おはようからおやすみまで
ぱちり、と目が開くのは、いつも通りの時間だった。
水差しのから水を注ぎ、ゆっくりと飲み干す。そうしながら今日の予定を組み立てていく。
昨日終わらなかった仕事、懸案事項について、……あれが終わったらこれ、その次はこれ、と。
考えながら、身支度を整える。白いシャツは侍女たちの手によってぱりっと整えられていた。至れりつくせり。こんな生活では、王様が嫁を取る気にならないのも仕方ないのかもしれない、と私の思考は少し横道にそれた。
朝ごはんは食べない。
王様はこのことを不満に思っているらしく、隙があればちくちく言ってくる。「お前、朝ごはんを食べなければ頭は働かないし、体も動かないよ。お前は細すぎるよ。そのうち折れるんじゃないか?」「折れません」
むしろ朝食べ物を口にすると、何だか頭が回らないような気がする。頭を回すのに必要なエネルギーがお腹に向かってしまうような。
簡単に寝床を整える。後のことは侍女たちに任せている。
部屋を出ると、広い廊下。早い時間なので、まだ人はいない。
「王様、失礼します」
返事がないのは分かっていたが、もはや習慣として染み付いている。
他の部屋よりはいくらか豪奢なドアを押し、そっと身体を滑り込ませる。
「王様、朝ですよ」
「……ぐう」
「王様、起きてください」
「……いや」
「起きてるじゃないですか」
王様を引っ張るようにして起こして、用意した衣服を渡す。
「着せて」
「嫌です」
王様は、朝は異常に甘ったれている。普段は割ときりっとして、王様ってまるで王子様みたい!カッコイイ!とか、女性の方はとても良く言ってくれるのです。
が、そんな面影微塵もない。髪を櫛で梳かしてやると、王様は欠伸しながら言う。「昔は私がやってあげていたのに」「成長しましたから」「ふふ」「介護ってそういうものですよ」「…介護だと思ってたの!?」
王様があれしてこれして言うのを適当に受け流しながら相槌を打つ。
「朝ごはんはすぐに運ばれるので、もう少しきりっとしてください」
ぽん、と背を押すとうとうとふらふら、頼りなく立ち上がる。後ろの金髪がくるんと丸まったのがなかなか直らない。今日は帽子でも被っていてもらおうか。
ふわああ、王様の緑がかった目にうっすらと涙が滲んで気だるげだ。こんな締まらない姿、他の誰にも見せられないな、と思う。
「では、私はそろそろ失礼します」
「お前も一緒に」
「私は朝ごはんは食べませんので」
朝ごはんを食べなくては……、王様の小言が始まったので私は踵を返した。また後でなー、王様の間延びした声が後ろから追いかけてくる。口元を緩めて微笑みを返したけれど、背を向けていたので、王様には伝わらなかっただろう。
「これは、一体どうしましょう?」
「そうですね、…これは河川の工事とは日程をずらした方がいいですね。交通量から考えて、河川の工事が優先だとは思いますが、あのあたりは結構閉鎖的なんですよね。本格的な工事の前に人をやって、現地の方たちとかなり綿密に打ち合わせをしておいた方がいいでしょう」
「調停官殿!こっちはどうしましょう!」
「ああ、それは、もう王様のもとへ送って印を押すだけです。護衛部隊の方にもきちんと連絡が渡っていたので、大丈夫ですよ」
「取り急ぎ調停官に会わせてほしいという方が!」
「分かりました。すぐに向かいます。適当にもてなしておいてください」
「はい!」
「今日はどうだった?」
「いつも通りです。何も問題はありませんでした」
「そうかそうか」
朝とは別人にきりっとした王様は鷹揚に頷いて見せた。
「こちらは、少し、予算案が遅れていてなあ」
「急ぎ、用意しなくてはいけませんね」
「いや、気にしなくていい。やっぱり、仕事の話はやめよう」
王様に名前を呼ばれたので、私は傍へ寄った。私の名前を呼ぶのは、王様くらいのものだ、と私はふと気づいてしまった。
「おやすみなさい」「まだ早いよ。お前はすぐ帰りたがる。昔はよく勝手に布団に入ってきていたのに」「もう子どもじゃありませんから」「そうだなあ」
ふかふかのベッドの上であぐらをかき、王様はうーんと呻きながら伸びをした。
「ほら、眠いんでしょう。子どもみたいだ」
「そういうな、仕方がないだろう…」
王様は、「おいで」と言う。私が頭を振ると、王様は寂しそうな顔をした、気がした。でも夜の暗い中のことだから、本当のところは分からない。
「お前が変わったとしても、私は変わらず、お前を大事に思っているよ」
「…私も何も、変わってなど、いないのです」
「そうか、それはよかった。おやすみ。愛しているよ」
忠誠を誓う王様に一つだけ嘘をついた。でもそれは、
「ええ、私もです。王様」
言わなくてもいいことだ。