第22話 出たとこ勝負のヒーロー!
ベッドの上でスマホを枕にしていた藤堂遼は、布団に潜ったまま思考実行フェーズへ移行した。
昨日の電話。
真琴の刺々しい声。
白石玲奈の地雷ワード。
ルナストーンの「1」「2」「0」「万」という桁の多さに対する羞恥と誇り。
全部がぐるぐるぐるぐる混ざり合って、遼の脳内はカオスのフェスティバル状態だ。
(やべえ。真琴ルート、危険信号点灯だ。白石さんに武器屋紹介頼んだら“玲奈END”一直線で、俺の真琴ルートが消滅する未来にワープする)
いつの間にか、遼の頭の中はギャルゲーの分岐図になっていた。
画面中央にでっかく赤文字で「WARNING:香坂 真琴ルート消滅の危機」と出る。
背景ではファンファーレとバッドエンド専用の暗転演出。
遼はそれを見て、真剣に手の平を合わせた。
口には出さないが内心はもう「主人公ムーブ」全開だ。
(俺は物語の主人公だ。ここで白石ルートに流れたら俺の物語は恋愛面でグダる。いや、それ以前に真琴先輩と気まずいままなのは死活問題。ここは一つ、出たとこ勝負で大学に行って直接謝る――いや、仲直りをしに行くしかねぇ!)
決意表明はいつだって主人公を勇者に変える。
遼は布団にもぐったまま叫ぶように言った。
「よし、行くぞ! 俺、出たとこ勝負で真琴先輩に会う!」
叫んだ後で冷静になると途端に胸がばくばくする。
頭の中では少年漫画的BGMが鳴り、彼の顔にはどこか無駄に輝く汗が滲んでいる。
だがその汗もすぐに笑いに変わる。
自分のことを自分で気持ち悪がりながら、遼は服を無造作に掴んだ。
朝の下宿街は夏の残り香を含んだ冷たい空気が流れている。
大学までは歩いて十五分。
最短ルートを選びながら、遼は頭の中で何度もシミュレーションを繰り返す。
「シミュレーション開始。パターンA:真琴先輩、冷たい→俺が素直に謝る→彼女が不満を吐く→和解。パターンB:真琴先輩、冷たい→俺がヘタに弁明→逆に怒られる→BAD。パターンC:真琴先輩、突然デレ→俺、心臓止まる」
「なにこの妄想スクリプト、RPGのサイドクエストかよ!」
口に出すと気持ちが少し楽になる。
遼は自分でも馬鹿だと思いながら、でも不安があるのは事実だ。
真琴の「棘」は怒りだけでなく、嫉妬や不安から来るものだと薄々わかっている。
ならば正面から行くしかない。
彼はその確信を胸に、大学の正門へ向かって足を早めた。
キャンパスに入ると、いつもの学び舎の空気が広がる。
講義棟、カフェ、噴水、サークルのポスター。
日常の景色がそこにあって、それだけで安心する部分もある。
だが今日は違う。
遼にとって大学は「出会いの舞台」だ。彼の主人公モードはビルドアップを続ける。
(おっと、ここで女神出現の演出! BGMを少しボリューム上げろ!)
本当にボリュームを上げるわけにはいかないので、遼は深呼吸をして校舎の入口をくぐる。
そこから講義棟の廊下を抜け、真琴のいつもの居場所――図書棟横の資料室前のベンチへ向かった。
彼女がよくいると聞いた場所だ。
ここで会えれば最高。
もし会えなければ、近くで待ち伏せるか、メールで呼び出すか——そう、出たとこ勝負は臨機応変が命。
ベンチに着くと、真琴はもうそこにいた。
黒髪をすっきりと結い、眼鏡を軽く押し上げてあたりを見回している。
資料を一冊抱えた姿は、授業の合間に何かを調べている研究者のように見える。
遼の胸は再び小さく跳ぶ。
目の前にいる彼女は、電話のときよりもさらに冷静で、なにより“近い”。距離が縮むほど、言葉の重みを実感する。
(あ、これが“ヒロインの前に立つ主人公”のやつだ。多分、ここで背伸びして格好つけるか、素直に謝るかの選択だ。選べ、遼)
遼は胸のポケットに手を入れ、思い切って近づいた。
靴音がカラカラと廊下に響き、真琴の顔がこちらに向いた瞬間。
目が合う。
あの冷たい瞳に見られると、気持ちが一気に露出するような感覚がある。
「真琴先輩」
呼びかけは声にならない気合だった。
真琴は一瞬眉をひそめたが、すぐに淡々と返す。
「……藤堂。こんなところで何をしているの?」
「話がしたくて――それだけです」
遼はまっすぐに言う。
嘘をつく理由はない。
彼は素直に、真琴の顔を見て謝りたかった。
電話では伝わらないものがある。
直接見て、表情を確かめたい。だから来た。
真琴はしばらく遼を観察するように見ていた。
資料と彼の間に一定の静寂が流れる。
周囲の学生たちの気配が二人を包む。
誰もが何かを察してちらりと視線を寄せる。
遼は急に恥ずかしくなるが、ここで引くわけにはいかない。
「で、今日の用件は?」
返答の冷たさは電話のときと同じだが、遼はどこか真琴の眼差しにかすかな心配を読み取った。
