最終話:赤い靴
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2167年6月17日 12時30分 アメリカ合衆国領日本自治区 米軍羽田基地
警護に当たる陸軍の兵士と合流して、補給部に向かい申請した物資を受け取る。
段ボール箱4つほどの医薬品と、アルミのケース2個。
たったこれだけ。
実際に目にしてそう思ったが、高山はこれだけでも助けられるものがある、と自分に言い聞かせる。
できることをするしかないんだ。
兵士たちに荷物を運んでもらい、自分も一緒に発着ポートに向かう。
その途中、すれ違った非番の兵士が歩いてくる高山に気づき、口の中の物を脇に吐き出して慌てて敬礼する。
その様子を少し不快に感じながら敬礼を返した。
ヒマワリの種か。そこらに殻を吐くから、掃除が大変だろうに…
そう思い発着ポートへと向かおうと歩き続けたが、高山は急に足を止めた。
「それだ」
思わず口から出た。
「大尉、どうかされましたか?」
荷物を運んでいる陸軍の下士官が、高山が足を止めたのに気づき、顔を覗き込む。
高山は少し慌てて、彼に言った。
「すまない、もう一つ手続きをしなければならない。すぐに済ませるから、荷物を運んで出発の準備を済ませてくれ」
「了解しました」
下士官はそう答えて先に歩いていく。
高山は通路脇に座り込んで、手にしていたパッドを操作する。
「少し遅い時間だが…今連絡すべきだ」
ハイマン博士宛に、簡潔な文章でメールを入れる。
今夜にも返答があるだろう。
そう思い立ち上がろうとすると、すぐに返信が来た。
「専門ではないので即答は出来ない。明日にでも専門家に聞いてみるよ。いいアイデアだと思う」
そう書かれていた。
高山は笑みを浮かべ、慌てて立ち上がると、急ぎ歩いた。
2167年6月17日 12時15分 アメリカ合衆国領日本自治区 自衛隊練馬駐屯地
輸送機が駐屯地に着陸する。
第一師団長が自ら出迎えてくれる。
少し大げさだとは思う。
階級的には相手の方が全然上だ。
だが今の力関係を考えれば仕方のないことかもしれない。
輸送機から降りると、師団長以下、そこにいた上級士官たちが敬礼で出迎えてくれる。
高山も足を止めて敬礼を返し、彼らに言う。
「DIA東京連絡室長、高山真二大尉です。この度は皆さんのご尽力に感謝します」
「練馬を預かります、佐々木一佐です。驚きました。高山大尉。貴官が正式な米軍籍にあり、しかも重責を担う立場におられるとは」
佐々木は率直な感想を口にした。
そこに並ぶ士官たちの中には、顔を知っている人も交じっている。
高山は少し居心地の悪さを感じた。
「いえ。私は運が良かっただけですから。量が少なくて申し訳ないのですが、要望のあった医薬品をお持ちしました。まずはお受け取りをお願いします」
そう言って手にしていたパッドを差し出す。
目録と受領確認のための画面が表示されていた。
「確かに受け取りました。
高山大尉のご活躍は、我々にとっての励みにもなります。高山大尉が重責を担う立場にいるということは、我々もまた認められれば、正式に米軍に編入する可能性がある。
しいては日本の立場を強くすることにつながる」
この辺りは中西総監の受け売りにも聞こえる。
磯谷二佐みたいに特殊技能…唯一無二の才能があるなら別だろうが、現実はそう簡単じゃない。
自分は本当に運が良かっただけ。そもそも米軍籍が約束されていたのだから。
高山は返答に窮したが、その場を取り繕うことに専念した。
「そう言っていただけるのは自分も光栄に思います。
それで、白峯さんはどちらにおられますか?」
話をそこそこに、本題に入る。
「はい。彼女は連絡しました通り、第2キャンプにいます。フルート奏者という情報で、すぐに気づいたものがおりました。
彼女は定期的にキャンプで演奏を行ってましたから」
「なるほど。そうでしたか。直接話をしたいのですが、よろしいですか」
