家
暑い日が続きますよね。この話で一服の涼感を味わう事ができましたら、うれしいです。
2012年7月某日。都内千代田区の病院の一室にて。
手術は成功したと、先生はおっしゃるのですね。はい、それはようございました。
ああ、立ったままと言うのもなんでございます。どうぞお座りくださいまし。そんな堅苦しいことは。どうぞ、気にかけないでくださいな。昔のことなぞ、関係ございませんよ。ただの年寄りでございます。
先生も大変でございますわね。こんな年寄りの相手なぞ。なにか聞かせてほしい、ということでしょうか? この世への置き土産、ということかしら。ふふ、冗談でございますよ。
思い返せば100年近く、いろいろ見てきたことになります。そりゃ人様が見たことのないような場面もいろいろとありましたわよ。日本を裏から見てた、とでもいいますか。でも、そんなことはもうどうでもよろしくて。
こうやって、横になっていると思い出すことは、家のことなんですよ。いえいえ、今の家じゃなくて、それも昔の家のことでございます。長い話になるかもしれませんよ。よろしゅうございますか。
家に帰る日が近い? そうでございましょうね。お医者さまというのはいつでも同じようなウソをおつきになるものでございます。夫がここに入院したのは、もう三十年も前になりますやら。そのときも同じようなウソをおつきになっておりましたよ。ええ、夫はそのまま旅立ちましたとも。
父のときもやはりそうでございました。父は結局、家で亡くなりましたけど。ウソを言わないと患者は元気を出さないと言うのがお医者の約束でございますか? そんなはずはない? そうでございましょうとも。
父は60まで生きられませんでした。それに比べれば、私は長生きでございます。この歳まで生きれば、あまりこだわりがございません。いつお迎えが来てもよろしゅうございます。すぐそばにまでお迎えが来ているのでございますから。
怖くない? そうでございますわね。怖いと言えば怖いですし、待ち遠しいと言えば待ち遠しいかと。おかしいですか? 家なのでございますよ。あの家に帰っていけると思うと、つい、そんなことを感じてしまうのでございます。
生まれは千葉の田舎でございます。町は合併だの何だのと変わってしまっても、綺麗な海は昔とあまり変わりないように思っております。そこで父は手広く事業をしておりました。ええ、戦争前の話でございます。
父は事業家でございました。けっして政治家などというものではありませんでしたね。何期か続けた代議士業を簡単に弟に譲ってしまうぐらいでしたから。決してそれで身を立てようなどとは思ってなかったでしょう。
でも、そんな父に連れられて帝都へ――今の若い方には帝都などという言葉はわかりませんわね。東京へ出てきたのは私が子供のときでございました。父が帝国議会の代議士になったからでございます。
東京はさぞかし、華やかであった? ふふ、来る前はそう思っておりましたよ。陛下のいらっしゃる帝都でございますよね。どんなに立派なところかと。
ところが、長旅の末に見た景色は、まだまだ焼け出された人たちの仮の家が建ち並ぶ場所でございました。大震災の後で、後藤新平閣下の帝都復興計画がようやく見え始めた頃。活気にはあふれておりましたが、まだまだあの惨状が隠しきれていないような、そんな有様でございました。
ですから、汽車を降りたとき、こちらの家はいったいどんな有様でしょうかと子供心ながら不安に思ったものです。そう思いながら着いたその家は、驚くほど立派で、震災の気配などこれっぽっちも感じさせない、落ち着いた家でございました。二階建ての和風建築で、明治の頃にとある華族の方が建てられたとかいう話でございました。江戸の頃には大名家の邸宅があったという話でございましたから、もしかするとその頃からの建物が残っていたのかもしれません。とにかく、大きくて立派な建物が無傷で残っていたということは子供の眼にもわかったのでございます。
