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継姉、閉ざされた公爵家へ

「私は、この母についていく気はない――」


公爵家の門をくぐるとき、私の心にはその言葉だけがあった。

母は隣で浮かれるように笑っていたけれど、私の目は、別の場所を見ていた。

立ち並ぶ衛兵、磨かれた石畳、圧倒的な建築……けれどそれらよりも私の視線を惹いたのは、屋敷の奥にある小さな窓の、その向こう。


カーテンの隙間から、じっとこちらを見ていた子供の瞳。

怯えでも、好奇心でもない。

ただ、静かに、私たちを見ていた。まるで、“また来た”とでも言いたげに。


「ほらリセル! あんたも笑いなさいな。せっかく“お嫁入り”なんだから!」


母――フローラ・カリナイトが高らかに笑った。

深紅のドレスに金のレース、無駄に大きな羽飾り。まるで見世物。

母にとっては、私もその一部だろう。


私は軽く会釈をして、ただ一言だけ返す。


「“お嫁入り”ではありません。私は、お荷物ですから」


「もーう、そんなこと言って~! 公爵様はあんたのことも家族として迎えてくださるのよ? 感謝しなくちゃ!」


軽やかに歩いていく母の背中を見ながら、私は無言でその言葉を否定する。


私はこの家に、“家族”を求めにきたわけじゃない。

けれどあの窓の向こうに見えた小さな目が――ほんの少しだけ、胸に引っかかった。


玄関扉の先には、整然と並ぶ使用人たちの列があった。

黒の制服、白の手袋、無表情のまま礼を取る動作は機械のように完璧で、伯爵家とはまるで違う格式を感じさせる。


その中央、階段の途中に立っていたのが――彼だった。


黒髪、鋭い眼差し。軍服のような装いをした男性が、視線だけをこちらへ向けていた。

表情は動かない。声もなければ、手を差し伸べる様子もない。ただ、見ている。


母が一歩前に出る。


「まあまあ、公爵様! お久しぶりですわ。こちら、うちの娘でございますの。リセル・カリナイトと申します。あらためて、どうぞよろしくお願いいたしますわ♡」


猫なで声。意味もなく翻るドレスの裾。まるで舞踏会のように仰々しい所作で母は頭を下げる。


その横で、私は静かに一礼した。


「はじめまして。……お招きに感謝いたします、公爵閣下」


男は数秒の沈黙の後、ようやく口を開いた。


「フローラの娘だな。……余計な詮索や干渉は不要だ。そなたの“義妹と義弟”に関しても、世話は乳母がする」


それだけ告げて、公爵――クラウス・ヴァレンティアは背を向けた。階段を静かに上がり、やがて姿が消える。


母は気にした様子もなく、ひとりくるくるとターンして見せる。


「ねっ! ちゃんとお屋敷の主様も“家族”として認めてくださってるじゃないの!」


誰もそんなことは言っていなかった。


それでも、私は黙って彼女に付き従う。

“この人”が舞い踊る限り、私の役目は“床を汚さないよう歩く”ことにあるのだ。


廊下の奥から、小さな足音と布の擦れる音が聞こえてきた。

それはやがて角を曲がり、姿を現す。


青い瞳の少年と、その影に隠れるようにして歩く小さな女の子。

二人の手はつながれていない。けれど、気配はぴたりと寄り添っていた。


「カリナイト家からお越しの令嬢様でございます。……あちらが、双子のお子さまにございます」


使用人のひとりが低く告げる。


「……あら、あれが……まあ、どうでもいいわ」


隣で、母が気のない声で言った。

まるで家具でも見るような、興味のかけらもない目つきだった。


私は、目の前の二人をじっと見た。

少年のほうは、わずかに眉をひそめてこちらを睨んでいる。

少女は彼の袖をしっかり握り、半歩うしろに隠れていた。


(……ああ、この子たち、ずっとこうして生きてきたんだ)


言葉は交わさなくても分かる。

この子たちは母の顔すら知らず、きっと父の声もろくに覚えていない。


私はゆっくりとしゃがみこみ、できるだけ優しい声で話しかけた。


「はじめまして、私はリセル。これから、私はあなたたちのお姉ちゃんになるの。よろしくね」


少年は返事をしなかった。だが、そっと妹をかばうように立ち位置を変えた。


その動きだけで、彼がどれだけ妹を守ろうとしているのかが伝わってきた。


(セラフィオスと、セラフィー。二人は、まだほんの幼いのに)


その背に、傷のような影が見えた気がした。


重厚な扉の閉まる音がして、ようやく一日の幕が下りた。

与えられた部屋は広く、立派な調度でまとめられている。

けれど窓も壁も、天井さえも、どこか“冷たい”。


私はベッドの縁に腰かけて、持ち込んだ小さな荷物を見つめた。

実家から持ってきたのは、必要最低限の服と、父方の祖母が遺してくれた唯一の手帳だけ。


「……本当に、来ちゃったんだ」


自分の声が、ひどく遠くに聞こえた。

母についてきたわけじゃない。

公爵家の資産が目当てだったわけでもない。


でも、あの子たちの、あの目を見たから。

私が過去に何度も見てきた、泣いて、耐えて、助けを求めていた子たちの――あの目と、まったく同じだった。


「大丈夫。私は保育士だったんだから。……子どもの扱いは、得意なはず」


前の人生で、私は保育士だった。

忙しくて、騒がしくて、面倒で、でも、かけがえのない毎日だった。


それを思い出したのは、今の人生で五歳のとき。

突然、脳に流れ込んできた感情と記憶に、私はしばらく言葉が出なかった。


でもそれをすぐに誰かに話そうとは思わなかった。

伯爵家の人間に知られれば、都合よく使われる未来しか見えなかったから。


そして、私の母――フローラが、クズだということも、その時に理解した。

浪費と見栄でしか動かず、娘すら道具扱いする人間。

このままではいけないと、私は心のどこかで、ずっと思っていた。


「……リセル・カリナイト…ううん、リセル・ヴァレンティアとして、私はもう一度やる。今度こそ、守れるように」


星明かりだけの静かな部屋で、私はそう呟いた。


外の世界はまだ眠っている。


けれど私は目を閉じなかった。


ここがどんなに冷たくても、あの子たちの居場所にしてみせる。


この家に、家族という言葉を取り戻すために。

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