「もちろんです。ご案内させます」
佐々木はそう言い、後ろに立っていた士官に視線で合図を送ると、その士官は頷いてから一歩前に出て、高山に告げる。
「こちらです、どうぞ」
高山は佐々木に敬礼してから歩き出す。
同行している兵士たちが高山に続こうとしたので、それを制して、ここでの待機を命じた。
士官の案内で第2キャンプへと向かう。
徒歩での移動だ。自衛隊の隊員数名が同行している。
駐屯地のおひざ元のキャンプで治安状況は悪くないだろうが、何かあっては問題になる。という佐々木の判断だろう。
キャンプの中を10分ほど歩く。
想像していたよりもキャンプ内は整然としていて、衛生状況も悪くないように見える。
下水もちゃんと区別されており、浄化装置も動いている。
時折見かける人たちは、清潔と言える状況には見えない。
生活用水は十分ではないのだろう。
安定した環境で長く過ごした人たちにとって、今のレベルでも、衛生的に厳しい状況なのも間違いなかった。
より深刻な点も感じる。
見かける人影が少ないのだ。
おそらくテントやバラックの中にいるのだろう。その気配はある。
だが積極的に動く人の姿が無い。
高山の頭を危惧が横切る。何か手を打つべきだ。
程なくフルートの優しい旋律が耳に届く。
すぐに演奏をする女性が確認できた。
間違いない、彼女だ。
彼女の周囲には十数人の人たちが腰を下ろし、その演奏に耳を傾けていた。
半分以上が子供だった。
案内してくれた士官が一歩前に出たので、高山はそれを制する。
「この演奏が終わるまで待とう」
小声で伝えた。
彼女は演奏を続けている。
子供たちにせがまれたようで、童謡を奏で始める。
その旋律に子供たちの歌声が重なった。
高山は、このキャンプで足りないものがここにあることを感じた。
短めの童謡を3曲ほど吹き終えると、彼女は子供たちに告げる。
「今はこれで終わりね。またあとでね。お姉さん少し疲れたから休憩させてよ」
そう告げると、子供たちは口々に、もっと、とかえー、とか言い始める。
周囲にいた大人たちが、そんな子供たちをなだめて、彼女に声をかけながら去っていく。
「いつもありがとうね」
とか、
「いい演奏だったよ」
とか。
いずれの顔にも笑顔があった。
「お待たせしました。私にお話があるそうですね。伺っています」
挨拶を終えた彼女が、そう言いながらこちらに歩いてきた。
「高山真二と申します。白峯晶さんで間違いないですね?」
「はい。私が白峯晶です。どういうご用件でしょうか?」
戸惑いと警戒の混じった表情で高山にそう尋ねる。
高山は少し悩み、近くにいた自衛隊員たちに声をかけた。
「申し訳ない。少し内密の話があるんだ。外してくれないか?」
彼らはその言葉に従い、少し距離を取った。
それを確認してから改めて白峯に答える。
「あなたの安全を確保するために参りました。
赤石さん…あなたのお爺様の依頼です」
「え、お爺ちゃん? お爺ちゃんは生きているんですか!?」
ストレートな言葉に高山は返答に窮した。
僅かに間をおいてから、言葉ではなく、首を横に振って答える。
「そう…ですか…。もしかして、無事だったのかと…」
力ない言葉に、高山は生きてると教えたいと思う。
だが、それは出来ない。今はまだ駄目だ。
「ですが、お爺様はあなたの身を案じておられました。
そしてあなたを合衆国に移住させる手立てを講じられたのです。
ひとまずキャンプを離れて米軍の保護下に入ってください。
一時的に不自由をおかけしますが、すぐに自由に暮らせます」
高山の言葉に白峯は顔を伏せたまま答える。
「それは出来ません。ここにいる人たちを置いて、私一人安全な場所に移動するなんて…」
「お気持ちは分かります。分かりますが―」
「あなたは何も分かっていない! ここに私は残らなきゃいけない。それが私の使命だから!」
高山の言葉を遮るように白峯は大きな声で言った。
