継姉、ふたりの笑顔のために物語をつむぐ
子ども部屋に柔らかな朝の光が差し込む。窓辺には涼しい風がそよぎ、レースのカーテンをやさしく揺らしていた。
床に敷かれた布の上では、セラフィオスとセラフィーが並んで座り、木製の積み木を使って何やら真剣に遊んでいた。塔のように高く積み上げようと、二人で息を合わせて一つひとつ積んでいく。
「それ、うえにのせて……そうそう、うまいよセラフィー」
「えへへ……おにいちゃん、こっちも、かして」
二人のやり取りはまだたどたどしく、不器用ながらも穏やかだった。
リセルはその様子を少し離れた椅子から見守っていた。彼女の膝の上には、読みかけの絵本と、いつもの手帳が乗っている。
(本当に、少しずつだけど変わってきた……)
出会ったころのふたりは、表情が乏しく、目もあまり合わせなかった。それが今では、お互いの名前を呼び合いながら、小さくてもちゃんと「遊び」を楽しむようになっている。
だが。
ふと、積み木が崩れてしまったとき――
「……っ」
セラフィオスがびくりと肩を震わせた。セラフィーも、はっとしたように黙り込む。
(……まだ、「音」に反応してしまう)
リセルは胸の奥が締めつけられるような気持ちになる。小さな不安、小さな恐怖が、まだふたりの中に根を残している証拠だった。
そのとき、セラフィーが顔を上げてリセルに微笑みかけた。
「おねえちゃん……えほん、よんで?」
「ええ、もちろん」
リセルは絵本を開き、ふたりを膝に招く。ふわりと寄り添ってきたふたりの頭に、そっと手を添えながら、ページをめくる。
けれど――。
(このお話、もう何度も読んだものね。そろそろ……ふたりのために“新しいお話”を作ってあげたいな)
ふたりの不安を優しく包み込めるような。
ふたりが「自分も大切な存在だ」と思えるような。
そんな――“ふたりのためだけの物語”を。
リセルはふたりの柔らかな髪を撫でながら、そっと心に誓った。
夜。リセルは自室の机に向かっていた。窓の外はもうすっかり暗く、部屋のランプだけが彼女の手元を照らしている。開かれたノートには、まだ何も書かれていなかった。
(ふたりが思わず夢中になるような……そんなお話を作りたい)
ペンを握る手に、自然と力がこもる。
思い浮かべるのは、かつて保育士だった頃の記憶――特に、心を閉ざしていた子どもたちが、食いつくように読み聞かせを求めた絵本の数々だ。
――空腹の人に、食べられる自分の顔ごと差し出して助ける優しい主人公
――魔法の言葉で変身し、仲間を守る強くて可愛いヒロイン
――色とりどりの衣装で、力を合わせて困難に立ち向かう仲間たちの冒険譚
(勇気、優しさ、助け合い……そういうテーマが、いつも子どもたちの心をつかんでいた)
セラフィーの目を輝かせるのは、きっと可愛くて頑張り屋な主人公。
セラフィオスなら、誰かを守るために行動する真っすぐな子に共感するかもしれない。
(ふたりが自分を重ねて、“こんなふうになりたい”って思えるような物語……)
紙に、ふわっと鉛筆の線が走る。
耳をすませば、夜の静けさのなかにふたりの寝息が微かに聞こえる気がした。
(この世界に、ふたりだけの“ヒーロー”と“ヒロイン”を誕生させよう)
次のページには、まだなにも描かれていない。けれど、そこには確かに“希望”が芽吹いていた。
「主人公の名前は……ううん、まだ決めなくていいか。まずは“どんな子”かから考えよう」
リセルはノートに向かい、鉛筆を走らせながら呟いた。
真っ白なページに浮かんできたのは――まるで、セラフィーを少し背伸びさせたような、愛らしくて健気な少女。
“恥ずかしがり屋だけど、困っている人を見捨てられない子”
“とびきり強いわけじゃないけど、大切なものを守りたいと思っている子”
“笑顔で「大丈夫だよ」って言える子”
その横には、セラフィオスの面影を重ねた男の子も加わる。
“冷静で、ちょっぴりクールだけど、優しくて頼りになる子”
“誰よりも仲間を信じていて、後ろからそっと支えてくれる存在”
(ふたりのことを思い浮かべながら作れば、きっと伝わるはず)
物語の舞台は、空を駆ける列車の上、深い森の中、輝く星の海――次々に想像が広がっていく。
