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わたしの王子様

わたしの王子様

作者: 城田 直

血を抜くと、ふらふらする。女性は400ミリ献血は避けたほうがいい、というアドバイスから生まれた作品です。


啓はやさしい。

どうしてだか、わからないけど。

初めて啓にあったのは、昼下がりの大学のカフェテラスだった。

あたしは、きのう、スーパーの駐車場で、献血車を見つけて、暇だったから献血でもして行こうかな、くらいの軽い気持ちで、献血したのだが、最近太って、163センチ、52キロになったので、200ミリじゃなくて、400ミリも献血したので、うちに帰ってからふらふらで、頭がいたく、耳鳴りがして、もう二度と400ミリ献血なんて無謀なことはすまい。とこころに堅く決めたのだった。

今朝になってもふらふらは治らなかった。

ぼうっとしていたので、午前中の講義に出るのを忘れた。実際はその講義をする教授の声ががさがさして聞き取りにくいので忘れた、というか、故意に出席しなかったのだけど。

わたしは、カフェテラスでぼうっとしてオレンジジュースのストローの先をかじっていた。

「となり、いいですか」

声をかけたのは、啓のほうだった。

いいですかって、ほかにいくらでも席は空いてますよ。わたしはそういおうとして、背後からかけた声の主に向かって振り向いた。

「やられた」

ハート直球度まんなかを打ち抜かれた。

もろに、好みの顔立ちの青年だった。

あごがシャープで、眼力があり、髪の毛はふわふわで少しウェーブがかかっている。もう少しで、金髪かな、くらいの茶髪でしかも、がちがちに染めましたっていう感じではないから、ひょっとしてハーフかな?

くらいの。ヴィスコンティの映画にでも出演したら似合いそうな背の高い青年。

「あう」

思わずしゃっくりが出た。

啓は笑う。その笑いがまたなんともいえない。子供がくしゃっていたずらしたみたいな無邪気な笑顔。

夢だと思う。ああ、血液を抜かれすぎて、貧血で、耳鳴りと幻覚が出てるんだわ。

病院で診てもらわなくちゃ。

しかし、おとといまで健康だったのに、血液を人にやって、自分が不健康になるのは、どう考えてみても、理不尽だと思う。

「となり、いいですよね」

うだうだしているわたしに微笑んで強制的に隣の椅子に腰掛けた啓は、トマトジュースを手にしている。真っ赤なそのいろはいかにも体によさそうなリコピンを含んでますよ、というメッセージを発している。

啓は、にこにこ笑いながらわたしに話しかける。

「きのうの三時頃、スーパーの駐車場にいたよね」

「あ、いました」

「見かけたときから、いいなあって思ったんだけど、こんな具合にまた見かけるとは思ってなくて、それで声かけたんだよね」

なんですと?それって・・・

「ナンパとかじゃなくて、付き合ってほしいんだけど」

ああん?嘘でしょう?なになに?この展開?

わたしはおもわず耳をふさぎ、目を閉じた。幻覚と幻想が入り混じり、幻聴を伴い、非現実の世界に身を投じてしまったようだ。恐るべし、400ミリ献血。

ふらふらが激しすぎる。

わたしは、無言で席を立とうとした。

がたん、と音がして、オレンジジュースのグラスが宙を舞う。

どうやら、失神したみたいだ。記憶が薄れて。

気がついたら、白い部屋に居た。保健室?

と思っていたら、啓がベッドの横に座っていた。眼を開けたわたしににっこり微笑んだので、まだ夢を見ているのだと思い、再び瞳を閉じた。おそるおそるまぶたを開けると、やっぱり、例のあの、子供のくしゃって感じの笑顔が瞳に飛び込んでくる。

ああああ。

わたしはとうとう変になってしまった。

おとうさん、おかあさんごめんなさい、

たかだか一回の献血でこんなふうに心乱れるくらいのやわな人間になってしまいました。りっぱに二十年もすねをかじってきたのに、こんな理不尽なことで、人間として道を踏み外して、麻薬中毒患者みたいに幻覚を見るような娘に育ってしまってごめんなさい。わたしは、泣いてしまった。

「まだ、気分が優れないみたいだね」

啓は額に手を当てた。おそろしく冷たかったが、ものすごく気持ちがよかった。

「いきなり、変なこと言ったから、たおれちゃたんだね、ごめんね」

いえいえいえ、そんなことはありません。

幸せすぎて、っていうかわたし、男性に声を掛けられたのは生まれて初めてで、おまけに直球ど真ん中の王子様みたいなあなただったので、失神しただけなんです。こちらこそ、失礼をお詫び申し上げます。

・・・といいたかったのだけど、

出てきた言葉は、

「ぐはっ」

というのと、つづけてしゃっくりでした。


「どうかしてるわ」

翌日、部屋に戻ってベッドで目を覚ましたときあたしは真剣にそう思った。

部屋のお隣のキッチンからはおいしそうなにおいがする。これは・・・・

「起きて。お姫様、お味噌汁だよ。油揚げとわかめとお豆腐の」

って、なになになに?