その家での生活が始まってから、不思議だと思った事、それはとにかく、使用人が頻繁に入れ替わるのでございます。最初はそんなことにも気がつかなかったのですが、数人いる使用人がしばらくするとまったくの違う人になっているのです。聞けば、「前の人は辞めた」とのこと。その返事をした当人が数日するといなくなっているのです。「こちらの人間は移り気で困る」などと母はこぼしておりました。
あるとき、子供の気配を感じることがありました。兄や弟、妹も一緒にこちらへきておりましたので、誰かの友達かな、などと考えておりました。部屋にいると、長い廊下を小さな子供が走るような音が聞こえるのでございます。時には障子の向こうから子供の声のようなものも聞こえることもございました。でも、障子を開けてみると、誰も居ないのでございます。誰に聞いても、友達はきていないという返事だったのです。
子供の足音や声を聞いたのは私一人ではございません。兄弟達も同じように聞いておりました。いったい、あの子供は誰なんだろうと。きっと使用人の子供が遊びに来ていたのだろう。そんなことを話しておりました。
先ほどもいいましたとおり、まだまだ震災の爪あとが残っております。家をなくした使用人もおりましたので、きっと家の都合で子供をつれてきていたのだろうと思っていたのです。
そんな最中に、障子の向こうに子供の影を見たのでございます。すぐに障子を開けたのですが、子供の姿はございませんでした。その時、ふと何気なしにですが、廊下の向こうの窓からガラス越しに外を見下ろしたのでございます。そこには立派な庭園と、頑丈そうな土蔵がございました。そして庭に走り出てきた子供が消えるような感じで土蔵に入っていったのでございます。
私はその土蔵に入ったことはありませんでした。鍵がかかっているので入ることはできない、と言われていたのです。でもその子は確かに土蔵に入っていったのです。
不思議に思ってすぐに階下に降りていくと、その土蔵に駆け寄りました。確かに扉には頑丈な南京錠がかかっていて、しっかりと閉まっておりました。もちろん扉そのものもしっかりしたもので、出入りできるような隙間もありませんでした。
では、あの子供はいったいどこへいったのだろう。そう首をかしげていると、家から使用人が出てきたので、子供のことを話しました。その使用人は急に青い顔になると、それは何かの見間違いであり、ここに近づいてはいけません、と強く言われたのでございます。不思議に思ったこと、そして強く叱られたことで覚えているのでございます。
そんな事があってから、家の中の事が気になるようになりました。そうなると不思議なもので、いろんなものが聞こえるようになりました。特に夜ともなると本当にいろいろな音がするものでございます。
ふと目を覚ますと、誰かが廊下を歩くように床がきしむ音だとか、時には枕元で畳を踏むような音を聞いたこともございました。天井の物音も当たり前のように聞いておりました。
一度は母と一緒のときに、天井で物音がしたのです。聞き間違いかとも思ったのですが、母の顔も上を向いていたので、あ、母も音を聞いたのだな、と思い、あれは何? と尋ねたのです。母はじっと見つめると、鼠、こっちの鼠はあんな物音を立てるのね、と言われたのです。
私とて田舎の娘、鼠が立てる物音ぐらい聞いた経験がございます。いくら帝都の鼠とはいえ、あんな物音を立てるものではございません。そう言いかけたとき、再び頭の上で物音がいたしました。ちょうど人の歩幅ぐらいの間隔できしむ音が動いていったのです。その物音が消えた後、母がそっと呟いたのです。鼠と言うことにしておきましょうね、と。
その時になって、なぜ使用人たちがどんどん辞めるいくのか、そして夜には誰もいないのか、ようやく理解できたのです。昼間は何人もいる使用人が、夜は一人いるだけなのです。それも別棟で早々に休んでしまい、夜の家には家族だけといってもいい状態でございました。
それなのに、夜の廊下で月明かりに浮かぶ女性の影を見たことがございました。ぼんやりとした影は和服姿の女性のようでした。ただ髪は結うことなく、腰まで垂らしているようでした。本当に誰かが廊下に立っているのだと思ったのです。でも、みな階下にいて、そこには誰もいるはずはないのだと気がついたとき、その影は消えておりました。今思えば怖いはずなのですが、その時は不思議としか感じませんでした。
