57.指パッチン
さて、と。
無限廊下なんていう古典的な罠を、指先一つで軽々と突破した俺。
……しっかし、どんだけ奥が深いんだよ、この結界は。いや、違うな。どんだけ、この結界の主は、ビビりの雑魚なんだ?
コツ……コツ……。
俺が寮に侵入してから、もう結構な時間が経つ。なのに、姿を現す気配はゼロ。
かといって、刺客を差し向けてくるわけでもない。
(生物としては、優秀だよな。君子危うきに近寄らず、だっけ? ヤバい相手には徹底的に近寄らない。その選択ができる頭はある、と)
なのに、だ。
「どうして、白馬を返さないんだろうなー。そんな人質、無駄なのになー」
俺相手に人質なんて、何の意味もない。俺が負けることは、天地がひっくり返ってもあり得ないのだから。
むしろ、白馬を手元に置いておくこと自体が、自分の死亡フラグを叩き立ててるってことに、何で気付かないかねぇ。
「おーい、結界の主さーん! そろそろ無意味なことは、やめよーやー!」
俺はわざとらしく、響き渡る声で呼びかけてみた。
『ほう? 交渉でもするつもりか?』
「まあね。こいつも、話が通じるくらいの頭はあるみたいだし? 俺、あんまり弱い者いじめは趣味じゃないんで」
『くくく……。どこまでも強者の余裕よな、勇者よ』
「おうよ。で、どーすんの? 白馬を解放してくれるなら、見逃してやってもいいぜ?」
俺がそう言い放った、瞬間。
目の前の空間が、ズズズズ……と、まるでインクが滲むように変質していく。
さっきまでの牢獄の景色が消え、そこは――光一つない、真っ黒な無の空間へと変わっていた。
(へぇ、結界内部だと、こんな簡単に構造を変えられるのか)
その、何もない漆黒の空間の奥。
そこに、白馬がいた。……宙吊りにされて。
しかも……全裸で。
「うおっ……!?」
思わず、俺は目を見開く。
黒い触手のようなものに手足を拘束され、ぐったりとしている白馬。
……って、いや、そういうことじゃなくてだな。
(……あいつ、けっこー……でかいのな)
何がとは言わんが、乳とか尻とかが。
手足はスラリと長く、腰は見事にくびれている。え、これ、アイドルかモデル体型じゃん。
「……なるほど。外見を、月刀【芒】の力で変えてたのか」
『うむ……。幻術系の妖術、と本人が言っておったからのう』
つまり、普段の男の姿は、幻術による偽装。
……っと、あんまりジロジロ見るのも失礼か。やれやれだぜ。
俺は白馬のもとへ、ゆっくりと歩み寄る。そして。
――パチンッ!
軽く、指を鳴らした。
その瞬間、白馬を縛り上げていた黒い触手が、すべて綺麗さっぱり切断される。
『……ほう? 今のは?』
「指パッチン。生じさせた衝撃波に魔力を込めて強化、風の刃として指向性を持たせて、触手だけ切断した」
俺がこともなげに言うと、魔王が楽しそうに笑う。
『なんと……。それはもう、立派な魔法ではないか』
「いや、魔法じゃないが?」
『くく……勇者よ。おぬしは自覚がないようじゃが、それは世間一般で“魔法”と呼ばれるものじゃぞ?』
「いやいやいや。魔法ってのは、風刃みたいに、ちゃんと術式があるもんだろ? 今の指パッチンなんて、どこの魔法教本にも載ってないぜ?」
『正確に言えば、魔力を用いて起こす超常現象、そのすべてを“魔法”と呼ぶのじゃ。つまり、おぬしが何気なくやっている通常行動のほとんどが、既に魔法の域に達しておるのじゃよ』
「……そうだったのか」
ちなみに、俺が風刃を使わなかったのには、理由がある。
威力が、強すぎるからだ。
風刃なんて、初級中の初級魔法のはずなんだが……どういうわけか、俺が使うと城の一つや二つ、軽く吹き飛ばす戦略級魔法になっちまう。
だから、適当に威力を調整して、指パッチンに魔力を乗せただけなんだが……。
まさか、こんなのが魔法扱いだったとはな。俺の常識、どうなってんだ。