高山はその言葉を理解する。
危惧していたのは、活気が無いこと。生きる希望を失い、気力を失い、このキャンプにいる人たちは、ただ生きているだけの状態になっている。
そして彼女の演奏が、ごく一部だけだとしても、その気力を支えている。
さっきの子供たちの顔を見ればわかる。
親たちの顔を見ればわかる。
彼女が口にした言葉は決して大げさではない。事実なのだ。
高山は少し笑いながら、答えた。
「失礼、その、赤石さんを思い出しました。赤石さん、整備担当者が雑なことをすると、情け容赦なく怒鳴る人でしたから。私も怒鳴られました。
あなたは似てらっしゃる。ああ、決して悪い意味ではないですよ。その、真直ぐと言うか、真摯と言うか…」
しどろもどろになる高山を見て、白峯ははにかみながら答えた。
「いえ、私の方こそ、急に大きな声を出してごめんなさい。
失礼、高山さん? でしたか。おじいちゃ…祖父をよくご存じなのですね」
少し返答に迷うが、高山は言える限りの事実を口にしようと思った。
「そうですね。赤石さんを最後に見た人間の一人だと思います。難しい状況を一緒に過ごしました。
私にとっても、とても大切な時間だった」
高山の言葉に白峯はどう答えていいかわからなくなり、黙り込む。
高山も次の言葉が見つからなかった。
だから考える。
優先順位を冷静に考える。
高山は覚悟を決めた。
「赤石さんは、あなたの未来を創るために、危険な任務に参加され、あなたの米国移住を認めさせた。
文字通り、命懸けだったんです。
それだけじゃない。その思いを守ろうと、何人かが帰らぬ人となった。
あなたは少しでも幸せにならなきゃいけない。
あなたには義務があります。あなたの幸せを願った人たちの、思いにこたえる義務が」
「義務…私の義務…」
高山は彼女の言っていることが正しく、その使命と感じてることを正しいと思ったうえで、強く言った。
子供たちの笑顔が失われるかもしれない。
本人の意思を尊重していない。
それは分かっていたが、それでも彼女を移住させることが優先事項だと決断した。
そうでなければ、ジェイに顔向けできない。
高山は続けた。
「妥協案はあります。駐屯地には音楽隊がいたはずです。確認しないと確かなことは言えませんが、彼らに演奏活動をお願いします。
配給とかその他雑務とかあって、あなたと同じように毎日とはいかないでしょう。
ですけど、週に1回くらいは、演奏会を開いてもらうようにお願いします。
これがあなたの代わりになるとは思いませんが、移住を了承してください。
私が交わした赤石さんとの約束を果たさせてください」
そう言って深く頭を下げる。
それを白峯は驚きながら見ていた。
そのまま数秒の静寂が訪れ、それを白峯が破った。
「分かりました。高山さんの指示に従います。
ですが、少しだけ時間をください。
最後に、ここでもう一曲演奏したいんです」
「ご承諾いただきありがとうございます。
もちろん大丈夫ですよ。
夕方までは時間があります」
頭を上げた高山がそう言うと、白峯はその場で手にしたフルートを演奏し始めた。
高山はすぐに気が付いた。
ドボルザーク《新世界より》第2楽章…誰もが耳にしたことのある曲だった。
どこか愁いを帯びた優しい旋律が、風に乗るように流れてくる。
思わず目を閉じた。
静かで柔らかく、それでいて芯のある音色。
フルートらしい。
それなのにフルートの音とは思えない力強さがある。
それは慰めにも、鎮魂歌にも、また明日も生きようと背中を押しているようにも聞こえた。
彼女の思いが、心に直接流れ込むような…違う。
人の心に寄り添うような演奏だった。
「高山さん、ありがとうございます。
この曲、お爺ちゃんが夕方になると歌ってたんです。
あなたにも聞いていただけて、本当に良かった」
思わず涙がこぼれそうになったが、高山はぐっとこらえた。
呼吸を整えてから声を絞り出す。