考えてみれば、古いお屋敷。明治維新や大震災を無事に切り抜けてきたのです。そんな古い家には何かしらそのようなものがあってもおかしくないのかもしれません。いえ、そのようなものがいるからこそ、あの家は生き延びてきたのかもしれません。
つまらなくはありませんか。年寄りのこんなたわ言を。あら、もっと聞きたいのですか。奇特な方ですわね。よろしゅうございますわよ。
ええ、他人からすれば、怖い話かもしれませんが、そんな中で暮らしていれば、いつの間にやら慣れっこになっていくものでございます。
父は代議士を辞めましたが、そのままそこで暮らしておりました。私は府立第一女高に通っておりました、そんなある夜のことでございます。
眠っていた私は、突然に何かに首を絞められて目覚めたのでございます。驚いて目を開けると、そこにはまるで天井からぶら下がっているように女性がいたのです。真っ赤な瞳がまるで矢を射るかのように私をにらみつけておりました。そして彼女の両手が私の喉を締めつけていて、声をあげることができませんでした。おかしなことにその女性の長い髪の毛は垂れ落ちることなく、そのままだったのですが。
首を絞められて、苦しい、助けて欲しい、そう思ったときです。なぜか、ふと、この女性も苦しいのだと、そう感じたのでございます。この家を護らなくてはならない。一大事が来るのに、なにができる、なにもできないのか、そう女性の声が聞こえたような気がしたのです。
できることはします、だから助けてください、そう心の中でお願いしたのです。すっと手の力が抜けていきました。目を開けると、女性は闇に消えていったのでございます。
翌朝、あれは夢だったのだろう、そう思っていると、母が首に何かついているというのです。鏡で見てみれば、首にはまるで何かに締め付けられたような跡がついておりました。もちろん母には夢の話をいたしました。でも青い顔をするだけで、何も言いませんでした。
それどころではなかったのかもしれません。時代は昭和になっておりました。帝都は沈黙と力が支配する世界になっておりました。私も何度か兵隊さんを見かけました。あの二月二十六日の雪の朝も。そしてこの国はどんどん戦争にのめりこんでいったのです。
あの女性はこの国の行く末を考えていたのかもしれません。しかし、私がどうこうできるはずもなく、ただただ事態を見守ることしかできなかったのです。
高校を卒業してからもあの家で家事をしておりました。あれからも夜中に首を絞められることは何度かありました。しかし目の前の瞳は怒りの赤ではなく、悲しみの色に変わっていったような気がいたしました。
ある夜、私は布団の中で金縛りにあると、あの女性が再び首を絞めていたのです。そして、いつものように、ごめんなさいと謝ると、その女性の思いが伝わってきたのです。
お前はまもなくここを出て行く。出て行ったらもう二度と足を踏み入れるではない、と。何のことを言っているのか、さっぱりわかりませんでした。
そしてその直後のことです。突然に結婚のお話が舞い降りてきたのでございます。父の弟、叔父様からのお話でございました。知り合いでよい方がみえるとのことでした。
しかし、私はなぜだかあまり気乗りがいたしませんでした。そしてふと思い立つと、土蔵の鍵を探し出しました。そして、古びた南京錠を外して扉を開けると中へ入ったのです。あの女性に、この結婚のことを聞いてみたい、そう思ったのでございます。なぜそんなことを思ったのか、今でもわかりません。
中は薄暗く、空気はよどんでおりました。扉が開けられたことなど、今までには全く無かったといわんばかりに。特に何もなく、ただただ空っぽの空間が広がっているだけでした。それでも、何かがいるというような奇妙な気配は感じておりました。
そしてうす暗がりにようやく目が慣れると、そこにはあの女性が宙に立っていて私をにらみつけておりました。その足元には大勢の子供達が、怯えた様子で、身を寄せていたように思います。
そのあり様を見た瞬間、胸が苦しくなりました。まるで何かに圧されるかのように、息ができなくなるような感じがしたのです。耐え切れず、私はうずくまりました。それでも呼吸は復活しませんでした。薄暗くなる視界の中、感じていたのはたくさんの物言わぬ視線、そしてこのまま死ぬのだということだけでした。
