継姉、閉ざされた庭に陽だまりを連れて
「今日は、お庭に出てみない?」
子ども部屋の窓辺に差し込む朝の光の中で、リセルはそっと問いかけた。
机の上には昨日までの積み木と絵本、そしてリセルの新たな提案を示すように、小さな帽子とケープが並んでいる。
セラフィオスは一瞬だけリセルの目を見つめ、視線を逸らす。
セラフィーは無言のまま、手にした積み木を胸元でぎゅっと抱きしめていた。
しばしの沈黙のあと、セラフィーがぽつりと呟いた。
「……おそと、行きたい」
その小さな声は、まるで風に消えてしまいそうなほど頼りなかった。
けれど、それは確かに願いのこもった言葉だった。
リセルは微笑んで、ふたりに帽子を差し出す。
「じゃあ、準備しようか。日差しは強くないけど、少し風があるからね」
ふたりの肩にそっとケープを掛けると、セラフィオスがわずかに表情を緩めた。
それは、まだ信じきれないような戸惑いの色を含みながらも、拒絶ではないことの証だった。
「……外、ほんとにいいの?」
「もちろん。危ないことはしないし、すぐそばに私もいるから」
リセルはそう言って、セラフィオスの手をそっと取る。
もう片方の手で、セラフィーの小さな指を包み込んだ。
開かれた扉の向こうには、静かな中庭の緑が広がっていた。
まだ誰にも踏まれていない朝露が、芝生の上できらきらと光っている。
小さな花を手のひらに乗せてきたセラフィーが、リセルの顔を見上げながらぽつりとつぶやく。
「……おねー……ちゃん」
その声はかすれていたけれど、たしかにそう聞こえた。
リセルが目を見開くと、セラフィーはおずおずとリセルの袖をつまんで、もう一度そっと囁く。
「……セラフィー、って……よんで、ほしいの……」
言い終えたあと、彼女は恥ずかしそうに視線を落とした。
リセルが言葉に詰まっていると、今度は隣でじっと見ていたセラフィオスが口を開いた。
「ぼくも。……“セラフィオス様”じゃなくて、セラフィオス、って呼んで」
少しだけ照れたように、でも真っ直ぐな目で言い添える。
「……うん。ありがとう。私は、ふたりのお姉ちゃん。だから――セラフィー、セラフィオス。よろしくね」
ふたりがそっと頷いた。
小さな手が、そっとリセルの手に重なる。
それは、確かな信頼の証だった。
リセルは心の中でそっと呟いた。
(きっと、ほんの少しずつでいい。今日も、昨日より一歩前に進める日になりますように)
そして三人は、まだ静かな屋敷の中庭へと、ゆっくりと歩みを進めていった。
中庭の朝露がまだ芝生に光るなか、リセルは敷いた布の上に座って、ふたりをそっと誘った。
「おいで。ここなら濡れないし、日差しもちょうどいいよ」
セラフィーは少しだけ戸惑いながらも、リセルの隣にちょこんと座った。
セラフィオスは妹の後を追い、いつものように傍に身を寄せる。
「このお花、かわいいでしょ?」
リセルは小さな白い花を摘んで、セラフィーの手のひらに乗せる。
「……きれい」
その小さな声に、リセルの胸がじんわりと温かくなる。
セラフィオスは近くにあった小石を拾って、妹の前に並べ始めた。
「見て、丸い石。ちょっと光ってるよ」
「おかし、みたい……」
「でも食べたらダメだよ、お姉ちゃんが怒るから」
「……うん」
くすっ。
セラフィーが小さく笑った。
(――笑った)
それは昨日の「お姉ちゃん」よりも自然な、子どもの無垢な笑顔だった。
リセルは心の中で、そっと拳を握る。
「この花、ね。つつじって言うんだけど……ここを、こう吸うと甘いの」
「……あまいの?」
「そう。前にね、お庭に咲いてるのをこっそり吸って遊んでたの」
セラフィオスとセラフィーは驚いたように目を丸くして、リセルの真似をしてそっと花の根元に唇を寄せた。
「……ほんとに、ちょっとあまい!」
「ん……あまい……!」
二人は顔を見合わせて、また小さく笑った。
リセルの胸に、喜びがふわりと広がっていく。
やがて、セラフィオスはごろりとシートの上に寝転がり、空を見上げた。
セラフィーもその隣に転がる。スカートの裾をつまんで、リセルの注意を引こうと引っ張った。
「リセルお姉ちゃん、いっしょに……」
