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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

猫と狐の契約書

作者:

八月の終わり、愛車で海岸線を気持ちよく流していた花織は運悪く白バイに捕まってしまう。

言い訳も抵抗もするだけ無駄と知っていたためさっさと手続きを終わらせようとするが

あろうことか犯罪者として逮捕されてしまう。

それどころか、助かりたければ言いなりになれと脅迫までされることに……。

3/27 本文を追加、表現を一部変更しました。

「あーもぅ! しつこい!」

 一瞬だけミラーに目をやり、すぐに正面に視線を戻す。しかしミラーには背後から迫り来る赤色灯が反射し、否応なく視界に入る。白バイとつかず離れずのまますでに五分近く追いかけっこを続けていた。

 追跡者を振り切りるべく、アクセルを握る右手に力を込め全開にする。エンジンが一層甲高い咆哮を上げると同時に体が後ろに引っ張られる。それを両手両足をがっちりとタンクに固定して耐えた。

 今走っているのは海岸沿いの片側二車線の一般道だけど、平日の深夜ということでこの道路を走る車は多くない。

 速度計の針はすでに百五十キロを指していた。

「止まりなさーい!」

 拡声器で目一杯増幅された白バイ隊員の怒鳴り声がヘルメット越しに聞こえてくるが、今止まれば当然捕まる。だから止まるつもりはない。

 縦にわずかにずれて走る二台の大型トラックの隙間を、一瞬のバンクと切り返しで突破する。

 白バイのゴテゴテした装備なら、あの隙間は抜けられないと踏んだが考えが甘かった。

 サイレンと赤色灯に気づいたトラックが慌てて路肩に避けるのがミラー越しに見えたから。当然白バイは中央を悠々と走り抜ける。

 どこかで曲がらないと巻けそうにないと思い始めたその時、正面に三角の赤い光が目に入る。考えるより早くアクセルを緩めブレーキをかけた。

 その光は事故等を告げる三角停止板の反射光だったからだ。

「止まれぇぇぇぇぇ!」

 目を見開き、思わず一人叫び声を上げた。タイヤがロックする寸前を見極め、マシンをコントロールする。愛車のライトに横転したトラックが映し出される。

 トラックまであと数メートルのところでぎりぎり止まることができた。

「はぁ……」

 事故らずに済んだことへの安堵と、緊張感から解き放たれたことから特大の息を吐く。

 肩にぽんと軽い衝撃が有り、何かと思い振り返る。

 「あ」

 そこには、ついさっきまで追いかけっこをしていた白バイ隊員が満面の笑みを浮かべ立っていた。どうやら今回の白バイ隊員は女性だったらしい。ヘルメットからはみ出た長い髪が夜風に吹かれなびいていた。

