第21話 ツン先輩と、世話焼きヒロインの間で
深夜でもない、けれど昼間でもない、微妙に曖昧な時間帯だった。
学生寮の窓から差し込む午後の光が、机の上の紙片とスマホの表面をぼんやりと照らしている。
藤堂遼はベッドに仰向けになり、スマホを片手にぽつんと身を置いていた。
身体はまだ回復途中だ。
浴室で意識を失ったせいで頭が重く、服の端にはまだ戦いの泥が残っている。
だがそれよりも、心を押すのは一種のはにかみと緊張だった。
遼は、誰かに声を聞いてもらいたいだけだった。昨日のことを順序だてて伝えるべきだろうか。
礼を言うべきだろうか。
あるいは、ルナストーンのことをどう話すべきか。
思考はうろうろと寄り道する。
結局、指先は真琴の名前に触れ、ためらいなくタップしていた。
発信の丸いアイコンが光る。
呼び出し音が一回、二回。
ベッドの上で、遼は小さく息を吐いた。
「ピロロロロロ……」
三回、四回。
呼び出しのリズムに合わせて、心臓の鼓動も高鳴る。
いやらしいほどに期待しているわけではない。
だが、向こうの声を聞くことで自分の言葉の重さを確かめたかっただけなのだ。
誰かに自分が無事だと確かめてほしい。
誰かに、昨日の出来事で迷惑をかけたかもしれないと謝りたかった。
「プルル……」
そして、受話器の先から低く澄んだ声が滑り出した。
いつもどおり、無駄のないイントネーションで、――たったひとこと。
「もしもし、藤堂くん?」
その声だけで遼の体は一瞬針で刺されたように跳ねた。
耳の奥が熱くなる。
文字通り眉間に汗がにじむ。
心臓がうるさく鳴る。彼はどもりそうになりながら、ぎこちない返事を返す。
「あ、はい。もしもし、真琴さん。えっと、あの、起きてます」
真琴の声は冷たくも的確だった。
だが、一言目の「もしもし」に、針の先のささやかな温度が混じっているのを、遼は聞き逃さなかった。
それはいつもの彼女の、感情をぐっと抑えた声であり、そこに――不器用な気遣いとわずかな嫉妬の影を感じたような気がした。
「今朝のこと、色々伝わってきてるわ。桐生剛志とその連中の騒ぎ、あなたが浴室で倒れて、白石玲奈が運んだことも。記録は揃ってきている」
遼はびくっと体を震わせた。
どうしてそんなことを――と狼狽する声が自然と漏れる。
「えっ、なんでそれを真琴さんが知ってるんですか? え、誰かがネットにあげたのか、いや、俺がうっかりツイートしたとか……そんなことはしてないけど」
事実を伝えるために電話をしたはずなのに、まるで盗み聞きでもされたような気分になる。
だが真琴の口調には嘲笑も含まれていない。
ただ淡々と、事実を拾い上げるように情報を並べる。そこに含まれる冷たさが、遼の胸をキリキリと締め付けた。
「情報は庁にも入っている。あなたのような“表示不明”の探索者は監視の対象になりやすい。無自覚に目立つ行為をしていると、指定担当が色めき立つわ」
「表示不明って――俺のことが“表示されない”って意味の???ってやつですか!? あれ未だ分からないんすよ! 真琴先輩、あれなんなんすか!!」
つい勢いで大きな声を出してしまう。
遼の口調は焦りまくりの素直さそのものだ。
真琴の返事はほんの少しだけ溜めがあって、冷静さを取り戻した。
「分からないことは多いけど、分からないからこそ慎重になりなさい。あなたが知らずに撒いた情報が、誰かの手に渡ることだってある。特にルナストーンのような“価値のある”物を持っているという噂は、危険を招きやすい」
その瞬間、遼の背筋に冷たいものが走る。
ルナストーン。あの青く光る石。
まだ胸の奥でこそばゆいほどに「120万」という数字が跳ねている。
