第二十四話:クレーター
2167年5月14日 10時 ロシア領・クラスノヤルスク南東180km付近(チタよりおよそ1250km西方)
速度を落としての行軍4日目。順調に進んでおり、そろそろ到着するはずだった。
今のところ大きな変化は見られていない。
「予定通りにはいかないものですね。夜間作業も終わるはずだったのに」
夜間の55式の改造はまだ行われている。
途中で作業ができなかった日もあり、予定通りには行っていないようだ。
「もう少しだから頑張ってくれ、高山君。1機終わればもう一機はかなり早く終わるはずだから」
「あー2機あるんでしたね。目的地に着けば移動は無くなるから、日中の生活に戻れるんですよね…
正直寒いのはきついです。早く日中の作業に戻らせてください、二佐」
「俺がどうこうできる話じゃない。着くまでは諦めろ」
「そういうところ二佐は冷たいですよね。もう少し副官を大切に扱っても良いと思います」
磯谷は笑いながらそれ以上口を開かなかった。
事前情報が正しければ、今日には到着するだろう。
それを口に出しても良かったが、事前情報の間違いまで責任を取らされるような事態は避けたかった。
「なんか変な地形ですね。そんなに高くないですが登りで…見えます? 壁みたいに延々と先まで続いてるんですよ」
運転席に座る高山が景色を見て、そう言った。
車体はその斜面を斜め方向にゆっくりと昇るように進んでいた。
「高山、自動運転を切って、真直ぐ上ってくれ」
「慣性航法の精度が落ちるって、ジェイに怒られても知りませんよ?」
そう言いながら高山は60式の進路をその壁のように見える斜面へと向ける。
60式のクローラーが砂を派手に飛ばしながら登っていく。
その砂丘のような頂上付近に達したとき、そこに広がる景色に圧倒された。
高山は60式を停車させて、思わず口に出す。
「何ですか…クレーター?」
60式の前方はやや急に落ち込む斜面。
上ってきた壁面はぐるっと円を描くように左右に続いている。
一面砂に覆われて何もない場所に、大きなクレーター。
まるで月面にいるのかと思うような光景だ。
「高山、多分ここが目的地だ」
磯谷がそう口にすると、後方から接近した他の車両も停車する。
「シンジ、そんなところで止めるな。斜面で後ろは大渋滞なんだぞ!」
ヘンドリックスの声だ。
その通信に高山が答えた。
「少佐。着きましたよ。ここが目的地だと思います」
M495-A2が60式の横に並んで停車する。
ヘンドリックスの声が続いた。
「想像はしていたが…実物を見ると圧倒されるな。シンジ、停めて正解だ。クレーターの中は外と環境が異なる可能性がある。
一度ここで確認を行うぞ。凧は上げられるか?」
「知っての通り長時間は難しい。幸い風が弱い。少しはマシかもしれん」
磯谷がヘンドリックスに答えると、ヘンドリックスは続ける。
「すまんが凧を上げてくれ。上空の大気の観測データと、クレーターの全容を確認したい」
「了解」
磯谷は凧を一機有線で上空に上げる。真直ぐ垂直方向に上昇させると、凧のカメラから空撮映像が入る。
周囲も一面の砂。
影を付ける程の陽の明かりは無いが、地表のコントラストは意外とはっきり確認できた。
その輪郭は緩やかに弧を描く。500m上昇したが、これが有線の限界だ。
全体を捉えることは難しい。
凧を左右にゆっくりと回して、その全容を捉えた後、磯谷は凧のケーブルを切り離した。
凧は上昇を続け、上空1000mを超えたあたりで、広角画像に全体が収まる。
弱いとはいえ風も吹いているようで、クレーターの対岸は霞んでいる。
左右は辛うじて分かる感じだ。
上空のデータも送られてくる。
10秒ほど静止させたのち、磯谷は凧を下ろし回収した。
「レーザーセンサーによる計測だと、直径は4000mから4200m程度。円形ですが、西側の壁面の方が高くなっているように見えますね。偏心した楕円形だと推測されます」
「情報は受け取った。ラボにも回しておく。とりあえず今後の方針を決めるための調査をする。
2時間ほどこの場で待機だ」
高山が報告するとヘンドリックスが答えた。