「とりあえず君は後回し。先にこのトラックの運転手の安否を確認しないとね」

 それだけ告げると白バイ隊員はトラックに駆け寄り運転席を覗き込む。

 今なら逃げられると思ったがそうは問屋が下ろさないようで、バイクからキーが消えていた。

「一通り片付くまであなたのバイクのキーは預かっておくわ」

 その手にはいつの間に抜き取ったのか、あたしのバイクのキーが握られていた。


 二時間後。

 応援に駆けつけたパトカーとレッカー車により現場はすっかりと片付けられていた。

 お待たせとばかりに先ほどの白バイ隊員が寄ってきて早速手続きをはじめる。

「志藤花織さん。Y大学の二年生ね」

 白バイ隊員は怪訝な表情を浮かべて、免許証の写真とあたしを何度も見比べつつ確認を進める。そんなに何回も見直さなくても十分だろうと思うが。

 それにしても、免許証に学生証を入れっぱなしにしていたのは失敗だったがもう遅い。

「念のため現住所を言ってもらえるかしら?」

 どうにもしつこかったけど、従わないわけにもいかないので仕方なく答える。

「現住所は神奈川県横浜市戸塚区K町○○ー○。これで満足?」

 さすがに自分が現在住んでいる住所は番地まで覚えている。満足したのか白バイ隊員は「そう」とだけ言うとあたしに免許証を返してくれた。

「ダメよ。あんな無茶な運転しちゃ。もし死んだらどうするの」

 腰に手を当て、あたしの顔を覗き込んでくる。

 お約束のお説教。あたしは適当に相槌を返しつつ、早く終わらないかななんて考えていた。

 両親は早くに死んですでに一人ぼっちの身だが、それを言ったところでどうなるものでもないので黙っておく。

 白バイ隊員は用紙にペンを走らせていたが、やがて手を止めるとあたしの前にそれを突きつける。

「えーと、速度超過五十キロ以上で減点十二点、違反金三万円。合図不履行は減点一点、違反金六千円。合わせて減点十三点に罰金三万六千円ね。はい、ここにサインして」

「わかったわよ……」

 抗議したって無駄なことは理解している。だからさっさと解放されるべくサインを済ませようとしたその時だった。

 ペンを受け取る際、わずかにそれた手からペンを落としてしまう。慌てて拾おうと屈んだ時に、ほんのちょっとだけあたしのブーツが白バイ隊員のブーツにぶつかった。

「あ、ごめ……」

「あら……いけない子ね、公務執行妨害で逮捕します」

 ガチャリ

 正に一瞬の早業だった。気づけばあたしの両手には、刑事ドラマなんかでよく見る手錠がかけられていた。あまりの出来事に思考が追いつかない。

「は? え……? ちょ、ちょっと、なによそれ!?」

「もう一度言います。志藤花織さん、あなたを公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕します。なかなかいい度胸してるわね、あなた。警官のブーツを蹴り飛ばすなんて」

 目の前に立つ白バイ隊員は真顔で淡々と喋る。それが余計に感情を逆なでする。

「ふざけてないですぐに外して! じゃないと訴えるわよ!」

「……自分の立場分かってる? ここには私たち二人だけ。さてさて、裁判所は不良大学生と警察官のどっちを信じるかしら?」

 悔しいがこいつの言うとおりだった。週末ならともかく、平日深夜の海岸通りにそうそう都合よく人がいるわけがない。目撃者がいない以上、どう考えても勝ち目はなかった。

 いや、仮に目撃者がいても昨今の警察の腐敗ぶりを考えれば、もみ消される可能性も十分ある。

 打つ手のないあたしは睨みつけることぐらいしかできることはなかった。

「さて、モノは相談なんだけど、助かりたい?」

 余裕余りまくりです。そう言わんばかりの態度をした白バイ隊員は言ってきた。

「……助ける気があるの?」

 非常に胡散臭い。しかし交通違反だけならまだしも、冤罪とはいえ逮捕されたことが大学に知れれば退学になりかねない。

 もし退学になれば大卒で就職することも御破産になってしまう。そうなれば後後の人生設計も大幅な修正をしなければならない。

 そんな面倒はなんとしても避けたい。

「それはあなたしだいかな。心配しなくても、法に引っかかるようなことはないから」

「じらすような言い方しないでさっさと言ってよ」

「じゃ簡潔に言うわ」

 そう言うと白バイ隊員はヘルメットを脱ぎ、バイクのミラーに引っ掛けた。ヘルメットから解放された漆黒の長髪は夜の闇にも溶け込むことなく、その存在を顕示していた。

 そしていつの間にか犯罪者相手(冤罪だが)の顔ではなく、まるで家族に向けるような優しい笑顔になっていた

 正直、かなりの美人だとあたしは感じた。整えられた柳眉と切れ長の瞳、見つめられたあたしは思わず息を呑み言葉を待つが……。

「私のペットになりなさい」

「へ?」

 うん、全くもって意味がわからなかった。この白バイ隊員は一体何を言ってるんだ?

