一
※この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。
※ 誤字・脱字等がございましたら、ご指摘いただけるとありがたいです。
———————私という存在は、今、仏の中にある——————————
なんて、まるで私が悟りを開いたかのような誤解を受けそうな言い方だけれど。
別に、土の中で断食をして即身仏になったわけでもなく、数多の苦行を経て即身成仏になったわけでもない。もちろん、子山羊の真似をして、柱時計の代わりに仏像の内部へ隠れ潜んでいるわけでもない。
文字通り、仏像の中に私の魂が入り込んでしまった状態にいるのだ。……ショックで魂が抜けそうです。
いったいなぜ、こんな事態になってしまったかというと、時を遡ること半日——
*****
桜は見頃を迎えたが、まだ肌寒さが残る四月八日、朝。
新しい学校生活への期待で胸を膨らませ、私は入学したばかりの高校に向かうため、最寄り駅へと続く道を歩いていた。
途中、まだシャッターが閉められている店々の前を通り抜けようとすると、商店街と歩道の境目(商店街の玄関口)に立てられている道祖神の上で、片足立ちをしてふざけている子供を発見する。黒いランドセルを背負った男の子だ。
一緒に学校へ行く友達と、ここら辺で待ち合わせでもしているのかもしれない。
少年が乗っかっている道祖神は、二段になった石の台座の上に、角が丸く削られた石柱を立てた形のもので、高さは一メートルあるかないか。まあ、小学生男子にとってみれば、上ってくださいといわんばかりオブジェクトだということはわかる。
しかもこの石柱、一応、「道祖神」という文字は彫られているのだけど、風化して非常に読みづらくなっているのだ。
これではこの碑が神聖なものだということに、小さい子供が気づかないのも無理ないことかもしれない。
これが新生活の疲れが溜まっているだろう四月下旬の出来事なら、華麗に見て見ぬ振りをしたんだけれど。幸か不幸か高校入学二日目で、まだ気力の充実していた私は、彼にやさしく注意をした。
それは神様の石だから、上に乗って遊んではいけないよ、と。
すると彼は私に向かって、「うるせー、ババア!」と叫んだあと、道祖神から飛び降りてそのまま走り去っていった。
……なんということでしょう。小さな紳士からとても素敵なお言葉をいただいてしまいましたわ。
あいにく、私はまだ花の十五歳だから、ババアなんて言葉は気にならない。でも、走り去る彼の後頭部を凝視し、念じてみる。先程の言葉で真に私が傷つき、悩むような年になったとき。彼もまた、私が見つめた部位の状態に傷つき、悩むようになればいいと。
私の心は、針の穴よりちょっと広いのが自慢です。
それ以後は通いなれない道のりではあったけれど、トラブルもなく無事、校門をくぐることが出来た。
教室に入ると、新しい顔ぶれに対する期待や不安と、よく見知った顔に対する親しみの気配が、渾然一体となってその場を満たしていた。
私が通うことになった私立清琳学園は中高一貫の進学校で、高等部生の三分の二は中等部からの持ち上がり組だったりする。だから、ぼーっとしていると気づいたときにはぼっちになっている恐れがあるのだ。それは何としても避けたい。
新しい環境での人間関係は初めの一週間が非常に重要だ。この期間はコミュ力を平常時より五割ほど引き上げねばならず、キャバ嬢並のコミュ力が必要とされるのだ。
蝶よ花よとー 育てらーれたけれどー
今の私はー 壁の花じゃダーメなのよー
そう 目指すのはー 夜の蝶〜 夜の蝶〜
私は頭の中で自作の応援歌を歌いながら、男女関係なく積極的に朝の挨拶をしていく。自分の席の前後左右は、名前も座席表でチェックして抜かりはない。
目指せ、友達ひゃk——十人!
