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第四話:重撃


 2167年3月21日8時 鹿児島県霧島市国分駐屯地


 大災害からひと月が過ぎていた。

 全国の被害状況は深刻なものであった。

 日本海側の都市の破壊状況は特にひどく、太平洋側に比べ強力な下降気流が多かったことに加え、それがもたらす異常な突風の持続時間が長かった。

 更に津波による被害も出ており、壊滅と呼ぶにふさわしい状況になってしまった。

 日本国内で、この異常気流の影響を受けなかったのは、沖縄と南関東の一部のみ。だが南関東は二つの巨大地震で甚大な被害が出ていた。

 その後、各地で地震と火山噴火が頻発している。


 目の前に見える桜島もまた、激しい噴火を起こし、周囲にそれなりの被害をもたらしていた。

 政府の指示により、近隣の生存者は沖縄方面へ移送が続いている。

 空自にそれを行う輸送能力は残されておらず、民間機も飛べない。

 米軍頼みの状況が続いた。


 隊員たちは駐屯地内の思い思いの場所に腰を下ろしている。

 座っているというよりも、動けないと言うのが正しかった。

 誰もががっくりと肩を落とし、野戦服は土埃と血にまみれていた。それを洗う水すら確保できない。


 第十二普通科連隊も、うちの第三機械兵団も、精神的にも肉体的にも限界を超えていた。

 食料や水すら不足する中、必死になって現場を駆け回り、生存者を救出し続けた。

 だがその一方で、日に日に生存者は減り、救出した生存者もその後の生存率は下がり続ける。

 無力感が隊員たちを打ちのめす。

 三月初めには生存者の捜索は打ち切られたが、その後も市中の死体の回収は続いた。

 その損傷の酷さと強烈な臭い。

 最初は人の尊厳を守るためと働いていた隊員たちも、いつしか絶望に蝕まれていった。

 ちぎれた腕や足、半分圧し潰された状態。首だけ。

 時間が経ち酷い臭いを放つそれらを運び続けるのは、隊員たちを打ちのめすには十分過ぎたのだ。

 この二週間ほどは隊員を外に出していない。

 死者の尊厳を守る、そんなことは不可能だ。

 生者を守ること、そして自分たちを守ることで精一杯だった。


「私は練馬に?」


「正式な辞令です。そもそも君は練馬に戻る前提でしたからね。前倒しになったのでしょう」


「しかし第三機械兵団は…?」


「当面は野崎三佐の下で第十二普通科連隊と統合運用になります。この状況では教導隊は運用できませんし、沖縄に移動の後、再編となるでしょう」


 磯谷は崩れかけた本部棟の、仮の司令官室で、口頭での辞令を受けていた。

 鹿児島地域からの最後の避難民を送り出した後、鹿屋や国分の部隊は沖縄へと移動することが決まっていた。

 九州全域、中四国、近畿の大半が、沖縄に向けて大移動をしている。

 壊滅的にインフラが損傷し、周囲からの支援が行えない今、生きるための選択として、被害を受けていない地域への生存者の移住を政府は決定したのだ。

 今回の被害は日本だけにとどまらない。

 ロシアや中国は、その国土のほとんどが壊滅的状況で、日本はそれに比べればマシだという話だ。

 東欧諸国などでも、かなりの被害が出ている。

 他国も支援する余力がないうえに情勢は不安定化している。

 アメリカによる援助もかなり行われてはいるが、いつまでも当てにできる状況ではないことも分かっていた。


「急で申し訳ないが、明朝の輸送機で羽田に向かってください。こちらのことは私が引き受けるから安心してほしい。ご家族のこともあるでしょう」


「分かりました。後をよろしくお願いします」


 笹川一佐の言葉に一瞬返答に詰まったが、磯谷はそう言って頭を下げ、部屋を出た。

 家族の、妻と娘の安否に関して、いまだ情報がない。

 鹿児島の惨状は見ている。一方で東京近郊は巨大地震に見舞われたとしても、あの常識外れな下降気流の被害はほとんど出なかったと聞いている。

 中部以東の地域からの集結地点になっていることからも、ここよりは被害が少なく、情報が混乱しているだけの可能性も考えられた。

 磯谷はその足で、第三機械兵団の車両格納庫に向かった。


 格納庫の扉は完全に撤去された状態で、その中に多くの隊員が座り込んでいる。

 皆一様に言葉少なく、疲れ切っていた。

 格納庫に向かってくる磯谷の姿に気が付いた数名が立ち上がり敬礼する。

