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継姉、見えぬ不安に胸を締めつけられる

朝の光がやわらかく差し込む室内で、セラフィーがスカートの裾を掴んで、ぱちりとリセルを見上げた。


「ねえ、リセルお姉さま。今日は……お花、あるかな?」


「ふふ、どうかしら。探しに行ってみようか」


リセルがそう返すと、セラフィーはぱぁっと笑顔を弾けさせて小さく跳ねた。隣にいたセラフィオスも、きちんと整えた襟元を直しながら口を開く。


「じゃあ、僕は絵本を持っていくよ。お姉さま、また昨日の続き、読んでくれる?」


「ええ、もちろん」


リセルはふたりの反応に心から微笑み返す。けれど、胸の奥では小さな波紋が静かに広がっていた。


(あと、1週間……)


あの祖父母たちが、この家を訪れる。


それ自体はただの予定でしかない。けれど、どこか喉の奥に引っかかった棘のように、その事実はずっとリセルの心を刺していた。


(優しい方たちだったらいい。でも……もし、父上や母様と同じような価値観の人たちだったら――)


目の前のふたりが、怯えることになるかもしれない。せっかく取り戻しつつある“安心”を、また壊されるかもしれない。そんな思いが、ふとした拍子に胸を締めつける。


だがリセルは、ふたりにはその不安を悟らせまいと決めていた。


「じゃあ、お花を摘みに出かける準備をしましょうか。帽子と、日除けのストールも忘れずにね」


「はーい!」


「わかった!」


無邪気な返事が返ってくる。その声が、リセルの決意に少しだけ勇気をくれる。


(――いまは、目の前のこの時間を大事にしないと)


彼女は小さく呼吸を整え、ふたりの手を引いて部屋を出た。


庭の一角、淡い紫の小花が風に揺れていた。


「これ、あまいの……」


セラフィーがひょいと花びらを指で摘み、そっと蜜を吸う。リセルは驚いて声を上げそうになったが、すぐに思い出す。


(そうだ、これ……前の世界でも、やってた。ツツジの蜜を吸ってた子、たくさんいたっけ)


「ねえ、リセルお姉さまもやってみて?」


「ふふ……じゃあ、ひとつだけね」


小さく摘んだ花を唇に寄せると、ほのかに甘い味が舌に広がった。懐かしい。けれど同時に、ふと胸が締めつけられる。


(この子たちは、こういう遊びも知らなかったんだ)


そう思った瞬間、セラフィオスが花を指先で転がしながら、ぼそりとつぶやいた。


「こういうの、初めてだな……外で遊ぶの、こんなに楽しいんだね」


「今までは、外に出してもらえなかったから……?」


リセルが問いかけると、セラフィオスは小さく頷いた。


「うん。だって、外に出たら怒られたから。大人の人たちが“ややこしいことになる”って言ってた」


その言葉に、リセルの中で過去の記憶と現在の不安が交錯する。


(あの人たちは“ややこしい”と感じてたんじゃない。ただ、“見たくなかった”だけ。存在を、関わることを)


草の上に敷いた布の上で寝転ぶセラフィーが、リセルのスカートの裾を小さくつまんだ。


「ねえ……また、絵本読んで?」


「もちろん。あとでおやつの時間にも、読み聞かせしようね」


リセルは微笑んで答える。その笑顔の裏に、不安の色が影を差していた。


(祖父母が来るまで、あと1週間――この子たちがまた、否定されるようなことにならなければいいけれど)


けれど、今はまだそんな話をするべきではない。


「ほら、次はあの花まで競争よ!」


「負けないよ!」


ふたりの笑い声が広がる。リセルは心を振り払うように、ふたりのあとを追った。


静かな夜だった。


昼間の喧騒が嘘のように、屋敷の回廊はしんと静まり返っている。リセルは蝋燭の灯りを頼りに、寝室の前で足を止めた。


扉をそっと開けると、セラフィーとセラフィオスはベッドの中で寄り添うように眠っていた。リセルはその傍らに腰を下ろし、ふたりの髪を優しく撫でた。


(あの子たちは、ようやく笑うようになった。ようやく、子どもらしい顔を見せてくれるようになった)


リセルは胸の奥にわずかに滲んだ感情を、吐息に混ぜてそっと吐き出す。


(あと1週間……)


ヴァレンティア公爵家に、祖父母が来訪する予定があると聞かされたのは先週のことだ。父の口から淡々と伝えられたその知らせに、リセルは無意識に肩を強張らせていた。


(味方になってくれる可能性もある。けれど、逆もまた然り)


