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継姉、招かれる“試練”

更新再開できそうです、ようやく話が色々動きそうです

朝の陽光が差し込む応接間に、ふんわりと紅茶の香りが漂っていた。エリザベートが丁寧に淹れたそれは、すでに二客分、銀のトレーに並べられている。


「もうすぐいらっしゃいますわ。……マーレン夫人、今でもお変わりないかしら」


エリザベートはソファに座るリセルの横で、そっと指先を合わせて微笑んだ。その声音には懐かしさと、ほんの少しの緊張が混じっているように感じられる。


「マーレン夫人……祖母様のお知り合いなのですね」


「ええ。お若い頃に少しだけ一緒に暮らした時期がありましたの。とても聡明で、でも少し……いたずら好きなところもある方でしてよ」


エリザベートの言葉に、リセルは小さく微笑み返した。そのとき、玄関の方から控えめなノックと、執事の恭しい声が響く。


「マーレン夫人がお見えになりました」


重厚な扉が静かに開き、落ち着いたグレーのドレスに身を包んだ婦人が姿を現す。年齢は六十を超えているだろうか。白髪混じりの髪はきっちりと結い上げられ、目元には知性の光が宿っていた。


「お久しゅうございます、エリザベート。……ふふ、お変わりないようで、何より」


「こちらこそ、ようこそお越しくださいましたわ、マーレン夫人」


立ち上がって軽く抱擁を交わす二人の姿は、歳月を経ても変わらぬ友情を感じさせた。


そして、夫人の視線がリセルに向けられた。


「あなたが、あの“継姉”なのね?」


一瞬、空気が張り詰めたような気がした。リセルは動揺を見せず、立ち上がって一礼する。


「初めまして、リセル・ヴァレンティアと申します。祖母様には、いつも大切にしていただいております」


「まあ、礼儀正しいこと。……けれど、言葉の端々に剣があるのね。伯爵家で育った子らしいわ」


マーレン夫人の目は、笑っていながらもじっと見透かすように鋭い。その視線に、リセルの背筋が自然と伸びる。


「お褒めいただき、光栄です。けれど、私は今、ヴァレンティア公爵家の一員として日々を過ごしております」


「ふふ。答え方もまた、見事ね。試してしまったようで、ごめんなさいね。悪い癖なの」


その言葉に、リセルはようやく心の奥の警戒心を少しだけ緩めることができた。


――この人は、私を見ようとしている。


ただの客人ではない。――けれど、敵でもない。


そう確信した時、リセルの中で何かが静かに動き始めた。


マーレン夫人は、どこか愉快そうな笑みを浮かべたまま、リセルをじっと見つめていた。その視線には、ただの社交的な関心ではない、何かを見極めるような深さがある。けれどリセルは、動じることなく、柔らかな微笑をたたえたまま夫人の言葉を待った。


「ふふ、やっぱり品のある子ね。あなたが“継姉”……ううん、あの双子の“お姉さん”なのね」


夫人がゆっくりと頷きながら言ったその言葉に、リセルはすぐに反応せず、ほんのわずかにまぶたを伏せてから、深く一礼を返した。


「はい。未熟者ではございますが、日々ふたりと共に成長させていただいております」


その言い回しに、夫人の目がきらりと光る。


「まあ……なかなかに謙虚で聡明な言葉選びをなさるのね。誰かの口移しで覚えたものではなく、あなた自身の選んだ表現でしょう?」


リセルが小さく頷くと、夫人はひとつだけ小さく笑った。


「やはり、あの方の目は確かだったようね」


「あの方……とおっしゃいますと?」


「昔の話よ。貴族の間を歩く子供というのは、どんなに出来の良い子でも所詮“育てられた器”でしかないことが多い。でもあなたは……“自分の意思”で話している。私には、そう見えるわ」