 ゆっくりとではあるが、その動きが全体に広がろうとしたので、磯谷は声を張った。


「全員そのままでいい。立った者も座れ!」


 その言葉に隊員たちはその場に座る。

 磯谷は倉庫の入り口付近まで進んで、姿勢を正して敬礼した。


「この一か月間、諸君らの働きをこの目で見てきた。

 無力感を、絶望を感じたものも少なくないだろう。私もその一人だ。

 だが、胸を張ってほしい。我々は出来うる限りを尽くした。諸君らは全うしたのだ。

 三日後には沖縄へと移動になる。そこで新たな任に就くことになるだろう。

 私は残念ながら諸君らと行動を共にすることができない。

 本日付で練馬の第一兵団への転属が告げられた。

 任地こそ違うが、諸君らがこの国の復興のための先兵となることを切に願う。

 第三機械兵団の団長を務められたことを誇りに思う。

 本当に、ありがとう」


 磯谷は再び姿勢を正し、隊員たちに敬礼する。

 格納庫内は静まり返ったままだった。

 数秒敬礼の姿勢を取ったのち、磯谷は折り目正しく180度向きを変えて歩き始めた。

 それを見て我に返った士官の一人が慌てて立ち上がりながら叫ぶ。


「起立! 第三機械兵団長に敬礼!」


 一糸乱れぬとはいかなかったが、その場にいた全員が起立し、磯谷の後ろ姿に向かって敬礼した。

 磯谷は振り返らなかった。

 感情が昂ぶり、涙している顔を見せたくなかったからだ。





 2167年3月22日15時35分 東京都大田区


 翌日、鹿屋航空基地から輸送機に乗った。

 空自のU-211という将官などが移動に使う機体で、確かに分類上輸送機であるが、この機体がここにいる理由が分からない。

 冷静に考えれば、ここに東京に向かう飛行機があること自体が不思議だった。

 機長に確認すると、はっきりと磯谷二佐を移送する任務で来たと答えてくれた。


「このひと月、ろくに風呂にも入っていない士官が座るには、上等過ぎではないですか?」


「気にしないでください。このひと月のうちに風呂に入れた人の方が稀ですから」


 磯谷の言葉に、こんな調子で答える機長は一尉のようだ。

 想像していたよりも遥かに明るい調子で答えてくれた。

 シートに着き、足元に荷物を詰めたバッグを転がすと、すぐに離陸準備が始まる。

 本当に磯谷専用の送迎らしい。

 機長の言葉に安堵感を覚えた磯谷は、ようやく家族の安否が確認できる、そう思いながら眠りに落ちた。


 機長に声を掛けられ目を覚ましたのは、出発から三時間ほど経ってのことだった。

 かなりぐっすり眠ったらしい。

 空路なら三時間はかからないと思ったが、それは口にしなかった。


「羽田に到着です。だいぶお疲れのようですね」


「すっかり寝てしまいました。ありがとう」


「外に陸自の迎えが来ていますよ。それではお気をつけて」


 機長と短く言葉を交わし、敬礼してからタラップを降りる。

 少し離れたところに高機動車が見えた。

 そちらに向かって歩き出すが、違和感を覚える。

 周囲を見回す。

 かなり大きな空港で、少し離れたところに天空へと延びる巨大な建造物が目に入った。軌道投入用発射装置(マスドライバ)だ。ここは羽田だった。

 高機動車の脇に立っていた隊員が敬礼して声をかけてくる。


「磯谷二佐、お待ちしておりました」


「高山三尉…今は二尉なのか。無事で何よりだ」


 そこにいたのは高山真二たかやましんじ二等陸尉、第一機械兵団の兵団管理隊の士官だった。磯谷はもともと第一機械兵団で中隊長を務めていたので、顔見知りだ。


「ご無沙汰しております、二佐。本省にご案内するように言い使っております。お乗りください」


「本省? 練馬じゃないのか?」


「はい。練馬は現在民間人の負傷者を収容する拠点となっております」


「そうか。野戦病院か…」


「話は尽きませんので、まずはお乗りください。話は道々」


 磯谷は促され、助手席側に乗り込む。

 高山はすぐに車を出した。


「行き先を聞いていなかったので驚いたよ。U-211は垂直離着陸できるから、場合によっては練馬に直接かと思っていた」


「練馬は先ほど申し上げた通り、ヘリの発着場所はない状態です。首都圏近郊の飛行場の類は使えない状況です。

 広い場所で何もないのを幸いと、避難住民のキャンプとなっています」

 