嘘だろう、まだ夢は続いているのか?

あたしは頭を抱えた。

十八の年から独り暮らししてるが、

朝食に味噌汁なんぞ作ったことは一度もない。断言できる。あたしは家庭科が大の苦手なのだ。

お裁縫も、お料理も不器用すぎてできない。裁縫で波縫いをすれば、見事に放物線を描いてるし、お米は洗剤で洗うものだと

高校卒業するまで信じていた。

独り暮らしするんだから、お米ぐらい洗えないとね、というお母さんの助言に従い、お米は洗剤で洗うのではなく、流水で研ぐものだ、ということを習ってから、ようやく炊飯器でお米を炊けるようになったというエピソードがあるくらいだから。

お味噌汁?それって、粉をお湯でとかせばいいんだよね?

それにしても、いいにおい。

ぼけっとベッドに起き上がったあたしの横に啓がいて、小さな折りたたみテーブルを広げ、お味噌汁と、お魚のやいたのと、玉子焼きとツナサラダとごはんを並べている。おいしそう、だね

あたしはおずおずと啓を見る。

そしてああああ、くしゃって、くしゃって笑ったああ・・・・

「あの」

「なにかな?」

「なにかなって・・・これ食べたら帰ってくださいね」

「え?」

啓は恐ろしく寂しそうな顔をした。

「ぼくのおうち,ここだけど」

「からかうのもいいかげんにしてください。きのう病院から家までどうやって運んでくれたのかしりませんが、ありがとうございます。でも、ここってあたしの部屋だし、ご飯も作ってくださってこういうのもなんだけど、べつに作ってくださいとか頼んだわけじゃないし、いろいろしてもらってありがたいし、あなたのような人は好みだけど、こうして何の関係もないのに、朝ごはんとかふたりで食べてる状況って、ちょっと・・・・」

「ちょっと、なにかな?」

「おかしいと思います」

あたしはきっぱり言い切った。

「絶対におかしい」

啓は悲しげな顔をして沈み込んだ。

「ぼくは」

啓は小さな声で言った。

「おととい、君がスーパーの駐車場に停めてある、献血車から出てきたとき、ものすごく顔色が悪そうだったから、悪いと思ったけどずーっと後をつけてたの。それで君のアパートがここだとわかって、それから大学も歩いて十分くらいの僕とおなじ大学だとわかって、しばらく様子みてたら、カフェテラスでぼうっとしてたから、それで声を・・・・」

「それって、ストーカーじゃないですか?」

「そうとも、いうのかな?」

「それに今ここに居るのだって、不法住居侵入ですよ」

「ほう」

そうなんだ・・・・と啓はなにか考えているような様子を見せた。

「ぶっちゃけ、君は僕のこと、好きだよね?」

「はい、ものすごい直球ど真ん中です」

「だよね」

って、なんであたしの思考読んでるの?

「なら、ノープロブレム」

「僕はずっときみと一緒に居てあげる」

はぁ?なにそれ?なに、その、居てあげるって???

あたしは頭の中がぐちゃぐちゃになった。

なので、ご飯とお魚、お味噌汁と玉子焼き

サラダを勢いよく平らげ、ふたたびベッドにもぐりこんだ。


寝れば、デフォルトに帰る、と思っていた。単なる幻覚、幻聴、の類だと。それにしてはリアリティに飛んでいるけど、まあ仕方がない。それはグリコより、おまけのほうに価値があるのと一緒だ。

あたしは、三日間意識不明で眠りこけた。

昔から、寝ることにかけては天才的な技術力が備わっていた。横になって三十秒で眠れる。電車の中で立って熟睡できる。しかも乗り越したことは皆無である。授業中は

熟睡しながら、指名されると眼をあけて解答する。ブラックボードで、板書しながら眠れる。というのは、金魚と同じだ。眼を開け必要にせまられた思考をしながら眠れる、のだ。ある意味特殊能力ではある。

だから、啓の存在も多分夢の中の出来事と現実がごちゃ混ぜになっておこったひとつの現象に過ぎないのだ、とあたしは思っていた。でも

・・・・そうではなかった。

三日目の朝、熟睡からさめると、いいにおいした。こんどはバターの焦げるにおいだった。

スクランブルエッグとベーコンスライスの炒めたの、トマトときゅうりのサラダ、

ガーリックバターを乗せた、フランスパンのトースト。ラズベリージャムを載せたヨーグルト、オレンジジュース・・・・

あああああああああああ

あたしは叫ぶ。啓は相変わらず、にこにこして、

「おはよう」

そして、くしゃって笑いかける。

「わかった、わかった」

もういい、すきなだけ居ればいいんだわ。

でも、でも、お願いだから、パパとママが様子を見に来たときだけは、どっかに消えてね。だって少なくともまだがっつりすねをかじってる学生の身だし、結婚とか、考えられないし、やりたいこととか、勉強とか一杯あるし・・・・だからそういうの理解してくれたらいつまでだっていてもいいわ。ついでに家賃とか払ってくれたらもっといいけど。名義はあたしで、実質家賃だけ払ってくれれば・・・

