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第八話:理由



 2167年4月12日15時30分 東京湾 USS-カヴナント艦内


 軽めの食事をとった後、午後からも磯谷は汗を流し続ける。

 今は艦内のジムでウエイトトレーニングの最中だった。


「磯谷二佐、いつも思うんですけど、実際に武器を取って戦うのは機械兵で、あなたがそんなに体を鍛える理由はないですよね? もしかして趣味だったりします?」


「付き合ってくれと、頼んだ覚えはないぞ」


「なんか、風当たり強くないですか? もしかして怒ってます?」


 磯谷は返事をせずに黙々とベンチプレスを続けた。

 視線の脇で高山が敬礼したのが見えた。誰か来たらしい。


「イソガイ、スパー付き合えよ」


「作戦の現場指揮官は今のところヒマなんだな」


 磯谷はバーベルをスタンドに置いて、上半身を起こす。

 そこにはトレーニングウエア姿のヘンドリックスがいた。


「ヘンドリックス少佐、磯谷特務少佐は現時点ではまだ―」


「ああ、こちらから頼むよ」


 高山の言葉を遮り、磯谷はヘンドリックスに返答した。


「年齢的にも、ウエイト的にも少しハンデがいるな。俺はスパー用の12オンス、イソガイは8オンスのグラブ。これでどうだ?」


「それでいい。3分3ラウンド。レフェリー無し」


「OKだ」


 ヘンドリックスが磯谷に赤いグローブを投げて渡す。

 ヘンドリックス自身も壁に掛けてあったグローブを手にはめて、リングに向かった。

 二人がリングに近づくと、そこでボクシングをしていた兵士が手を止めて、リングを開ける。

 同時にジム内にざわめきが起こった。

 先にリングに入ったヘンドリックスが軽いシャドウボクシングを始める。


「二佐、無茶です。軍医(ドクター)から止められてるのに」


「問題はない。高山、時計を頼む」


 そう言って磯谷はリングに入った。

 高山はそれ以上言葉をかけられず、少しおろおろした後にリング脇の机に座った。


「どうなっても知りませんからね」


 高山の声の後、ヘンドリックスが磯谷に声をかけた。


「イソガイ、一つ賭けをしないか? 俺が勝ったら、今回の任務、降りろ。あんたが勝ったら…」

 