まるで試すような目だった。けれど、その奥には決して敵意はない。むしろ、わずかな期待のような、あるいは楽しみにしていた何かに出会えたような、そんな光が宿っている。


そのやりとりを見守っていたエリザベートが、朗らかな口調で笑った。


「ふふ、マーレン。まるで昔のあなたに戻ったみたいですわね。あの頃は、貴族の格式なんてどうでもいいって顔で、平民の子の家庭教師を引き受けていたじゃありませんか」


「……覚えていたのね、エリー。もうずっと昔のことなのに」


「ええ、忘れるはずがありませんもの。あなたが初めて“友情”という言葉を口にしてくれた日も、私にとっては特別でしたわ」


二人のやりとりには、長い年月を共に過ごしてきた者同士だけが持つ、深い信頼と情がにじんでいた。リセルはそっとその場に控えつつも、その温かさを受け止めながら、静かに息を整えた。


“この人は、おばあさまの大切な人。だからこそ……私に向ける目にも、真剣さがあるのね”


だからこそ、いい加減な姿勢で応じるわけにはいかなかった。


リセルはゆっくりと夫人の方へ向き直り、改めて一礼する。


「マーレン夫人。まだまだ学ぶことの多い身ではございますが、精一杯、この家に恥じぬ振る舞いを心がけております。至らぬ点があれば、どうぞご指導いただけますと幸いです」


その真摯な言葉に、マーレン夫人はほんの少し目を見開き、そして笑みの質を変えた。


「いい子ね、リセル嬢。……本当に、いい子」


それはまるで、何かを確かめて、ようやく納得した者の顔だった。


「それにしても……」

マーレン夫人は紅茶を一口啜ったあと、湯気の向こうからリセルをじっと見つめた。


「あなたを初めて見た時、少し意外だったのよ。“あの子”の娘だと聞いていたから」


リセルは、ほんのわずかにまつげを伏せた。だが、動揺は見せず、口元にだけ微笑を保つ。


「母のことをご存知で?」


「直接の面識はないけれど、若い頃の噂話くらいは耳に入ってくるものよ。少々華やかな方だったと聞いていたけれど……あなたはまるで違うのね」


それは遠回しの批評であり、同時に明らかな比較でもあった。

だが、リセルはうろたえなかった。淡く笑みをたたえたまま、落ち着いた声で返す。


「私は……短いながらも“この家”で育てていただきましたから。公爵家の皆様の愛情と、ご指導のおかげです」


「まあ、そう言えるのは立派なことね」

夫人は少し口角を上げ、また紅茶に口をつけた。


リセルもカップを手に取り、白磁の器を静かに傾けながら、心の内を静かに整えていく。


“……やっぱり、この方は、私の中の何かを測っている”


言葉に出さずとも、その気配はひしひしと伝わってくる。

表面上は穏やかな茶会の席──けれど、これは“お試し”なのだ。

ただの社交ではなく、「本当にこの家の娘として相応しいか」を見極める、そんな視線。


だが、それでもリセルは怖気づかなかった。

この家で、エリザベートと双子たちと共に過ごした時間が、彼女にひとつずつ、確かな“自分”を育ててくれていたから。


マーレン夫人はちらりとエリザベートに目をやり、軽く肩をすくめる。


「さすがに、あなたの目に狂いはなかったようね」


「当然ですわ」

エリザベートは微笑を浮かべたまま、やや誇らしげにリセルの方へ視線を向ける。


「この子は、どこに出しても恥ずかしくない“誇り”ですのよ。形式ばった教育や血筋だけでは育たない、心の芯を持っております」


その言葉に、リセルの胸がほんのりと熱くなる。

けれど、それを表に出すことなく、彼女はそっと目を伏せた。


“この家の“誇り”……おばあさまが、そう言ってくださった”


