継姉、従兄の視線に戸惑う
「初めまして、リセル嬢。……レオン・ヴァレンティアと申します」
レオンが丁寧に頭を下げるのを、リセルは少し緊張しながら見つめた。
「リセル・ヴァレンティアです。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
その声音は年齢のわりに落ち着いていて、リセルはほんの少しだけ背筋を伸ばした。レオンはきちんとした礼装をまとい、髪も丁寧に整えられていたが――その瞳に浮かんだ迷いのような色が、どこかリセルには親しみ深く映った。
(あれ……思っていたより、小さい子だ……)
リセルの第一印象はそんなものだったが、レオンの側もまた、ひそかに別の感想を抱いていた。
(……この子が、リセル……?)
名前は聞いていたし、「公爵家の娘」「双子の面倒を見ている」などの情報も祖父母から教えられていた。それでも、実際に対面してみると、想像とはずいぶん違う。ふわりと揺れる薄い栗色の髪、凛とした眼差しの奥に宿る芯の強さ。そして、誰かのために生きているような、年齢にそぐわない気配。
(……なんか、可愛いな)
レオンはそんな風に思った自分に驚きつつも、視線をそっと外した。
その後、祖父母に促されるまま一同は中庭へと出て、軽い運動と散歩を兼ねたひとときを過ごすことになった。
「セラフィー、そっちはまだ危ないよ。石が濡れてるから、滑らないようにね」
「はぁい、お姉さま!」
リセルが声をかけると、セラフィーは絵本を抱えたまま、芝生のほうへと小走りに移動する。近くではセラフィオスが木陰で積み木を並べており、レオンがその隣にしゃがんで付き添っていた。
「ここが塔で、こっちは門番の家……でいいんだな?」
「うん。ちゃんと守るんだよ」
「ふむ……わかった。じゃあ、僕は兵士役かな」
レオンは笑いながら、セラフィオスの作った積み木の陣地を見守る。その口調は丁寧なままだが、どこか年相応の素直さが混じっていて、リセルは思わずくすりと笑ってしまった。
その気配に気づいたのか、レオンがふとリセルのほうを見た。
ほんの数秒だけ目が合い――リセルは、すぐに顔をそらした。
(また……あの視線)
どこか熱を帯びたような、そのまなざしに、リセルの胸がほんの少しだけざわつく。
「セラフィオス、もう一つ積んでみようか。これは見張り台ってことにしよう」
「……うん。けど、それだとこっちから入られちゃうよ?」
「なるほど、それもそうか。じゃあ門はこっちへ……っと」
レオンは膝をつきながら、セラフィオスの組み立てた積み木に手を添えた。崩さないように慎重に動かすその手つきは、見ていて危なげがなく、自然とセラフィオスの顔が少しほころぶ。
一方で、少しだけ複雑そうな顔も見せていた。
(……なんか、うまくやってるな)
セラフィオスはちらりと、少し離れた場所でセラフィーと絵本を眺めているリセルを見やった。彼女は時折こちらを見守るように視線を向け、ふと笑みを浮かべる。その微笑みに気づいたレオンも、同じように優しい目を向ける。
(……なんだよ、それ)
胸の中でわけのわからないもやもやが広がり、セラフィオスはふいに立ち上がると、リセルのもとへ歩いていった。
「お姉さま、ちょっと来て。こっちの守り、手伝ってほしい」
「え? でも、今レオン様が……」
「だって、さっきのお姉さまの作戦の方が強かったもん。あれ、教えてよ」
リセルは一瞬戸惑いながらも、「わかったわ」と席を立つ。
レオンはそのやりとりを見ていたが、すぐに理解した。セラフィオスが、リセルを“取られたくない”と思っているのだと。
(……そっか。兄弟って、こういう感じなのか)
レオンは苦笑しながら、遠巻きにその様子を見つめた。
(でも――それでも、僕は君のことをもっと知りたい)
そんな想いが、ほんの少しずつ、心の奥に芽生え始めていた。
「レオン、リセル、少しお茶でもどうかしら?」
エリザベートの呼びかけに、レオンは小さく頷きながら席を立った。
「ありがとうございます。すぐに参ります」
軽くスカートの裾を払って立ち上がるリセルの背中を、レオンは一瞬だけ目で追った。その視線の端に、ふとグレゴリウスのまなざしがよぎる。
「……気になるのか?」
「っ……!」
レオンは思わず顔を赤らめ、慌てて目を伏せた。
「そ、そんなことは……!」
「ふふ、まあ否定はしないのね。わかりやすいわ、レオン」
エリザベートが微笑むと、レオンはさらに視線を泳がせた。けれど、すぐに真面目な顔つきに戻る。
「ただ……あの方はとても真っ直ぐで、優しくて。それに、弟妹に向ける目が本当に、温かくて……」
「おやおや、ずいぶん見ているのね」
グレゴリウスが口元を引き締めながらも、どこか愉快そうに言った。