 追いかけっこの果てに捕まえた相手にいちゃもんつけて無理矢理逮捕して、助かりたければ私のペットになりなさいだなんて。とても正気とは思えなかった。

「えと、意味がわかんないんだけど……」

「言葉の通りよ。私のペットになりなさい。ああ、心配しなくても時々私の手伝いをしてくれればいいだけよ。買い物での荷物持ちとかね」

 真意を計りかねるあたしに対して彼女は言葉を続ける。

「受けてくれるなら、さっきの公務執行妨害と速度違反をあらかた無しにしてあげてもいいわよ」

 その言葉に思わず反応してしまう。

 あたしの反応を見て、目の前にいる白い悪魔はさらに甘言を続ける。

「さっきのをまるごと消して、十キロの速度違反だけにしてあげるわ。まぁ、どっちにしてもこのまま逮捕されて大学を退学になるよりは随分とマシでしょう?」

「言いたいことはわかったけど、『脅迫・強要』て言葉知ってる?」

「ええ、警察官ですもの、もちろん知ってるわよ。ついでに、あなたも自分には選択肢がないってことぐらい、わかっているんでしょう?」

 そう言うと白バイに取り付けられたサイドバニアから新しい用紙を取り出し、先ほどと同じようにささっと記入するとあたしに渡してくる。しばらく眺めたけど、眺めたところで、どれだけ頭をひねってもこの書類にサインする以外にあたしが助かる道はなかった。

「わかったわよ……」

 わざとらしくため息をひとつついて、書類に名前を書き込む。

「それじゃ、次は携帯を出しなさい」

「なんで?」

 理由はわかってはいるが、わざと聞き返した。

「それはもちろん、貴女を呼び出すときに使うからに決まってるじゃない」

 二、三回無意味な押し問答をした末に携帯を渡す。

 白バイ隊員も自分の携帯を取り出し、何かしらの操作をしていた。

「はい、いいわよ。私の番号とアドレスをいれておいたから。にしても、あなた友達いないのね。登録件数が一桁の人なんて初めて見たわ」

 そう言ってあたしに携帯を返してくれたが一言余計だ。

 電話帳を開くと見覚えのない名前と番号が登録されていた。皆月彩夏みなつきさいかどうやらこれがこの憎たらしい白バイ隊員の名前らしい。

「それで、あたしはあんたのことをなんて呼べばいいわけ? 苗字? 名前? それともペットらしくご主人様とでも呼ぶ?」

 もはや諦め切ったあたしは他所を向いたまま、ぶっきらぼうに質問する。

「そうねぇ」

 そう言って目の前の女性、彩夏は顎に手をやるとちょっとだけ考え込んだ。

「さすがに街中でご主人様はかわいそうだから、大甘で『お姉さま』にしようかしら」

『お姉さま』なんとも古典的な呼び方であるが、あたしには拒否権もなければ選択権もない。それどころか生殺与奪権を握られている以上従う他ない。

「念のため言っておくけど、もし私の呼び出しを無視したり、このことをほかの人に喋ったりしたらわかってるわよね?」

 またしてもあからさま脅迫。

「忘れないことね。たった今からあなた……花織は私のペットよ。よし、今日はもう帰ってもいいわ。くれぐれも安全運転で帰るのよ」

 そういうと彩夏はあたしにバイクのキーを投げてよこした。


 講義が終わってみんなが教室を出ていく中、あたしは立ち上がる気力もなく机に突っ伏して、ただぼんやりと黒板を見つめていた。

 突然目の前に手刀が降ってきてそれがあたしの顔の前で上下する。

「どうしたの、ぼーとして?」

 手と声の主はあたしの数少ない友人の凪沙だった。

「んーここのところ忙しくてお疲れ状態」

「あら、珍しいね。いつも元気いっぱいの花織がお疲れだなんて」

 そういうと凪沙はあたしの前にしゃがみこんで顔を覗き込んでくる。

「おまけにこの間、海岸線で白バイに捕まった」 

「あらら、そいつは運がなかったね。……たっぷりきた?」

 たっぷりとはもちろん減点&違反金のことであろう。そう思った矢先、あの憎たらしい白バイ隊員……彩夏の顔を思い出した。

「いや、色々あって十キロの速度違反だけで済んだよ」

「不幸中の幸いだったねー。ところで、『色々』てなに? 最近の服装と関係あるのかな? いつも革ジャンにジーンズな花織が近頃やけに可愛らしい服装してるし。今日に至ってはフリル付きのワンピースにウィッグまでつけて女の子女の子してるなんて」

