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第六話:蘇生



 2167年4月8日13時 東京都中野区


 廃ビルの一角に磯谷の姿はあった。

 この一週間、ほとんど動いていなかった。

 ここから動いたのは二回だけ。

 一度は近くに給水車が来た時。

 もう一度は物資の配給が行われた時。

 折れた骨の状況があまり良くないらしい。痛みは日に日に増していた。


 鍵を拾った時にこんなことを思った。

 二人の記憶を持つ俺が生きなければ。


 だが現実は違った。

 生きる。言うのは簡単だ。

 だが思い出は理由にはならず、生きる意味そのものを失ったまま。

 今の磯谷には、生きるために必要なものがすべて欠けていた。

 彼はどこに向かい歩けばいいのかすら見失っていた。


 携行食も、配給で得た食料も、水すらもう手元にはない。

 だが、磯谷は苦しくはなかった。

 これでいいと思っていたからだ。

 空腹は慣れた。

 激しい渇きは自分を罰するのに丁度いい。

 もうすぐ、すべてから解放される。

 あとの心配も何もない。

 朦朧としていた。

 淀んだ、壊れかけた世界も、今となってはどうでもいい。


「磯谷二佐、探しましたよ。大丈夫ですか?」


 誰かの声がした。

 聞き覚えがあった。


「た、か、や、ま?」


 かすれた声を絞り出す。

 頭で認識する前に口が勝手に動いた。そうだ。高山二尉。

 だが、なぜ米軍の制服を着ている?

 ああ、そうか。自衛隊は米軍に統合された。そうだ。日本はもうない。そうだ。妻も、娘も、もういない。

 そこまでで意識を失った。


「とりあえず連れて行きましょう。治療が必要なようです」


 高山は後ろに控えていた兵士に指示を出す。

 二人の男が磯谷を抱え、運んで行った。


「一応、回収しておきますか」


 そう言ってその場に転がっていた磯谷のバッグを拾い、兵士たちの後を歩いて行く。

 高山の着ている制服の肩章は大尉であることを示していた。





 日時不明


 磯谷は意識が混濁していた。

 水の中…浮遊感がある。

 目を開くと確かに水の中だった。

 冷たくも熱くもない。

 呼吸もできている。

 ああ、マスクを着けているのか。

 ここは…どこだ?

 そこでゆっくりと意識が遠のいていく。

 光が水に乱反射し、水の向こう側に見える景色が歪んでいる。

 それ以上は何も感じなかった。

 何かに吸い込まれるように景色が消えてゆく。





 2167年4月12日8時


 腕に点滴のチューブが繋がれている。

 ここはどこだ?

 真っ先にそう思った。

 意識を取り戻した磯谷はゆっくりと周囲を見渡す。

 病院?

 それほど広くない個室。

 簡素なベッド、壁は白くはないが、清潔感のある部屋だ。

 俺は、悪い夢を見ていたのか。

 そう思いかけたところで、テーブル脇に置かれた木製のキーホルダーが目に入る。

 そこに着けられた鍵は二つ。

 手を伸ばし、左手に握る。

 その感触が、現実を物語っていた。


「ようやくお目覚めですか?」


 そう言って部屋のドアが開くと、高山二尉が入ってきた。

 違う。彼が着ているのは米軍の制服。階級章は大尉だ。


「高山大尉、でいいのか」


「はい、そう呼んでくださって結構です。LTC.磯谷(磯谷中佐)


「やめろ。俺は二佐だ。元だがな」


「そうですか。では当面は磯谷さんとお呼びします。いいですかね?」


「構わん。お前、少しイメージが変わったな」


「そうですか? 私自身は変わらないと思いますけど」


「まあいい。なぜ俺を助けた? 探した、と言っていたな?」


「ちゃんと覚えていたんですね。良かった。

 まずはちゃんとお礼の一つも言ってほしいものです。自分で言うのもなんですが、私は命の恩人なんですよ?