「その賭け、乗った。俺が勝ったら個人的なことを聞く。それに答えろ。

 高山、ゴング鳴らせ」


「マウスピースぐらい…」


 磯谷の強い視線に、高山は言葉を止めてゴングを鳴らした。


 ゴングと同時に二人がリング中央に歩み寄る。

 ヘンドリックスは、二発、三発とジャブを打った。

 磯谷はそれをきっちりガードする。

 重いな。グラブが重いだけじゃなく、ジャブが重い。

 磯谷は少し間を取った。それに合わせるようにヘンドリックスが間合いを詰めて右のストレートを放った。

 タイミングを合わせてスリッピングで避けながら、ジャブを素早く二発、顔面に入れる。

 あいさつ代わりだとは思っていたが、予想以上に効いていない。

 二人の距離が開く。


「よく見えてるな。それがあんたの武器ってわけだ」


「武器の一つなのは間違いない」


 そう言うと今度は磯谷から攻めに転じる。

 軽いグラブを使っていることもあり、磯谷の拳はヘンドリックスよりも数段速い。

 ワンツースリー、左ジャブ、右ボディへのショートアッパー、左ストレートのコンビネーションがきれいに決まる。

 だが、その攻撃をものともせずに、ヘンドリックスの右フックが磯谷の横っ面を捕らえた。

 磯谷の体が大きく左に流れる。

 だが、意識は失っていなかったので、ステップでバランスを取り直した。


「スピードは俺が追い付けないくらいに速いが、軽い。それじゃ俺には勝てない」


「まだ分からんさ」


 双方カウンターを警戒して、距離を保ちながら動く。

 ヘンドリックスは時折ジャブを打つが、明らかに誘いの動きだ。

 磯谷は細かいステップを刻みながら距離を保ち続ける。

 トントントントン、とリズミカルな靴音が響き、パンと小気味よいグラブの音が鳴る。

 浅い踏み込みで放った、磯谷の左のジャブがヘンドリックスのボディと顔面を捕らえているが、ダメージを与えるには至っていなかった。


「カーンっ!」


 鐘の音が響き、二人は両サイドに分かれた。

 リングポストにもたれて、二人は呼吸を整える。


「磯谷さん。いい感じです。今のを続ければ判定勝ちですよ」


「誰が判定するんだ?」


 磯谷の言葉に高山は黙り込む。

 確かにその通りだった。

 周囲にはトレーニングを行っていた米兵たちが集まり、二人のスパーリングを見ていた。

 かなりレベルの高い二人の攻防に、周囲も熱を帯びていた。

 一分のインターバルの終わりを告げる電子音が鳴り、高山はそれを止めて第二ラウンドの鐘を鳴らした。

 