 喋りすぎたかなと思うがこれ以上言わなければ分かりはしないだろう。

「色々はまぁ、むこうが少しまけてくれたんだよ。服装は、そうだねたんなる気分転換。あたしだって年頃の女の子だし、たまには可愛い服を着てもいいだろう?」

「ま、それもそうだね。奥手な花織にてっきり恋人でもできたかと思ったけど、その様子じゃ春はまだまだみたいだね」

「言ってくれるね、そう言う凪沙はどうなのさ」

「もちろんラブラブだよ。来年には同棲予定だしね」

「ごちそうさま」

「それじゃ、花澄と約束があるんでそろそろ行くね」

 そう言うと凪沙は携帯で楽しそうに(多分恋人だろうけど)誰かと話しながら教室を出ていった。

 これで教室に一人きりになれるかと思ったが、どうやらこの後別の講義でここを使うらしく入口から学生の話し声が聞こえてきた。


 凪沙と別れたあたしは今度こそ一人でくつろぐためにわざわざトイレの個室に篭っていた。ここなら誰にも邪魔はされない。別にぼっちだからここに居るわけじゃない。

 一人の時間を誰にも邪魔されたくないだけだ。

 目を閉じ、ここ最近の出来事を思い返す。

 三週間前。

『さ、今日は片道千キロ弱のツーリングに行くわよ。もちろん泊まりね』

『はい、お姉さま。……往復で、じゃなくて片道千キロですか……』

『なにか問題でも?』

『いえ、ありません。お姉さま』


 ……二週間前の日曜日は彩夏の部屋だったかな。

『お姉さま、紅茶が入りました』

『ありがとう花織』

『お姉さま、一つ質問よろしいでしょうか?』

『はい、どうぞ』

『なんで部屋の中に縄があるんでしょうか?』

『それはもちろん、可愛らしいメイド服姿の花織を縛るために決まってるじゃない』

『帰っていいですか』

『ダーメ』

『誰か助けて……』


 先週の休みは買い物に付き合わされたっけか。

『今日は駅前のデパートに買い物にいくわよ。……花織、あなたもうちょっと服装のセンスどうにかならないの? いいわ、私の買い物が終わったら花織の分も見立ててあげる。ああ、ついでに下着と化粧品コーナーもいこうかしら』

『……ありがとうございます。お姉さま』

『うん、この下着もいいわね。色々と大事な所が見えそうで見えないというところが、なんともそそるわ』

『あ、あのさすがにこれはちょっと……』

『花織、なにか不満でも?』

『い、いえ、ありません。ありがとうございます、お姉さま……』

 で、無理やりプレゼントされたのが今着ているワンピースとレースの下着。可愛いんだけど正直恥ずかしい。しかしちゃんと着てるところ確認するためとは言え、大学の構内で写メ撮って送れなんて鬼畜すぎる。

 こうしてみると、ここ一ヶ月は休みのたびに彩夏に付き合わされている。

 気分転換に携帯プレイヤーでお気に入りの音楽を聴きながらリラックスをするが、またしても邪魔が入る。

 今度はバッグの中で携帯が鳴りだした。

 ディスプレイを見ると携帯を鳴らしているのはお姉さまこと彩夏だった。仕方なく通話ボタンを押し電話を取る。

『はーい、花織元気してる?』

 携帯からなんとも陽気な声が聞こえてきた。

「こんにちは。何かご用でしょうか?」

『もちろん用事があったから電話したに決まっているじゃない』

 そりゃごもっともな意見です、だからこそさっさと用件を言って欲しい。

『もう講義も終わってるでしょう? 事務所に前にいるからすぐに来ること、いいわね』

 それだけ言うと一方的に切られてしまった。それにしても、事務所て、まさか大学の構内にいるわけ? ……いや、彩夏の行動力なら十分考えられる。さっさと行かないと何を言われるかわかったものではない。