「そうでしたか…ではまいりましょう」
高山がそう言うと、近くにいた子供が飛び出してきて、白峯に問いかける。
「おねえちゃん、どこか行っちゃうの?」
幼い子供に話の内容を理解できたとは思えない。
この子は雰囲気でそれを感じているのだろう。
白峯は言葉に詰まったが、笑顔で子供に答える。
「お姉ちゃん、お仕事があるの。だから行けなきゃ―」
「いやだ!」
必死の形相で訴える。
今にも泣きそうになりながら、じっと白峯を見つめて。
「ごめんね。でも、こうしないといけない。私はもう笛を吹いてあげられないけど、少ししたら沢山の人が、もっとすごい音楽を聞かせてくれるわ。楽しみにしてて」
「お姉ちゃんじゃないといやだ!」
子供の大きな声を聞きつけたのだろう。その子の母親が近寄ってくる。
子供は母親に駆け寄って、お姉ちゃんがいなくなると訴えかけている。
母親は子供を自分の後ろに置くと立ち上がって高山に向かって言った。
「あんた、米兵だろ? 白峯さんを連れて行くってどういうこと?」
こちらを真直ぐ見据えた強い視線。その声を聞いて周囲から人が集まり始める。
控えていた自衛隊員が慌てて駆け寄ってくるのが見えた。
高山は止まれの合図を送ると、人々に向かって話す。
「私は国防総省から派遣された高山と言います。
白峯さんのご親族からの依頼を受け、彼女を保護するために参りました。
彼女の安全は私が、そしてアメリカ合衆国が保証します」
それを聞いた母親が白峯に視線を向けると、白峯はうんうんと2回頷いて答えた。
「それなら…よかったじゃないか。ここよりもマシなところに移れるんだったらそれに越したことはない」
母親が笑顔でそう言った。
ホッとする高山に母親は向き直ると、指をさして言い放つ。
「あんた、日系人か? この娘さんを泣かすようなことをしたら、私たちが承知しないからね!」
その言葉に慌てて白峯が、この方も祖父をよくご存じの方で、と説明する。
少しバツが悪そうにする母親に、高山は言った。
「安心してください。私が命に懸けてお守りします」
それは高山の本心。
だが、正しく伝わらなかったようだ。
「あ、え? ああ、そういう事?? なんか余計なことを言ったみたいね」
母親の言葉の意味が少し理解できない高山。
赤い顔になって説明する白峯。
殺伐とした空気は消え、小さなお祭り騒ぎになった。
場が落ち着いた後、その場の人々に見送られながら、白峯と高山はその場を後にする。
もちろん、自衛隊の隊員も一緒だ。
「申し訳ありません。その、紛らわしいことを言ってしまって」
そう言う高山に白峯は答える。
「お気になさらないでください。そう言ってもらえるのは幸せなことですから。
第一師団の音楽隊…実は小さいころに演奏を何度か見て、自分もあんな風に演奏したいって思ったのが、フルートを始めたきっかけなんです」
「そうだったんですか。今はその夢まで、まだ遠いかもしれませんが、きっといつか叶いますよ」
高山の言葉に白峯が首を振って答える。
「ここで過ごした日々が、少し考え方を変えてくれました。
楽団でなくても、たとえフルートだけだとしても、音楽は人の心に何かを届けられるって。
出来ればもう少し音楽を学び続けたい、そう思います」
高山は大きく頷く。
さっきの子供の顔が頭から離れない。
「まるで…赤い靴。だな」
高山は今の情景が童謡に酷似していると思った。
ここでは自分は異人さん。
確かにそうかもしれない。
2167年6月18日 9時 アメリカ合衆国領日本自治区 羽田基地
昨日は戻ってから、白峯をゲストとして基地内に逗留させる手続きを取り、補給部から女性下士官を一人派遣してもらって、彼女を宿舎に送ってもらった。
すぐにリースウッドにターゲット確保の報告をすると、すぐに短い返信が来た。
ーGJー
リースウッドらしいと思うと同時に、何となくだがリースウッドのその様子が納得できた。