「おはよう。西園さん」
自分の席に着くと、さっそく私は右隣の席に座っている、とても上品な感じの女の子に声をかけた。
「おはよう。えーと……ごめんなさい、名前、教えてもらってもいい? あ、私は西園まどかです」
遠慮がちに私の名前を訊いてきた西園さんは、色素の薄い髪を編み込みのハーフアップにし、その結び目にリボンを飾った、いいところのお嬢様のような髪型をしており。それが彼女の気品のある容姿によく似合っていた。
彼女なら、気品高い姫君のヘアスタイルとして有名な『クラウン スイツト ブレイド』の形に髪を結っても、きっと似合うだろうな。
私がやったらたぶん下手なコスプレ(ウクライナの元首相、もしくはレ◯ア姫、もしくはクシャ◯姫の)をしているとしか認識されないだろうけど。
まあ、私の場合、実際の髪型はショートボブなので、カツラでもかぶらないとそういうヘアスタイルには出来ないんだけど。
「あ、千里梓です。えっと、呼ぶときは下の名前でいいので。私もまどかちゃんって呼んでいい?」
「うん、もちろん! よろしくね、梓ちゃん。——ところで、梓ちゃんって、外部進学生だよね?」
「うん、そうなの。まどかちゃんは?」
「私は内部生。梓ちゃんが外部生だってわかったのも、中等部のときに見たことない人だなぁって思ったからだし」
「そうなんだ」
私とまどかちゃんが初対面同士の通過儀礼である、外堀からじりじりと攻めて行くような会話を交わしていると、
「まどかちゃん、おはようございます」
いくらも経たないうちに、まどかちゃんのお友達がやって来た。おしゃれな赤縁眼鏡をかけている、図書委員などをやっていそうな雰囲気の女の子だ。
「おはよう、京香ちゃん。あ、梓ちゃん、この娘は江口京香ちゃんといって、中等部から一緒の友達なの。それで、こちらが千里梓ちゃん。外部生だって」
まどかちゃんからお互いを紹介してもらい、ほのぼのと挨拶を交わす私と京香ちゃん。
「初めまして、千里梓です。よろしくね」
「初めまして、江口京香です。何かわからないことがあったら、訊いてください」
それから、三人で担任の先生が来るまでおしゃべりを続け、私は彼女たちからこの学校について、いろいろと教えてもらうことが出来た。
よかった、初日から良い子たちと知り合えて。
ただ、結局、今日はこの三人で話をすることが多く、前後左の席の人達とは挨拶程度しか話せなかったので、明日は違う人とも会話できるようがんばろうと思う。
話題に困らないための情報収集はばっちりだし!
なんたって今日はクラス全員の自己紹介もあったので、自分の席に近い人達の自己紹介に対しては、近所に住むゴシップ好きのおばちゃん並の熱心さで耳を傾けたからね。
夜の蝶はマメなのよ!
そして、現在、放課後の下校時間なわけだけど。今日のところまだ、一緒に帰る人がいない(まどかちゃんと京香ちゃんは別方向)私は、一人で校門を出て、一人で駅まで歩き、一人で……。
き、今日はこれから地元の駅で、中学時代の友達と待ち合わせをしているんだっ。だから、別に寂しくなんてっ——!
…………私、明日はO線沿線に住んでいる人とお友達になりたいな……。
それから、一人孤独に電車に揺られること数十分。
待ち合わせ場所に着くと、友達はすでに来ていた。携帯で時刻を確認する。
よし、遅刻はしていないな。
「佳代ちゃん、久しぶりー。元気だった?」
私は手を振りながら、彼女のもとに駆けよっていく。
「うん、元気だったよー。そっちはどう?」
「いたって健康ですよ」
私たちは近くにあるベンチまで移動するとそこに座り、お互いの近況を報告し合った。
一通りそれがすむと、自然と話題は自分の新しい高校生活についてのこととなり、話が尽きない。勉強のこと、部活のこと、それから——。
「——だから、高校生になったことだし、彼氏ほしいなーなんて思ったり」
「え、梓ちゃんがそういうこと言うの初めて聞いた」
「うん、まあ、中学生時代は趣味に邁進して、彼氏とか縁遠い存在だったけど、私だって女子の端くれとして男女交際に興味がないわけじゃないのよ」
「そっか、そうだよね。私も眼鏡橋や枯山水を一緒に眺められる彼氏がほしいかも」
「おー、風流だね。佳代ちゃんらしいわ。私は一緒に熊野詣でがしたいな」
「熊野古道かー。いいね。世界遺産にもなってるし」
あれ? 高校生活に対する夢や希望を語り合っていたはずが、いつのまにか非リア充女子による妄想デート旅行の話になっているような……いや、気のせいだな。
世界遺産はジャスティスよ!