けれどその手は、何度も止まり、消しゴムを走らせていた。
「うーん……“悪い奴をやっつける”だけじゃ足りない。ふたりが安心できるような、優しさも込めたいんだよね……」
何度もページをめくっては戻り、ペンを置いてはまた握り直す。
部屋には小さなランプの灯りと、紙の擦れる音だけが響いていた。
(“守られるだけの存在”じゃない。――ふたりにも、誰かを守れる力があるんだって伝えたい)
その思いが、物語の芯になりつつあった。
ふたりの目が輝くような展開を――そう願いながら、リセルは夜更けまで紙に向かい続けた。
「これは――もうちょっと、こっちに花を描こうかな」
リセルは膝の上のスケッチブックに、色鉛筆を走らせながら小さく呟いた。
そのページには、冒険に出るふたりの小さな主人公と、彼らを導く優しい光の精霊が描かれていた。
仕上げるのは子どもたちが午睡をしている間や、別室にいるわずかな隙間時間。
大きな机で堂々と描くことはできない。これは“サプライズ”なのだから。
(ふたりの目が、あの時みたいに輝いてくれたら――それだけでいい)
庭遊びの日、初めて見せた無邪気な笑顔。
あの表情を思い出すたび、リセルの手は自然と動いていた。
「おねー……ちゃん、なにしてるの?」
不意に背後からかかった小さな声に、リセルはびくりと肩を跳ねさせた。
「わっ……セラフィー!? びっくりさせちゃダメだよ〜」
「……なに、それ。おえかき?」
「あっ、これはね、えーと……お姉ちゃんのお仕事!」
そう言って咄嗟にページを閉じると、セラフィーは首をかしげながらもにこっと微笑んだ。
「へー……きれい」
そのひと言に、リセルは胸が温かくなるのを感じた。
(ああ、ちゃんと色や形を見て、“きれい”って思えるようになったんだ……)
かつては、無表情で何も口に出さなかったセラフィーが、今はこうして素直に言葉を発してくれる。
ほんの小さな変化――けれどそれは、何よりの希望だった。
「……もう少ししたら、ふたりに“プレゼント”があるからね。楽しみにしてて?」
「うん!」
その返事が、心の奥にそっと灯りをともす。
絵本の完成も、もうすぐだった。
「……できた」
ページの最後に色鉛筆で光の星を描き終え、リセルはそっと息を吐いた。
小さな紙の束は、リボンで丁寧に綴じられている。表紙には、名前も題名も書いていない。
ただ“ふたりにだけの物語”として、そっと贈るつもりだった。
その日の午後、子ども部屋に入ると、ふたりは窓辺で並んで座っていた。
セラフィーは布の人形を抱え、セラフィオスは何やら真剣な顔で積み木を見つめている。
「ねえ、ふたりとも」
リセルはそっと声をかけ、背中に隠していた絵本を取り出した。
「これはね――お姉ちゃんからの、プレゼント」
ふたりがぱちりと瞬きをした。
「いつもがんばってるふたりに、“ありがとう”の気持ちを込めて、描いたの。よかったら、一緒に読もう?」
そっと差し出された絵本を、セラフィオスがそっと手に取る。
セラフィーは、おそるおそるページをめくり、描かれた冒険の世界に小さく声を漏らした。
「……これ、わたしたち?」
「うん。ちょっとだけだけど、モデルにしたの。ふたりが、勇気を出して前に進むお話だよ」
セラフィオスが、ページを戻して何度も見直す。
「この子……なんか、僕に似てる」
「お姉ちゃん、これ……すごく、すき」
セラフィーが小さくそう言って、リセルの袖をきゅっとつまんだ。
その瞳には、まぎれもない“信頼”が宿っていた。
「ふたりが、これからもっと自分の世界を楽しめるようにって思って作ったの。まだ少し拙いかもしれないけど――」
「ちがう。……これ、いちばん、うれしい」
セラフィオスがぽつりと呟き、リセルを見上げた。
「ぼく、こんなにたのしいお話、はじめて」
「……ありがと、おねーちゃん」
リセルはそっとふたりを抱きしめた。
「……私のほうこそ、ありがとう。ふたりがいてくれるから、私は前を向けるの」
部屋の窓の外では、夏の名残をとどめた風が木々を揺らしていた。
小さな物語は、まだ始まったばかり。
でもそこには、確かな一歩と、たしかな笑顔があった。