どうやって助かったのかはわかりません。気がつくと家の布団の中でした。心配げに見つめる父母の顔を見て、私は思わず泣いておりました。私を助けてくれたのは父だったそうです。土蔵の扉が開いていることに気がついて、入ってみると私が倒れていたそうでございます。中では何か見なかったのですかと聞きますと、何もない、何も見なかった、お前もそうだな、とそう申しておりました。その言葉に私が頷きますと、父母はほっとしたような笑みを浮かべておりました。
それからでございます。父の体調が優れなくなってきたのでございます。なにかと疲れたと言っては休んでいる事が多くなりました。もしかすると、あの土蔵の中のことが原因なのかもしれない、そう思いはいたしましたが、本人がなんでもないと言っている以上はこちらから問いただすこともできません。そして、私は結婚を決意しました。
結婚してもイニシャルは変わらないという、そんな駄洒落のような話も結婚の理由のひとつではありました。なんといってもあの家を出る、出なければいけないというのが、一番の理由だったと思います。もうあの家にいることはできない、そうあの女性が言っていると思ったのです。
結婚した後に父が血を吐いたことを聞きました。もしかすると、父は私の身代わりとなったのかもしれません。だとすれば、いえ、そうでなくても、すぐにお見舞いに行かなければ、そう思ったのですが、足はあの家に向かいませんでした。二度と敷居をまたぐでないというあの女性の言葉が足枷になっていたのです。そしてまもなく、父は亡くなりました。私はその葬式にも出ようとしない、親不孝な娘だったのでございます。
そしてすぐに戦争がやってまいりました。嫁ぎ先の家は空襲にあい、夫の実家も燃えました。帝都の夜空が赤々と照らし出されているのを疎開先から見たときに、あの家も燃えてしまったであろうと考えておりました。
戦後、疎開先から都内に戻ってきたでございます。あの家が無傷で戦争を乗り切ったと、驚くような話を妹から聞いたのでございます。
雨のごとく降り注ぐ爆弾、焼夷弾。その中で、屋根の上に立ち、天をにらみつけ、そして降り注がれる凶器をことごとく逸らすあの女性。足元にしがみつく子供達には慈母の微笑を降り注ぎ、一転鬼のような形相で空を見上げるあの女性。
なぜかしら、そんな印象が私の心には浮かんだのでございます。あの女性が、あの家の禍を祓い、護っているのだという思いが。
戦後、夫と共に子供達を育て上げました。戦中に生まれた娘は嫁ぎ、孫の顔を拝めるといううれしいでき事もありました。
その前から今の住所への引越しを考えておりましたが、なぜか夫は頑なに拒んでおりました。それがどうしたことか、突然引越しに同意したのです。それでも引越し当日は夫はふてくされておりましたけれど。
でもそれが運を呼んだのかもしれません。その後、夫の事業は好調を維持しておりました。でもそんなことより、私には夫が時折見せる表情が、なぜか亡くなる前の父の横顔と似てきたような気がしていて、不安な気持ちになっておりました。そしてそれは虫の知らせだったのかもしれません。夫はしばらくして、この病院で亡くなったのでございます。
私の残りの人生は、子供や孫とすごせばよいと、そう思っておりました。そんなある日、自宅の目と鼻の先で建築工事が始まっていることに気がついたのです。いえ、きっとその前から始まっていたのでしょうが、気がつくだけの余裕がなかったのでしょう。そこはとある会社の社長宅で、そこに別の場所で迎賓館として使われていた建物を移すというお話でした。なんでも大正の和風建築の髄を凝らした邸宅で、取り壊すにはあまりにも惜しい物件だそうで、今では手に入れることもできない一本物の梁や継ぎ目のない一枚物の板が使われているとのだと。妙な感じはしたものの、その時は特にどうとは思いませんでした。妹が訪ねてくるあの日までは。