 第二ラウンドが始まると、第一ラウンド目と同じような展開になる。

 開始から一分ほど経った頃に、磯谷が距離を詰め、第一ラウンド目と同じようにコンビネーションの攻撃を決める。

 ただ、今度はワンツーで止めて、素早いダッキングでヘンドリックスのカウンターを躱した。そこに三発目になる右のアッパーを打ち込む。

 確実に顎を捕らえた。だがヘンドリックスは大きくのけぞりながらも、至近距離の左ボディを打ち込んだ。

 磯谷は右腕でガードするが、ガードなど意味が無いと言わんばかりの衝撃が右脇腹に走る。


「ぐっ!」


 たまらず磯谷がその場に膝をついた。

 その姿を見たヘンドリックスは軽く首を左右に振りながらニュートラルコーナーに移動し、声を上げる。


「ワン、ツー、スリー、‥‥セブン、エイト」


 ヘンドリックスのカウントが止まった。磯谷が立ち上がってグラブをそろえてファイティングポーズを取ったのだ。


「そこまでして立たなくてもいいだろうに…」


 ヘンドリックスはそう口にすると猛然と磯谷に迫る。

 磯谷は防戦一方となる。

 スウェーやダッキングを交えながら、がっちり固めたガードで耐えしのぐ。

 ヘンドリックスは反撃が来ないので大降りになっていた。一発当たれば終わる。そう考えていたからだ。

 ガードの上からでもダメージは蓄積している。時間の問題だ。

 だが、磯谷はそれでも崩れなかった。

 ヘンドリックスは再び左へのボディフックを放つ。ここならガードの上からだろうと、当たれば沈む。

 そう思った左フックは、磯谷の右フックで弾かれていた。

 ヘンドリックスのパンチを、自らのパンチで弾いたのだ。

 一瞬、ヘンドリックスは目を見張る。

 次の瞬間、磯谷の左ストレートがバランスを崩したヘンドリックスの顔面を再び捕らえた。

 磯谷はそれに追撃を加えるべく一歩踏み込む。


「カーンっ!」


 鐘の音が響いた。

 高山が第二ラウンドの終わりを告げたのだ。


「磯谷さん、もう終わりにしましょうよ。左あばら、また折れてるでしょ?」


「馬鹿を言うな。負けられるか」


「別に任務から降りるくらいいいじゃないですか! 米軍に志願すれば磯谷さんならすぐに士官で、機械兵の担当になれます。そんな無理をしなくても」


「勘違いするな。そんなことはどうでもいい。俺は何が起こったのかをこの目で確かめたいんだ。時間だ。鐘を鳴らせ」


「でも、磯谷さん――」


「さっさと鐘を鳴らせ!」


 磯谷の表情に押されて高山はゴングを鳴らした。

 ヘンドリックスは素早く前進してくる。

 磯谷もそれは予想済み。第二ラウンドで決着を付けられなかった時点で、後のない状況だった。


 大ぶりの強烈なパンチが磯谷を襲う。

 致命的な一発は受けてはいないが、ガードの上からでもお構いなしの攻撃に、体力はガンガン削られていく。

 化け物だな。

 磯谷は覚悟を決めた。

 エルボーブロックと、ストッピング(パンチをパンチで防ぐ技術)で被弾を減らし、円を描くように動く。

 それでもガードに当たるパンチは重い。

 磯谷は右へ右へと移動しながら、防戦を続けた。

 右脇のガードを嫌い、ヘンドリックスは磯谷の顔面をめがけて渾身の左ストレートを放った。

 右のガードは下がっている状態。決めに来るパンチはこれしかない。磯谷はそのパンチを掻い潜るように動くと、右手でヘンドリックスの左手首を掴んだ。

 そのまま左肩をヘンドリックスの胸元に入れると、体を反転させてヘンドリックスの体を押し上げた。


「?!」


 ヘンドリックスの体が宙に浮かび、弧を描いて背中からリングに落ちる。

 反射的にヘンドリックスは頭部をガードしようとしたが、左腕は大きく伸びたままだった。

 ダーンっ!

 大きな音を立ててヘンドリックスの体がリングに打ち付けられる。

 派手だが大したダメージはない。立ち上がれば何の問題も…

 ヘンドリックスがそう思った時、磯谷の足が首と左腕を締め上げる。

 磯谷はヘンドリックスの左腕を自分の左脇に挟み、抱え込むように極め、さらに左足をヘンドリックスの背後から首の前を通して右手で締め上げる。

 左腕の肘と肩が極められた状態での、変則的な三角締め。

 ヘンドリックスはそれを右手で力ずくで振りほどこうとしたが、全く緩まない。

 肘と肩が限界に近い痛みを訴えている中で、意識が遠のいていく。

 そこで磯谷は締め上げる手を離した。

 ヘンドリックスの右手が、磯谷の左足を二回たたいた。タップしたのである。

 そのまま二人は大の字になった。

 周囲の兵士たちは一瞬何が起こったのか分からずに、静まり返っている。


「あんたは総合格闘が専門なのか?」


「悪いな、本音を言えばボクシングだけでもなんとかなると思ってたんだが」


「そこは気にせんさ。俺が降参したのは事実だ」


「賭けは俺の勝ちでいいな?」


「ああ」


 二人は大の字のまま会話を続ける。


「じゃあ教えろ。なぜ俺を任務から降ろそうとした?」


「賭けに負けてこう言うのもなんだが、詳しくは言えん。気の迷いみたいなものだと思ってくれ」


「そうか」


 そこまで会話をしてからヘンドリックスが立ち上がる。

 磯谷はまだ動けずにいた。


「そうまでして、なぜこの任務にこだわる?」


 右手を差し出しながらヘンドリックスが尋ねる。


「それが俺の生きる理由だからだ」


 磯谷は大の字のまま、ヘンドリックスに答えた。

 ヘンドリックスは状況を察した。


「誰か担架を持ってきてくれ。こいつを医務室に運ぶ」


 磯谷はそのまま運ばれることになる。

 軍医にかなり皮肉と小言を言われたようだったが、磯谷は聞いていなかった。

 スキャナーで検査した結果、肋骨接合部の亀裂。それだけは理解した。

 その後治療が終わったのが、19時半。

 亀裂は綺麗に元に戻ったが、夕食は取り損ねることになる。

 艦内病院を出ると、そこには高山が待っていた。


「少し遅刻です。皆さん作戦室のお集まりです」


 高山はそこから先の言葉を口にしなかった。

 無茶をするからそうなるんです。

 そう言いたかったが、藪蛇になるかもしれないと、小言を言うのをやめたのだった。





 同 19時35分 東京湾 USS-カヴナント艦内


 作戦室に入ると、この間の五人と同じメンツだった。

 コードウェル大佐、リースウッド、ヘンドリックス少佐、高山と磯谷。

 違うのは、ヘンドリックスの顔にテープが二枚ほど張られていたこと。

 磯谷はついでに傷の再生治療を受けていたので、おそろいの風情にはならなかった。


 磯谷は思う。

 船の作戦室というのは独特の雰囲気がある、と。

 天井が低く薄暗い。

 この感覚は何度か体験している。

 直近では五年前、護衛艦しなのに乗った時。

 そう、日米合同演習、リムパック62に参加した時だった。


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