今すぐにすべきことはない。
「着いたんですね。予定よりも早く着いたはずですけど、なんだかすごく遠いところまで来た気がしますよ」
高山がそう言うと、赤石がデータを見て口にする。
「クレーターの内側の方が、少し気圧が高いね。外縁付近では上昇気流が生じているようだ」
「その風が嵐の正体ってことは無いですよね?」
「今のところなさそうだね。ここで吹いている風は嵐と呼ぶには弱い。嵐自体はもともとの偏西風あたりが原因じゃないかな。
中心付近は常に風が吹き下ろしているようだ。
まあ、酷いダウンバーストを見ているからね。ずっとこの程度の風しか吹かないとも言い切れないが」
高山の問いに赤石が答える。
磯谷は鹿児島で見た強烈なダウンバーストを思い出す。
あの風でも建物や一部の木々は残っていた。
だが、目の前には…ここに至る1000km以上の途中には何一つ残っていなかった。
ここで何かが起きた直後、ここは地獄と呼ぶにふさわしい状況であったろうことは容易に想像できた。
指揮官席の壁に触れる。
この60式も、強烈なダウンバーストから生き延びたのだ。
磯谷は無意識にポケットに手を入れ、カギを握っていた。
その場で2時間ほど調査が行われるが、問題は確認できなかった。
クレーターの淵、砂丘の頂上付近ということもあり、安定した場所に移動することになる。
線量をリアルタイムで測定しながら、今までの隊列で進む。
60式は戦車には及ばないが、ある程度の放射線対策がなされているので、今まで通り先頭を進む。
速度は時速5キロ。
2機の55式を有線で展開しての前進だ。
「55式、いります?」
高山が尋ねると、磯谷が答える。
「なくても大丈夫だろうな。だが目が増えるのは何かと有利だ」
物理的な視覚の話ではなく、センサーの測定ポイント、という意味だ。
通常であれば、センサー自体の能力も60式の方が高く、近い距離に55式を置く意味は薄い。
だが、センサーに干渉するような物質が多く存在する環境では、物理的に近いことが有利になる。
砂丘の頂からボウルの底へと滑り降りる。
「大きい割には浅い感じですね」
「もともとはかなり深かったのではないかな。舞い上がった砂が堆積してクレーターを埋めたと考えるほうが自然だと思うよ」
赤石がそう解説する。
緩やかな傾斜を下りながら中心方面に向かう。
1000mほど前進すると、傾斜はほとんど感じられなくなってきた。
「厳密には下っていますね…少し不思議な光景ですよね」
高山は周囲を見渡して、そう呟く。
360度砂。これはこの数日と変わらないが、その先々は砂の壁が存在しているように見え、砂に囲われた閉鎖空間がそこにあるように感じる。
「箱庭の中にいるようだね。いや、見渡す限り何もないから、箱庭というよりも箱の中だ」
赤石が高山に同意した。
さらに500mほど進むと、線量の上昇を検知する。
健康被害をもたらすレベルではないが、長時間滞在は推奨されないレベルだ。
協議の結果、ここから200mほど戻った位置にキャンプを設置することが決まる。
60式はこのまま中心方面へと偵察を継続することになった。
ゆっくりと進む60式。
線量の上昇は無いが、磯谷は奇妙な感覚に襲われる。
方向感覚に違和感があるというか、眩暈まではいかないが平衡感覚が狂っているような。
その原因が何かあるかもしれないと、60式のセンサーの情報を調べるが、原因になるようなものは見当たらない。
少し疲れが溜まったか。
そう思いヘッドセットを外して目を閉じる。
「二佐、この辺りがクレーターの中心ですね。
外縁までのレーザー測量を始めます」
「ああ、頼む」
幸い視界は良好だ。多少の霞があるが、この程度ならレーザー測量を阻害しないだろう。
高山と赤石がクレーターの壁までのスキャンを行っている。
基本的な情報として、これは重要だ。
先ほどの空撮画像とセットで解析することで、このクレーターの物理的な形状がはっきりする。
基本となる地図を手にすることになるのだ。
地味だが、誰かが行わなければならない作業。
このクレーターの調査における、最初の一歩を今刻んでいた。