何よりの言葉だった。

それは、血ではなく、“今ここにある私”を見てくれた証。

そうした感情が、胸の奥で静かに波紋のように広がっていく。


「たしかに、血筋よりも大事なものがある。わたくしも、少し前にそのことを思い知らされたばかりでしてね」


マーレン夫人の目が、どこか遠くを見つめるように伏せられた。

それは一瞬だったが、リセルには分かった。その一言に、何か個人的な記憶が込められていることを。


だが、夫人はすぐに目元を和らげてリセルを見やった。


「あなたが、あの双子の“継姉”で、本当に良かったわ」


その一言は、試すようなまなざしではなかった。

心からの賞賛と、どこか安堵に似た感情を湛えた声だった。


リセルは、それに対して深く頭を下げた。

静かに、けれど確かに。


「ありがとうございます、マーレン夫人。……私も、あの子たちの“お姉さん”になれて、本当に幸せです」


その言葉が、ゆっくりと茶室の空気に溶けていった。

静かな午後の光の中、マーレン夫人は紅茶のカップをテーブルに戻し、ふぅ、と穏やかな息を吐いた。


「ふふ、でもあなたったら……こうして落ち着いてお茶を飲むなんて、久しぶりじゃなくて?」


マーレン夫人がカップを揺らしながら微笑むと、エリザベートも同じように目元を緩めて頷いた。


「この前は、あの薔薇園でご一緒してから三日ぶりかしら? ええ、本当に久しぶりね」


「ふふっ、そう言われると確かに。あなたと私って、何だか昔から“よく会う運命”にでもあるみたいね」


リセルはそのやり取りを見つめながら、胸の奥がほんのりとあたたかくなるのを感じていた。

エリザベートが“親しい友”と心から言える相手がいるということ、そしてその相手が、今日自分に会いに来てくれたこと――それが、嬉しくてたまらなかった。


「昔からよくつるんでいたのよ、この人と私は」

マーレン夫人が悪戯っぽくウィンクを送る。

「舞踏会の夜はもちろん、書簡のやりとりは今でも欠かしたことがないくらい。子供の話も、夫の愚痴も、領地の困りごとも、なんでもお互いに報告し合っているの」


「それを言うなら、あなたの送ってくださったお菓子、うちの孫たちに大人気でしたわよ。……うふふ、マーレン家のあの子たち、もう立派な青年になられたでしょう?」


「ええ、まあね。でもまだまだよ。あなたのところの坊やたちの方がずっとしっかりしてるんじゃないかしら」


エリザベートとマーレン夫人――二人のやり取りは、昔から何度も重ねてきた信頼と、絆の深さを物語っていた。

それは単なる“古い付き合い”というものではなく、互いの人生を何度もすれ違い、寄り添い合いながら歩んできた者同士の空気だった。


「リセル」

ふいにエリザベートが呼びかけ、リセルは姿勢を正す。


「マーレン夫人は、私の最も信頼する友のひとりですの。家柄も立場も超えて、若い頃からずっと、何でも話せる相手。今日こうしてあなたに紹介できること、私……とても嬉しいの」