 肋骨の怪我、磯谷さんが思っていたよりもかなり重症だったんですから。

 内臓こそ無事でしたけど、ちゃんと治療しないから、周辺組織が壊死を起こしてて、半日も遅かったら敗血症で死んでましたよ?」


「助けてくれと頼んだ覚えはない」


「…まあ、そう言うんじゃないかとは思っていましたけど」


「で、何で俺を助けた?」


「命令ですからね。生きて磯谷さんを確保しろって」


「誰のだ?」


「まあ、その辺の話はこれからおいおい…詳細は私の口からは言えません。

 ちゃんと事情の説明はありますが、その前にお願いです。

 是非とも協力して欲しいんです」


「内容を聞く前に、協力しますと言えると思うか?」


「そりゃまあ、そうですよね。

 ですが、磯谷さんが協力してくれれば、私の株も上がります。

 説明はちゃんと別の人が来て説明しますから、私のためにって少し思ってくれるとうれしいです」


 磯谷は高山を見たまま無言だった。


「そう、食事を持ってきたんですよ。まずは食べて回復してください」


 そう言って高山はトレーをベッド脇のテーブルに置く。

 そのまま出ていこうとする高山に、磯谷は声をかけた。


「高山。お前が俺を助けたのは事実だ。

 それが良い、悪いは別にして、礼を言う」


 それを聞いた高山は、最初は少し意外そうに、それから屈託のない笑顔を見せて言った。


「磯谷さんらしいですね。少し安心しました」


 そう言い残して高山は部屋を出た。

 磯谷はその扉を少し見つめたままでいたが、サイドデスクに置かれたトレーに目を向ける。

 ロールパン、具材少なめのスープ。少量の生野菜と八分の一にカットされたオレンジ。

 パンに手を伸ばし、ひとかけら口にする。

 かみしめると広がる発酵した小麦の香りと甘み。

 意図せずして涙がこぼれた。

 死ぬことを受け入れていた自分が、食い物を口にしている。

 それが少し滑稽に感じられたのだ。

 それでも手は止まらなかった。

 磯谷にとって2か月ぶりの、人間らしい食事だった。


「俺は自分が思っているよりも、薄情で、現金らしい…」


 自然と言葉がこぼれた。





 同日11時


 軍医の診察を受けて、現状を説明された。

 集中治療によって、壊死した脇の筋肉組織は再生が終わっていて、骨も元通りに繋がっているそうだ。

 ただ、接合部分の強度は健康時に劣る状態なので、日常生活は問題ないが、しばらくは強い衝撃を伴う運動は控えるように言われる。

 脳さえ無事なら命を落とすことはないと言われる医療技術。

 これが普通に回せる状況であれば、助かる命はもっと多かったはずだ。

 そう、普通に回りさえすれば。

 これらを機能させるためのインフラが無ければ、これらの技術は何の役にも立たない。

 それを今回の災害で嫌というほど知らされた。


 軍医が部屋を出ると、入れ替わるように高山が入ってきた。


「軍医の許可も出ましたし、少し散歩しませんか?」


 そう言って手にしていた服を投げてよこした。

 洗濯された磯谷の自衛隊の制服だった。

 続けてホルスターをベッド脇に置く。


「勝手にやっちゃって申し訳ないですが、ほかの荷物の衣類も洗濯させてもらいましたよ。許可をとるにも磯谷さん意識不明でしたしね」


 磯谷は黙って医療用ガウンから渡された制服に着替える。

 ふと目に入る、手首に巻かれた医療用のタグ。そこには所属も階級も空欄のまま「ISOTANI」と間違った名前が書かれていた。

 ここが日本ではないことを…いや。

 磯谷はそのタグをちぎってベッドに放る。

 最後にホルスターを巻く。確認こそしないが、その重みは空のホルスターではなく、銃が収納されていることが分かった。


「囚人、という訳ではないんだな。しかしいいのか?

