継姉、家族の笑顔を見守りながら
朝の光が差し込む食堂には、ほのかに焼きたてのパンの香りが漂っていた。
祖父母の来訪から一夜が明けた朝――リセルは双子とともに整えられた朝食の席に並んでいた。セラフィオスは小さな手でスプーンを握りしめ、まだ少し緊張した面持ちで、祖父グレゴリウスの隣に座っている。セラフィーは祖母エリザベートに絵本を見せてもらいながら、時折くすくすと笑っていた。
昨日の出来事が、夢ではなかったと実感するには、十分な光景だった。
リセルは祖父母の姿を横目に見ながら、ゆっくりとパンをちぎった。
「昨夜はよく眠れたかしら?」
エリザベートが優しく声をかけると、セラフィーが小さく頷いた。セラフィオスも、もごもごと口の中のパンを飲み込んでから、「はい……」と静かに答える。
「それはよかったわ」
その様子を見て、グレゴリウスが満足げに腕を組んだ。
「ふむ、子どもというのは、やはりよく食べ、よく眠るのが一番だ。……それにしても、ずいぶん変わったものだな。ほんの数日前までの彼らの様子を思うと、信じられん」
祖父の言葉に、リセルは目を伏せる。
「まだ、戸惑いもあるようですが……。でも、こうして一緒に過ごせる時間があるだけで、きっと少しずつ……」
「うむ。それでいいのだ。大切なのは、“時間”と“意思”だ」
そう言って、グレゴリウスは一度うなずくと、ふと玄関の方を見やった。
「さて、そういえば――そろそろ到着してもいい頃だが……レオンのやつ、まだか?」
その名が出た瞬間、リセルは小さく首をかしげた。
「レオン様、ですか?」
「うむ。……お前と同じわしらの孫だ。正確には、おまえの“従兄弟”にあたるな。クラウスの弟の息子――つまり、おまえとは義理のいとこ同士だ」
「はい……。あまり詳しくはお聞きしておりませんでしたが」
エリザベートがふふっと笑う。
「少し引っ込み思案な子なの。こちらには一足遅れて来る予定よ。……あなたとも、ぜひ仲良くなってもらえたらと願っているの」
その言葉に、リセルは静かにうなずいた。
「はい。お会いできるのを楽しみにしております」
エリザベートが微笑みながらカップを置き、ふとリセルに向き直った。
「ところで、リセル。あなたが書いているという――あの絵本、見せてもらってもいいかしら?」
「はい。……あの、お見せするにはまだ、つたない部分も多いのですが……」
リセルは少し恥ずかしそうにしながら、椅子からそっと立ち上がる。そして、テーブルの端に置いてあった布張りのノートを手に取って戻ってきた。
それは、夜な夜なランプの明かりの下で少しずつ書きためた、セラフィーのための物語だった。まだ文字もあやふやなセラフィーが楽しめるようにと、簡単な言葉と挿絵を添えた素朴な一冊。
「まぁ……あなたが、これを?」
ページをめくったエリザベートは、その丁寧な手書きの文字と、可愛らしい挿絵の並ぶ様子に目を見開いた。
「まだまだ未熟ですけれど、セラフィーが気に入ってくれて……それだけで、私は嬉しくて」
「……これは、素晴らしいわ。子供向けの物語というよりも――気持ちがこもっているのが伝わってくるの。手放しで愛情を注がれている絵本とは、また違う温かさがあるわね」
頬に手を当てたエリザベートが、ふと真剣な目でリセルを見つめた。
「これは、もしかしたら商品化してもいいかもしれないわね。お話を練り直せば、王都の書店でも扱える可能性があるわ。……あなたの筆で描く物語なら、読んでみたいと思う人はきっといる」
「えっ……!」
リセルは驚きで目を丸くした。
まさか、自分の書いた“家族のための絵本”が、そんなふうに評価されるとは思ってもいなかったのだ。
「まだ、お話としては短くて……でも、もっとたくさん書いてみたいとは思っていて……」
「その気持ちを、ぜひ大事にしてちょうだい。応援するわ、リセル」
エリザベートの言葉に、リセルはしっかりと頷いた。
その様子を見て、グレゴリウスも静かにひとつうなずき、傍らの双子を見やった。
「ふむ。これで“家族の記録”にもなるというわけか。……なかなか面白い」
そんな温かな時間のなか、リセルはふと、心の奥に灯る小さな希望を感じていた。
祖父母との朝食を終えたあと、応接間に移ったリセルたち。セラフィーとセラフィオスは、絵本と積み木で遊んでいる。祖父母の視線は自然とその姿へ向けられ、会話も和やかなものが続いていた。
だが、やがてエリザベートがふと声を落とす。
「ところで、朝のお話の中で少し耳にしたのだけれど……。リセルの縁談が進んでいる、というのは本当なのかしら?」
その一言に、場の空気がぴたりと止まった。
リセルも祖父グレゴリウスも、一瞬言葉を失ったようにフローラを見る。
フローラは、少しも悪びれる様子なく頷いた。
「ええ、ええ。実は、あなた方にはまだ話していなかったんだけど――先日、子爵家のご当主から正式にお話を聞いていて。クラウスとも相談の上、こっそり進めていたのよ。まあ、あの子も年頃ですもの。良縁を逃す手はないでしょう?」
