帰還
『エネルギー充填完了。2400秒後にエンジン点火。』
聞きやすい女性の機械音が現状を報告する。シドとレイが活動拠点とする衛星基地を制御する人工知能だ。
≪いよいよ引っ越しですか。≫
「ええ、飛び立つにしても時間を要しましたね。」
今日は衛星基地を本土移転計画の決行日だ。
衛星基地は複数の宇宙船を連結して建てられている。最も古い機体では1000年ぶりの離陸なのだ。点検や整備などで3年程要した。
地上に降りれば数百年保管されていた過去のテクノロジーのデータが役に立つ。
人々の暮らしも豊かになり、文明も飛躍することだろう。
「この景色も見納めですか。」
≪今の地上に宇宙船を飛ばせるエネルギー資源がありませんからね。≫
シドとレイは窓から星空と青い海を見つめる。レイは700年ぶりの地上、シドにとっては初めての地上だ。衛星基地ではレアに建設されたダイソン球からエネルギーを供給できていたが地上に降りたらそうはいかない。終末日に全ての供給配線が断絶されてしまったのだ。そしていまの地上には繋ぎ直す技術も資源もない。一度降りたら数十年か百年単位で戻ることは出来ないだろう。
『全機、連結を解除します。』
機械音と共に施設全体が微弱に揺れ、宇宙船同士を行き来ていた扉は強固な扉が閉まる。連結部分が外れいよいよ離陸準備が着々と進んでいるのだ。
≪シド、離着陸はかなり揺れます。制御室へ行きましょう。≫
「ええ。」
名残惜しそうに外を見ながらシドは母船の制御室へと移動した。よくある宇宙船のコックピットのような作りではなく司令塔のような作りだ。
複数の椅子と三つの操縦席、艦長席であろう中心の椅子にシドは座った。現在の状況が空中投影された複数のディスプレイへ映し出される。
着陸予定地は神の領域内である極東の大陸。700年前に栄えたフォルマシオンという国の跡地だ。衛星写真で見る限りクレーターのような巨大な円の更地となっているから着陸にはうってつけの場所だ。
≪ここで私達は同胞を失いました。≫
数百年も草木も生えない焦土の更地と化した土地。始祖と破壊神が衝突した場所だ。一瞬にして国も人も始祖も灰になった。
≪人の想像を超える恒星文明の科学力は一日、いえ、たったの十数時間で過去のものとなりました。≫
シドが転移したのは2022年の地球だ。
衛星基地リビアを見る限り、過去のR-0009のテクノロジーは21世紀の地球文明をはるかに超えるのだ。超未来やSFに登場するような機器が当たり前のように存在する。
≪R-0009に来たときは猿にでもなった気分でしたよ。≫
最初の転移者である始祖達はあまりの科学力の違いになれるまで時間がかかった。
≪転移前の事は、人から教えられた事だから事実かわかりません。≫
でもそれは全ての過去に順応する理論だ。人の話や古人の残した書物の記載が事実だと
限らない。体験していないのだから当然だ。ただ、信じるか否か。でもそれしか手懸りがないのだから暗黙の承認。
星暦3785年。人権や倫理を無視した実験が各地で行われていた。各地の研究所で絶滅動物復活研究が実施され都合よく遺伝子組替処置を施した絶滅種がペットや観賞用として多量化する。でも実験は動物で終わらなかった。
やがて研修対象が人間に変わる。知能、運動神経、頭髪や容姿など人形を作るように希望通り遺伝子レベルでコントロールできるデザイナーベイビー、科学技術の遺伝子操作によって脳の一部が異常発達しESPが使える人工超能力者、細胞配列を並べ替える事で半人半獣の形態をとる変身人間や他生物との混合種キメラヒューマンなどが誕生した。そしてバイオテクノロジーの進歩により、優れた者の出生のみ承認して劣った者の出生を防止する優生学的な価値観が普及。人体が資源扱いとなる。
≪その現状に倫理学者は溜息を零し、法律家は頭を悩ませたそうです。人の心を持った人の方が多かったわけだし、当然といえば当然ですが。≫
そんなことも関係なく、危険な研究や不法な研究を進める為の施設、巨大宇宙船型研究所ヴァイス製造計画が秘密裏に開始する。その乗組員として史上最高研究チームイザベル結成した翌年に巨大宇宙船型研究所ヴァイスが打上られた。これが後の衛星基地リビアの基盤となる宇宙船だ。