父や母と同じように、セラフィーとセラフィオスを“厄介な存在”と見なす人々ならどうしよう。祖父母の影響力は大きい。もしこの子たちの立場が、今よりも悪くなるようなことがあれば――


「……絶対に、そんなことにはさせない」


寝息を立てるふたりに聞こえないように、リセルは呟いた。


(この1週間で、もっと絆を深めておこう。ふたりが心から安心できるように。たとえ誰が何を言おうと、私がこの子たちを守るんだ)


その決意を噛みしめながら、リセルは立ち上がり、もう一度静かにふたりを見守った。


蝋燭の炎が小さく揺れる。

その灯りに照らされたリセルの瞳は、確かな強さを帯びていた。


「おじいさまとおばあさま、もうすぐいらっしゃるんだよね?」


朝の食卓で、セラフィーが目を輝かせながら聞いてきた。


「うん、あと一週間でね。だから、迎える準備を少しずつしていこうか」


リセルは微笑みながら答えた。ふたりには、祖父母のことをまだ詳しく話していない。けれど、“おじいちゃん”“おばあちゃん”という存在への憧れは、子どもなら自然に芽生えるものだ。


「お姉ちゃん、何をするの?」


「まずは……お手紙を書こうと思ってるの。それから、セラフィオスとセラフィーも一緒に、贈り物を用意してみない?」


「おくりもの……!」


セラフィーは小さな両手をぱっと広げて笑顔を見せ、セラフィオスも「ぼく、がんばる」と言ってくれた。


「じゃあ、絵を描くのはどうかな? ふたりともこの前、すごく上手に花の絵を描いてたでしょう? それに、折り紙でお花を作るのも素敵かも」


「やるーっ!」


「ぼくも!」


ふたりはわくわくとした様子で立ち上がり、早くも部屋へ走っていきそうな勢いだった。


(この子たちはまだ、祖父母が自分たちをどう思っているのか知らない)


リセルは小さく息を吐いた。だからこそ、今のうちに「楽しい期待」と「心の準備」のバランスを整えてあげなければならない。


――たとえ、冷たい言葉を向けられても。

――たとえ、期待を裏切られても。


ふたりが傷つく前に、守るのは自分の役目だ。


「じゃあ、お花の絵を描いたら、リボンもつけようか。きっと、すごく喜んでくれるよ」


「ほんとに?」


「うん。おじいさまとおばあさまは、きっと素敵な人たちだと……思うから」


(そう信じたい。今は、まだ)


リセルの胸には、わずかな期待と、覚悟が同居していた。


「お姉ちゃん、みて! これ、うまく描けたよ!」


セラフィオスが手にした紙には、ピンクや黄色の花が丁寧に並び、その中央には大きなハートが描かれていた。となりでセラフィーも、くしゃくしゃになった紙を両手で広げながら「おばあさま、すきって書いたの」と誇らしげに笑っている。


「うん、すごく素敵。ふたりとも、きっと喜んでもらえるよ」


リセルはふたりの頭を優しくなでながら、手元の便箋に視線を戻した。


祖父母に宛てた手紙。筆跡は丁寧に整えたが、そこに綴った言葉は、どこか慎重だった。


“私自身もまだ、この家のことを多くは知りませんが、双子たちはとても素直で、愛情深い子たちです。どうか、あの子たちに目を向けていただければ幸いです”


自分にできることは限られている。だが、たとえ少しでも二人を守れるのなら――そのための手紙だった。


「リセルお嬢様、失礼いたします」


控えめなノックと共に扉が開き、セシリアが入ってきた。彼女は手に紅茶の盆を持ちながら、ふと双子たちの作品に目を留める。


「まあ……これは、おふたりが描かれたのですか?」


「うん。おじいさまとおばあさまに渡す絵をね。がんばってくれたの」


「……とても綺麗ですね。きっと、心を動かされると思いますよ」


珍しく柔らかく微笑んだセシリアの言葉に、リセルも安堵の息をついた。


けれど――。


その夜、リセルはふと、屋敷の廊下で使用人たちの小さな噂話を耳にする。


「今度いらっしゃる前公爵夫妻……ずいぶん厳しい方だったと聞きますわ」


「今のご当主様のあの性格も、もとはといえば前公爵様の教育の賜物って話ですしね」


「双子様のこと、どう思われるのかしら……」


それを聞いて、リセルの胸に冷たいものが流れ込んだ。


(……やっぱり、簡単な相手じゃない)


祖父母がどういう人物か、まだ何も知らない。自分たちにとって味方になるか、それとも――。


「……それでも」


リセルは、両手を握りしめた。


(どんな相手だろうと、私はふたりを“差し出す”なんてしない。絶対に)

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