「市谷なら直接降りれるだろ?」


「本省は建物の損傷が激しく、屋上のヘリポートは使用できません。二発目の地震の被害はかなり深刻だったので」


「そうか、首都圏は下降気流は発生していないと聞いていた。他よりも随分マシだと」


「そうですね。小倉や千歳は直撃を受けたらしくて、酷い有り様だそうです。それに比べればマシかもしれませんが…

 巨大地震の二連発は誰も想像していませんでしたから」


「そうか…高山、俺の家族について何か知らないか?」


 磯谷の言葉に一瞬高山が緊張したように見えた。


「いえ。隊員の家族に関しては保護情報に当たりますから、私は何も。本省でなら何かわかると思います」


「そうか…」


 少し気まずい沈黙が流れる。

 窓から見える景色は、かつての東京の面影はなかった。

 高層ビル群の多くはその姿を残している。

 残してはいるが、あまりにも様変わりしていた。

 表面のガラスやパネル類は剝げ落ち、躯体がむき出しの状態。色褪せた無数の塔が立ち並んでいるようだ。

 高層建築でない建物はかなり倒壊したように見える。

 そこらに散乱する瓦礫は片付けが終わっておらず、首都高速もところどころに崩落が見受けられる。

 すれ違う車もほとんどない。

 僅かにすれ違う車は、警察か、消防か、自衛隊か、米軍の車両だった。


「東京都内もかなりの風が吹きました。磯谷さんが体験したほどではなかったでしょうが。

 ですが、一発目の地震のすぐ後でしたからね。被害は意外と大きなものになりました。

 そこに二発目です。最初の地震は多くの建物が持ちこたえていましたが、房総沖地震では、堰を切ったかのように次々と倒壊しました。

 せめて地震がどちらかだけだったなら…仮定の話をしても仕方ありませんね」


 高山は運転しながら状況を説明してくれた。

 ハンドルから手が離せないということは、自動運転用のインフラがダウンしているのだろう。


「インフラの状況は?」


「電気は羽田が無事でしたので、マスドライバ用の融合炉が供給してくれています。近隣の発電施設はダウンしていますが、一日のうち四分の一は通電しますよ。

 政府機関は優先されていますから、本省を含め電気の問題はありません。

 水は問題ですね。初期はかなり深刻でしたが、今は浄水場は稼働しています。ですが、送水管はそこらじゅうで破損しています。

 ですから、陸自はもっぱら給水車を走り回らせている感じですね」


「第一師団や第一兵団は?」


「はい。練馬は大きな被害は出ませんでした。ですが、第一師団や、朝霞の兵団本体は、災害救助に出ている最中に、二つ目の地震が発生し、かなりの被害が出ています」


「そうか…」


 磯谷はもう少し詳しく聞きたいところだったが、恐ろしくもあり聞くのを躊躇った。

 高山は続ける。


「いずれにせよ、米軍からの支援も入っていますし、これ以上被害の拡大は無いと思います。食うに困る状況ではありますが、幸い暴動などは発生しておりませんので」


 自衛隊による暴動鎮圧など、想像したくない話だ。

 車は国道15号に入り、都内方面へ。品川あたりから、車は速度を上げた。


「少し運転が荒くなりますが、ご容赦ください」


 旧東京タワー前から六本木方面へ。

 走っている車がないとはいえ、飛ばし過ぎに思える。


「高山、落ち着け!」


 磯谷が思わず口にした。

 それと同じくらいに車体にガンガンとものが当たる音が響く。


「何が起こっている?」