真琴がそれを知っていると、どこかで聞いたのか。いや、彼女は知っているはずだ。
彼女は物事の値を見抜く目も、警戒心も強い。
情報網も持っているはずだ。
遼は顔が熱くなるのを感じた。
恥しい。
得意になるために手に入れたはずの石が、今や彼の首を絞め得る物になっている。
胸の中で、真琴の言葉が次々と刺さっていく。
「それで、あんた、何しに庁に来たの?」
真琴の情け容赦ない問いが飛んでくる。
遼は一瞬黙る。
言葉は喉元でつかえている。
照れもあるし、なにより「売る」という単語の恥ずかしさが彼に躊躇を生ませる。
だが、はっきりしないと始まらない。
彼は深呼吸をして答えた。
「武器を買うために売ろうと思ってました……ルナストーン、売って、強い武器を買って、俺がもっと戦えるようになりたくて……」
言い終わった直後、遼は自分の声の幼さに赤くなった。
目を閉じ、思わず頬を手で覆いそうになる。
だが真琴の反応は意外にもあっさりしていた。
いや、あっさりとは違う――冷たい、しかし裏に理由のある沈着だ。
「……ええ。単純ね、藤堂くん。確かに、武器があれば戦闘力は上がる。けれど武器を持つことと、扱えることは別物。あなたが今強くなりたいというなら、買う前に学ぶべきことがある」
その指摘は厳しい。
だがただの叱責だけではない。
真琴は続ける。
言葉の端々に、軽く毒の混ざる調子がある。
「それに、あなたが“すぐ得たい”という短絡的な欲求のせいで、危険を呼び込む。良い武器屋は顔と口を選ぶ。信用を得るまで時間が必要よ。私が直接店を教える? いや、私はあなたが死ぬリスクを負うのを持ってほしくない」
遼の胸の中は音を立てて折れる。
期待して問いかけただけなのに、真琴はきっぱりと断った。
その断り方は冷徹で、けれどどこか真剣な気配があって、遼はますます動揺する。
「えっ、ちょ、ちょっと待って! なんで!? 先輩、いい店知ってるでしょ? ねえ! 俺、真面目に鍛えるから、良い武器を教えてほしいっすよ! お願いします!」
遼の声は八方に向かって跳ねる子供のようだ。
真琴は一拍置いてから、低くため息を吐いた。
「あなたの覚悟が見えないのよ。私が紹介して相手が“いい商売”をしているならそれは幸運だけど、もしあなたが足元を見られて騙されたら、その責任は私にある。私があなたに“武器屋を紹介する”というのは、ただのポジショントークや面倒見ることを意味しない」
この返答に、遼は胸を押されるように「ぐはっ」と音を立てる。
内心のヒーロー気取りがパンチを受けた瞬間だ。真琴はきっぱりと言い放す。
「だから白石玲奈に任せなさい。彼女は……あなたの面倒を見られる。あなたが今、どれだけ危なっかしいかを直に見ている人間が、どう扱うべきかをわかっている。私が出しゃばるより、あの人の方が向いている」
白石玲奈の名前が出ると、遼は身体の中の何かがカチンと硬くなるのを感じた。
あの人は――昨日風呂場で運んでくれた受付嬢だ。
ツンデレで世話焼き。
遼はふと、「白石の前で格好つける必要があるのか」とへらへら笑いたくなる反面、心の中で小さな警鐘が鳴る。
(白石の名前は、地雷だ。聞かれたら動揺する。だから今は深入りさせないほうがいい)
遼は瞬時に戦術を切り替える。
だが時すでに遅し。
真琴はその微妙な動揺を見逃さない。
「で、藤堂くん?」
真琴の声にはひとつ小さな棘が宿っている。
嫉妬。
遼は不意にそれがわかった。
真琴の棘は、案外素直に情が深い人が発するものだった。
彼女はすごく素っ気なく叱るけれど、本当は遼に誰かを取られたくないのかもしれない、という気配が混ざっている。
