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継姉、心をひらく鍵を探して

午後の陽がやわらかく差し込む子ども部屋。

豪奢な造りの空間に似つかわしくないほど、そこには人気がなかった。


「ここが……あの子たちの部屋?」


リセルは静かに扉を押し開け、部屋を見渡した。ぬいぐるみは棚の中に整然と並べられ、積み木や絵本らしきものは埃をかぶって片隅に押し込められている。


家具や玩具はきちんと揃えられているのに、どれも新品のように整っている。


(……使われた形跡がない)


リセルは、静かな部屋の空気にひっかかるものを感じた。


「もしかして……遊んじゃいけないの?」


それは言葉ではなく、空気から感じとった違和感だった。


豪奢な部屋、整然と並ぶおもちゃ、けれど誰の手にも触れられたことがない。


公爵様の機嫌を損ねてはいけない。

大きな音を立ててはいけない。

子どもは、静かにしていなければならない――


そんな“見えないルール”が、この部屋には染みついているように思えた。


(やっぱり……この家には、笑い声がない)


リセルは持参した紙と木炭を机に広げ、窓際の椅子に腰かけた。


「花を描こうか」


少しでも興味を持ってもらえたらと願いながら、木炭で簡単な花の絵を描いてみせる。

けれど、背後に気配はあっても、双子たちは一歩も近づいてこない。そっと後ろを振り返ると、セラフィオスが妹の前に立つようにしてドアの前でじっとこちらを見ていた。


(警戒してる……でも、それは当然だよね)


リセルは無理に笑顔を作らず、もう一輪、今度は大きめの花を丁寧に描いた。だが、ふと、あることに気づく。


(あの子……セラフィーちゃん。花を見てるのに、目で追うだけで何も反応しない……)


目は動く。理解はしているはず。でも――何かが、足りない。


(まさか、花の名前も知らない? 言葉にできないの?)


気づけば胸が詰まっていた。

まだ四歳。だけど、表情も言葉も、年齢に比べてあまりに幼すぎる。


「……これは、まずいかもしれない」


ぽつりと、口に出していた。


(子どもの発達って、もっと自然に進むものなのに。今のままじゃ、誰もあの子たちの世界を広げてあげられない)


だからこそ、私はここに来たのだ。


「よし……絵本を書こう」


突拍子もないような発想。でも、リセルの中ではすでに明確だった。

この屋敷で、双子たちが最初に触れる"ことば"として、優しくて、楽しくて、意味を持った絵本を。


「私が作る。私が、あの子たちの世界を広げてあげる」


それは、保育士だった前世の記憶が導いた、リセルなりの小さな決意だった。


夜の帳が降りる頃、リセルは自室の机に向かっていた。

静かな部屋の中、紙の上を鉛筆がすべる音だけが響く。


「登場人物は……うさぎさんがいいかな。やさしい子にしよう。妹思いで、ちょっと臆病だけど、がんばり屋さん」


リセルの手元には、何枚もの紙と、柔らかな色味のクレヨンが並んでいた。

紙の端には、耳の長いうさぎが小さく描かれている。まだラフな線だけれど、少しだけ笑っているように見える。


(名前は……“ラッコ”にしようか。ううん、ラビィのほうが可愛いかも)


思いつくたびに、次々とストーリーが浮かんできた。

言葉の少ない妹のために、ひらがなだけで書こう。

絵は大きく、色はやさしく――読み聞かせのとき、隣で笑ってくれるような。


「私が作る。私が、あの子たちの世界を広げてあげる」


……そう決めたのに。


結局、その日の夜まで机に向かいっぱなしになってしまった。


どんな言葉なら届くか、どんな絵なら安心してもらえるか。紙と木炭を握りしめながら、悩み、描き、書いて、また悩んで。


(……こんなに、絵本って難しかったっけ)


でも――やるしかない。


リセルは肩をすくめて、もう一度ペンを取った。


「“きょう、ラビィは おはなを みつけました。”」


文字を一つひとつ、丁寧に書きながら、リセルは小さく息を吐いた。


(本当なら、私の母がこのくらいのことはしてあげるべきなのに)


ふと、頭に浮かんだのはフローラの顔だった。

自分がこの家に来る前、母が言い放った言葉が、どうしても消えない。


――「子どもなんて、使用人にでも見させておけばいいのよ」


その冷たい声が、今も耳にこびりついている。


「……でも、私は違う」


私は母のようにならない。

私は、あの子たちにとって――「お姉ちゃん」になる。


前世で培ったもの、全部この手で使ってやる。

言葉も、笑顔も、絵本も、ぜんぶぜんぶ、あの子たちに届ける。


「ねえ、ラビィ。あなたの物語、あの子たちに気に入ってもらえるといいね」


リセルは完成した一枚の絵をそっと見つめた。

それは、花を見上げるうさぎの小さな背中――

まるで、誰かの幸せを願っているような、そんな絵だった。


リセルはなんとか完成させた絵本を胸に抱え、再び双子の部屋を訪れた。


柔らかな朝日が差し込む部屋の前で、ふと扉の向こうから聞こえてきたのは、どこか冷たい大人の声だった。


「……別に顔を合わせる必要なんてないでしょ。どうせ使用人が見てるんだし、私が関わる理由なんてないわ」


その声は、フローラのものだった。


扉越しに立ち止まったリセルは、言葉を失った。

すぐ近くにいる使用人が小さく相槌を打ち、気まずそうにしている気配がある。


「私、子どもは苦手なの。特に、あの子たち――なんだか目が気味悪いもの。何を考えてるか分からないっていうか……ね?」


笑い混じりに言うその声に、リセルは小さく息を吐いてからノックもせず扉を開けた。


「おはようございます、セラフィオス様、セラフィ―様」


フローラはリセルの姿にちらりと視線を向けただけで、唇に紅を引きながら立ち去っていった。

その後ろ姿に、リセルは一言も声をかけなかった。


(もういい。母には、何も期待していないから)


部屋の中には、やはり静かに座る双子の姿があった。

今日もまた、警戒の色を解いてはいない。けれど――昨日とは少し違う。


セラフィオスがほんの少しだけ、リセルの持つ紙の束に視線を落とした。


「ね、今日はね。昨日の夜、絵本を作ったんだよ。読んでみてもいいかな?」


リセルは床に膝をつき、目線の高さを双子に合わせて、ゆっくりとページを開いた。


「“きょう、ラビィは おはなを みつけました。”」


まだ硬い声。緊張で喉がこわばっていたが、リセルは笑顔を崩さなかった。

ページをめくるたびに、やわらかな色合いのイラストとうさぎの冒険が続いていく。


セラフィーはじっと絵本を見つめていた。

瞬きひとつせず、声も出さず――でも、しっかりと目で追っていた。


(見てる。ちゃんと、見てくれてる……!)


やがてラストページにたどり着いたとき、リセルはそっと目を上げた。


「おしまい。どうだったかな、面白かった?」


答えはなかった。けれど、セラフィーの指がそっとページに触れた。


小さな、小さな一歩。


(この子たちは、ちゃんと伝わる子たちなんだ)


リセルは微笑んだ。

それは、ほんのわずかな反応だったけれど、彼女にとっては何よりの“はじめて”だった。




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