同日16時
キャンプの設営がとりあえず終わっている。
3台の補給車両がきっちりと並んで停車し、その後方に補給車の上部に積載されていたユニットハウスが、車両後方に展開され、連結されている。
簡易医療施設、調理場、トイレとシャワーブースなどがあり、一定期間の滞在が可能なつくりだ。
そのすぐわきにラボカーも停車しており、ラボカーの上部に乗せられていたユニットハウスも展開して、その補給車のユニットハウスと通路で連結されている。
ラボカーのユニットハウスには、輸送車両から計測機器などが運び込まれていた。
「短時間で組み上がる、ちょっとしたホテルだな」
磯谷の言葉にヘンドリックスが答えた。
「2、3日の滞在ならなくてもいいだろうが、1週間程度は滞在する。移動の疲れも回復させないと、後に響くからな」
磯谷とヘンドリックスはその組み上がったユニットハウスの隅に陣取り、パッドを手に話をしていた。
「必要性は理解している。こういうところも米軍らしいなと思っただけだ」
磯谷は壁にかけられているダーツボードに視線を向けて言った。
「ほう、興味があるかね、イソガイ少佐。我々米軍は君のような人材を常に求めている」
「安っぽい勧誘CMみたいだぞ」
「そう言うな。俺は割と本気なんだぞ?」
「その話はまた今度な。メンテナンスのスケジュールを先に確認するぞ」
「イソガイは仕事ができるな。お前に任せてもいいか?」
「責任者はお前だ。給料分の仕事はしろ」
「責任者に向かって命令口調ってのはどうなんだ?」
「…60式の定時メンテナンスは、少し先の線量の高い場所で行った方が良いだろう。リスクを考えてキャンプ地から1kmほど離れたところで行う。
融合炉の部品交換を行うからな。線量は高くはないが、放射化した部品を一部交換する」
「メンテナンスに必要な、隔離用のシールドジェネレータは持ってきている。そこまで慎重にならなくても大丈夫じゃないか?」
「いや、1kmでも安全とは言い切れん距離だ。ただ、クレーターの外に移動するのは時間がかかりすぎるから避けたいし、60式を無防備な状態で単独で置くのは危険だ」
「敵なんていないだろう?」
「いないだろうな。だが、それを前提にはできん」
「ホント、お前は真面目だな」
「守るべきルールが存在するんだ。当然だろ」
「やっぱり、お前に任せるよ」
「…」
磯谷とヘンドリックスはその後も60式、XM604、そしてM495-A2のメンテナンスを行う順番を確認して、話を終える。
「とりあえずはこれで良しと。まあ、滞在中も暇ではなさそうだな」
「実力部隊は比較的暇だろう。補給や整備の担当者は移動時よりも忙しくなる」
「まあ、暇な奴らには忙しい連中の手伝いをさせるさ」
「まあ、まずは一勝負しないか?」
ヘンドリックスがダーツボードを見て磯谷に言うと、磯谷は口元を緩ませて答える。
「いいだろう。ただし賭け事は抜きだ」
「つまんねーやつ」
二人は席を立ち、ボードに刺さっていたダーツの矢を抜いた。
同時刻 ラボカー
「少し困りましたね。事前想定が甘かったというほかありません」
エルモアが機器の動作を確認してそう口にした。
地面の深い部分のサンプルを取るための小型の掘削ロボットが、ここの地面を掘り進むことができないのだ。
大型機器を持ち込めないので、このロボットを持ってきたのだが、地面の砂の粒子が細かく、外に砂を輩出してもすぐに流れ込んできてしまう。
結果、深くまで掘り進むことができないのだ。
「硬化ポリマーも持ってきてはいますが、量が足りませんね。地面に浸透させても、数十メートルが限度でしょう」
ガダッタが腕を組んでエルモアにそう言うと、エルモアは苛立ちを隠さずにガダッタに言った。
「クレーターの規模を考えたら1000m以上は下を確認したい。じゃないと落下した物質の残りなんて確認できないでしょ」
「そうは言っても…」
討論とも口論ともつかない会話の横で、澪は無言のままクレーターの立体測量図面を解析していた。
ぶつぶつと独り言を口にしながら、何かのシミュレーションを繰り返している。
