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よろず料理店 ほろほろ日乗  作者: 枕川うたた


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第27話 収穫の喜びと連帯感の、土鍋ごはん

 篠原が店を去って以来、結の頭の中は、伊織が作った「不揃いな唐揚げ」と、篠原が漏らした「最も大切なものを欠落させた」という言葉で満たされていた。


 伊織は、不揃いな唐揚げを切り捨てず、あえてそのまま一皿に盛り付けた。

 それは、不完全なものを受け入れる「許し」の行為に見えた。

 しかし、結はそれだけではないと感じ始めていた。


(不揃いな個性を残すだけじゃなくて、それらを一つの皿の上でどう生かすか。それが伊織さんの料理なんだ)


 その日、店は昼過ぎから賑わっていた。来店したのは、いつもの商店街の常連客たち。


 まず、八百屋の源三げんぞうがカウンターに座った。彼の腕は太く、指先には土の汚れが微かに残っている。

「大将、今年は契約している農家の栗が豊作だ。特に粒が大きく、見事な出来栄えでな。だが…」源三はため息をついた。

「売れてはいくが、誰かとゆっくり、この最高の栗の味を分かち合う暇がない。家では一人で食べるだけだ」

彼の悩みは、豊かさの中にある「分かち合う喜びの欠落」だった。


 次に、近所のクリーニング店の妙子たえこが慌ただしく入ってきた。

「あら、源三さん。ご無沙汰ね。伊織さん、今日は早めにできるものある?うちの家族、夕飯の時間がバラバラで、みんなが揃う日なんて一ヶ月に一度もないの。私が作っても、ラップをかけて置いておくだけでね…食卓の連帯感が全くないわ」

妙子の悩みは、生活が充実しているが故の「家族の団欒の欠落」だった。


 二人の常連客が語る「小さな悩み」。

 それは、深刻な問題ではないが、彼らの心を微かに寂しくさせている。

 結は気づいた。

 彼らの悩みは形こそ違えど、本質的には同じだ。

 それは、「誰かと時間を共有し、喜びを連ねる場」の欠如なのだと。


 伊織がこの日の料理に選んだのは、秋の恵みが詰まった「土鍋ごはん」だった。


 まず、新米を丁寧に洗い、にごりのない水が滴る。伊織は昆布と少量の塩で整えた出汁に米を浸し、次に具材を配した。

 源三が厳選した最高の栗は、深みのある茶色に輝き、表面には細かく切れ込みが入れられている。

 深山の香りを纏った舞茸や椎茸は、出汁を吸い込みやすいよう手で裂かれ、鶏肉は小さく角切りにされ、全ての具材が静かに土鍋の中の米の上に並べられた。


 伊織は土鍋の蓋を静かに閉じる。

 薪の火が土鍋の底をゆっくりと温め始める。

 伊織は結に、火加減の指示を出した。

「最初は強火で一気に沸点へ。蓋の下からゴウという圧力が聞こえ始めたら、火を極限まで絞る。その後12分間、ただ静かに見守る」


 炎は土鍋の底を舐めるように勢いを増し、カウンターには、やがて沸騰する「ゴウゴウ」という音が響き始める。

 蓋の隙間からは、白く強い蒸気が勢いよく噴き出し、店内に米と出汁の混じった甘やかな香りを運び始めた。

 やがて、火を絞ると、鍋の中の音は激しい沸騰から、「ブツブツ、パチパチ」という、米粒が出汁を吸い上げ、焦げ付き始める寸前の静かな囁きへと変わる。

 それは、土鍋という一つの世界の中で、米、栗、キノコ、鶏肉—–全く異なる個性を持つ食材が、時間を共有し、互いの水分と香りを交換し、共生へと向かう音だった。


「土鍋とは、小さな連帯です」伊織は静かに言った。

「一つ一つの食材は不揃いです。しかし、同じ環境で同じ時間を過ごすことで、全ての素材の旨味が米という共通の基盤に流れ込み、全体として調和する。これが、共生の味です」


 12分が過ぎ、伊織は火を消し、さらに10分間蒸らす。

 静寂な時間。鍋の縁からはもう湯気は上がらず、全ての香りと熱が、鍋の中で凝縮されていく。


 そして、ついに伊織が蓋を開けた。


「はぁ…」


 常連客たちの間から、感嘆の息が漏れた。

 湯気と共に、米の持つ芳醇な甘みと、キノコの深い森の香りが、ホクホクとした栗の匂いを纏い、カウンター全体に優しく、そして強く広がった。

 新米はふっくらと、水分を抱えながらも一粒一粒が自立し、美しい飴色に炊き上げられている。

その上には、栗が黄金色に、キノコは深い茶色に輝き、全てが最高の瞬間を迎えていた。


 伊織は、大皿に人数分の土鍋ごはんを盛り、カウンターの常連客たち、そして結の前に静かに置いた。


 源三と妙子は、自分の料理なのに、お互いの顔を見合わせ、まるで「今日は一緒にこれを食べるのか」と確認し合うようだった。


 源三が一口、大きく頬張った。

「これは…米の甘みが違う。栗の味が、ただ甘いだけじゃない。キノコが持つ山の渋さと、鶏のコクが、全て一つになって、米に流れ込んでいる…」


 妙子も感動に目を見開いた。

「土鍋の中で、全てが喧嘩せず、支え合っている味ね。まるで、みんなが揃って食べる食卓の味だわ…」


 結の胸の中には、良子を自分の理想に無理やり押し込めようとした過去の傲慢さが、恥ずかしい記憶として蘇った。

 自分が欠けていたのは、他者の不完全さを許す心と、その不完全な人々が自発的に繋がれる「場」を作る優しさだった。


 結は、土鍋ごはんを一口食べ、温かさに満たされた。

 そして、隣で栗のホクホクさに目を細めている源三に、勇気を出して話しかけた。

「源三さん、この栗、本当に美味しいですね。来年はぜひ、お孫さんと一緒に剥いて、この土鍋ごはんを囲んでください。伊織さん、できますよね?」


 伊織は結の横で、穏やかに微笑んだ。

「ええ。土鍋は、人が集う、喜びの器ですから」


 結のその一言は、静かだったカウンターに温かい火を灯した。

「おお、そうか!孫と栗剥きか!」源三は大きな手を叩いて笑い、すぐに妙子に向き直った。「妙子さん、そりゃあいい!大将、来年も 栗の土鍋ごはんの時期には、家族みんなで来るぞ!」

 妙子は、優しく微笑んで答える。

「ふふ、源三さん、いい考えよ。でもね、栗を剥くのは大変だから、事前に茹でておくといいわ。剥いた栗は、ラップで小分けにして冷凍しておくと、いつでもこのホクホク感を味わえるのよ。うちの店で使ってる裏技!」

「なるほど、それは助かる!クリーニング屋の裏技とは恐れ入った!」

源三と妙子は、互いの仕事や生活の知恵を交換し合い、土鍋ごはんを囲んで朗らかに笑い合った。


 彼らの小さな悩みが、この温かい土鍋ごはんと、結が作った「繋がり」のきっかけによって、溶け合っていく。

 結は、初めて、誰かの人生に「介入」するのではなく、誰かの人生を「繋げる」喜びを知った。

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