第二十二話:空の穴
2167年5月1日17時 ロシア領・チタ西方100km付近
演習後の移動は取りやめ、少し長めの滞在となる。
予想した通り、研究者たちからの苦情が入り、落ち着いて車内の整備をする時間が欲しいということだった。
実際に中を見たわけではないが、輸送隊も戦闘を想定して回避行動を行っている。
研究車両の中で物が飛び散るであろうことは、容易に想像できた。
磯谷は昼食ののち、ヘンドリックスにこの地域が飛行できない理由を確認に行った。
通信ができず、高速移動のリスクが高いだけでなく、粉塵が高速回転する機構に大きなダメージを与えることも要因ではないか。
そう確認すると、ヘンドリックスは意外そうな顔をして答える。
「え。言ってなかったか?」
ヘンドリックスは今回の調査チームが陸路を行き、航空支援も一切ない。
60式が偵察用ドローンを使うことを、すっかり忘れていたらしい。
その言葉を聞いた磯谷は、何となくヘンドリックスらしいと感じ、話はそれで終わった。
夕刻になり、高山と赤石にそれを伝えると、赤石はさもありなんと納得した様子だったが、高山は今一つ納得していないようだった。
「少佐は優秀な方です。凧を失念していたというのは、考えにくいんですが」
そう口にする高山に磯谷は短く言う。
「仮に故意だとして、どれほどの影響がある?」
それは正論だった。
故意に伝えなかったのであれば、それが露見するような演習を早々にはしないだろう。
問題を発見するための早期演習で、伝達が落ちていたことが発見されたのだ。
疑う理由は消える。
「高山君、考え過ぎだよ。彼は頼りになると、私も思う」
赤石がそう言いながら高山の肩をたたきながら続ける。
「落ちた凧も無事に回収され、ローターの交換だけで済んでいるし、ローターも消耗品だ。問題にするほどのことはないよ」
そう言ってから、磯谷に向かって話し始める。
「磯谷君。60式の運転に関しては自動でも大丈夫だと言っていたね?」
「はい。有事には心もとないですが、通常の移動であれば」
「明日から運転は自動任せにしたい。私と高山君は夜間に作業をしたいのだよ。研究チームも夜間に作業をしているようだし。
55式改を使えるようにしたいんだ」
「確かに止まっている間は作業はできると思いますが、メンテナンステーブルを使うとなると、かなり気温が下がります」
「まあ、寒いのは我慢するしかないさ。防寒服を着込んで何とかするよ」
磯谷としては無理をすることはないと思うが、使える機体が増えるのは心強くもある。
「では、お願いします」
そう告げると赤石は大きく頷いた。
視界に入っていた高山の顔が冴えないのは、ヘンドリックスの件が腑に落ちないのか、夜間作業が嫌なのか。
「では少し早いが夕食を取ってしまおうか。今ならダイナーも空いているようだしね」
そう言うと赤石は高山を引きずるように歩いていく。
磯谷も立ち上がり60式に入ろうとした。
その時、野営地のはずれを歩く人影が見えた。
相馬だ。
地面から砂を採取しているようだった。
仕事熱心だな。
そう思ったが、すぐに自ら否定する。
好きでやっている、そのほうがしっくりくる気がした。
同日 21時
デルタの連中が先ほどまでは騒いでいたが、今は静かになった。
磯谷は指揮官席から、展開させている55式の情報を確認する。
キャンプから200mほどの位置を4機が巡回している。この距離なら制御が落ちることはまずないだろう。
静かなものだ。
今夜は風も比較的穏やかだ。
夜間は基本的にAIによる自動運用で、磯谷は眠る。
センサーに異常が確認されれば、叩き起こされる。
安心して眠れるはずだ。
静か……?