「……はい」

リセルは小さく頷く。

その言葉のひとつひとつが、ただの紹介ではない“信頼の証”なのだと、自然と感じ取っていた。


「それにしても、まさかあなたが“あの継姉”だとはねえ」

マーレン夫人が、再びリセルに視線を戻す。


「評判だけは先に耳にしていたけれど、まさかここまでしっかりした子だとは。……正直、今日は少し試すような気持ちで来たところもあったのよ」


リセルは思わず背筋を伸ばした。

けれど、それを否定するのではなく、受け止めなければと思った。


「お会いしてすぐ、それが杞憂だったとわかりましたけれどね。あなたは、しっかりとこの家の中に“居場所”を作っていらっしゃる」


「……ありがとうございます」


リセルの声は、自然と少しだけ震えていた。

けれど、それは不安ではなく――安堵と、誇らしさの入り混じった感情だった。


「この子は、そういう子なのです」

エリザベートが、優しく続ける。

「どこにいても、その場に馴染んで、でもただ流されることなく、芯を持って立っていられる子」


「……あなたが、そうおっしゃるなら間違いないわね」


マーレン夫人がカップを置き、そっと手を組むと、リセルの方をじっと見つめた。


「ねえ、リセルさん。――もしよければ、今度、私の知人の“教育関係者”にお会いしていただけるかしら」


「え?」


思わず声が漏れたリセルに、マーレン夫人は柔らかく微笑んだ。


「詳しい話は、また今度にしましょう。でも……今日、あなたと会って確信したの。あなたには、きっともっと広い世界が必要になるわ」


その言葉の真意がすぐには飲み込めず、リセルは戸惑いを隠せなかったが――

隣に座るエリザベートが、そっとリセルの手を取って握り返した。


「大丈夫よ。あなたらしくしていれば、それが一番の“答え”になりますから」


その言葉に、リセルの胸の奥にあった不安が、すうっと静まっていった。


リセルはまだ戸惑いを抱えていた。マーレン夫人の言葉の真意が、胸に広がっては形を定めず、波のように寄せては返す。

だが隣で手を握ってくれているエリザベートの温もりが、それを確かなものへと変えてくれていた。


「……あの、マーレン夫人」


リセルは思い切って口を開く。夫人は目を細めてうなずいた。


「はい?」


「今日、私に会いに来てくださったのは……“この家の子”だから、でしょうか?」


その問いは、ずっと胸に引っかかっていたもの。

自分が“ラヴァンス公爵家の継姉”だからこそ試されたのか、それとも――


「いえ」


マーレン夫人は即座に首を振った。


「確かに、“公爵家の継姉”として名は聞きました。でも、今日ここに来て、あなたを“家柄”ではなく、“一人の子”として見ていますよ。私は昔から、そうしてきたつもりですもの」


「……一人の、子として」


「ええ」


夫人はふっと微笑んだ。


「私ね、昔から“家”というものの在り方に、どこか疑問を感じていたの。“名”や“血筋”ばかりが重んじられて、中身が置き去りにされる――そういう場所を、ずっと見てきたから」


その言葉に、リセルの中で何かが共鳴した。


「私の家も、昔はそうでした」

小さな声で、ぽつりと零れる。


「形式と格ばかりが重んじられて……私は、ただの“器”として見られていました。いつ誰と結婚してもいい。“道具”として使いやすければ、それでいい。そんな風に育てられて……」


その瞬間、隣でエリザベートの手に力がこもる。


「けれど――この家に来て、初めて知ったんです。血ではなく、心で見てくれる人がいるということを」


視線を上げると、エリザベートの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

マーレン夫人も、深くうなずく。


「あなたの目には、そういう強さがある。私はそれを見に来たのよ、リセルさん。……この家に迎えられたから“価値がある”のではなくて、あなた自身が“価値ある子”だと、私は思っているわ」


その言葉は、まるで柔らかな光のように、リセルの心に染み込んでいく。


「……ありがとうございます」


リセルは小さく、けれどはっきりと頭を下げた。


「私……まだまだ至らないところも多いです。でも、ここで学んで、変わっていきたい。今まで“道具”としてしか扱われなかった私が、“私”として誰かの力になれるように」


その姿を見つめながら、エリザベートはそっと微笑む。


「やっぱり、あなたを紹介してよかったわ」


「本当にね。……さすが、あなたの“誇り”だけあるわ」


エリザベートとマーレン夫人――二人の友としての信頼と、そこに立つリセルの存在が、ゆるぎないものとして部屋に満ちていた。


「では、そろそろお暇しようかしら。……エリザベート、また三日後の例の茶会で」


「ええ、楽しみにしていますわ」


マーレン夫人は最後にもう一度リセルの前で立ち止まり、そっと声をかけた。


「リセルさん――また、会いましょうね。あなたのこれからが、とても楽しみだから」


「……はい、ぜひ」


そうして夫人が去った後、部屋の空気がふと落ち着く。

けれど、リセルの胸の中には、確かな“何か”が芽生えていた。


――私も、見られていた。


――“誰かの道具”ではなく、“私自身”として。


その実感が、今のリセルにとって何よりの宝物だった。



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