継姉、お姉ちゃんを巡る小さな戦争
朝の陽光がやわらかく差し込む中庭に、リセルは籐のバスケットを抱えて現れた。その中には、分厚い花の図鑑とスケッチ用の筆記具、それから色とりどりのリボンが入っている。
「今日はお庭の探検よ。いろんなお花を見て、名前を調べてみましょう」
リセルが声をかけると、セラフィーはぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「わたし、お姉しゃまのために、いっちばんかわいいお花をみつけるのー!」
それに続いてセラフィオスも歩み寄り、真面目な顔で図鑑を覗き込む。
「ぼくは、薬に使える花を探してみる。この間おばあさまと読んだ本にも、庭の草花が出てたから」
「ふふ、おふたりとも楽しみにしてくれてたのね。じゃあ、ゆっくり歩きながら、観察してみましょう」
リセルは微笑みながら、双子の手を軽く引いて歩き出した。
風に揺れる草花の間を、小さな足音が三つ、ゆったりと進んでいく。庭園は夏の終わりを迎え、あちこちに薄紫の花や、白く可憐な花が咲いている。
「おねえしゃま、あれ見てー!ふわふわしてるー!」
「んー……あれは……デルフィニウムかな。図鑑で確認してみようか」
花のページを開いたリセルが説明すると、セラフィーはすぐに嬉しそうに頷いた。
「これがいいの!これ、絶対お姉しゃまに似合うの!」
「……そんなことないわよ、セラフィーの方がよっぽど可愛いもの」
そう言って笑い合う二人の様子を、セラフィオスはすこしだけ複雑そうな目で見ていた。
「お姉しゃま、あっちにもお花があったのー!」
「フィー、待って!そんなに走ると――」
リセルが声をかける間もなく、セラフィーは小道の角をくるりと曲がって消えてしまった。慌てて追いかけようとするリセルの腕を、もう一方の小さな手がそっと掴んだ。
「リセルおねーちゃん、フィーはああ見えて、ちゃんと足元見てるから大丈夫だよ」
「セラフィオス……そうね、ありがとう」
最近、二人の呼び方に少し変化が生まれていることに、リセルはうっすらと気づいていた。以前は“セラフィオス”“セラフィー”ときっちり呼び合っていたのに、気づけば自然に「セラ」「フィー」と口にしている。
対等に名前を呼び合うその様子は、まるで本当の兄妹というより、仲のいい双子の親友のようで――。
「ほら、見て!この花、すっごくおねえしゃまに似てるのー!」
セラフィーが戻ってきて差し出したのは、やさしいピンク色の花びらをもつ小さな草花だった。
「これは……アスターね。“信頼”とか“思いやり”っていう意味があるの。……私に似てるなんて、うれしいけど、ちょっと照れるわね」
「ほんとにそう思うんだもん!リセルおねーしゃまは、やさしいし、だいすきなの!」
その言葉に、セラフィオスが小さく唇を尖らせた。
「……フィーばっかり、おねーちゃんにくっついて」
「えっ?」
リセルが首をかしげると、セラフィオスは少しだけ頬を赤くしながら、そっぽを向いた。
「ぼくだって、リセルおねーちゃんに花をあげようと思ってたんだ。……こっちの、白いの。これは“守る心”って意味なんだって。ぼくがリセルおねーちゃんを守る、って意味」
「セラフィオス……」
ふたりの視線が自然にぶつかる。そして、リセルはそっと膝をつき、二人の手を両手で包み込んだ。
「ありがとう。どっちも、とっても嬉しいわ。セラフィーも、セラフィオスも」
「……セラでいいよ。ぼくたち、最近そう呼び合ってるし」
「うん!わたし、セラってよぶの、すきー!」
「そう……ふふ、じゃあ、セラとフィーね。覚えておくわ」
「フィーは、ピンクのお花ばっかり選んでる。さっきから四つも連続で」
「だってピンクがいちばん可愛いのー!セラは変なのばっかり選ぶもん。茶色の花とか、ぜんぜん可愛くないの!」
「それは“薬草”だって言ったじゃん!」
ささいなきっかけから、双子の口調が少しずつ強くなっていく。ついさっきまで笑い合っていた二人が、にらみ合うように立ち止まった。
「……喧嘩しないの」
リセルがそっと声をかけたが、セラは口を尖らせたままそっぽを向き、フィーもふいと目をそらした。
「フィーなんて、もう知らない」
「セラのばかっ!」
ぴしゃりと叩き合うような言葉が交わされ、庭に静かな空気が落ちる。リセルは一歩二人に近づき、膝を折って視線を合わせた。
「ねえ、セラ、フィー。あなたたち、どうしてそんなに怒ってるの?」
「……フィーが、ぼくより先に“お姉しゃまに似合う花”を見つけたって言ったから……」
「セラが、わたしの花を変だって言ったのー!」
言い合ううちに、二人の目に涙が浮かび始める。リセルはそっと二人の手を取った。