「うん、いいよ。ちょっとだけね」
三人は芝生の真ん中で、朝のやさしい陽ざしの中、並んで転がった。
静かな笑い声が、ささやかな風に乗って屋敷の壁に反響する。
そのときだった。
「……何だ、この騒がしさは。まだ朝のうちから庭で騒ぐとは、誰の許可を得たんだ?」
低く押し殺された声に、リセルは思わず振り向いた。
屋敷のテラスの影から、厳しい顔つきの父がこちらを見下ろしていた。
リセルはそっと立ち上がり、セラフィーとセラフィオスの前に片膝をつく。
「ふたりはここで待っていて。すぐ戻るから、大丈夫」
セラフィーがリセルの袖をぎゅっと掴んだ。
「……こわいの」
「大丈夫。私がちゃんと話すから。すぐ戻るから、心配しないで」
リセルは二人の頭を優しく撫で、毅然とした足取りでテラスへ向かう。
父の姿は柱の陰にあったが、その冷たい視線は隠されることなく、まっすぐリセルに向けられていた。
「リセル。何のつもりだ。朝から庭で子どもを騒がせて、屋敷の格式をどう考えている?」
「騒いでいたつもりはありません。お二人が外で少しでも楽しく過ごせるように、私なりに配慮して行動しておりました」
「貴族の子女が庭を転げ回るなど、聞いたことがない。お前は何を教えている」
「人として当たり前のことを教えているだけです。……遊び、笑い、花に触れること。大切なことだと思います」
リセルの言葉に、父の眉がわずかに動く。
「ふん……まるで説教でもしているつもりか」
「いいえ。事実を述べているだけです。セラフィオスとセラフィーが、初めて笑ったんです。あのふたりが、私の手を握って笑ったんです。それが、いけないことですか?」
父の目が、リセルの顔にわずかに驚きを浮かべる。
「……勝手なことを」
その声は、どこか押し殺したような響きだった。
リセルは深く頭を下げる。
「申し訳ありません。ですが、ふたりに必要なのは規律よりも、まず心を開く環境です。私はそれを作っていきたいと思っています」
しばしの沈黙。
やがて父は小さく息を吐くと、何も言わずにその場を立ち去った。
リセルはその背中を見送りながら、唇をきゅっと引き結んだ。
(私は間違っていない。――間違っていないはず)
その確信が、リセルの胸の奥にしっかりと根を張る。
リセルが中庭へ戻ると、セラフィーがスカートの端をぎゅっと握っていた。
その小さな手は微かに震えていたが、顔を上げると懸命に笑みを浮かべていた。
「……こわかった……けど、お姉ちゃん……もどってきた……」
「ごめんね、怖い思いをさせちゃったね。もう大丈夫だよ」
リセルはふたりをそっと抱き寄せる。
セラフィオスは無言で、しかししっかりとお姉ちゃんの手を握り返してきた。
「お姉ちゃん……ぼくたち……もう、おうちのなかにもどらなきゃ?」
セラフィーが不安げに尋ねる。
「ううん。あと少しだけ、外にいよう。さっき見つけたお花、もっと集めたいよね?」
そう言ってリセルが花籠を見せると、セラフィーの顔がぱっと明るくなった。
「……つつじ! さっき、おいしいっていったやつ……!」
「そう。蜜をちょっとだけ吸うの。私が昔見た絵本に、そうやって遊ぶ子がいたの」
セラフィオスがその言葉に小さく反応し、興味深げに近づいてくる。
「ぼくも、やってみたい」
三人は再び芝生に座り、つつじの小さな花を指でそっと摘む。
リセルがコツを教えると、セラフィオスはすぐに要領をつかみ、セラフィーにも優しく教えていた。
「ここをちょっとだけ、こうやって……」
「……あまいっ」
セラフィーが嬉しそうに顔を綻ばせ、芝の上に転がる。
その笑い声に釣られて、セラフィオスもくすくすと笑った。
リセルはその様子を見つめながら、そっと微笑んだ。
(きっと、こんな風に少しずつ。あの子たちの心の中に、“楽しい”が増えていくように)
その時だった。
「お姉ちゃん……」
セラフィオスが、小さな声で呼びかけた。
「ありがとう。……きょう、たのしかった」
その一言に、リセルの胸がじんと熱くなる。
「うん。私も、とっても楽しかったよ」
そっと肩を寄せ合いながら、三人は春の陽だまりの中で静かに時を過ごした。