妹は私を無理やり、あの家の場所へと引っ張っていったのです。結婚して以来、目を向けようとしなかったあの場所へと。そこは工事の真っ最中でした。あの家はなくなり、更地となった場所にはたくさんの資材が工事のフェンスの向こうに見えるだけでした。あまりの変わりように私は声も出ませんでした。ここは、あの家は、あの女性によって永久に護られているのだと信じきっていたのですから。
作業の監督さんに無理を言って訊いてみたのです。そのお返事は、前の家は老朽化のために解体され、ここには新しい建物が建つとのことでした。
土蔵は、ここにあった土蔵はどうなったのですか、と私は必死で叫びました。その様子を見て関係者だと思われたのでしょうか、監督さんは不思議そうな顔をしながらも話してくださいました。
確かにここには土蔵があった、しかし、もう取り壊されてしまっている。そして、その時にも不可思議な事があったのだと言われました。あの土蔵の地下には記録にはない穴のようなものがあって、解体中に見つかったのだそうです。あわや、重機が落ちかけると言うようなことがあって、大騒ぎになり、御祓いまでしたのだと。なにか、知っているのなら教えて欲しい、そんな彼の言葉を余所に私はさらに伺いました。
その地下の穴には、骨が、女性や子供達の骨がありませんでしたか、と。もしかすると、全ての怪異はそれが原因なのかもしれない、そう思ったからです。監督さんは申し訳なさそうに、そのようなものは見かけなかったと言いました。もっとも、しっかり調査したわけでもなく、御祓いが済むとすぐに埋め戻してしまったのだそうです。その言葉を聞いて、私はなんだか体中の力が抜けたような気がいたしました。
さらにおかしな話として、解体中に女性や子供を見かけたという噂はあったと監督さんはおっしゃいました。彼女達は、やはりあの家に憑いていたのです。あの家に居続けていたのです。彼女たちはあの家の解体と共に消えていったのでしょうか。それともこれからできるという新しい建物にまた現れるのでしょうか。結局、彼女たちは何だったのでしょうか。護るべき家がなくなってしまった彼女らは、一体どうなるというのでしょうか。
先生はお医者でございますから、こんな話は信じませんともね。ええ、年寄りの世迷いごとで結構でございます。
でもね、先生。私、見つけてしまったのでございます。近所を散歩していたときのことでございます。
あの家が、建っているのでございます。まだ工事中ではございましたが、二階建ての和風建築、玄関の車止め。そして隣の洋館。見間違えるはずはございません。恐ろしくも懐かしいあの家が、以前の様子のままでそこにあるのです。
私は急いで妹を呼び出しました。そして二人でその場所に行ったのです。二人とも驚きのあまり声も出ませんでした。でもどういうわけか、涙が出てとまらないのでございます。
解体されたあの家は、私の自宅のすぐそばで移築再建されていたのでございます。私が逃げ出したはずのあの家が、あちらからそばにやってくるなどということがあるのでしょうか。そして涙にくれる私の目には見えたのでございます。工事中のその場所で、資材の間を走り回る子供達の姿が。そして屋根の上にはあの女性がぼうっと立っているのでございます。その赤い瞳は私を見つめておりました。この人からは、この家からは私は逃れる事ができないのだと、そう思いました。
ですが、その一方でこの女性も子供達も、囚われているのだという感じがしたのです。何にかってですか。
この家にです。この家に囚われ、使われているのだという感じがしたのです。
それからずっとその家を見守ってまいりました。完成が近づくにつれて、微笑む女性の表情まではっきりと見えるようになってまいりました。そして同時に感じるようになってきたのです。私も、その女性と同じようにこの家の仲間になるのではないかと。この家に囚われる日がくるのだと。それは恐ろしくもあり、またうれしくも懐かしくもあるような、不思議な感覚でございます。
ほら、その壁のところに赤い瞳をした女性が立っておりますでしょう。お迎えに来ているのですよ。きっと。一緒においで、懐かしい家があなたを待っておりますよ、と。
もっといろいろ言いたいのですが、こちらではこれ以上は言いません。知りたい方、あるいはなにか知っているよという方はメッセくださいませ。