裏方仕事で、時には憎まれ役も買わなければならない。
それが今の仕事。昨日身をもって体験した。
次に第一師団に直接連絡をする。
画面に現れた佐々木一佐に昨日の礼を述べ、すぐに本題を切り出した。
「音楽隊で定期演奏会?」
「はい。昨日思ったのですが、キャンプ内で食料が不足しているのは事実ですが、それ以外の物も多く不足しています。音楽もその一つです」
「いや、今の状況では音楽など…演奏会などしている場合じゃないと思う―」
「今の状況だからこそ、必要なんです。キャンプ内にはびこっている一番恐ろしいものに対する特効薬です」
「キャンプに蔓延る恐ろしいもの?」
「ええ、無気力と絶望です。未来が見えないから仕方ない、ではダメなんです。
誰も信じていないのに、生活を再建するなんて出来るわけがありません。
人の気持ちが前向きになって、初めてスタートが切れます。
今のままだと、永遠に立ち上がれなくなる」
「言わんとしていることは理解できるが、しかしだな…」
「許可が必要であれば、私の方で本省を説得します。一佐にはすぐにでも始められる準備をしていただきたい。
団員達も楽器を演奏する心の余裕がなくなっていると思います。長く楽器に触れていない人も多いかと思います。
だからこそ、すぐに準備を始めるんです。
人の営みを正しくするために、絶対に必要です」
高山の言葉に佐々木は応じた。
少なくとも準備をすることを承認した。
必要な際には連絡してほしいと伝え、通信を終える。
続けてハイマンへの返事を書く。
彼は知り合いの植物学者にあたりを付けてくれて、短いリストを送ってくれていた。少し意味不明な追伸を添えて。
取り急ぎリストのお礼と、追伸の意味が分からないと書くと、すぐに返事が来る。
これも極めて短い返答が来る。
ー礼にはおよばん。追伸は…私に礼を書く時間があるなら、ミオに連絡を入れろー
最初の博士からのメールにはこう記してあった。
ミオの機嫌がよくない。彼女に連絡をいれろ、と。
それを確認しようとして同じことを言われたわけだ。
時間を確認して、この時間なら起きていると思い、直通の電話をかけてみる。
実際彼女に頼みたいこともあった。
呼び出し音が鳴ると同時につながる。
少し高山は驚いた。
「タカヤマ、遅い。なぜもっと早くに連絡しない」
画面に出た相馬博士は確かに不機嫌そうだった。
それは分かるが、それ以上はやはりわからない。
「相馬博士、なんで不機嫌なんですか?」
率直に聞いてみると相馬は答えた。
「まず、相馬博士じゃない、澪でいい。
タカヤマ、君は私の護衛をすると言った。だが護衛はしていない。どういうこと?」
どういうことも何も、こっちは日本にいて、あなたは本国でしょ。護衛できるわけがない、と言いたがったが、そこはぐっとこらえる。
「事前に説明した通りですよ。私は日本からまだ離れられませんから。それに、ハイマン博士も恐らく大丈夫だとおっしゃってましたし」
「状況は理解している。来いとは言わない。だが、ご機嫌伺いくらいはするべき。だから私は不機嫌」
言わんとしているところは…やっぱりわからない。高山が連絡しないから機嫌が悪いというのは分かったが。
「こうして連絡したじゃないですか。だから機嫌を直してください。ね?」
「分かった。とりあえず不機嫌はやめる」
こじれた話にならなくてよかった、そんなことを思いながらさてどうしたものか、と少し悩む。
うん、機密事項じゃないし直接話した方が良い。
そう判断した。
「実はそう…澪にお願いがあるんだけど、聞いてもらえますか?」
「タカヤマの願いなら聞くのはやぶさかじゃない」
「探していた赤石さんのお孫さん、見つかったんですよ。そこで、澪に、そちら側で身元引受をお願いしたいというか、友達になってあげてほしいというか」
「なぜ澪が?」
「赤石さんのお孫さんって、女性なんですよね。本国側にいる知り合いで、女性となると、澪かジェシーくらいでしょ?