あの“棘”は本当に彼を心配しているからこそだという、前回の直感がここで姿を表す。
「白石玲奈さんのこと……あの、迷惑をかけて、本当にすみませんでした。あと、昨日は浴室で倒れてしまって本当に――」
遼の言葉は途切れ途切れだ。
真琴は腕を組んで、じっと彼を見つめる。
言葉を吐き終えると、意外なことに真琴がふっと笑ったように見えた。
笑いと呼べるほどではないが、口の端がわずかに緩む。
「大げさに謝る必要はないけれど、礼は言いなさい。白石はあなたを運んだのは善意でやったと言っていた。あなたはまだ子供よ」
「子供って言うなよ!」
遼は反射的に抗議してしまう。
真琴は目を細め、からかうように軽く言った。
「そうね。あなたは“英雄気取りの大学生”ってところかしらね。でも英雄気取りは勝手にやると怪我をするわよ」
「はい、わかってます!」
遼は元気よく返す。
胸の中は少し軽くなっていた。
直接会って伝えると、電話のときのぎくしゃくした空気が和らぐ。
だが簡単に和解できるほど、この関係は薄っぺらくない。
真琴の鋭い言葉はまた跳ね返ってくる。
「で、ルナストーンの話はどうするの? あなたがそれを売って武器を買うって話だったわよね」
遼の頬が一瞬赤くなる。
ここで彼はあの“致命的な選択”について、正直に言うべきかと考えた。
白石に頼めば早い。
だが白石に頼ったら真琴への距離が縮まらない気がしていた。
主人公脳の遼は、悩みぬいた末に決めた。
「真琴先輩、その……正直に言うと、俺、最初は白石さんに頼もうかとも思った。でも、そんな簡単なルートで済ませたら、俺の物語が――真琴ルートが消える気がしたんです」
言い切った後、遼は自分の口臭と発言の恥ずかしさで顔をしかめた。
ところが真琴は口元に笑みを浮かべて、少しだけ目を細める。
そこには先程の電話とは違う、苛立ちでもなく優しさでもない、妙な柔らかさがあった。
「あなた、馬鹿ね。自分の物語をそんなふうに図式化するのは滑稽よ。けれどその滑稽さが、あなたの真面目さを示しているのかもしれない」
「え、褒めてるんですか?」
「褒めてはいないけど、考えているのはいいこと。で、結論は?」
真琴が素っ気なく問い返す。
遼は深呼吸をして、真剣な目で彼女を見る。
「だから。真琴先輩に直接お願いしたいんです。武器屋じゃない。仲直りしたい。真琴先輩と、ちゃんと話して、謝って、仲良くなりたい。そしたらきっと、できることが増えると思うんです」
真琴の目が少しだけ驚きを含んで見開かれた。
遼の言葉は不器用だが真摯だった。
周囲の学生たちも、二人の微妙なやり取りに気づいて声を潜める。
真琴は一瞬沈黙したあと、軽く鼻を鳴らした。
表情は冷たいままだが、その声は確かに柔らかい。
「仲直りしたい、ね。簡単に言うけれど、行動が伴わないことには意味がないわよ。口だけなら誰でもできる。あなたはこれからどうするつもり?」
遼は迷わず答えた。
「まずは訓練をちゃんと受けます。真琴先輩が“見守れる”と思えるくらいには強くなります。で、白石さんには礼を言って、ちゃんと説明します。全部、俺がやります」
真琴はそれを聞いて、短く一度だけため息をついた後、視線を外して空を見る。
しばらくの沈黙のあと、彼女は低く言った。
「……分かった。じゃあ、約束よ。あなたが本気で取り組むなら、私もまあ、面倒を見る。けれど、私の“面倒を見方”に口出しは無用。白石には手を出さないこと。分かった?」
「分かりました、絶対です」
遼は両手を胸に当てて誓う。
真琴は、表情を崩さずに小さくうなずいた。
それは形式的な合意に見えたが、遼にはその中に温かい光が差し込むのを感じた。
「じゃあ、今日はここで解散。次に会うときは、ちょっとは成長していること。そんなに大げさな変化でなくていい。ちょっとだけでもね」
「はい! 約束します!」
二人はその場で軽く会釈をし、離れた。遼の中には妙な高揚と安堵が混じっていた。
真琴の棘はまだ残っている。
でも、直接会って謝ったことで、確かに何かが動いた。
物語の分岐図の赤文字は少し薄れ、代わりに「CONTINUE」という青い文字が差し込まれたような気がした。
歩きながら遼はうるっとした気持ちを押し殺す。大学の空気はいつもと変わらないが、彼の視界には真琴の背中がいつまでも残っている。
彼女が振り返ることはなかったが、その背中が何よりの合図だった。
(まずは一点成功。次は訓練と白石さんへの礼。よし、やるぞ。俺、ちゃんと主人公やる!)
その日、遼は軽やかでもあり、少し緊張した一歩を踏み出した。
真琴ルートは消えていない。
むしろ彼の行動次第で、もっと厚みのある「ルート」になるはずだ。
胸の内の小さな火は、真琴の棘で鍛えられて、少しだけ強くなっていった。