「この辺の住民は少々ガラが悪いので。自衛隊や米軍車両を見ると止めようとするんですよ。水や食料が手に入るんじゃないかって思っているらしいです」


「だったら止められたら説明すればいいじゃないか」


「止めたら最後、囲まれて身動きが取れませんよ。危害を加えるつもりがないのは分かっていますし、いずれは通れるようになりますが、何時間かかるかは分かりません。

 ある程度の数で移動するときはいいのですが、こうして単独で動く時が一番狙われます」


 時折現れる人影を避けながら、それでも車は速度を落とさない。


「お前、絶対に事故る。スピードを落とせ!」


「現在私は二佐の移送任務中です。指示に従ってください」


 高山の強い口調で磯谷は黙るしかなくなった。

 赤坂近辺に到達すると車は速度を落とした。


「ここまでくれば車を止められる心配もありません」


「どういう事なんだ?」


 磯谷の問いかけに高山が答えた。


「都内の治安は維持されています。ですが、一応なんです。

 都内に数か所、警察が立ち入れなくなっている場所があるんですよ。品川から芝にかけての地帯もその数か所の一つです」


 磯谷は言葉を失った。

 東京都内に無法地帯があると、高山は言っているのだ。


「都内には米軍の物資が入ってはいますが、潤沢ではありません。食料にありつけない人がいるのも事実です。

 避難民を受け入れているので、警察の対応が追い付いていません。結果、徐々にそういう地域ができてしまった。

 実際のところ、警察も消防も、強風が収まって救助や事故処理に当たっている最中に地震が来ましたから…

 第一師団を急ごしらえで憲兵隊として使うという話も出ています。

 自衛隊の治安出動という訳にもいかず…現状を追認するしか、今は手がないのです」


「そんな状況なのか…」


「はい。羽田は米軍の輸送機が下りる都合上運用しています。幸いなことに警備がしやすいですからね。

 現在羽田には米軍も駐留していますし」


「東京は別の意味でひどい状況なんだな」


「そうですね、別の意味でひどい状況というのは、的を射ていると思います。本省が見えてきました」


 前方に表面的には他の建物と同様に被害を受けた防衛省の建物が見えてきた。

 ところどころに明かりのついた窓が見える。

 まっすぐ行けば正門…と思っていたが車は左に曲がる。

 磯谷の表情を見てか、高山は説明した。


「正門は常に人がいて開閉できません。普段は開かずのゲートですよ。薬王寺門から入ります」


 そう言うとわき道を抜け、本省の西側に出た。

 薬王寺門の前にも数名の人はいたが、それほど数は多くない。

 ゲート前の隊員が、道を開けるように言っているようだ。

 ゲート前にいた人たちは、その指示に従って動いている。

 外のゲートを通過して少し進んでから内ゲート前で車はいったん止まる。

 車両をスキャンしたようだ。

 目の前のゲートが自動的に開いた。

 高機動車はそのまま進み、本省ビルの通用口に止まった。


「二佐、自分の任務はここまでです。東部方面総監がお待ちです。中で案内されるでしょう」


「総監? 朝霞ではなくて市谷で?」


「東部方面総監部は、現在本省に置かれております。関東近郊の部隊は統合幕僚本部からの直轄で動く体制となっています」


「ISYSにはその手の情報はなかった気がするが?」


「情報の更新が間に合っていないのでしょう。地方の部隊は甚大な被害を受け、再編中ですので」