 一民間人に軍基地の中で武器を持たせておいて」


「構わないでしょう。磯谷さんはゲストなんですよ。ゲストの所持品を預かり続けるわけにもいきませんし」


「そうか。なら聞いても問題ないな。ここはどこだ?」


「合衆国揚陸艦、USS-カヴナントです。現在は東京湾に停泊中ですよ」


「揚陸艦? ここは全く揺れていないぞ?」


「今時の船は、荒れてなければ揺れませんよ。それにここは医療区画ですからね。さあ、少し案内しますよ」


 そう言って歩き始めた。

 磯谷はそれに続く。


 個室を出ると、そこは大部屋になっている。病院の集中治療室を思わせた。

 そこから出ると、確かに大きな周期でわずかに揺れているのを感じる。

 シャフトから上に上がると甲板に出た。


「揚陸艦…まるで空母だな」


 だだっ広い甲板は平らでかなり大きい。そこに飛行機の機体などは置かれてはいないが、空母を思わせた。

 ところどころに甲板を走っていたり、マットを敷いて運動したりする者が見える。

 船の甲板の先には羽田の象徴となっているマスドライバが見えた。


「まあ、常設の飛行隊がいれば空母を名乗れますから。船というよりも海兵隊の移動基地の性格が強いですからね」


 高山はそう告げてから歩き始める。

 下のフロアにある航空格納庫を通り、さらに下に。


「この下は上陸部隊の車両とか支援火器とかの格納庫があって、さらに下に上陸艇の格納庫とドックがあります。その下は機関部ですね。

 ここらが兵員の居住区画、この先は士官専用区画になります」


 士官用の区画を進んでいくと、一つの扉の前で高山が立ち止まる。


「今日の散歩の目的地です。これから磯谷さんの質問に答えてられると思います」


 そう言ってから高山は扉をノックした。


「高山大尉です。磯谷氏を連れてきました」


「シンジか、入ってくれ」


 英語が得意でない磯谷にも分かるくらい軍隊らしくない短いやり取りの後、高山は扉を開いて中に入る。

 入ったところで中に敬礼をしてから振り返った。


「磯谷さん、中にどうぞ」


 促され、磯谷も中に進む。ここは士官向けの小会議室といった感じだ。

 中には3人の士官と思われる人物が座っていた。

 階級章は大佐、少佐、そして制服ではなくスーツの男。

 制服を着た二人は磯谷に敬礼をしたが、磯谷は敬礼は返さず、一礼する。


「楽にしてください、磯谷中佐」


 磯谷はその言葉に従い座った。高山は磯谷の右後ろに立っている。

 座ることを勧めたスーツの男が、磯谷が座るのを見てから話を続けた。


「まずは自己紹介から。私はDIA《国防総省情報局》の|Liaison Office Chief《連絡室長》を務めるリースウッドです。

 こちらは合衆国宇宙軍のコードウェル大佐。こちらは陸軍のヘンドリックス少佐です。高山大尉はご存じですな?」


 紹介された二人の軍人は軽く会釈をした。

 磯谷はそれに応えるように口を開いた。


「私の名は磯谷景元。まず助けていただいたことに感謝します。

 私はすでに除隊しております。もし階級の方が呼びやすければ、元二佐と呼んでください」


 磯谷は中佐《LTC》ではなく、あえて日本語の二佐を強調して言った。

 3人は顔を見合わせて少し笑うと、リースウッドが続けた。


「では、二佐。今回君を救助したのは君にしか出来ないだろう仕事を頼みたいからだ」


 すぐに磯谷は答えた。


「軍務に就くという事であれば、お断りします」


 再び3人が顔を見合わせる。

 コードウェル大佐が磯谷にも聞こえるほどの声でリースウッドに言った。


「話にならない。わざわざこの男を使う理由が私には分からんよ」


「まあ、そうおっしゃらずに。彼ほど適任者は他にいません」


 大佐にそう言ってからリースウッドは続ける。


「軍務と言えば確かに軍務ですが、あなたにお願いしたいのは護衛任務です。我々の指揮下に入っていただきますが、軍に所属しろとは言いません」


 少し溜めを作ってから、リースウッドは大げさな調子で続けた。


「あなたは、この大災害の原因を知りたくはありませんか?