「……何? あの人のことを気にしてるの?」
真琴はまっすぐに核心を突く。
遼は慌てて首を振る。
だが真琴は軽く笑って、皮肉を一つ放つ。
「ふふん。分かりやすいわね。気にしてるなら、さっさと“自分で強くなる”しかないわよ。物を買ってヒーローになれるのは一瞬。実力を身につけるのは時間がかかる。で、あなたはその時間を本当に作れる?」
遼はその言葉に心の中で詰め寄られる。
笑いと怒りと嬉しさが渦巻き、矛盾だらけの感情が口の中で踊った。
だが、彼は一応大人の返事をしようと気張る。
「作ります! 絶対作って、勉強して、鍛えて、ちゃんとした武器を扱える人になります! 真琴先輩、教えてほしいっていうのは図々しかったかもだけど、見守ってほしいです!」
真琴の返答は予想よりも冷えていたが、最後に微かに柔らかな音が混ざる。
「見守る、という責任は重いのよ。あなたはそれを‘甘え’と感じるかもしれない。私が見守るとしても、あなたが自分で努力することが前提。いいわね?」
「はい!」
遼は元気よく答える。
彼の叫びは必死だが真摯でもあった。
真琴はしばらく黙り、やがて小さく吐き捨てるように言った。
「分かった。まずは余計なことは喋らない。ルナストーンのことも含めて。ただし、白石玲奈には先に連絡して、礼を言いなさい。彼女はあなたのことを放っておけない。私の言葉はこれで終わり。藤堂くん、無茶はするな」
電話の向こうで一瞬だけ、真琴の声がやわらいだ気がした。
遼はそれを聴き逃さなかった。
彼が胸にかすかな温度を感じるのは、真琴の厳しさの裏にある関心のせいだろう。
「わ、わかりました。真琴先輩、ありがとう。……では、今日はもう寝ます。ちゃんと休みますから」
遼は礼を言って、電話を切る準備をする。
だが最後に、真琴の一言が彼をまた小突いた。
「それと、あなたの“英雄演出”はほどほどに。目立ち過ぎるな。分かったら、寝なさい」
「はーい……」
受話器が切れた。
遼はしばらくスマホを手に持ったまま布団に沈み、頭をしばらく壁に預けた。
胸の中はやはり乱れている。
真琴の棘は痛いが、その棘はどこか優しい。
嫉妬めいた語気の鋭さは、遼にとっては鼓舞のようにも感じられる。
だが、白石玲奈の名前が出たときに自分が見せた動揺は、彼にとって初めての困惑だった。
(……白石さんの話は、本当に触れちゃいけない地雷だな)
思わず独りごちる。
思えば彼女は昨夜の晩に自分を運び、世話を焼いてくれた。
優しさは確かなものだ。
そんな人の前で無様な格好を晒したままではいられない。
遼は布団の中で拳を握り、小さく拳を振るように誓った。
「よし、まずは玲奈さんに礼を言う。次に基礎を学ぶ。最後に——武器を買うための目を養うんだ」
誓いは子供じみていて格好悪い。
だがそれが今の自分に必要な誠実さだと、遼は自分に言い聞かせる。
真琴の棘は痛いけれど、刺に触れぬほど慎重であれば、その毒はやがて養分に変わるだろう。
窓の外、夕陽が低くなっていく。
部屋の温度がゆっくりと下がり、寝室のライトが優しく輝く。
遼はスマホを枕元に置き、目を閉じて深呼吸をする。
胸の中の火は小さいが、確かに温かい。
明日からは行動だ。
言い訳は通じない。
彼はゆっくりと眠りにつこうとするが、最後に小さく自分に言い聞かせる。
「真琴先輩、玲奈さん、俺、かっこよくなってみせますよ。たぶん、少しずつだけど」
そして、遼は眠りに落ちた。
胸の中にはこれまでになかった責任感と、どこか甘やかな期待が混ざっている――それは真琴の冷たさの残響であり、玲奈のやさしさの影であった。




