第43話 黒き剣の鼓動
「……やっぱり、ただの剣じゃねぇよな」
柄を握った瞬間、皮膚の奥まで沁み込むような冷たさと、心臓を打つような鼓動が伝わってきた。
淡い青の光が刃先を走るたびに、まるで呼吸を合わせるように心臓が跳ねる。
「遼くん、ほんとに持つの? なんか危なそうだよ?」
優奈が眉を寄せて覗き込む。その瞳は、好奇心と不安の間で揺れていた。
「庁スマホで撮っても情報出ないんだろ? 掲示板で見た。“未登録装備=呪具”って噂、マジかもな」
悠馬の声は震えていた。握った盾の手が汗ばんでいるのが見える。
――無理もない。ついさっき、矢の雨で死にかけたばかりなんだから。
「逆に言えば、そんなリスクを超えた先にある武器だ。強くないわけがないだろ」
俺は軽く肩をすくめた。
「いや、それ絶対フラグ……」
悠馬の言葉を聞き流し、俺は小剣を腰に収めた。
妙なことに、重さも握りも完璧に馴染んでいる。まるで――最初から俺のために造られたみたいに。
休憩所を出て再び進むと、回廊の景色が変わった。
壁に埋め込まれた鉱石が淡く光を放ち、床には古代文字のような模様が浮かんでいる。
薄い霧が足元を這い、空気が静かに震えていた。
「ねぇ、これってデートスポットにしたら人気出そうじゃない? 照明ロマンチックだし」
「おいおい、命懸けの場所で言うセリフか?」
「ふふ、緊張してるときこそ笑っとかないと。ね?」
軽口の裏で、彼女の指先はしっかりと杖を握りしめていた。
「……お前ら、ほんとに緊張感ないな。俺、まだ手が震えてるんだけど」
悠馬がため息を漏らす。
緊張感がなく不思議と俺には恐怖もなかった。
むしろ、血が騒いでいた。
(もっと強い相手と、戦いたい)
そのときだった。
奥の闇がうねり、床が地鳴りのように揺れた。
「……来るぞ」
現れたのは、背丈4メートルを超え石の天井に届くほどの巨体。
灰緑色の皮膚、膨れ上がった筋肉、鉄の棍棒を握りしめた――トロール。
「なっ、トロール!? 上層に出るやつじゃねぇのかよ!」
悠馬の声が裏返る。
「下がってろ。俺が前に出る」
小剣を抜くと、漆黒の刀身が淡い青の光を放った。
空気がピンと張り詰める。
トロールが咆哮を上げ、巨腕が振り下ろされた。
轟音。床が割れ、破片が飛ぶ。
悠馬が盾で受けようとするが――。
ガギィィィン!!
金属音と共に、盾が粉々に砕け、悠馬の体が宙を舞った。
「悠馬っ!」
優奈の悲鳴。
だが俺は動じなかった。代わりに、冷たい光が脳裏に浮かぶ。
(――アビリティジャック)
《発動条件:敵の瀕死確認》
……まだ使えない。なら、力でねじ伏せるしかない。
「行くぞ!」
俺は小剣を構え、一気に踏み込んだ。
驚くほど軽い。腕の動きが意識より先に走る。
刃が皮膚を裂き、青白い光が爆ぜる。肉を焼く臭い。
巨体がのけぞり、棍棒を振るう――が。
「見える……!」
視界に、攻撃の軌道が光の線として浮かんだ。
俺は反射的に刃を動かす。
カキン!
棍棒の軌道が逸れ、地面に叩きつけられる。
優奈が息を呑む。
悠馬は膝をつきながら、その光景を呆然と見ていた。
《アビリティジャック――発動条件達成》
《ターゲット:トロール》
《発動確認》
「――もらうぜ」
小剣を突き立てる。光が閃き、巨体が崩れ落ちる。
《発動――対象スキルコピー》
《獲得:身体能力強化》
熱が走る。筋肉がうねり、視界が鮮明になる。
力が溢れる――いや、“満ちてくる”。
まるで世界がスローモーションになったかのようだ。
「はは……! なんだこれ、体が軽い……!」
思わず笑いが漏れた。
トロールの死骸の前で、優奈が俺に駆け寄る。
彼女の杖の先から緑の光が溢れ、悠馬の身体を包み込む。砕けた骨が音を立てて癒えていく。
「……助かった。ほんとに、死ぬかと思った」
悠馬は震える手で額の汗を拭う。
「遼、あんな化け物を……一人で……」
「大丈夫か?」
「……ああ。でも、もう一発でも食らってたら終わってた。マジで怖かった」
その顔に刻まれた恐怖は、戦場よりもリアルだった。
俺は何も言えなかった。
ただ、胸の奥が少しだけ重くなった。
「でもさ!遼くんがいれば大丈夫! だってトロール一人で倒しちゃったんだもん!」
優奈が無邪気に笑う。
彼女の言葉は明るくて、眩しくて。
だが悠馬はその笑顔を横目で見て、わずかに眉を寄せた。
笑えない――そんな表情だった。
戦闘を終えた俺たちは、五階層の休憩所へ着いた。
転移陣を抜けた瞬間、まるで高級ホテルのラウンジみたいな空間が広がる。
柔らかい照明、革張りのソファ、そして香ばしいコーヒーの匂い。
「わぁ! ケーキある!」
優奈が弾むように駆け寄り、トレーにショートケーキを乗せる。
紅茶を注ぎながら、嬉しそうに席に戻ってくる。
「……ダンジョンの中とは思えないね」
頬を染めて微笑む彼女。
その姿は、戦場ではなく日常の中にいるようだった。
俺はコーヒーを一口。苦味が喉に残る。
悠馬は無言で水を飲んでいた。
手がまだ、わずかに震えている。
「悠馬、無理すんなよ」
「……平気だ。けど、もう少しだけ休ませてくれ」
視線は俯いたまま。
恐怖と無力感――その二つが混ざった表情だった。
そんな空気の中で、優奈がふと俺を見つめた。
「遼くん、ほんと頼りになるよね」
柔らかく、少し熱を帯びた声。
その一言が、静かな空間に落ちた。
(お、おい優奈……悠馬がいる前でそれ言うなって……)
心の中で焦る。だが優奈は気付いていない。
むしろ、照れくさそうに笑っていた。
悠馬の手が、グラスの水面を揺らした。
その指がわずかに力を込めたのを、俺は見逃さなかった。
(……やばいな、これ)
戦いの後に訪れた静寂は、平穏じゃなかった。
それぞれの胸に、違う「ざわめき」が渦巻いていた。
俺はそっと小剣に目をやる。
青い光が、まだ脈打つように瞬いていた。
まるで、それ自体が“生きている”みたいに――。
次の階層へ向かう前の沈黙。
優奈の笑顔も、悠馬の視線も、どこかぎこちない。
そして俺自身も、心の奥で気づいていた。
――この剣は、ただの力じゃない。
使うほどに、何かを削っていくような……そんな嫌な感覚が、確かにあった。
それでも俺は、剣から手を離せなかった。
奇妙なほどに、この“黒き刃”が心地よかったのだ。
(……次も、俺が前に立つ。もう誰も、死なせねぇ)
そう誓った瞬間、小剣の青光が静かに明滅した。
まるで応えるように――。




