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異世界派遣社員の憂鬱  作者: よぞら
新の章
26/36

花屋

 恋は落ちるもの。愛は育むもの。

 恋は自分の気持ちを大切に、自分の幸せを願う。

 愛は相手の気持ちを大切に、相手の幸せを願う。

 恋を愛だと錯覚したまま落ちた先で育む事を厭い、気付いた時には失っていた。


 姫乃(ヒメノ) (キヨシ)は根性論を美徳とする時代に生きた類なき努力家である。

 努力だけで信頼、実力、権力を手に入れた。

 仕事では多くの功績を残し、定年退職を惜しまれて特別指導者の席を用意されている。

 一流大学を卒業し有名企業に就職して立派に一人立ちした息子。早くに結婚し上の孫は中学生になる。

 私生活を支えてくれたのは奥ゆかしい妻。

 現役から特別指導者と席を移せば時間に余裕が出来る。妻を連れて旅行へ行こうと思っていた。身を粉にして働き続けた自分へのご褒美だ。


 最後の業務を終えて帰宅した日、彼女は家から出て行った。


 思えば、家族と過ごす時間などなかった。忙しさを理由に作ろうともしなかった。

 もう一度やり直そうと若かりし頃にしたプロポーズの時のように薔薇の花束を持ってスーツを着て彼女に会いにった。

 言葉にしなかった彼女への愛を伝えようと逢いに行った先で絶望した。

 彼女は自分には見せたことがない花の咲く様な笑顔で笑っていたのだ。

 自分のいない世界で笑っていた。


「貴方も私のいないところで幸せになってくださいね。」


 出で行くときの彼女の言葉が脳内に蘇り胸に刺さる。

 これは罰なのだろうか。

 彼女からの愛が当たり前にもらえるものだと慢心し、貰うばかりで一滴も返さなかった。奪うばかりで与えなかった。


 どこから間違っていたのだろう。


 最初からすべて間違っていたのだ。

 もう一度、もう一度だけ叶うならば、もう一度だけ彼女と恋に落ちた瞬間からやり直したい。今度こそ間違えない。

 脳内の彼女が浮かべる義務的な笑顔が心からの笑顔になるように。




。+・゜・☆.。.+・゜melancholy゜・+.。.☆・゜・+。




≪美しい夜の女神たちに出会えた奇跡を私は何に感謝すれば許されましょう。夜空を閉じ込める魅惑的な瞳を見つめた瞬間、恋の深淵に堕ちて君という美しい存在に身を焦がし真っ黒に焼けた私はちっぽけな木炭。どうか激流に溺れる私を白魚のような指先で救い上げて貴方を温める栄誉をお与えください。そして叶うならばこの想いを愛に育てるべくこの身を捧げましょう。≫


 吟遊詩人が愛を語るように囀る白い小鳥を美しく着飾った数人の女性が囲っている。


「あら、もう。お上手なんだから。」

「ほんと可愛いお客様。」

「小鳥ちゃん、私と一夜の恋に落ちましょう。」


 ボディラインがくっきりと浮かぶタイトなドレスに身を包み花で飾られた美しい女性達は取り合うように白い小鳥、もといレイを抱きしめて撫でていた。

 髪色や肌色はバラバラだが強膜が黒で統一されている彼女たちは遊花と呼ばれるホステスだ。

 ここは花屋敷と呼ばれ、ウォール諸島共和国西南に位置する群島の狭間にある約50ヘクタール程の海中街。神の領域の住人である黒強膜族(ディーアイン)の統治する領土であり、花屋と呼ばれる街のトップはココメロ王国女王ルチアとも繋がっている。

 表向きには高級な花街であるが要人の隠れ宿や秘密の会合など政治的な場所として使われることが多いため裏の情報収集の場として重宝されていた。

 もちろんルチアと繋がりのある調律師の存在も認知されており、シドは世界に点在する花屋敷に伝達役の調律師を置いている。


「ヒメも恋してきて良いですよ。ここでは護衛任務は不要ですから。」


 女性に囲まれるレイを見ながらシドは背後に控えるヒメに言う。高い魔力と高度の魔術を扱う黒強膜族(ディーアイン)の遊花達がいるのだ。よほどの事がなければここで戦闘する必要はない。すると警備ロボットのように微動だにせず直立するヒメの口から重苦しい溜息が零れた。


