、己がいた菩薩界から去り、あえて現世に留まっている非常に慈悲深い菩薩だ。また、地獄の果てまで救いに行って苦しみを代わりに背負ってくれる、自己犠牲精神あふれた菩薩でもある。つまり、この前の事件の時のような、己の身を呈して悪行を止めるという行為は地蔵菩薩の性質ととても合致した行いで、お地蔵様としてはむしろ、どんと来いって感じなんじゃないのってことが言いたかったんだ」
ええー、なんか上手く言いくるめようとしている気がするんだけど。
でも確かに言われてみると……。
「ああ、そうだ。ついでに言うと、地蔵菩薩は閻魔大王と同一の存在だと考えられているのは知ってる?」
『えっ、閻魔大王と!? なにそれ知らない。そんなこと初めて聞いたよ』
閻魔大王って、冥界のボスで、死後審判で嘘をついた人の舌を引っこ抜いちゃう人だよね。それで、ゲジ眉で仁王像のような顔をしているイメージがあるんだけど……あれが地蔵菩薩……。
サンタクロースがじつはパパだったと知ったときの子供って、こんな気持ちなんだろうか。
「『今昔物語集』には閻魔大王が地蔵菩薩の化身だという考えに基づいて作られた話、例えば地蔵菩薩を熱心に信仰したおかげで、冥土から生還できたなんて物語がいくつも載ってるんだけど、訳本とかで読んだことない?」
『い、いやー、古典はあまり興味がなくて』
私も読書は好きな方だけど、さすがにそこまではね。
年代がもっとぐっと下がって、古代文明あたりまでいくと興味がまた湧いてくるんだけどさ。あるいは神話とかならねえ……。
「あ、そう。——まあ、それで前から思ってたんだ。千里さんが死なずにすんだ要因の一つは、所有していた仏像が他でもない地蔵菩薩像だったからじゃないかって」
あー、なるほど。確かにこうやって地蔵菩薩についていろいろ聞いてると、私もそんな気がしてきたぞ。
佳代ちゃん、いや、佳代ちゃんのお財布事情と美的センスに救われたということか。
「ほかに、道祖神の力もかなりあったとは思うけど」
『道祖神の力? ——あ、もしかして、上に乗って遊んでいた小学生を注意したから助けてくれたってこと?』
「それも理由の一つだろうけど、道祖神が千里さんを助けたのは本来の性質によるところも大きいんじゃないかな」
『え、どういうこと?』
「そうだなー……千里さんが道祖神について知っていることって、どんなことがある?」
えー、いきなりそんなこと訊かれても、道端にあるのをたまに見かけるってだけで、さほど詳しいことは……あ、でも確か——
『交通安全の神様だったけ? ——あーっ! そういうことか! 私が死にそうになったのは、交通事故に遭ったことが原因だから……』
「うん、それも間違いではないと思う。ただ、道祖神が交通安全の神様として信仰されるようになったのは近世に入ってからだからね。本来の性質というには、それだけだとやや弱い」
『えー、でも、他に知ってることなんて……ダメだ、降参! 塩澤君、教えて』
早々にギブアップを訴えると塩澤君は一瞬、出来の悪い生徒を相手にする教師のような目でこちらを見た。でも、すぐに視線を逸らすことに。……お間抜け顔の仏像相手では、あの視線を長く維持できなかったようだ。
それから、塩澤君は私(仏像)から若干、視線を逸らした状態のまま口を開く。
「すごく簡単に必要なところだけいうと、道祖神というのは厄災の侵入を防いだりする、土地(地域)の守り神として信仰されてきた神様なんだ。だから、その土地の住人である千里さんは道祖神の守護対象者になるわけだけど、その守護対象者が交通事故で道祖神の石碑に頭を強打し——」
『えっ、道祖神に頭を強打っ!? あの衝撃って、そういうことだったの!? っていうか、塩澤君、そんなこと誰から聞いたの?』
あんまりびっくりしたものだから、思わず話の途中で声(念話)を上げてしまった。自分から質問しておきながら、話を遮ってしまってごめんなさいね、塩澤君。
「ああ、別に誰かに聞いたわけじゃなくて、調べたんだよ。A大学病院に行く途中で。千里さんの話から事故現場は駅近辺だとわかってたから、周囲を捜索してみたんだ。そうしたら、まわりをビニールテープで囲われている、血痕の付着した石碑を見つけたわけ」
『あー、あの時かー』
やけにうろうろしていると思ったけど、迷っていたわけじゃなかったのね。簡単な道のりのはずだから、変だと思ったんだ。
だとすると、あの時の私のイライラや落ち込みはいったい……。
「で、話を戻すとつまり、道祖神からしたら返報すべき守護対象者が交通事故に遭い、さらに御神体にぶつかって死ぬなんてことは、その性質上、見過ごせないことだろうから、それなりの力が働いたんじゃないかと思ったわけ」
『あー、なんか、うん、すごく納得した。死なずにすんだのはよかったけど、不思議に思ってたんだよね。善いことなんてちょっとしかしてないのに、どうして私、助かったんだろうって。いろんな偶然が積み重なった結果、こういう状況になったってわけね』
なんというか、道祖神に対しては私、数え役満みたいな状態だったのね。
「それと土地の境目や辻に祀られたお地蔵さまを見てわかるように、道祖神信仰は地蔵信仰とも習合したりしているから、道祖神は地蔵菩薩と相性のいい神仏だということがわかる。だから僕は、千里さんの救済に関わったのがこの二尊の組み合わせだったことも、生還するのに結構プラスに働いたんじゃないかと思っているんだ」
『相性のいい……なるほど。今の話を聞いて頭の中に、彼らが息の合ったコンビネーションプレーで、バスケットボールの代わりに私の魂をリングにぶち込んでいる姿が思い浮かんだよ。まあ、実際は仏像にぶち込まれたんけど』
あ、今、ダンクシュートが決まって、ハイタッチして喜びあっている姿まで!
「えっ、僕が言ったのはそういう意味じゃ……いや、そういう意味なのか——?」
『ああ、ごめん、気にしないで。きっと、愛読していたバスケットボール漫画の影響だから』
「…………」
それにしても、塩澤君、すごい博覧強記ぶりだなあ。お寺の息子だということ差し引いても、知識量が半端ない気がする。もしかして小さい頃、神童とか言われてたりしたのかな。
私は小さい頃、珍童と従兄のお兄さんから言われたことがあるけどね。
このあと、私が塩澤君の小さい頃の話を根掘り葉掘り聞き出して過ごしたのは言うまでもない。