もともと日本人だから澪の方が良いと思って。もちろん、ジェシーとも仲良くしてもらえればそれに越したことはないけど」
「理由が単純。少し気に入らない」
すねた?
「それに、私は自慢できるほど生活力が無い。コミュ障とも言われる。適任とは思えない」
あーそこか。自覚はあるんだ。でも自慢しちゃダメなところだと思う。
だが、子供に慕われていた白峯の姿を思うと、何となくだが良いコンビになりそうな気もした。
「澪、多分大丈夫です。彼女はまだ20歳ですが、十分常識的です。澪とならうまくやれると思います」
少し考える様子。そして答えた。
「わかった。挑戦してみる」
「ありがとう澪」
「タカヤマ」
「何ですか?」
「また連絡してほしい。できれば週に一度くらい。帰りのラボカーは思いのほか楽しかった。
研究室に戻ってきて、何かが足りない。何が足りないのか、わからない」
高山は少し考える。
彼女は何かを求めている。
自分が連絡することを求めているが、それ自体とは何か違う…
彼らが本国に戻る際の自分の感情を思い出して、思い当たる。
彼女は寂しいんだ。
「分かりました。週に一度くらいは連絡しますよ。それでいいですか?」
「取引成立」
「そうですね。まだこれから仕事があるので、また連絡します」
「分かった」
「それではこれで」
高山がそう口にするとすぐに通話が切れる。澪が切ったのだ。
「意外と繊細なところもあるんだな。そういえば私はいま名前で呼ばれていた?」
ずっと澪は高山を「兵隊さん」と呼んでいたのを思い出す。別にそれで構わないと思っていた。
タカヤマと名字で呼び捨てする人は、今はいない。
少し新鮮でうれしく思えた。
一方、この日、正式にロシアと中国に対しての攻撃が始まる。
名目はテロリストの排除。
統制を失い残る残存兵力を叩くと同時に、核のコントロールを確保するのが目的の作戦だった。
2167年6月25日 9時 アメリカ合衆国領日本自治区 羽田基地
白峯晶を確保してから1週間。
彼女は無事にオークリッジに到着して、新生活を始めていた。
到着後に電話で話した内容は今思い出しても笑える。
「ひどく荒れてますが、難民キャンプで掃除することを思えばマシです」
白峯の言葉だ。
澪の自宅の荒れようがうかがえる。
その際に追加で澪に頼みごとをしていた。
二つ返事で任せておけ、と言っていたが、少し心配だ。
彼女が科学者として有能なのは認める。
そして彼女が変人と呼ぶほどでもないことは分かってきた。
だが、常識から逸脱することが多いのも事実だ。
補給部から荷物が届いているという連絡を受けた。
澪に頼んだものが届いたらしい。
確認に向かうと驚いて硬直してしまった。
段ボール20箱分。予想よりもはるかに多い量だ。
何を頼んだか…それはカブやホウレンソウなどの種。比較的低照度、低温環境でも育つものを中心に数種類手配してもらった。
最初はジャクソンに頼もうと思っていたが、彼らは本国を発っていた。
やむなく澪に頼んだのだが。
野菜の種は練馬に向かう途中で思いついた。
東京圏だし、あの災害の後だ、野菜の種なんか東京で手に入るわけがない。
だが、ここで野菜が育てば少しでも食料の足しになる。何より育てる楽しみが生まれる。
人の気持ちが前向きになるに違いないと、下士官がヒマワリの種を吐いた時に思いついた。
メッセージが添えられている。
「依頼の物は無事に手配できた。これを読んでいる頃にはタカヤマ君。君は私の奴隷だ」
いや違うでしょ。確かに代金の建て替えも頼んだけど。
澪のこの手の言葉は、どこまでが本気で、どこまでが冗談かわからないので、心底怖い。
今日は澪に連絡を入れる予定だ。
遅くなる前に連絡することにした。