「どちらも、ちゃんとリセルのことを考えて選んでくれたんでしょ?だったら、それぞれの気持ちを大事にしよう。セラが選んだのは実用的で賢い花、フィーが選んだのは華やかで愛らしい花。それってどちらも素敵なことじゃない?」
「……でも、どっちが“いちばん”か決めたかったの」
「わたしのほうが、おねえしゃまのこと、すきだもん」
その言葉に、リセルはふっと微笑んだ。
「そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、比べるものじゃないのよ。だって、二人とも“いちばん”だもの。リセルにとっては、セラも、フィーも、かけがえのない存在よ」
言葉に、双子の肩から力が抜けていく。お互いにそっと目を合わせると、自然と「……ごめん」と小さな声が重なった。
リセルは二人をやさしく抱き寄せながら、胸の中でそっと思う。
(本当に、いつの間にかお互いを“セラ”“フィー”って呼ぶようになったのね。守る側、守られる側だった二人が前よりずっと、対等になってきた……嬉しいな)
「うーん、これって“マーガレット”? それとも“デイジー”? 図鑑だと、すっごく似てるんだよね」
セラがページをめくりながら眉をひそめると、隣で覗き込んでいたフィーが勢いよく指をさした。
「ちがうの、それ、“デイジー”の方だよ!ほら、葉っぱの形がぜんぜんちがうもん!」
「えー?そんなに違うかなぁ……」
「違うの!わたし、ちゃんと見たもん!」
「でも、さっきは“マーガレット”って言ってたくせに!」
「言ってないもん!」
「言った!」
言い合いになった二人の声がどんどん大きくなっていく。リセルが止める間もなく、セラとフィーはついに図鑑を挟んで向かい合い、どちらが正しいかで譲らなくなってしまった。
「ちょ、ちょっと落ち着いてふたりとも!」
ようやくリセルが割って入ると、セラもフィーも同時に彼女を振り向いた。
「リセルおねーちゃんはどっちだと思う!?」
「お姉しゃま、セラがまちがってるって言ってよ!」
「ちょっと待って、私は喧嘩の裁判官じゃないわよ?」
そう言いながらも、リセルは微笑を浮かべた。セラとフィーの呼び合いが自然に「おねーちゃん」「お姉しゃま」から少しずつ変わってきたこと、そしてふたりが対等に言い合いながら、どこか楽しそうにしていることに、微かな成長を感じ取っていた。
「まずは一緒に図鑑をちゃんと見て、それぞれの特徴を確認しましょう。そうすれば、答えはきっと見えてくるはずよ」
「……うん」「……わかった」
ふたりは少しだけむくれた顔をしながらも、仲直りするように並んでページをめくりはじめた。
日も傾き始め、庭の花々がやわらかな光を受けて金色に輝いていた。リセルは芝の上に座り、スケッチ帳に今日観察した花を一つずつ描き込んでいた。
「えっと……これがセージで、あっちはミント……うん、よく覚えてたわね」
その傍らで、セラとフィーも地面にしゃがみ込み、それぞれが選んだ花を大事そうに抱えていた。
「これ、ぼくの“セラの花”。お姉ちゃんのために選んだんだよ」
「ちがうもん、フィーの方がおねえしゃまのためにがんばって探したのー!」
「でも、そっちのはちょっとしおれてるじゃん!」
「うぅ……セラのいじわるっ!」
突如、口げんかの火花がぱちぱちと弾け始めた。どちらも花を握ったまま、譲らない。
「もう、どっちがお姉ちゃんのこと一番好きかって話になってるわね……」
リセルは苦笑しながら立ち上がり、ふたりの間にそっと割って入った。
「セラ、フィー。ふたりとも、お姉ちゃんはどっちも大好きよ。順番なんてないの。大事なのは、こうやって一緒に過ごしてくれることなんだから」
その言葉に、ふたりはぴたりと動きを止めた。そして互いに顔を見合わせる。
「……ごめん、フィー。ちょっと意地張っちゃった」
「ううん……フィーも、セラの花、きれいだと思った」
リセルはそんな二人の頭に手を置いて、優しく撫でた。
「よくできました。ちゃんと自分の気持ちを言葉にできたのは、とってもえらいことよ」
二人は照れたように笑いながら、いつの間にか自然に「セラ」「フィー」と呼び合っていた。お互いのことを名前で呼ぶようになったのは、ここ最近のこと。まるで兄妹ではなく、少しずつ“対等な相棒”になっていくような、そんな関係だった。
リセルは、そんな双子の姿を心から愛おしく思った。自分のことを取り合うほどに慕ってくれていることも、けんかをしてもきちんと仲直りできるようになったことも。
(……この子たちは、きっともっと強くなれる。わたしも、ちゃんと見守っていかなきゃ)
微笑みながら空を見上げるリセルのそばで、双子はまた「次はどの花が好きか」で小さな言い合いを始めていた。