 磯谷は鹿児島の第十二連隊の惨状を思い出した。


「分かった。とりあえず話を聞いてくる」


「そうしてください。私も本省におりますので、何か御用があれば呼び出してください」


「何かあったら頼りにしてる。それじゃ、またな」


「はい。また」


 短い会話を交わし、磯谷は車を降りた。

 通用口前の隊員が敬礼をしてそれを迎える。

 磯谷も敬礼を返し、中へと進んだ。

 それを車から見送る高山の表情は複雑であった。


 磯谷は案内されて、東部方面総監である中西陸将の執務室に通された。

 補佐官と思われる士官によって扉が開けられて、中へどうぞ、と促される。


「磯谷二等陸佐、命令により出頭いたしました」


 直立不動の姿勢で敬礼をすると、執務机に座っていた人物、中西東部方面総監が立ち上がり、敬礼をする。


「楽にしてかけたまえ」


 そう言いながら執務机前の応接の椅子を手で指し示す。


「失礼します」


 磯谷は椅子の前に進む。

 向かい側に中西が座るのを確認してから、自分も腰を下ろした。

 そこに先ほどの補佐官がコーヒーの入ったカップを運んでくる。

 テーブルに置くと補佐官は一礼して退室した。


「硬くならんでくれ、あまり畏まられても話がしにくい。磯谷一佐」


「自分は二佐でありますが?」


「本日付で一佐に昇進だ。すでに隊内の手続きは済んでいる。階級章を換えておきなさい」


 そう言うと中西はポケットから階級章の入った小箱をテーブルに置いた。

 磯谷は一礼してからそれを手にし、自分の肩にある現在の肩章と入れ替えた。


「よろしい。改めて磯谷一佐。本日付で東部方面総監部付を任命する」


「お言葉を返すようですが、自分は練馬に復帰する予定でした。第一機械兵団を指揮するものとばかり」


「そうだな。今回のような事態でなければそうだっただろう。やはり現場に未練があるかね?」


「未練ですか。現場を離れるのが寂しいのは正直なところです。ですが、私がお役に立てるのであれば、いかなる役目でも」


 磯谷は姿勢を正してそう答えた。


「そう言ってもらえると、私としても気が楽だ。これから先の話は、内々の話となる。決して他言せぬように」


「承知しました」


「まだ確定ではない。だが恐らく自衛隊はアメリカ軍に吸収される」


 その一言に磯谷は驚きを隠せなかった。


「自衛隊が…なくなる?」


 中西はその様子を見て一つ頷いた。

 そして話を続ける。


「正確に言えば、日本という国家が無くなる。アメリカに併合される形でな。政府はまだ検討中とのことだが、合併時に混乱の無いように、可能な再編は済ませておけと内達があった」


 あまりの衝撃に磯谷は何も言えなかった。

 中西はなおも続ける。


「無理の無い話だ。正式に発表されていないが、日本の人口は4000万人を割っている。2億近くいた人口が今回の一件で五分の一以下だ。

 多くのインフラを、いや街そのものを失い、経済的に自立することすら難しい。

 アメリカ側から打診があったそうだ。これ以上の援助は難しい。だが、米国領、日本自治区であれば、国内問題となる。だそうだ」


 中西はコーヒーのカップを手にして口元に運ぶ。

 磯谷は動くことすらできない。


「当面自治政府の運営には現政権が当たるが、いつまで日本人による行政が維持できるかは分からない。アメリカに優秀であることを認めさせ、実力で地位を勝ち取らねばならない。