荷物は後で回収するから出せる位置に置いておくように頼み、オフィスに戻る。
「お戻りですか大尉。確認していただきたい書類がありますのでお願いします」
「分かった。ああ、エド、すまないが小型の輸送機を手配してくれないか? どちらかと言えば私用なんだが、うまくごまかしてくれると助かる」
「了解です。お任せください」
そう、この一週間でオフィスは大きく変わった。
東京連絡室が連絡室らしくなった。
私の他に情報士官1名、事務担当が2名配属された。
リースウッドが用意したらしい。
仕事場らしくなるのは歓迎だが、正直言うと喜べない。
人員を増やした、予算を増やした、つまり仕事が増えるということだ。
「あとこれから少し電話する。その間に私に連絡が入れば、基本的に折り返しで対応してくれ」
「大尉、彼女ですか?」
「そんなところ」
そう言ってから電話をする。
通信は今回もすぐにつながった。
荷物の礼と苦情を言う。苦情は苦情と受け取られなかった。
研究所経由で種は入手したらしい。箱の中はバルクパッケージだとのこと。薬瓶みたいな大きめのプラ容器に入っているそうだ。
金額を確認すると、思ったほどではなかった。それでも分割で返済するしかない。
再び勝ち誇られた。なんか悔しい。
少し昔話に花を咲かせる。
晶も加わり、赤石さんと初めて会った時の話をする。
私の視点なので、どうしても二佐の話が中心になるが、それでも晶も祖父の様子について聞いて、嬉しそうだった。
30分ほど経って電話を切る。
「大尉、輸送機の手配は終わっております」
「ありがとう、補給部に来た私宛の荷物、段ボール20箱ほどを陸上自衛隊の練馬駐屯地に届けてくれ」
「了解です。あ、あと陸軍のジャクソン少佐から連絡がありました。折り返すと伝えてあります」
「ジャクソン少佐で間違いない?」
「はい、間違いありません」
ジャクソンは昇進した。つまりチームを率いていることを意味している。
本国を離れたのでどこにいるかは分からない。
とりあえず彼のプライベートナンバーに連絡をしてみる。
運が良ければつながるだろう。
「リッド? シンジだ。昇進したんだな。おめでとう。今どこにいるんだ?」
「世界の果てだよ。任務中だからな」
電話はすぐにつながった。いつもの調子で話しかけたが、ジャクソンの反応が重たい。
「何かあったのか?」
「トムが…ヘンダーソンが戦死した。お前は仲が良かったからな、伝えておきたくて」
「…そうか。トムが…当時は少尉だったな。気さくないい奴だった」
「ああ、いい奴だった。今じゃお前と同じ大尉だ」
「なあ、リッド…死ぬんじゃないぞ。メイヴィスやほかの連中にも伝えてくれ。先に死んだらおごらせるからなって」
「分かった。ちゃんと伝える。シンジ、お前も死ぬんじゃねえぞ。どうやら良いやつから死んでいくらしいからな」
「簡単に死ぬつもりはないよ。背負った分は、生き続けるつもりだから」
「そうだな。また連絡する。じゃあな」
「またな」
この日、ロシアと中国のテロリスト排除完了が宣言された。
両国とも合衆国の暫定統治下に置かれることとなった。
2167年7月8日 9時 アメリカ合衆国領日本自治区 羽田基地
週に一度の電話は続いている。
澪と晶もそれを楽しみにしていてくれるようだ。
時差の都合でオフィスからの電話。それも日常になってきていた。
スタッフも慣れっこだ。
「珍しいですね、今日は水曜日ですよ?」
そう、特に決めたわけじゃなかったが3回とも木曜だった。
そんなことを覚えてなくてもいいのに。
「今日は特別なんだ」
「お。もしかしてプロポーズですか?」
「別れ話かもしれないぞ? 空気が悪くなっても知らないからな」
エドに軽口をたたいてから連絡を入れる。