磯谷はリアルタイムのデータを確認してから、凧を1機上空に上げた。
凧からのリアルタイムデータも表示される。
「何かあったんですか?」
運転席のドアが開き、高山が言った。
凧が上がるのを見たようだ。
「外はかなり静かだ。静かすぎると思わないか?」
「確かに風はほとんど吹いていませんね。周囲に何かあるわけでもないですし、こんなものじゃないですか?」
磯谷はデータを見ながら天球をカメラで走査する。
画像解析データから3か所を決めて、通信用の指向性レーザーを発信する。
その反射を細かく計測した。
磯谷は確信を得る。
「ヘンドリックス! 返事をしろ! 聞こえないのか!」
通信をオンにしてヘンドリックスを呼び出す。
少し間をおいて返答があった。
「イソガイ。超過勤務手当は誰に――」
「通信可能と思われる上空の穴を発見した。ここからじゃ方向的に衛星との通信は難しい。
60式は今動かせん。495でも604でもいいから、急いで移動させろ。西北西2.3kmの地点。急ぐんだ!」
そう言い終えると、返事はないまま、密集して停車している最後尾のM495-A2が移動を始めた。
磯谷は通信を切る。上げていた凧を戻してから、ふう、と一つ大きく息を吐いた。
するとすぐに通信機が鳴る。
「ヘンドリックスだ。今指定された地点に向かっている。状況を教えてくれ」
「大気の安定性がこの二日間で最も高い。かつ地上の嵐が収まっている。凧を下ろしたから、上空の条件は継続しての観測はできん」
「よく分かったな」
「半分は勘だ。レーザー通信の拡散状況を見てみたら、拡散しない地点が一つあった。それだけだ」
「なるほど……OK。こっちでも確認できた。目的地点まで2分を切った。これが外れだったら、超過勤務はお前に請求する」
返事をせずに通信を切る。
あとはヘンドリックスに任せればいいだろう。
再び静かになり、磯谷はポケットに手を突っ込む。
そしてそこにある小さな金属片を握りしめ、目を閉じる。
再び通信機からヘンドリックスの声が聞こえてきた。
「ビンゴだイソガイ! これで明日もご機嫌なドライブだ。先生方には先に言っておかなきゃな」
「……そうだな」
短く返事をし、通信を切る。
そして再び静かに目を閉じた。
2167年5月6日 正午ごろ ロシア領・イルクーツク北方、ハラザルガイ付近(チタよりおよそ600km西方)
座標の確認ができた次の日はほぼ全速力での移動。
平均時速は50kmを上回り、その日だけでも400km近く移動した。
だが、翌日からは酷い嵐に見舞われる。
西風が中心ではあるが、時に急激に風向きは変わった。
風速60mともなると、時速5km程度の移動も困難だ。
地表付近の嵐がある状態では、通信の回復は見込めない。
低速移動時は移動しながらの上空監視を行う予定になっていたが、それもできぬまま4日目となっていた。
磯谷は55式2機を車体の上に乗せた状態で、周囲の観察を続けている。
だが、100m先ですらちゃんと確認できるか怪しい状況だ。
「この風になると55式は速度を維持できない。この辺も考え直す必要があるな」
磯谷が指揮官席から言うと、高山が答えた。
「この風の中で襲撃なんて無理でしょう? 視界はないし、レーダーやセンサー類も役に立たない。時速5キロでも移動するほうが無謀ですよ」
強すぎる風の影響で二日ほど夜間作業を中止していたので、昼間にもかかわらず高山は元気だ。
赤石はシートを少し倒して眠っている。
「五里霧中だな」
思わず口からこぼれる。
この先、こういう状況が多いだろう。
これよりひどい状況なら、足止めも覚悟せねばならない。
陸路の移動が始まってからまだ1週間だが、順調すぎたと考えるべきだ。
「途中でバイカル湖を超えてるはずなんですけどね。淡水の2割があるって言われる湖ですよ? それにまったく見えなかったなんて」
高山が役に立たない地図を見ながらそう口にする。
これだけ乾燥している状況だ。湖が干上がるのにそれほど時間は必要なかっただろう。
一瞬で消えた可能性すらある。
この先に環境を激変させた何かがあるのは間違いないのだろう。
研究チームからも、これといった報告は今のところなかった。
おそらくしばらく新しい発見はないだろうと思う。
調査隊の目的地は落下地点付近。
そこでしか得られない何かがあるはずだ。
13時過ぎに休憩を取り、今日の夜間の野営はせず、夜間行軍を行うことが決まった。
これは進行を早めるためではなく、遅らせないための措置だ。
夜間の停車中に砂に埋もれると、出発まで余分に時間がかかる。移動していれば埋もれるリスクは低い。そう判断した結果だった。
2167年5月6日 13時30分 ロシア領・イルクーツク北方、ハラザルガイ付近
ラボカーの中は静かだった。
3人の研究者は黙々と解析結果を眺め、AIとの推論対話を続けている。
AIの推論能力は十分高いが、一方で一つ飛ばしの仮説を立てるのは得意ではない。
一見関連性のない事象の関連性を指摘されれば検証できるが、指摘できないのがAIの最大の弱点でもあった。
予見性において人間の優位は変わらないし、それを埋めるための道具としてのAIは極めて優秀。
餅は餅屋、というやつだ。
「特に目新しいものは無いわね。未知の物質はまだ遠い先の話ね」
朝に採取した土壌サンプルの分析を確認してから、エルモアが口にする。
彼女の専門からすれば、退屈極まりない毎日が続いていた。
初日こそ、核融合・分裂に依らないと推測できるデータが取れたが、その後はそれを裏付けるデータしか出ない。