「あ、そうそう、今日はこれを渡したかったんだ。春休みに奈良に行ったときのお土産」
話が一段落すると、佳代ちゃんはおもむろに鞄から深緑色の包みを取り出し、私に差し出す。
「そういえば、メールにそんなこと書いてあったね。ありがとう!」
十五センチくらいの大きさで、円柱形に近い形をしたそれを、私は礼を言って受け取る。
うーん、これはお菓子ではないっぽいな。いったい何だろう。
「開けてもいい?」
開封の許可をとり、丁寧に包みを剥がしていくと中から木彫りの仏像が現れた。
「わあ、お地蔵様だ! ふふ、佳代ちゃん渋過ぎっ。でも、うれしい!」
私、仏像とか好きなんだよね。
小学校高学年の時に、“密教、かっけー”とサブカル方面のアレな病を発症。修学旅行で買った独鈷で役小角ごっこを佳代ちゃんと一緒にやったのは、黒歴史でもあり、懐かしい思い出でもある。
歴女の佳代ちゃんとは趣味ジャンルがややかぶってるから、何かする時とか意見が合っていいんだよね。ただ、アイタタッな言動を止める人がいないという点では、お互いにとってダメ友だけど。
「阿修羅像と迷ったんだけど、そっちは予算との関係上断念いたしました。その点、やっぱ、お地蔵様は庶民の見方だね。私たちのお財布にも慈悲深い!」
そうそう、お地蔵様はその慈悲深さで人気になった仏様だからね。
だから顔立ちも、慈悲……深、い?
「……よく見てみるとこの仏像、ちょっと個性的な顔をしているね」
「え、そう?」
その性質を表すように、たいてい慈悲深いお顔立ちをしているはずのお地蔵様。でも、この仏像は——
間が抜けた表情というか、とぼけた表情というか。お世辞にも私たちを見守ってくださっていると思えるような風貌ではない。
佳代ちゃんは何とも思ってないようだけど……これは彼女の美的センスに疑いを持たざるをえない……。
いやでも、お土産に対してどうこう言うなんて品のないことはしちゃいけないよね。
お小遣いで買える土産物の量産品だと、こういうものなのかもしれない。私は無理矢理、自分を納得させた。
それにじっと眺めているとなかなか愛嬌があって、味わい深い顔立ちと言えないこともないし。
その後、彼女の奈良旅行の話を詳しく聞き(十五歳で奈良へ一人旅なんて、さすが暦女、ハンパない)、寺院仏閣話で盛り上がること二時間。
気付くと日が沈みそうな時刻になっていた。
「そろそろ、帰る?」
「ん、そうだね。帰ろうか」
私たちは別れを惜しみつつ、「バイバイ、またねー」の言葉を最後に駅をあとにした。
佳代ちゃんと別れたあと、私は家に帰るために駅前のロータリー交差点を足早に渡り、商店街の方へ向かう。
しばらく駅前通りに沿って歩いていると、近距離からバイクの音が。
反射的に振り向く。驚くほど間近にバイクが迫っていた——ッ。身体が硬直し、回避行動もとれず、スローモーションのように襲いかかってくるバイクをただ凝視する私。
衝撃を感じた瞬間、身体はすでに宙を舞っていた。それから、後頭部を何か硬いものに強打。
私の意識はそこで途切れる。