その言い方に、エリザベートがほんの少し眉をひそめる。
「年頃と仰るけれど、リセルはまだ十一歳でしょう?」
「ですけれど、公爵家の娘としての責任は変わりませんわ。むしろ、このタイミングで“良い家”と繋がりを作っておくことの方が大切ですのよ」
「――公爵家の娘、ね」
グレゴリウスが低く呟いた。重い声に、空気がわずかに冷える。
「そのような話、クラウスとは相談済みなのか?」
「もちろんですわ。夫も了承しておりますし、先方も大変ご興味をお持ちのようでして。こればかりは、引き延ばす方が失礼ですもの」
リセルは静かに拳を握った。
この話を、今初めて聞いた――それが何よりも、胸を重くした。
食後、使用人たちが静かに食器を下げ中、テーブルには穏やかな沈黙が流れていた。 双子はもう先の部屋まで下がって、残されたのは大人たちだけだった。
リセルは祖父母の様子を眺めながら、口を開く。
「おじいさま、おばあさま昨日……は本当にありがとうございました」
その言葉に、エリザベートは優しく優しいむ。
「礼を言うのは私たちの方よ、リセル。あなたが頑張ってきたから、今のあの子達があるでしょう?」
「……いえ。私はただ、少し背中を押しただけです。二人が、自分の足で立とうとしてくれたから」
そのあたりを聞いてましたグレゴリウスが、ふとフローラに論点を移す。
「えー、その『縁談』とは……どういうお話なのでよろしいでしょうか?」
落ち着いた声で問いかけると、フローラは軽いカップを問い、紅茶をひとくち飲んでから応じました。
「まあ、お聞きになりませんでしたね。先日、子爵家のご当主から正式なお話があって――家、近ごろ急に資産が持ち直した今日。リセルのような育ちのよい娘なら、あちらも喜んで迎えて協力してくれるそうですわ」
「子爵家? それはまた、マラソンと格が違う相手ではなくて?」
今度はエリザベートが、眉をひそめながら口を挟んだ。
「ご当主はまだ若くてしっかり者だと聞きますし、何より堅実な家柄だと思います。リセルにとっても悪い話ではないかと」
「……しかし、公爵家の名前を背負う孫娘が、子爵家に嫁ぐなどという話、聞いたことはありません」
グレゴリウスの言葉の気、わずかに強かった。
「どうも、その“子爵家”が最近やっと持ち直したという話なら、安定すら疑問が残る。まさか、資産だけで判断されたのではあるまいな?」
フローラはほんの眉をひそめるが、すぐに笑みを作りました。
「よろしい、お父様。私はとりあえず、リセルにとって無理のない選択肢を探しているだけですわ。公卿家の名前にこだわり過ぎても、縁談は進めなくてよ?」
「ではこだわりはない。『名』には責任が伴う。格に見合わぬ縁談など、娘の将来を狭めるだけだ」
エリザベートが静かに続けます。
「それに――リセルは、あの双子の姉でもあります。あの子たちが将来、『お姉さまのようになりたい』と誇れるような存在であってほしいのです。……そんな娘を、家格も釣り合うぬ家に急かして嫁ができるなど、あってはなりませんわ」
リセルは黙って二人の先にを聞いていたが、胸の奥がほんの少しだけその間なるのを感じた。 自分のために、ここまで真剣に言葉を尽くしてくれる大人がいる。
朝食のあと、リセルが食器を片づけようと席を立とうとしたとき、玄関から控えめな中断響いた。
「失礼いたします。お客様が到着しました」
家令の報告に、祖父母が顔を見合わせました。
「やっと来たようね」
エリザベートが穏やかに微笑み、グレゴリウスが立っていた。
「案内をお願いします。……リセル、おまえも来い」
「はい」
リセルは双子とともに立ち上がり、祖父母のあとに続いた。
応接中の扉がきまると、そこには落ち着いた黒の礼装に身を包んだ少年が立っていた。
「レオン、無事に着いたか」
「はい、お祖父様。道中、問題はありませんでした」
「よく来てくれたわね」
エリザベートが優しく声をかけると、少年――レオンは深く下げた。
「ご挨拶が遅れました。セラフィオス様、セラフィー様、そして……リセル様です。初めまして。レオン・ヴァレンティアと申します」
丁寧な所作に、リセルは最小限開いた。想像していたよりも、ずっと礼儀正しい印象だった。
「リセル・ヴァレンティアです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
祖父母がそっと目を細めて二人で守る。
「レオンはクラウスの弟の息子だ。そのうち、おまえにとっては『義理のいとこ』ということになるな」
「はい……。あまり詳しくはお聞きしておりませんので」
リセルのスカーフに、エリザベートがふふっと笑った。
「しばらく滞在する予定よ。あなたとも仲良くなれるといいわね」
「はい。お会いできて嬉しいです」
その言葉に、レオンも小さく微笑んだ――その顔には、少しだけ緊張が残っているようだったが、どこかリセルと似た「遠慮深さ」が滲んでいた。




