第28話 制度という名の正義
白一色で塗られた会議室。
壁も、机も、照明も、すべてが無機質で――まるで「現実」を拒むようだった。
正面の大型スクリーンには、冷たいログデータが並ぶ。
> 【探索時間:2分28秒】
【パーティ名:蒼真班】
【死亡数:1/4】
無機質な音声が報告を読み上げるたび、室内の空気がさらに凍りつく。
「……二分二十八秒。」
報告を受け取った九条悠紀は、書類を閉じて淡々と呟いた。
その声は、まるで機械の出力値を確認しているかのように感情がなかった。
「耐久試験としては、優秀なサンプルだ。」
「……試験?」
神谷礼司が眉を寄せる。
現場の管理官らしく、スーツの袖口にはまだ泥の痕が残っていた。
「九条さん、それ、人間なんですよ。」
九条は小さくため息をついた。
「現実的に言えば、死者一名につきデータ千件分の価値がある。
我々は“命”を研究している。綺麗事だけで運営できる組織ではない。」
「……なるほど。命の数え方まで、統計的ですか。」
「合理的、という言葉を使ってほしいな。」
会議室の片隅で、小柄な女性――笠原理沙が小さく身を縮めた。
新任の分析官。まだこの“世界の温度”に慣れていない。
「……あの、九条局長代理。質問、いいですか?」
「どうぞ。」
「蒼真さんたちは……“志願”して潜ってるんですよね? 無理に行かされたわけじゃなくて。」
九条は迷いなく頷いた。
「そうだ。国家は“機会”を与えた。選んだのは彼ら自身だ。」
理沙の唇が震える。
だが、九条の冷静な声がその感情をすぐに押し潰した。
「我々の制度は“自発参加制”だ。自己責任の原則に基づいている。
――それが、法の下の平等というやつだ。」
神谷が苦笑した。
「自己責任、ね。
便利な言葉ですよ。現場の奴らは、“講習通りなら安全”って信じてる。
まるで庁が守ってくれると思ってるんです。」
「信仰がなければ、あの世界には入れない。」
九条は、まっすぐに言い切った。
「……信じさせるのもまた、制度の役割だよ。」
沈黙。
冷たい蛍光灯の下、時計の針の音だけが響いていた。
「……“死を利用する制度”なんて、皮肉ですね。」
笠原が小さく呟くと、神谷が彼女をかばうように椅子を回す。
「お前、まだ若いからな。最初はみんなそう思う。
“なんでこんなシステムで人を潜らせるんだ”って。」
「じゃあ、慣れたら……感じなくなるんですか?」
神谷は一瞬、言葉を詰まらせた。
「――感じるさ。けど、止められない。
俺たちが止めた瞬間、誰かが代わりに潜る。
だから庁は、“仕組み”を維持するんだ。」
九条は静かに席を立ち、モニターを切り替える。
映し出されたのは、数千人分の探索者データ。
生体波形、脳活動、スキル適合値――全てリアルタイムで管理されている。
「見ろ、神谷君。これが“庁の正義”だ。
この国の安全は、彼らの死によって支えられている。」
「……皮肉にしか聞こえませんね。」
「皮肉でも、現実だ。
理想を語るなら、政治家に転職するといい。」
神谷の表情に、わずかな怒りが滲んだ。
だが九条はその反応を楽しむように、わずかに笑った。
「――怒りが出るうちは、まだ人間だ。」
会議のあと、神谷は庁舎地下のモニター室へ向かった。
壁一面のモニター群が青白い光を放ち、AI管理システム《EIDOS》が稼働している。
「……主任、また徹夜ですか?」
オペレーターの青年が声をかけた。
神谷は苦笑して肩をすくめる。
「寝ても夢が悪いんだよ。現場の報告ばかり見るからな。」
モニターには、新規登録者のデータが並んでいた。
その中に――白鳥亜里沙の名前。
「ん……?」
神谷が画面に目を凝らす。
生体波長グラフが、他の探索者と明らかに違っていた。
「おい、これ……何だ、このピークは。」
「波長データが異常です。」
オペレーターが操作を止め、真顔になる。
「通常の探索者適合値を大幅に上回っています。
特に“護光”の共鳴値が……規格外です。」
「護光……? まさか。」
神谷の視線が、グラフの波を追った。
その波形――去年、彼が見た“ハチ号被験体”と酷似している。
(……またか。まるで、あの時の再現だ。)
> 【EIDOS:警告】
《共鳴波長・異常値検出。被験体:白鳥亜里沙/隣接観測:藤堂遼》
「共鳴……?」
神谷は息を呑んだ。
胸の奥に、嫌な予感が渦を巻く。
その夜。
九条は白い会議室に一人残っていた。
窓の外では、遠くのゲートが青白く輝いている。
まるで“異世界”が、すぐ向こうにあるかのように。
机の上に、一冊の古いファイルが置かれていた。
【研究報告書:共鳴現象・被験体α】
【氏名:如月 澪】
【状態:行方不明】
九条は書類を開き、静かに指先でなぞる。
「二発で死ぬ命。だがその中から、時に“奇跡”が生まれる。」
ガラス越しに見える街は、深夜の光に満ちていた。
人々は誰も知らない。“地の底”で何人の命が失われているかを。
「庁は奇跡を待っているだけだ。
人間が“限界”を超える、その瞬間を。」
彼の瞳に、一瞬だけ哀しみが宿る。
だがすぐに、それも無表情に戻った。
午前0時。
モニター室のAI《EIDOS》が自動で報告を吐き出す。
> 【監視対象:白鳥 亜里沙】
【共鳴波長:安定】
【隣接対象:藤堂 遼(観測候補)】
【備考:波長干渉の兆候あり――共鳴発現の可能性】
神谷はコーヒーを片手に、それを眺めていた。
「……また“共鳴”か。
どうして庁は、未観測値をそんなに恐れるんだ?」
背後から通信音が鳴る。
スピーカー越しに、九条の低い声が響いた。
> 「恐れるのではない。観測するのだよ――神谷君。」
「人間の進化は、常に“犠牲”の上に成り立つ。」
神谷は苦い顔でモニターを見つめる。
そこには、遼と亜里沙の波長データが淡く交差していた。
「……犠牲、ね。
じゃあ今度の“光”は、どっちを照らすんだろうな。」
彼の呟きを、AIが静かに記録した。
> 【EIDOS:ログ保存完了】
――“共鳴体”観測開始。
白い会議室に、再び無音が戻る。
しかし、その沈黙の奥で――確かに“何か”が動き始めていた。