その一方で、遺伝子操作により平均寿命が150歳という不老長寿の長命種族の誕生により、世界人口が120億人を超え、各国で生存可能な惑星移住計画が本格化しだした。
狂った繁栄時代の中、惑星移動に使う為に開発した転移装置の試作品が出来上がる。そして12人の稀人の始祖が転移した。
≪転移の過程で分子にまで分解されて膨大なエネルギーを浴び、再び結合して人の姿になった私達は人ではありませんでした。≫
魔法や超能力のような奇妙な力、全ての始祖をヴァイスへ運び調査したが当時の科学力では何も分からなかった。程なくしてヴァイスで研究を進める為だけに造られた頭脳強化デザイナーベイビーが生まれた。
それがフィンと呼ばれた科学者だった。期待通りの成長と頭脳を持ち、10歳の若さでイザベルの最高責任者に選抜された。凍結された始祖の調査が再開し、身体構造を調べた結果、不老不死に近い身体を持っていたと分かる。魔法や超能力のような特殊な能力をも科学的に開明した。
人類の夢と理想を持つ始祖の特性を人間に移植する方法が研究されたがその成果がでることは無かった。
しかし宇宙空間も生身で遊泳できる始祖の身体能力と異能でR-0009の科学力は発展を遂げ、ダイソン球が完成する頃にはエネルギー問題も食料や資源不足も解決し惑星移住は白紙となる。
≪ミラに設立された衛星基地はリビアと名前を替えて小国くらいの巨大な施設となりました≫
数百年後、人一人いない忘れられた基地になるとは夢にも思わなかっただろう。折角の莫大なエネルギーを供給するダイソン球も使用者の乏しい無駄な建築物となり果てている。
≪今では見る影もないですね。≫
人々の暮らしは夜の灯にランプや蠟燭を使い、便利な生活道具などない。生存圏は狭く、度重なる内乱や侵略戦争で人口が増えることもない。
共通の敵がいるというのに味方同士でも争いがおき、時には共倒れとなっていた。
「嘆かわしい事ですね。」
≪だから過去の平和を取り戻す為に、地上へ行くんです。≫
決意にも似たレイの言葉と同時にエンジンが点火する。数秒の間に機体にエネルギーが行き渡り、機体は数百年ぶりに離陸した。
「……レイ。酔いそうです。」
身体にかかるGと浮遊感に心なしか青い顔でシドが呟いた。
≪気のせいですよ、シド。身体強化の付与によって乗り物酔いなんかしません。≫
「病は気からというじゃないですか。身体が強化されてても酔うと思ったら酔ってしまうんですよ。」
≪酔わないという確固たる意志を持ってください。≫
「無理です怖いです、数分後に大気圏突入とか吐きそうです。」
≪酔っても吐いても気絶しても構いませんがしゃべらない方が良いですよ?衝撃で舌噛んだり顎の骨が骨折したりしますから。≫
心無いレイの一言でシドは顔を青くしたまま押し黙る。しかし、機体が大気圏を突入し宇宙と空の狭間を通り過ぎるまでシドは長い長い悲鳴を上げるのだった。人とはこんなにも悲鳴が長く続くのかと隣で聞いていたレイは感心するほどに長い悲鳴だった。
紫色の雲を抜けて地表が見える頃には案の定シドは意識を飛ばしている。着陸の衝撃を気絶したまま過ごしたのは幸いかもしれない。
窓から見える景色は紫の空。淀んだ空気。黒い大地。α元素濃度もそれなりに高く、空気成分は浄化地帯と異なる。調律師でなければ呼吸すら出来ないだろう。
≪シド、シィィィィィィドォォォォォォォォ!着きましたよ?起きてください。≫
羽根で頬を叩いても、かぎ爪で花を摘まんでもシドの意識は戻ってこない。仕方なくレイは思念を本体に戻してシドのいる制御室へと行く。
「シド、シド。夕弦!朝ですよぉ、ご飯ですよぉ、遅刻しますよぉ。」
機械音混じりの野太い声で呼びながら肩を掴んで揺することでようやくシドの意識が覚醒する。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあああああああああ。」
久方ぶりに至近距離で見たレイの禍々しい本体に目覚めたシドは絶叫したのだった。
◆リビア…第一衛星ミラに建設された基地の総称。複数の宇宙船を連結させて出来ている。
◆フォルマシオン…大陸の極東に位置する700年前に栄えた国。クレーターのような巨大な円形の更地となっている。
100年経っても引き籠りのシドに大気圏突入は耐えられない。