「間に合っている。恋に落ちても愛が育たなければ地獄に落ちるだけだ。」

「愛を育んでも一方通行なら地獄の落とされますよ。」


 互いの事を詳しく話したことはないが年齢を重ねた男が二人。察する者があるのだろう。経緯までは推測しかねるが互いに伴侶を失ったのだとシドもヒメも考察する。


「統括はやり直したいと思わんのか。」

「二度も地獄に落とされるのはごめんです。」

「落とされた方はそうだろうな。落とした方がもう一度やり直すなど傲慢だろうか。」


 愛を与えて尽くし続けて捨てられた男と愛を与えられて尽くされ続けて捨てられた男は同時に溜息を吐いた。


「もしも、もしも彼女がもう一度やり直したいと告げてきたら拒める自信がありませんね。」


 惚れた弱みだと笑うシドは未だに酷い裏切りをした伴侶を憎むことも忘れることも出来ずにいた。裏切られた記憶が冷凍保存されているかのように突き刺さるが彼女への愛が消えることもない。


「妖艶なお姉さま方、ボクにもヒメの一時を過ごす誉をお許しください。」


 ひっそりと繰り広げられる重い空気を打ち消すように両手を広げて入室してきたのは褐色の肌に金髪と琥珀色の瞳を持ったラフな服装の青年。複雑な電子回路柄のゴーグルとヘッドホンを首に下げていた。

 美しい女性を前に鼻の下をのばし口説き文句を口走る様を見る限り、性癖はレイと気が合いそうである。


「マキ君、お疲れ様です。」

「統括、このような天国までご足労おかけして。ラウにここにいるって聞いてログアウトしてきたよ。」


 彼は通称マキ。ウォール諸島共和国のα元素濃度上昇に伴うα元素変異体異常発生を治めるべく派遣された特式の調律師だ。

 ゲームのようにキャラメイクした実体の電子人形を現実世界で操作する『化身(アバター)』の能力を持っているため、操作する本体は安全地帯である花屋敷の一角においていた。


「守備はいかがです?」

「上々、って言いたいところだけど駆除しても駆除しても湧いてくるね。経験値稼ぎでもしてる気分だよ。」

「α元素の怖さですね。」


 α元素は1億年かかる進化も数分から数時間で終えてしまう。世代を重ねて少しずつ変異する工程を無視して現状生息する肉体を変異させるのだ。

 ウォール諸島共和国で最も多く出現するポウヴォはプランクトンが変異したα元素変異体。小さな水たまりから大量の化物が生まれるようなものである。


「変異前の生物を駆逐するわけにもいきませんし、せめてα元素濃度の上昇を抑制できれば良いのですが。」

「トゥリーパンクは?」

「製造可能な限り増やしてますよ。」


 浄化地帯内にて浄化の始祖が処理しきれないほどのα元素なのだ。α元素を吸収するホルムンクスであるトゥリーパンクを増やしたところで焼け石に水であった。


「上昇の原因がわかれば策も講じられますが、ねぇ。」


 何処を調べても上昇の原因が分からないのだ。α元素濃度の上昇が始まった年代の国内での出入り、出生確認、出来事。些細なことも調べ上げたが仮説すら浮上しない状態である。


「もう人体にまで影響が出始めてます。」


 α元素の影響で魔術のように不思議な力を使える子供達が現れ神官候補として寺院に迎えられている。浸食される濃い濃度のα元素に耐えられず国民の塩化症候群も多発していた。

 ウォール諸島共和国で塩化症候群を治療できる人物は1人。一つの国でたったの1人だ。

 身体が白く変色しながら硬直し末端から砕けて死に至った数は少なくない。


≪シドぉ、女神との一時を楽しみましょうよ。≫


 酔っぱらったような口調で絡みながらレイがシドの頭の上に止まった。レイを追って来た遊花たちがシドの両隣に座る。


「レイ、私は大切な話をしてます。遊びが優先なら離れてください。」

≪息抜きも必要ですよぉ。≫

「そーだねー。閃きは非日常の中で生まれるかもしれない。」


 一瞬で遊花達に骨抜きにされたマキは遊びモードに切替てしまっていた。マキの本体の置き場を安全の身を考慮して花屋敷にしたのは早計かと後悔がシドの頭に過る。


「統括さん、私と恋に落ちましょう。」

「女性に引っ付かれるのはメリだけで十分です。」


 もう目覚める予定のない調律師をダシにシドは遊花の甘い誘いを断るのだった。

姫乃(ヒメノ) (キヨシ)…通称ヒメの本名。地球では亭主関白の仕事人間であった。

◆花屋敷…黒強膜族(ディーアイン)の統治する花街。

◆花屋…花屋敷の長。

◆遊花…花屋敷にて接待を受け持つ女性達の名称。


レイは女好き。マキも女好き。ヒメは一途。シドも一途。

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