 失礼な言い方になるが、今の政治家にそれが可能とは思えない」


「お話の内容が小官にはわかりかねます」


「まあ最後まで聞きなさい。

 せめて軍事部門から有能な指揮官を米軍に送り込みたいのだ。

 幕僚長以下、隊の上層は仮に米軍に再編されたとして、今の政治家と同じ運命をたどるだろう。この国、正確には自治領の運営にかかわることは難しい。

 だが、君の名前はおそらく自衛隊の士官として、アメリカでもっとも有名だ。磯谷という名は知らなくても人形遣い(パペットマスター)の異名は一部では有名だからな」


「傀儡師、ですか。私はその呼ばれ方はあまり好きではありません」


「米軍で人形遣いの話を聞かれた者が、省内で話すうちに、傀儡師と名を変えたのだろう。私としては人形遣いよりも、傀儡師の方が日本的で良いと思っているがね。

 君の実力に関しては米軍も一目置いている。恐らく重用されるだろう。何せリムパック62以降、米国から60式の技術供与を受けたいという話があったくらいだ。

 一度は廃れた機械兵を、再度編成しようとしているのだと思う。

 そこで君の真の任務となる。米軍内での地位を確立し、自治政府に対しての発言権を確保してほしい。

 合併時点で可能な限り君の権限を大きくするために、来週には再度昇進し、陸将補になってもらう。異例ではあるが、陸将補の階級で東部方面総監に着任してもらう予定だ。

 これは統合幕僚本部でも内定している」


「私に、政治家になれと?」


「平たく言えばその通りだ」


 想像さえしていなかった展開に頭がついていかない。

 磯谷はコーヒーカップに手を伸ばし、口に含む。

 味も、温度すら分からなかった。


「先ほどはいかなる役目でも、と言いましたが前提が違いすぎます。少し考えさせてください。自分の理解を超えています」


「ああ、それで構わん。ただ他言無用は守ってもらわねば困る」


「はい、機密保持の重要性は理解しております」


「当面は本省の宿舎を使いたまえ」


「一度自宅に戻りたいと思うのですが、家族の安否も気がかりですし」


 その言葉に一瞬中西は眉をひそめた。

 そして意を決したように、語り始める。


「君の奥様と娘さんは、今回の災害によって亡くなられた。お悔やみを申し上げる」


 そう言うと中西は深く頭を下げた。


「妻が…? 娘が、死んだ?」


「省では可能な限り隊員の家族の情報を収集している。そして多くの隊員たちが、自分の家族が亡くなったことを知らされていない。

 すぐに知らせるべきなのはわかっているが、それができなかった。

 その点は察してほしい。

 君たちが懸命に活動したおかげで、多くの人命が救われたのは紛れもない事実だ」


 磯谷には中西の声は届いていなかった。

 震える声で中西に尋ねる。

 

「どこで…自宅、ですか?」


「貴官の自宅は二度目の地震で倒壊した。お二人とも都内が強風に見舞われた時点ではご存命だった。強風の影響で怪我をされたようで、練馬中央病院におられたことはわかっている。

 だが、その病院も後発の地震によって倒壊した。倒壊現場の救助活動は行われたが、発見には至っていない」


「現在も、救助…捜索活動は行われているのですか?」


「現場の量子スキャンの結果、回収可能な状態の死体はもうないことが確認され、打ち切られた。現時点で多くの人員を割く余裕がないんだ。理解してくれ」


「そう、ですか…」


 磯谷は短く答えた。

 中西は磯谷に声をかける。


「本当に残念だ。多くの隊員が君と同様に家族や親しい友人を失っている。

 この一か月の疲れもあるだろう。少しゆっくりするといい。

 総監部付は仮の役職で実際に君に働いてもらう必要はない。未来のために今はしっかり休んでくれ」


「ありがとうございます」


 中西は補佐官を呼び出し、磯谷を宿舎に案内するよう指示した。

 補佐官とともに部屋を出てゆく磯谷を見送り、一つ大きく息を吐いた。

 窓の外はすでに暗くなっている。

 時間的には西日が差しているはずだが、ひと月以上、誰も太陽の姿を見てはいない。


「慣れるという事は…時に恐ろしいものだな」


 中西は外を眺めながら、一人呟いた。


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