「地表に対する突入方向は北北東から…最終的な衝突角度は70度前後。想定よりも深い角度で地面に当たった可能性が高い…」
黙々と一人で作業を続ける澪。
ハイマンが討論する二人に声をかけた。
「ジェシー、少し落ち着きなさい。君の専門からすれば落下した物体の破片を捜索したいのは分かるが、今回の調査規模では不可能だ。
他の視点から、出来ることを始めないか?」
「DR.ハイマン。そうおっしゃいますが、それを見つけ、分析するのが私の使命です」
「だから、気持ちは分かるが、我々はここで何が起こったのかを正確に調べるのが最大の目的だ。
未知の物質というのは我々のロマンを掻き立てるが、そこは少し我慢して、変性物質の採取と分析に注力してはどうだろうか。
結果的に既存では考えられない物質が検出される可能性もある」
ハイマンの言葉は正論でもあるし、エルモアもそれは理解できていた。
ただ、目の前に存在するかもしれない未知に対してのあきらめがつかない。
エルモアは、脇で何かをしている澪に声をかけた。
「ミオ、あなたはどう思う? この地面に埋まった未知の物質を見てみたいとは思わない?」
エルモアの言葉に、澪は手を止める。
そして向き直ってエルモアに言った。
「ジェシー。私も未知の物質が存在するなら、それを掘り当てたい―」
「あなたもそう思うわよね」
澪の言葉の途中でエルモアはそう言う。澪は一度言葉を止めたが、続けた。
「だけど、おそらく未知の物質は残っていない」
「そんなの掘ってみないとわからないじゃない!」
再びエルモアが言葉を重ねるが、澪は淡々と続けた。
「落下物が衝突した際のエネルギー量とクレーターの生成過程を計算した。
アナイアレーションの中心部のエネルギー量では、物質が原型をとどめることは難しい。あり得ないと言ってもいい。
だけど、初期の膨大なエネルギーに晒された部分が残っている可能性は高い」
「それにしたって、地下を掘らなきゃ確認できないでしょ?」
「そう。掘る必要はある。
仮定の仮定だけど、地表に衝突した際に一撃で出来たクレーターとは考えにくい。
シミュレーションでは、地表に衝突した後、対消滅反応を起こしながら垂直方向に移動したと仮定したほうが、現状のクレーターの生成に近い結果になる。
ハイマン博士。地下の初期調査を行いたい。
中心部からクレーター外縁まで約2キロの直線でいい。地表からのスキャンをするべき」
「ああ。その手筈は出来ているよ。中心部の線量が若干高いので、放射線防護のある車両でスキャナーを引いてもらうことになっている」
澪の言葉にハイマンが答えると、すぐにエルモアが会話に入ってきた。
「掘るのはどうするのよ?」
「もちろん掘る。
ただし、最初は外縁部。比較的浅い位置に、アナイアレーションの初期反応の残滓が確認できるはず」
「だとして、どうやって? まさかスコップで掘るって訳じゃないでしょ?」
「このクレーターが出来たのと同じ方法を使えばいい。幸い軍隊が同行している。
爆破して小さなクレーターを作る。そこから先は数十メートル掘れれば事足りるはず」
澪の言葉にガダッタが反射的に尋ねた。
「いや、現場自体を破損したら、今後の調査に問題が出るだろう。現状の環境は維持すべきだ」
「科学者としてはそのほうが正しいと思う。
でも、現実的にこの現場を次に調査するのがいつになるかは分からない。どのみち現状を維持はできない。
なら、今できる方法で、今ある証拠を確保すべき」
エルモアもガダッタもそこで黙った。
澪の言ったことは科学者の倫理観からは逸脱しているが、現実主義者の視点として正しいと思ったからだ。
「さあ。今できることは今しよう。滞在時間は限られているんだ」
ハイマンがそう口にして、それぞれが機器の確認や準備に戻る。
澪は再び端末に向かって、シミュレーションを続けた。
相馬澪は研究者としてもかなり異質だが、セオリーを押さえた考え方と、常識にとらわれない発想を持つ。
DIA(国防総省情報部)のリクエストに合う人物として今回推薦したが、とんだ逸材、いや、ある種の天才を見つけたのかもしれない。
ハイマンはそんなことを思っていた。