と、あたしがいうと、啓は笑って、なんだそんなことでいいんだ、といって、

「わかった、はいこれ家賃」

といってキャッシュで十万払った。

だから・・・今すぐとか言ってないし、それにこの部屋の家賃って、十万とかしないし。せいぜい六万五千円だし。共益費込みで。駅から十五分、大学から十分、徒歩で学校行けるなんて嘘みたいなんだけど、それはこの部屋が恐ろしく古いからで、それでも広さだけは畳で八畳分くらいあるわけで、だからふたりで暮らすくらいは問題ないわけで。でもなにかずれてる気がするのはなぜなんだろう。

ってことでわたしは唯一の親友のあずさにメールしてことの顛末を告げることにした。きょうの午後、学校の近くの喫茶店で待ってる。大事な話が・・・・

って、待ち合わせの時間になぜか啓が来ている。

「友達に紹介してくれるんでしょ」

啓はニコニコしている。

「紹介するとは言ってません」

「うそだあ。友人に紹介しないんてそんなの、君のメンタリティから言ってありえない。君は律儀な人物だから、きっと」

はたして、その通りになってしまった。

あずさは、にこにこしてあたしと啓の同居を応援するといい、こんど自分の彼氏もつれて四人で遊びにいこうということを、あたしに直接でなく、啓を通して、決めてしまった。

「ね、ね、ノン、いいよね」

あたしの名前は伸美のぶみという。々考えてもダサい名前でいやなんだけど、みんなはあたしをノン、とかノッチとか言う。間違ってもそのままの名前で呼んだりはしない。なのに・・・・・

「のぶみはそれでいいと思うよ」

って、なんで勝手に判断してるのよ。でも、あながち間違ってもいないから、あたしは、

「うん」

と承諾してしまった。決して不愉快とかそういうことではないんだけど、何かが違うと思う。

「啓くんってすごいノンのタイプだと思うよ。まえまえから、ノンって王子様タイプの優しくて、家庭的でそれでいて強引な男の子が好きっていってたから。それにしてもそういうタイプにめぐり合えるなんて、ノンは幸せだねぇ」

「僕もそう思うよ」

って、啓、あんた自分のことを、臆面もなく・・・そりゃ王子様タイプだけど、そしてああああああ

くしゃって、その笑顔であたしは・・・・

だめだわ、弱いの、その笑顔、ストレートにハート打ちぬかれて、あたしは気を失いかけて・・・・・



啓はいつも、いつでも優しい。

たいていのことは黙って見過ごしてくれる。あたしが寝坊しても、朝ごはんをせっかく作ったのに食べていかなくても。

風邪を引いて寝込んだら、あの冷たい手のひらで冷やしてくれるし、講義を聴き忘れたときは、ほかの子にノートを借りてきてくれるし、お休みの日には電車に乗ってディズニーシーにつれってってくれるし、

大学が同じって言ったけど、実は啓は学生ではなくて、教授だった。

年が五つはなれているのに、どうみても同い年にしか見えなくて、

しかもモデルみたいに背が高いし、なんでそんなに若くて教授なの?って訊ねたら、

アメリカで飛び級して十八でハーバードの理工学卒業したから、なんだとさりげなく教えてくれた。

だから、今もわたしは幻覚を見ている気がする。啓がわたしに優しくすればするほど、甘い言葉、おひめさま、とかお嬢様、とか僕のスィーツちゃんとか、トイ・プードルちゃんとか言われるたびに。

果てしない眩暈を覚えているが、これは現実なのだ。

寒い日は抱っこしてくれる。眠い日は寝せてくれる。献血すれば、血を抜きすぎると危険だといい、せめて200ミリにしてねってお願いされる。

ご飯はおいしいし、そのおかげでウエストが五センチ伸びきった。

「ぼく、のぶみがふくよかでも好きよ」

だから。ああああああああ、痩せなきゃ。

これは何かの陰謀だと思う。幸せすぎるのはよくない。なんでも過ぎるのはよくないのだ。だからわたしは一年に二回、四百ミリ献血をすることにする。

そうして、ふらふらになりながら、カフェテラスでオレンジジュースを飲んでいれば、いつか昔の、あまりにも普通でさえないむかしののぶみに戻れる気がするのだ。

最近は啓は、パパとママに気に入られて、息子のように振舞っている。

早く、僕たち一緒にならないとね、ベビーほしいよね。啓は笑う。にこにこする。そして子供みたいにくしゃって。ああああああ。




ああああ、見目麗しい男子に告白されてみたいものです。春の日のたわいのない妄想でございます。

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