 あたしは携帯をバックにしまうと足早にトイレを後にした。


 十分後。

 事務所が見える位置まで来たあたしは思わず足を止めて、頭を抱えたくなった。

 そこにいたのは見慣れた彩夏の愛車であるブラックバードではなく、白バイだったからだ。

 警察である白バイが大学の構内にいるってだけでも充分目立つのに、その横に立つライダーがスラリとしたモデル並みのスタイルで、黒曜石のように美しい黒髪を風になびかせて颯爽と佇んでいるもんだから余計に目立ちまくりだった。

 彩夏はあたしの姿を見つけるなり笑顔で気軽に手を振り、おいでおいでと手招きをする。

 正直、近寄りたくない。ほかの学生が何事かと遠巻きに白バイを見つめていたからだ。

 しかし今更逃げるわけにもいかないので、我慢してそばまで行くと同時にヘッドロックの要領で腕を首にかけられ、あっというまに拘束されてしまう。

「ちょーっと来るのに時間かかりすぎじゃない?」

「ごめんなさい。ちょうど校舎の反対側にいたものだから……」

 実際、電話を受けたときあたしは言葉どおり事務所とは反対側にいたため、全力疾走でここまできた。

 けど、全力で走っただけにすぐに彩夏の前に出ることができなかったのだ。髪は乱れ放題なうえに、ウィッグも外れかかっておまけに汗だらけ。とりあえずそれらを直すために時間をかけざるをえなかった。

 何はともあれ、常に身だしなみを整えておかないとそれはそれで文句をつけられる。

 でもそれを言うわけにもいかないので、身だしなみの部分だけを除いて事実を伝えた。

「まぁいいわ。でも、気を付けないとアノ写真、うっかり流れちゃうかもよ」

 彩夏の手の中には携帯が握られていて、その画面にはあたしの人生において間違いなく黒歴史確定な画像が映し出されていた。

 以前ツーリング先で泊まった際に撮られた写真。

 ただの写真ならまだしも、よりにもよって全裸で猫耳&尻尾まで付けられた時に撮られたものだから、なにがなんでもネットに流されるのは死守しなければならない。猫耳はヘアバンドだからまだよかったけど、尻尾がどこに接続されていたかなんてもはや思い出したくもない。

 もちろん普段ならさすがに抵抗するところだけど、彩夏は酒癖めっちゃ悪くて絡まれまくりだし……。

 結局あたしまで飲まされまくって前後不覚になったところでやられてしまった。

 まさに一生の不覚。

 そしてくやしいが写真の回収はもはや諦めるしかない。一昔前ならネガを処分すればよかったが、デジタルデータ全盛のこのご時勢、すべてを回収するのはもはや不可能に等しい。

 致命的な弱みを握られたあたしに出来ることといえば、可能な限り彩夏の機嫌を損なわないようにすることだけ。

「さてと」

 あたしを開放した彩夏は先程と変わらない笑顔を作っていた。できることなら、今すぐにでもグーで殴り飛ばしたくなるが相手は現役の警察官。そんなことをすればあたしの人生はその場で間違いなく終わってしまうのでどうにか堪える。

 いや、たとえあたしがキレて挑んだところで柔道剣道共に有段者の彩夏に勝てるとは思えない。ならば従順に従い、彩夏があたしに飽きてくれるまでおとなしく過ごすのが得策と考えることにした。

 

「私はもうじき上がりだから、ここで待ってて。二人でケーキでも食べに行きましょう。いいわね?」

「はい、お姉さま」

 周囲には友人ではないが、見知った顔がワラワラいるこの状態でお姉さまと呼ぶのはさすがに恥ずかしかったあたしは、お姉さまの部分だけちょっと小声にした。


「んーここのケーキは何度食べても美味しいわね」

 お姉さまこと彩夏は満面の笑みを浮かべてケーキを口元に運ぶ。すでに三個目にかかっているのに全くペースが落ちない。彩夏のおごりということもあって確かに美味しいんだけど、さすがにケーキばかりそうそう食べられるものではなく、あたしは店員を呼んで紅茶を頼んだ。