 一体何が起こって、あなたのご家族を含む多くの日本人が死んだのか。

 その真相を確かめたいとは思いませんか?」


 磯谷の表情が一瞬動く。

 リースウッドは続けた。


「我々もまだ正確な情報を持っていないのです。そのため科学者による調査隊を派遣することにしました。

 現地の状況はかなり過酷です。その護衛部隊にあなたに加わっていただきたい。

 あなたを推薦する声は、護衛部隊の責任者を務めるヘンドリックス少佐からも上がっています」


 その会話をヘンドリックス少佐が引き継いだ。


「二佐は覚えてないかもしれませんが、我々は一度あなたと戦って、手痛い目に遭いました。リムパック62を覚えていませんか?」


 2162年に太平洋上で行われた日米合同演習、リムパック62。

 磯谷は第一機械兵団の中隊長として、確かに参加した。

 そこでの出来事は覚えている。


「妙な二つ名を付けた、ご本人という訳か」


人形使い(パペットマスター)というのはお気に召しませんでしたか?」


「別に気にしてはいない。身内に傀儡師などと言われるのに比べれば、知らないところで何と呼ばれようが気にはならん」


「KUGUTSU-SHI?」


 日本語の混じった磯谷の言葉に少佐は困惑したようだ。

 高山がすぐに補足を入れる。


「日本の伝統的な人形遣いをそう呼びます。転じて、日本語では黒幕や影の権力者を指す場合も。二佐はそういうイメージを嫌っておられると考えます」


「なるほど。確かにそれはイメージが良くないですね。貴殿は良くも悪くも実直な方のように見える」


 少佐は高山の補足に納得したようで、そう口にした。

 リースウッドが続ける。


「何にせよ、環境が厳しいことが予想され、現地で精密な機械兵の操作を必要とする事態を想定しています。

 単純な護衛だけであれば、貴官の力を借りなくても問題はありませんが、万全の体制をとるために貴殿の協力が欲しいのです。

 繰り返すようですが、侵攻や攻撃目的ではありません。護衛任務です。

 科学者のチームの中にも日本人もいます。そういう意味においてもあなたが適任と判断しています」


 表情に出さないようにしていたが、磯谷はこの申し出に強い魅力を感じていた。

 自分の力が必要とされる状況。

 日本人を含む民間人の護衛任務。

 そして何より、妻と娘がなぜ死なねばならなかったのか、その答えを見つけることができるかもしれない。

 今の自分には失うものは何もない。

 少し考えて、磯谷は結論に達した。


「分かりました。微力でありますがご協力いたします。ですが、生身の私が協力したところで、役には立ちません。

 機材に関してはご用意いただかねばなりません」


「その心配には及びません。必要な機材に関しては米軍で用意します。

 作戦に関しては機密事項ですので、守秘義務を守っていただく必要があります。

 あと、作戦の現場指揮官は少佐が務めますので、中…二佐は不本意かもしれませんが、少佐の指揮下に入っていただきます。

 ですので特務少佐としての待遇となりますが、ご了承ください」


 リースウッドが畳みかけるように話した。

 磯谷は完全にはその言葉を理解できなかったが、大筋では理解できた。


「構いません。あくまでも臨時。守秘義務も理解しています」


 そう答えた磯谷に、リースウッドは立ち上がり握手を求めた。


「交渉成立ですね」


 磯谷は返事はせずにその手を握り返した。


「シンジ、当面君は磯谷少佐付きの連絡将校として働いてくれ」


「はい。了解です」


 高山が返事をする。


「作戦の詳細に関しては、追って説明いたします。磯谷少佐には当面体力の回復に専念していただきたい」


「配慮に感謝します」


 最後まで不機嫌そうな大佐。あまり表情を変えない少佐、明らかにテンションの高いリースウッド。

 この3人の表情が好対照だった。

 磯谷は自衛隊式の敬礼をして高山と共に部屋を出た。

 部屋を出たところで、磯谷は高山に声をかける。


「高山、当面は俺の部下ってことらしい。世話をかける」


「いいえ、少佐の腕前が見れるのは私としてもうれしいんです。何なりとお申し付けください」


「そうか…」


 そう言うと磯谷は高山の胸倉をつかみ、壁に押し当てながら顔を近づけた。

 高山の足が床から浮き上がる。


「高山。お前は一体何者だ?」



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