「まだお互いを知ったばかりだ。焦ることはないが……そういう気持ちは、大事にしろ」
「はい……ありがとうございます、お祖父様」
その声には、まだ幼さを残しながらも、確かに芯のある響きがあった。
そして少し離れた場所では――セラフィオスが、じっとそのやり取りを見つめていた。何を話しているかまでは聞こえない。だが、レオンの表情がどこか「嬉しそう」だということだけは、はっきりとわかった。
(……あの人、お姉さまのこと、見てたよな)
小さな胸の奥に、じわりとした熱が灯る。まだその感情がなんなのか、セラフィオスにはうまく説明できなかった。ただ、どうしてか――その“距離感”が、とても気になって仕方がなかった。
リセルは、片手に本を抱えながら中庭へと歩みを進めていた。午前の陽射しがやわらかく差し込む中、庭の片隅にはベンチがあり、双子が積み木遊びをしているのが見える。
「リセル嬢」
背後から聞き覚えのある声が届く。振り返ると、レオンが少し遠慮がちに立っていた。
「レオン様……どうかされましたか?」
「いえ……。おひとりで歩かれていたので、その……ご一緒してもよろしいかと……」
「あ、もちろんです。よろしければ、あちらでお話でも」
リセルが微笑みながらベンチを示すと、レオンはどこかほっとした表情で頷いた。
並んで座ると、しばらくは静かな時間が流れた。風が植え込みを優しく揺らし、双子の笑い声が遠くから聞こえてくる。
「リセル嬢は……とても、すごい方だと思います」
不意にそう告げられ、リセルはきょとんとした顔になる。
「……えっ?」
「先ほどから、ずっと感じていたんです。弟妹のお世話も、家のことも……全部、ひとりで抱えすぎていらっしゃるのではないかと」
「そんな……私は、まだ何も……」
「でも、目に見えてわかるんです。セラフィオス様も、セラフィー様も、あんなに楽しそうで……リセル嬢のことを、とても大切に思っておられる」
リセルはその言葉に、ほんの少し頬を赤らめて視線を伏せた。
「……ありがとうございます。でも、私も誰かに頼りたくなる時は、ありますよ」
そのささやかな吐露に、レオンの胸が少しだけ高鳴った。
「でしたら……これからは、僕にも頼っていただけませんか?」
その言葉はあまりにも真っ直ぐで、リセルは驚いたようにレオンを見つめる。けれどレオンの瞳には、曇りのない誠実さが宿っていた。
「……ふふ、そうですね。では、今度積み木遊びの見守りをお願いしようかしら?」
「よろこんで!」
ぱっと明るくなったレオンの声に、思わずリセルもくすりと笑った。
応接間に用意されたお茶と菓子が並ぶ中、四人は自然と輪になって座っていた。セラフィーが膝の上に絵本を広げ、セラフィオスが横で積み木を黙々と積み上げる。リセルはそんな双子の間に座り、穏やかに見守っていた。
ふと、レオンがその様子を興味深そうに見つめる。
「リセル嬢は……普段から、こうしてお二人のお世話を?」
その問いに、リセルは少しだけ頬を緩めて答えた。
「ええ。二人とも、手がかかるようで、意外と自分のことはしっかりしているんですよ」
「そうは見えませんが……でも、なんだか、楽しそうですね」
「大変なことも多いですけど。私にとっては、かけがえのない時間です」
レオンはしばらく黙ってそのやり取りを見つめていたが、ふと真面目な顔で言った。
「……すごいな、リセル嬢は」
「え?」
「ぼくには、まだできないことばかりです。でも、少しだけ……憧れます。こんなふうに、誰かに真っ直ぐ向き合える人に」
その素直な言葉に、リセルは目を見開いた。年齢は自分より上のはずなのに、どこか無邪気で、まっすぐな瞳。その視線に、思わず照れくささがこみ上げる。
「そ、そんな……私は、まだまだです」
「いえ。……ぼくは、リセル嬢を見習いたいと思いました。これから、もっといろいろ教えてください」
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いしますね、レオン様」
そのやり取りの傍らで、セラフィオスがじっとレオンを見つめていた。彼の視線はどこか鋭く、いつもの無表情の奥に、わずかな緊張が漂っている。
「……リセルお姉ちゃんは、ぼくたちのだよ」
その小さな声に、レオンはわずかに戸惑いを浮かべながらも、笑みを崩さずに応じた。
「もちろん、セラフィオス様。ぼくは、敵ではありませんよ」
その場の空気がふっと和らぎ、エリザベートとグレゴリウスはそっと目を細めた。
「ふふ……これで、ますますにぎやかになるわね」
「うむ。悪くない」
そんな祖父母の言葉に、リセルも小さく頷いた――この新しい空気が、どこかくすぐったくて、少しだけ嬉しく感じたのだった。