今日もすぐに通信がつながった。端末の前で待機してるだろ。
「タカヤマ、今日もご苦労」
いつもの調子で澪が出ると、その後ろで晶が手を振っていた。
近況の話をしてから、いつものように任務の時の話をする。もちろん話をしても問題ない内容だけ。
「んじゃ、今日は二佐とジェイのスパーリングの話をしようか」
こんな感じで当時の様子を語って聞かせる。
晶は赤石さんの話で出てくる二佐に興味を持ったようだし、澪は二佐の話を積極的に聞きたがった。
その様子はヒーローにあこがれる子供に見えた。
実際、澪にとって二佐はヒーローなのかもしれない。
何より私自身も二佐の話をするのがうれしかったし楽しかった。
話が一通り終わると澪が感想を口にする。
「イソガイ、それはマズい。反則だ」
「いや、ジェイも納得してたから」
そんな感じで盛り上がれる。
少し落ち着いたところで、話を変える。
「今日連絡したのは、別の理由もあるんだ。昨日辞令が下りた。私は明日、東京を離れるよ」
「随分急だ。タカヤマ、何かしでかした?」
「何にもしてないから!」
「雲行きは怪しい。研究所も移転の話があるようだ。タカヤマ、どこに行くんだ?」
研究所の移転…このタイミングでか。確かに雲行きが怪しい。オークリッジ国際研究所は200年以上同じ場所にあるのに。
「新しい任地はトルコだよ。肩書きも変わる。在トルコ駐在武官。連絡室長よりは格好いいかな?」
「うん、駐在武官。タカヤマに似合わず強そう」
「でも、大丈夫なんですか? 高山さん、トルコ語とかできるんですか?」
澪の脇から晶が尋ねてくる。
「トルコ語は出来ないけど、大丈夫だよ。翻訳用のイヤピースで困ることはないしさ」
晶の表情は晴れない。本当に心配してくれているようだった。
澪が再び、それも突然言う。
「私は磯谷に言ってもらった。だからタカヤマには私が言う。タカヤマ、死んじゃだめだ」
「オーバーだよ。それほど危険じゃないと思うし。でも、ありがとう。なんかね、うれしいよ」
澪の表情に悲壮感はなく、淡々としている感じは変わらない。
「なので、落ち着いたら連絡するよ。来週ってわけには行かないけど近いうちにね」
「分かった。連絡を待つ。連絡なかったら私は不機嫌になる。覚えておいて」
「分かったよ。それじゃまたね」
高山がそう言うとすぐに通信が切れる。
これもいつも通りだ。
すぐにそこにいるスタッフに話しかける。
「急で申し訳ないが、昨日付で辞令が出て、転属になった。
後任の話は何も聞いていないが、みんなでサポートしてうまく回してくれ。私は明日出発する」
「送別会もできませんね。もっとも歓迎会もしてもらってませんが」
「エド。根に持つなよ。君たちが来るまで私は一人だけだったんだから」
窓から外を見る。
空は相変わらず重く、あの日見た空と同じに見える。
何もない大地に消えていく砂塵。
今でもよく覚えている。
小さな予感がある。トルコに行ってからは、かなり忙しくなるだろう。
根拠はない。
だが、急な転属、行き先が旧NATO地域とはいえイスラム圏。
日本人に対する感情が比較的良いことも、選ばれた理由だと思うが、そこは能力を買われたと思いたい。
私には野望がある。
最初の野望はヘンドリックス少佐の描いた絵を完成させること。
まだ完全ではないが、今の感じだと問題なく完成する。
次の野望は二佐が帰国できるように環境を整えること。
これを達成するためには力が足りない。
より大きな権限が必要だ。
そのためには、確実に階段を上り続けるしかない。
今でも二佐と赤石さんは生きている。
それを晶に聞かせてあげられるのは、多分遠い先のことじゃない。
それは私自身の誓いでもある。