つまり代わり映えがないのだ。
澪とガダッタは、AIを交えた議論を繰り返している。
「ねえ、ミオ、エジモ。私もそっちに混ぜてよ」
エルモアがそう声をかけると、ガダッタは肩をすくめながら答える。
「ジェシーは物理シミュレーションは好きじゃないって言ってたじゃないか」
「退屈で死ぬよりマシ。何かわかったの?」
エルモアの問いかけに澪は画面を見たまま答える。
「計算が合わないってところまでは分かってる」
その言葉にエルモアは少し落胆した様子だった。
「結局何もわかってないってことじゃない」
「いや、これは重要な手がかりだよ。衝突したのが反物質だったと仮定して、衛星でのガンマ線量から計算してみたんだが……
対消滅を起こした質量は500〜800㎏なんだ」
「事前の情報では1トン以下って話じゃなかった? 大筋で合ってると思うんだけど」
「いや、対消滅だからね。反物質の量はその半分ってことになる。つまり250〜400㎏程度だった。これは1トン以下って基準からは離れすぎている」
「衛星からのデータによる推測だったら、そんなものじゃないの?」
ガダッタの説明に納得がいかない様子のエルモア。その会話に澪が言葉を付け加えた。
「衛星から観測した飛翔体のデータに重力異常を含む間接計測に必要なデータも含まれていた。
その情報では対象物の質量は920㎏程度と推測されている。多分これは正しい」
「つまり反物質とは別の質量がそこにあった、ってことね?」
「そう考えるのが自然。反物質が大気圏に入ってからすぐに反応していない理由にもなる。
それに、もう一つ面白いものを見つけた」
「面白いもの?」
「重力計測結果を再検証して、飛翔体の分布を確認した。
対象が小さいから、精度を欠くのは事実だけど、それでも計算が合わない」
「それは計算誤差、ってことじゃないの?」
「誤差はあると思う。正確ではない。だけど、飛翔体が単一質点と仮定すると存在自体が怪しくなる。でも現実に存在している。
これは計算誤差でも考えにくい。
飛翔体そのものとは別に、重力源が存在する方が自然」
「計算方法が間違っているってことは?」
「検証してみたけど、問題は多分ない。
計測方法や、計算方法に間違いがある可能性も排除できない。だけど、私たちの知らない重力を生む何かが存在する可能性もある」
澪の言葉にガダッタが続ける。
「我々の知識では反物質を封印することはできない。技術的に可能でも実際には反物質の塊を作れない最大の理由だ。
仮説の仮説って域を出ないが、それを可能にする物質や技術が存在するとすればどうだろう?」
「未知の知的生命体がそれを作った。飛躍してる話。
だけど、少なくともこの飛翔体は意図的に地球に接近している。
排除するのも、難しい」
澪が再び話を受け取り締めた。
「つまり……宇宙人がいて、しかも我々の理解を超える技術を持っているってこと?」
「あくまでも仮説だよ」
「偶然にGate-07が再稼働し、偶然飛翔体が飛んできて、偶然進路を変え、偶然地球に接近した。それもきっちり0.1C(光速の1/10)で飛行して。
そう考えるよりはマシに思える」
「ちょっと待って。その推論が成立するとして、本国でも同じような可能性は検証されているんじゃないの?」
エルモアが別の角度からの疑問を口にする。
澪は変わらず淡々と、答えた。
「多分、その通り。だから私たちが選ばれ、現地調査に向かっている。
それを裏付ける情報を欲しがっている。筋が通る話。これは私たちに与えられた腕試しか、暇つぶし」
そう澪が言い終えたところでハイマンが戻ってきた。
「酷い風だな。遅々として進んでいない。みんな悪い知らせだ、今夜は夜通し……どうした?」
ハイマンは途中で言葉を止める。
3人の視線が少し険しいものに感じられたからだ。
エルモアは姿勢をハイマンに向き直って尋ねる。
「現在のところ、調査に進展はないです。ですが、私たちは非常に興味深い議論をしていたところです。
DR.ハイマン。
あなたは公式の見解ではないにせよ、今回の事故に地球外の知的生命体が深く関与していて、しかもその技術が反物質を核とした我々の知らない技術である。
このことをどのくらいご存じでしたか?」
ハイマンは息を吐いて話し始める。
「今の君たちと同程度だよ。君たちもそうだとは思うが、確証には至っていない。
だが、その確率は高い。これは政府も同じ見解だ」
「だったら何故、それを最初から開示しなかったんです?」
ガダッタが続けて問う。
「結局のところ同じだと思ったからさ。
結論に達するデータを用意してある。それから君たちが同じ結論に達するのは時間の問題だよ。
隠すつもりがあったわけではない。科学者というのはそこにある事実を信じる生き物だ。
君たちはデータからその結論にたどり着いた。それで十分ではないかね?」
ガダッタとエルモアはそこで黙る。
確かにその通りだと思ったからだ。
最初から宇宙人の仕業だ、と言われて信じられるかと言えば、結局同じようにデータの解析を行っただろう。
「いい暇つぶしにはなった。連日の分析から、もっと現場に近づかない事には必要なデータは得られないと思う」
澪の言葉にハイマンは笑いながら答えた。
「その通りだとは思う。退屈しない程度にもう少し待ってくれ。現場に着いたら寝る間も惜しんで調べなきゃいけなくなる。待つのも仕事の内だ」
ハイマンの言葉に3人は頷いた。
これが意図されて起きた事態なら、何度でも起きる可能性がある。
これは事故とは言い切れない。
その事実は想像以上に重く感じられた。