「それで、今度は何をするんでしょうか?」

 運ばれてきた紅茶で甘ったるしくなった口の中をリセットしつつ、彩夏に尋ねる。

「あら、よく気づいたわね。実はね、明日ちょっと手伝いを頼みたいのよ。なに、大した用事じゃないわ」

 あたしが断れないと分かっているくせに、一応『頼みたい』とお願いの様式をとってくるのがなんとも腹立たしい。

「それで、あたしは何をすればいいんでしょうか、お姉さま?」

「とりあえず、可愛い服を着て部屋に居てくれればいいわ」

 漠然として要領を得ないお願いだった。それでもあたしには拒否権はない。

「はぁ……分かりました」


 そして翌日、聞きなれた目覚まし時計のアラーム音で目が覚めた。時計を確認すると彩夏に指定された時間まで後三十分。

 とりあえず部屋着のスェットを脱いで言われたとおり可愛い服に着替える。今日の選択はチェックのミニスカートに黄色味のかかったキャミソール。

 姿見の前でくるりと一回転して、おかしいところがないか確かめる。

 よし、問題なし。

 顔を洗って、歯磨きをする。身支度を一通り終えたところで玄関先から聞き覚えのあるエンジン音が聞こえてきた。

 約束の時間まではあと十分あったけど、念のため玄関先に出ると予想通りそこに彩夏はいた。スタイルのいい人間がレザースーツを着るとなんとも絵になる。

 彩夏はバイクのエンジンを切るとふわりとバイクから降りた。

 ああ、なんでこう当たり前で他愛もない動作がいちいち様になるかな。不公平だ。

「おはよう、花織」

「おはようございます、お姉さま」

 不平不満は心の中に押しとどめて、あたしは努めて笑顔で挨拶を交わす。

「それで、今日はどのようなご用件でしょうか?」

「花織、あたしたちが出会ってから、どのくらいたったか覚えてる?」

 彩夏はあたしの質問を無視して、自分の質問を投げてよこしてきた。

 正直あの夜のことを思い出すと今でも腹が立ってくるけど、なにがなんでも表情は笑顔のまま崩さない。怒ったら負けだ、人生が終わる。

「えと、約一ヶ月といったところでしょうか」

「うん、そのくらいだね」

「それで、その質問にはどういった意味があるのでしょうか?」

「最初はね、軽い気持ちだったのよ。捕まえた相手が思いのほか可愛かったから、正直ちょっとつまみ食いなんてね」

 またしもあたしの質問を無視。それどころか頬を上気させ一人でなにやら語りだした。

「それがまぁ、花織の反応というか啼き声は可愛いし、感度もいいしでいつの間にかつまみ食いじゃなくて本格的に味わいたくなっちゃってね」

 休日の早朝で通りには人気がないとはいえ、そういう恥ずかしいことは屋外で言ってもらいたくない。

 そこまで喋ると彩夏はあたしの部屋の隣のドアを指さした。その指に釣られてあたしもドアの方を向く。

「そこ、空き部屋だよね」

「ええ、そうですけど」

「そこに引っ越すことにしたから」

「は?」

 あたしの思考が追いつく前に大通りから一台の中型トラックが現れ、マンションの前に停車した。その貨物部分には有名な引越し会社の名前とロゴが入っていた。

「皆月様お待たせしました。これより搬入作業にかかります」

「はい、よろしくね」

 トラックの運転手は降りてくるなりそう告げると彩夏から鍵を受け取る。

 続いてトラックの後部座席から同じ制服を着た男女数人が現れ、次々に荷物を部屋に運び入れていく様をあたしはただ呆然と眺めることしかできなかった。

「さぁ、早速今晩から……いや、引越し作業が終わり次第、調教よ……うふふふ……たっぷりと可愛がってあげるわ可愛い可愛い子猫ちゃん」

「悪夢だわ……」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 話の構造がいいです^^ [一言] もう続編は書かれたのですか? 毎日アクセスして探してるんですが・・・ 続きがすっごく読みたいです^-^
[良い点] ものすごく羨ましい設定ですね(//v//) とてもそそる。 [気になる点] 今のところなし。 [一言] 美人なお姉さまに乾杯。 めちゃくちゃに調教してもらいたい///
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